2014年04月24日

◆ 画像は加工してもいい

 実験の画像は加工してはいけない、と見なされているようだ。だが、これは誤りだ。本当は、加工してもいい。(科学の論文で。) ──

 科学の論文では、実験の画像は加工してはいけない、というふうに見なされている。というか、それがあたかも科学の常識のように語られている。しかし、そんなことはない。
 大切なのは、「嘘をついてはいけない」ということだけだ。嘘をつかない限り、画像を加工すること自体は、良くも悪くもないのだ。この両者は、混同されやすいが、似て非なることなので、きちんと区別しよう。
 以下では具体的に場合分けして説明する。

 (1) 画像の補正


 画像の補正というのは、元の画像が不明確または不正確な画像なので、何らかの修正を入れることだ。これは、真実を虚偽に見せかけるという捏造ではない。
 ここでは、元の画像が真実を示していないので、事後的に補正を入れることで、「不正確な真実」を「正確な真実」に修正するだけだ。具体的には、下記のような例がある。

 例1。露出補正。

 露光不足で白黒がはっきりしないときに、画像ソフトでコントラストを増幅する(強調する)ことで、露光不足を補正することができる。
 一般に、コントラストや明度や彩度の補正は、特に断りなく加工しても構わない。いちいち「補正しました」と記述することもなく、画像を加工して構わない。
 なお、どうして構わないかというと、これは、もともとハードの調整と同程度のことにすぎないからだ。機械の調整の具合をいちいち記述する必要がないのと、同様のこことである。
(ただし、画像を補正した場合には、「補正しました」と記述する方がいっそう好ましい。)

 例2。トリミング

 全体の画像のうちの一部だけを取り出すこと(トリミング)も、特に断りなく加工しても構わない。この程度の加工は、まったく構わない。

 例3。歪み補正

 高速移動する物体を撮影すると、シャッターが追いつかなくて、像が斜めに歪むことがある。下記のように。
  → 画像1
  → 画像2
  → 画像3
  → 画像4
 このような現象は、メカニカルシャッターをもたないスマホでは頻発するが、メカニカルシャッターをもつ一眼レフでも発生することがある。(最後の例。)
 そして、このように像が斜めに歪んだ場合には、画像を補正して、歪みを解消することはまったく問題ない。

 結局、以上の例1〜3で示したような「画像の補正」は、まったく問題がないのだ。「画像の加工をしてはいけない」というようなことは、まったく成立しない。

 (2) 画像の合成


 画像の合成は、実験結果そのものではないが、実験結果を解釈したり見やすくしたりする目的で、しばしばなされる。そのようなことは、禁止されない。

 例A。

 青フィルターの画像と、緑フィルターの画像とを、(レイヤーを重ねる形で)合成すること。
 このような合成は、GFP 発現の画像などで、しばしばなされる。「やってはいけない」ということはない。「やってはいけない」というのは、「研究をしてはいけない」というようなものであり、ナンセンスだ。

 例B。

 GFP 発現の画像と、自家蛍光の画像を、(一方を反転させてからレイヤーを重ねる形で)合成すること。
 これによって、GFP 発現の画像から、自家蛍光の分を除去することが可能となる。
 このような画像の合成も、研究の一部である。「やってはいけない」ということはない。

 例C。

 同種画像を二つ並べて、対比する画像を作ることができる。
 たとえば、双子の画像を二つ並べて、対比する画像を作ることができる。
 また、特に相違点をはっきりさせるために、双子の画像の一部に、もう一人の画像の一部を挿入して、比較することもできる。

 さて。以上の例A〜Cでは、「画像の加工をしても構わない」と書いた。ただし、注意。このような加工は、してもいいのだが、「加工した」という旨を、必ず記述する必要がある。それを記述しないで、もともと存在するかのような記述をすることは、科学的には正当なことではない。それは「嘘」と見なされても仕方ない。注意しよう。
( ※ つまり、元の画像から新たに合成画像を作成することは構わないのだが、その旨をきちんと記述するべきだ、ということ。)




 さて。
 以上のことから、STAP細胞事件における TCR 画像の加工について評価しよう。次のように言える。
 「この加工は、最後の例Cに似ている。画像の合成をしておきながら、画像の合成をしたと注記していないのだから、嘘をついたと見なされても仕方ない」


 ここでは、これを「改ざん」と認定するのも、間違ってはいない。
 ただし、不正か否かを認定する委員会がこれを「改ざん」と見なすのは、不当であろう。
 「嘘をついたと見なされても仕方がない」というのと、「嘘をついたと断定する」のとは、あまりにも大きな隔たりがあるからだ。
 比喩的に言えば、「あいつは悪いことをしたから殴られても仕方ない」というのと、「あいつは悪いことをしたから、あいつを殴ってもいい」というのとは、大きく異なる。
 つまり、「嘘をついたと見なされても仕方がない」というのは、「悪口や批判を言われたとしても仕方ない」ということだ。一方、それを「解雇などの処分をしてもいい」というふうにとらえるのは、行き過ぎであろう。

 さらに言おう。本質を示せば、次のように言える。
 STAP細胞の TCR 画像の加工は、加工したこと自体が悪かったのではなくて、加工したことを明示しなかったことが悪いのだ。
 比喩的に言えば、スッピンでなく化粧した女性がいるとして、化粧したこと自体が悪いのではなくて、化粧した顔を「スッピンだ」と偽ったことが悪いのだ。化粧した上で「化粧しました」と明示すれば、別に悪いことではない。
 小保方さんの場合も同様だ。小保方さんの発言によると、「挿入した画像を枠で囲んで区別すれば、問題はなかった」とNature に言われたそうだ。つまり、「合成画像である」と明示しておけば、問題はなかった、ということだ。
 ここでは、画像の合成それ自体が悪いことだったのではなく、「画像は合成画像である」と明示しなかったことが悪いことだったのだ。
 この区別を、はっきりとしよう。多くの人はこの両者を混同しているが。

 ──

 今の科学会の人々は、「画像の加工はいけないことだ。そんなことは常識だ」といきり立っている。しかし、それはまったくの間違いだ。「画像の加工はいけないことだ」ということはない。画像の加工は、いくらやっても構わないのだ。ただ、画像の加工をしたら、その旨を記述する必要がある。そこがポイントだ。
 小保方さんの場合には、その記述がなかった。それというのも、彼女は「このくらいなら記述しなくても構わないさ」という大甘の認識をしていたからだ。その不正確な認識に根本的な誤りがあった。その点では、彼女は批判されるべきだ。
 とはいえ、彼女を大々的に非難する人々もまた、間違っている。彼女が間違っていたのは、「画像を加工したこと」ではなくて、「画像を加工したと明示しなかったこと」だけだ。
 なのに、「画像を加工したこと」をもって非難するのは、お門違いすぎる。まるで濡れ衣のようなものだ。その意味で、彼女を大々的に非難する人々は、(大甘とは対極的に)厳しすぎる認識をしている。その不正確な認識には根本的な誤りがある。その点では、彼女を非難する人々もまた、批判されるべきだ。

 結局、彼女も間違っていたが、彼女を非難する人々も間違っている。どちらも間違いだ。(一方は甘すぎて、他方は辛すぎる。どっちもまともではない。)
 正解は、「画像を加工していい」でもなく、「画像を加工してはいけない」でもなく、「画像を加工したらその旨を明示する」ということだ。そして、その正解を離れて、画像の加工だけを見て、「正しい」「間違っている」と議論しあっても、それはまったくのピンぼけにすぎないのである。(ただの茶番だ。)



 [ 付記 ]
 本項のポイントは、最後の点にある。再掲しよう。
 その正解を離れて、画像の加工だけを見て、「正しい」「間違っている」と議論しあっても、それはまったくのピンぼけにすぎないのである。

 世間では画像の加工について、「正しくない」「やってはいけないことだ」というふうに批判している。しかし、加工自体がいけないのではなくて、「加工したと明示していないこと」がいけないことなのだ。ポイントを間違えてはいけない。
 「画像の改ざん」というのは、たしかにその通りだろうが、その問題のポイントは、「加工したこと」ではなくて、「加工したと明示していないこと」なのである。
 したがって、「加工したから捏造した」というのは、見当違いだ。正しくは、「加工したと明示しないから、結果的には嘘をついたことになる」ということだ。ここで、罪は「加工したという表示が抜けていたこと」である。つまり、「加工したこと」(改ざんしたこと)が悪いのではなく、「表示をうっかりしたこと」が悪いのだ。両者をきちんと区別しよう。
 
( ※ だから、小保方さんへの批判をするならば、「この嘘つき!」と言うべきではなく、「この間抜け! おっちょこちょい!」と言うべきなのだ。……前にも述べたが、STAP細胞事件とは、悪質な犯罪事件ではなくて、ただの馬鹿げた喜劇なのである。 → 前出項目
 


  ※ 以下は読まなくてもいい。


 [ 余談 ]
 「画像を加工してもいい」
 という本項の主張に対して、揚げ足取りふうの反論が予想される。
 「だったら ES細胞や iPS細胞の捏造も、してもいいというのか?」
 馬鹿馬鹿しいが、答えておこう。
 もちろん、ES細胞や iPS細胞の事件のような、画像の加工(つまり捏造)をしても構わない。ただし、注意。そこでは、そういう加工をしたという旨を、きちんと明示する必要がある。その明示さえしておけば、構わない。
 実際、ES細胞や iPS細胞の事件の例では、「加工した」という旨を正確に記述してあれば、「それは捏造です」ということがきちんと明示される。それならば、誰もだまされないから、問題はない。単に本人がピエロに見えるだけのことだ。(馬鹿丸出しに見えるだけだ。)(というか、そもそも、その論文が専門誌に掲載されるはずがない。)
 一方、小保方さんの例では、画像の加工があったとしても、その旨が注記されていれば、何の問題も生じない。単に「きれいに見せるために、画像を切り貼りした(合成した)」と見なされて、それでおしまいとなる。それだけのことだ。何ら問題とはならない。(その論文は、専門誌に掲載可能である。少なくともその画像の点に関しては問題ない。)
 その意味で、小保方さんの画像の加工は、最初からいちいち論じるに値しないのだ。それを「捏造だ」と騒ぐとしたら、騒いでいる人自身が「事件を捏造している」ことになる。ありもしない捏造事件を、あるかのように作り出しているからだ。……これはまあ、冤罪の一種である。警察が事件を捏造するのが「冤罪」だが、小保方さんを「彼女は捏造した」というふうに非難するのも、冤罪の一種である。(ありもしない捏造事件を捏造しているからだ。まったく、馬鹿馬鹿しい話。)

 ※ この例からもわかるように、STAP細胞事件というのは、まったく馬鹿げたトンチンカンな事件なのである。いちいち論じるに値しない。ここでは、特別な悪があったのではなくて、「特別な悪があった」と勘違いした世間の錯覚があっただけなのだ。
 

 


 【 追記 】 (2014-04-25)
 理研の調査委員長の不正が発覚した。
  → STAP問題、理研調査委員長が辞任へ 自身の論文データに疑義
  → 以前の発言
  → 不正の指摘
  → 委員長の弁明 (PDF

 「委員長の不正と、小保方さんの不正は、全然違う」という解釈もあるが、妥当ではない。どちらも本質は同じだ。
 「画像の加工をしておきながら、その旨を記していない」
 ということだ。

 ただし、これを「不正として指弾するべきか」と言えば、そうではないと思う。その理由は、本項で述べた通り。つまり、調査委員長も、小保方さんも、どちらも「ただのうっかり」つまり「加工した旨の表示のし忘れ」だけである。指弾するほどのことはない。
 なお、「小保方さんを指弾するべきだが、委員長を指弾するべきではない」というのは、道理が通らないだろう。なるほど、両者に違いはあるが、どちらも「赤信号の無視」ぐらいの違反である。なのに、「一方は死刑にして、一方は罰金だけ」というのは、あまりにも判断が不公平すぎる。私としては「どちらも罰金刑ぐらい」が妥当であると判断する。つまり、「赤信号には死刑を!」という世間のヒステリー狂想曲は間違いだ、と判断する。 
 
 さらに、本質を示しておこう。
 ここで大切なのは、「画像の加工によって論文の内容が変わったか」ということだ。その観点からすると、「加工の前後で論文の内容は何ら変わらない」と言える。小保方さんの場合も、委員長の場合も、どちらもそうである。その意味で、過去の捏造事件とは、まったく事情が異なる。
 ただし、理研の調査委員長は、小保方さんを断罪したとき、「論文の内容への影響は関係ない。単に加工したこと自体が不正だ」という趣旨で断罪した。ならば、その趣旨が自分自身に降りかかるのは、当然だろう。
 今回、委員長は、「研究結果には影響しない」と弁明した。( → 朝日新聞 ) しかし、これはおかしい。「研究結果には影響しない」ということならば、小保方さんにも当てはまるのだ。なのに調査委は「研究結果には影響しなくとも、加工したこと自体が不正なのだ」という理屈で小保方さんを断罪した。だったらそれが自分自身に降りかかるのは、当然だろう。

 なお、彼は「調査委員長を辞任する」と言っているが、とんでもない話だ。彼が辞任するべきなのは、調査委員長ではなくて、理研の研究員としての座だ。つまり、解雇されるべきだ。(小保方さんについても、その趣旨で断罪したからだ。)
 だから、そのために、理研は「石井研究委員の不正を断罪して解雇するための調査委員会」を設置するべきだろう。そして、小保方さんに適用したのと同じ理屈で、彼を断罪するべきだ。さもなくば、不公平すぎる。
 要するに、本来ならばどちらも微罪なのだが、委員長自身が「これは死刑だ!」というふうに息巻いていた(天才バカボンのおまわりさんみたいだった)のだから、その矛先が自分自身に向かうのも仕方はない、ということだ。馬鹿が撃った鉄砲の弾が自分自身に当たる、という構図。ブーメラン。
 
( ※ なお、本質的に言えば、これはすべて馬鹿げた茶番である。捏造でもないものを「捏造」と呼ぶ、という狂気の沙汰を、理研の調査委が行なっている。理研自体が、冤罪ないし捏造をしようとしている。そして、それが、自分自身に降りかかってしまう……というわけ。ほとんど道化の喜劇だ。)



 【 追記2 】 ( 2014-05-02 )
 先に、理研の調査委員長の不正が発覚した。(本項の 【 追記 】 を参照。2014-04-25)
 それに続いて、新たに他の委員3名でも、同様に画像の加工が発覚した。
 STAP細胞の論文問題で、小保方晴子氏(30)の不正を認定した理化学研究所(理研)調査委員会の委員3人の過去の論文に、画像切り貼りなど加工の疑いが指摘されていることが1日、明らかになった。理研は、所属委員の論文について、本格的な調査が必要かを判断するための予備調査を始めた。
 今回、指摘があった委員は、理研の古関明彦(はるひこ)グループディレクター(52)と真貝(しんかい)洋一主任研究員(52)、東京医科歯科大の田賀哲也教授(54)。理研所属の古関、真貝両氏は、4月下旬に「過去の論文に、画像の切り貼りなどがあったのではないか」と通報があり、理研が1日、予備調査に乗り出した。古関氏は責任著者だった2003〜11年の計4本の論文、真貝氏は、石井前委員長と共著の05年の論文1本で、画像切り貼りや使い回しの疑いが指摘された。
 古関、真貝両氏は“小保方氏追及”の急先鋒(せんぽう)だった。代理人の三木秀夫弁護士によると、小保方氏は「2人の聞き取り調査が特に厳しかった」と、話していたという。三木氏は1日、「結論ありきの質問をされ、(小保方氏が)非常に難儀していた」と、厳しい表情で明かした。
 また、理研外の田賀氏が責任著者だった過去の論文2本についても、新たに切り貼りの指摘があった。
 STAP論文問題で、調査委が立ち上げられた当初のメンバーは6人。1人は弁護士の渡部惇氏(新委員長)。調査委の研究者で、現状で論文への疑義が浮上していないのは、これで岩間氏1人だけとなった。
( → 報知新聞

 調査委にいる研究者5名のうち4名が撃墜されたことになる。撃墜率 80%。何ともまあ、すごいブーメラン砲だ。
 ついでに言えば、これによって、山中さんも部分的に負傷を負った。まったく、日本中の優秀な研究者ことごとく撃墜する勢いだ。
 これを見て、「小保方さんは何とすごいトップガンだ」と感嘆する人もいるが、勘違いしてはいけない。小保方さんは、彼らを撃墜しようとしているわけではない。むしろ、彼らを救おうとしている。
 では、これら全体を撃墜しようとしているのは誰か? もちろん、ブーメラン砲を発射した人々だ。つまり、理研の不正調査委員たちだ。さらに言えば、彼らの後押しをする、日本中の捏造批判派(理系研究者など)も該当する。……これらの人々が、日本の研究体制を、いっせいに破壊しようとしているのだ。
( ※ それから研究者を守ろうとする小保方さんは、さしずめ、祖国を救おうとするジャンヌダルクかな。)

 今の日本では、「不正を根こそぎ叩き出せ」とか、「膿(うみ)をすっかり出し切れ」とか、正義漢ヅラをした人々がたくさんいる。しかし、そのようなことは、「神のように完全無欠ではない普通の人々を、ことごとく打ち捨ててしまう」という結果になるのだ。いわば、「産湯とともに赤子を捨てる」というありさまである。
 今の日本では、小保方さんを攻撃する人が多い。しかし、彼らが攻撃しているのは、結局は、小保方さんよりも、一般の研究者たちなのだ。(なぜなら人は誰しも完全無欠ではないからだ。)……そして、そのことに気づかなかった愚かな委員たちが、「自分だけは完全無欠だ」と信じて大砲をぶっ放したあげく、その大砲の弾がブーメランとなって降りかかって、自分たちを根こそぎ破壊してしまうことになったのだ。
 何という愚かさ。
 
 教訓。

 「他人に対して不寛容な人々は、その攻撃の手によって、自らを傷つけることになる」
     《 参考 》
     「小さな不正も罰するように厳罰化すれば、社会は改善する」
     と信じると、どうなるか? それは、次の二つの例でわかる。
      ・ 禁酒法を制定した米国
      ・ やたらと厳格な戒律のあるイスラム教

     その結果は?  
     禁酒法時代の米国では、闇の酒が流通して、カポネのようなギャングがボロ儲けして、社会は暗黒化した。
     イスラム教で厳格な戒律を求める原理主義者は、アルカイーダのようなテロリストとなり、イラクやアフガンでテロ活動をしている。一部は 9・11 NYテロを実行した。
     社会においてさえ、厳しい規律は、その攻撃がブーメランのごとく戻ってきて、社会自体を破壊してしまうのである。


 [ 補足 ]
 上記の3名の不正の疑惑については、「どこが問題なのか?」と思って、ネットを検索したが、詳細情報は見つからなかった。
 その後、コメント欄 に情報が寄せられた。
 「この告発(田賀氏の分)は、おかしい。捏造疑惑は不当だ」という 11jigen 氏による反論。
  → @JuuichiJigen twitter




 【 追記3 】 ( 2014-05-15 )
 小保方さんの側が「理研は二重基準」と批判した。小保方さんの疑惑論文と、元委員の疑惑論文とでは、「不正」と認定する基準が異なる、という趣旨。
 S理化学研究所の調査委員会の委員だった3人が関わった過去の論文に疑義が指摘されていた問題で、理研が「研究不正に当たらない」と判断したことについて、小保方(おぼかた)晴子ユニットリーダーの弁護団は14日、「到底納得できない」と批判するコメントを発表した。
 疑義が指摘されたのは、石井俊輔上席研究員と真貝(しんかい)洋一主任研究員、古関明彦(はるひこ)・統合生命医科学研究センター副センター長。理研が実験ノートを確認し、本人から聞き取りもした結果、画像の切り張りはあったが、研究不正ではないと結論付けた。
 小保方氏の弁護団は「判断も手続きも、STAP論文の場合と違う二重基準」と指摘。
( → 朝日新聞 2014年5月14日

 これだけ読んでも、よくわからないだろう。そこで、朝日の別の記事を引用しよう。

 理研の報告書などによると、小保方氏はDNAを解析した「電気泳動」の結果を掲載する際、画像の一部を切り取り、大きさやコントラストを調整し、別の画像に組み込んで1枚の画像に見えるようにした。調査委は「改ざん」にあたり、研究不正と認定した。
 委員だった古関明彦・統合生命医科学研究センター副センター長が関わった過去の論文では、1枚の画像を論文の本文に合うように順番を並べ替えるなど、画像の切り張りがあったという。理研は予備調査で「不正なし」と判断した。
 両者とも画像加工が確認されたが、不正かどうかの判断は分かれた。小保方氏について、調査委は元となった2枚の画像は、ともに電気泳動の結果だが、違う実験条件で行った2枚の画像を組み合わせた点を挙げ、「図を加工したことで、正確な情報が失われた」と指摘した。
 古関氏は、予備調査の結果、実験ノートから元の画像が1回の実験から得られたことが確認されたとし、「不必要なデータを落とすことはある」などと結論付けられた。加工によってデータの信頼性が損なわれたかどうかが、不正を判断する一つの分水嶺(ぶんすいれい)となった。
( → 朝日新聞 2014年5月15日

 これを見れば、両者で基準が異なることがわかる。
  ・ 小保方論文 :
   「図を加工したことで、正確な情報が失われた」
  ・ 古関論文 :
   「加工によってデータの信頼性が損なわれたかどうか」

 このように、基準が異なる。
 その上で、次のように判定した。
  ・ 小保方論文 :
   「図を加工したことで、正確な情報が失われたから、不正である」
  ・ 古関論文 :
   「加工によってデータの信頼性が損なわれていないから、不正でない」

 しかし、これは異なる基準を適用しているのだから、明らかにおかしい。適用の仕方を変えれば、次のようにもなる。
  ・ 小保方論文 :
   「加工によってデータの信頼性が損なわれていないから、不正でない」
  ・ 古関論文 :
   「図を加工したことで、正確な情報が失われたから、不正である」

 こういうふうに、基準を変えれば、不正かどうかの判定も正反対になる。それほどにもいい加減なことを、理研はやっているわけだ。
 理研の二重基準。ここを、弁護団は指摘しているわけだ。

 ──

 以上によって、理研のデタラメさがわかった。これは理研による「捏造」とも言える。
 では、理研はどう捏造したのか? 次のいずれなのか? 
  ・ 不正でないものを不正だと捏造した。
  ・ 不正であるものを不正でないと捏造した。

 そのどちらが真相か? これを知るには、「正しくはどうするべきだったか」を考えるといい。
 朝日の記事の後半には、次の話がある。
 《 加工の明示が必要 》
 古関氏も石井氏も、一部の論文で掲載誌に訂正や修正は申し出ている。画像を切り張りしたことを明示するように改める内容だ。
 研究不正に詳しい九州大の中山敬一教授は「画像を切り張りした場合、それを明示しないことは現在では不正だ」と指摘する。米科学誌「ジャーナル・オブ・セル・バイオロジー」は04年、画像を加工するときのガイドラインを公表した。加工したことが分かるように、切り張りした境に線を入れるなどとする内容だ。
( → 朝日新聞 2014年5月15日

 ここでは、正しい方法が示されている。それは「加工したことを明示すること」だ。
 つまり、加工したこと自体が悪いのではなくて、加工したことを明示しないことが悪いのだ。

 このことは、本項(画像は加工してもいい) の前半にある (2) でも、すでに述べておいた。該当箇所を再掲しよう。
 STAP細胞の TCR 画像の加工は、加工したこと自体が悪かったのではなくて、加工したことを明示しなかったことが悪いのだ。

 画像の合成それ自体が悪いことだったのではなく、「画像は合成画像である」と明示しなかったことが悪いことだったのだ。

 私がこれを記したのは、4月24日のことである。そして、そのことが今になって指摘されている。

 ──

 ともあれ、あらためて繰り返そう。
 小保方さんであれ、調査委の委員であれ、どちらも画像を加工した。ただし、加工したこと自体が悪いのではなくて、加工したことを明示しないことが悪いのだ。
 だから、「この双方は、どちらも加工した事実を明示しなかったことが問題だ」と結論するのが正しい。つまり、どちらも少しだけ悪い。(どちらも灰色だ。)

 一方、理研の調査委は、二重基準を取った。
  ・ 小保方さんは加工したこと自体が悪い。(完全に黒だ。)
  ・ 調査委員は加工した事実を明示しなかっただけだから悪くない。(完全に白だ。)


 これでは、「結論に合わせて基準を決めた」と言われても仕方ない。それがつまり、「二重基準」ということの意味だ。
 この意味で、理研の調査委(および調査委を判定する機関)は、今回の事件について、一種の捏造をしている。
 小保方さんは、不適切な論文を書いたが、意図的な捏造はしていなかった。一方、理研は、意図的な捏造をしているのである。「二重基準を取る」という形で。

 科学を標榜する理研が、科学や論理とはまったく関係のないご都合主義で捏造をすることは、本当に嘆かわしい。彼らは「あいつは捏造をした」という捏造をしているのである。

( ※ ただし、詐欺師がうまく逃げるコツは、「あいつは詐欺師だ」と別人を名指しすることである。……その意味で、理研は巧みな詐欺師だとは言える。世間の大部分は、そのペテンに引っかかってしまった。)
  



 【 追記4 】 ( 2014-05-29 )
 読売新聞に解説記事があった。( 2014-05-29 夕刊 )
 次の趣旨。

 「画像の加工は、小保方論文にもあったし、調査委員長の論文にもあった。なのに、前者が不正で、後者が不正でないのは、なぜか? 次の違いがあるからだ。
 小保方論文では、画像の一部を別の画像の一部と、差し替えた。
 調査委員長の論文では、画像の順序を変えただけだ。」


 わかりやすく説明しよう。(元の記事の図を文字で書く。)
 たとえば、四つの画像 ABCD が並んでいたとする。
 調査委員長の論文では、 ABCD を BDAC というふうに、並べ替えただけだ。順序は変わったが、画像の内容そのものは変わっていない。だから、不正ではない。
 小保方論文では、 ABCD を  AbCD というふうにした。つまり B という画像を b という画像に差し替えた。つまり、画像の中身が替わってしまっている。これでは正しく証明したことにはならない。

 ──

 以上が読売の記事の趣旨だ。
 なるほど、これは妥当であろう。ただ、この説明から、いっそうよくわかることがある。
 調査委員長の論文が不正ではない、というのは、妥当だろう。私もこれを不正だとは思っていない。
 小保方論文はどうか? ここでは、別の画像に替わってしまっている。これではまともな論文になっていない。だが、注意してほしい。これによって論文としての価値は滅茶苦茶になるが、それは、「真実としての価値がない」というだけのことにすぎない。その場合、「論文取り下げ」という措置でカタは付くのだ。
 一方、「不正だ」と認定するためには、「真実であることを証明できない」というだけでは足りず、「虚偽を真実に見せかけた」ということが必要だ。過去の捏造事件は、すべてそうだった。ところが、小保方論文はそうではない。 B という画像を b という画像に差し替えたが、 B という画像も b という画像も、どちらも同じことを意味するのだから、「虚偽を真実に見せかけた」のではなくて、「真実1を真実2に見せかけた」もしくは「真実1を真実2とすり替えた」というだけのことにすぎない。この場合は、論文としての価値は無に近くなるが、「不正」と指弾するほどのことではないのだ。

 結局、委員長の画像加工も、小保方論文の画像加工も、どちらも加工である。ただ、いくらかの差はあるから、委員長の画像加工は「真実の証明として問題ない」と評価され、小保方論文は「真実の証明として不可である」と評価されるだろう。それでも、どちらも虚偽を真実に見せかけたものではないから、どちらも不正ではない。その意味では、どちらも同様である。
 にもかかわらず、調査委員会は、「画像を加工したこと自体が不正である」という認定を下した。ここでは「不正行為があったから不正だ」という判断をせず、「単に画像の加工があったから不正だ」という判断をした。あまりにも滅茶苦茶な判断だ。とすれば、その滅茶苦茶な判断が委員長自身に降りかかるのも、やむを得まい。

 読売の記事は、そこのところを指摘していない。そのせいで、わかりにくい記事となっている。これはまあ、理研の言い分だけを掲載したもので、小保方側の意見を掲載していないものだ。裁判で言えば、検察側の意見だけを掲載して、弁護側の意見を掲載していないようなものだ。偏向報道だと言える。




 [ 余談 ]
 理研の混乱はひどい。ふえるワケワカメ という状態である。




 


 【 関連項目 】

 → STAP細胞の捏造はなかった?
  ※ 「STAP細胞の画像の捏造」という話題について、詳細を論じる。
posted by 管理人 at 23:27|  STAP細胞 | 更新情報をチェックする
  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

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