2014年04月21日

◆ 日本人は文盲か?(小保方さんより愚か)

 小保方さんの見解に対して、人々は日本語を理解できない文盲状態になっているようだ。 ──


  《 注記 》


    本項は複数の部分から構成されています。執筆日も異なります。
     ・  本文    (4月21日)
     ・ 【 追記1 】 ( 05-07 )
     ・ 【 追記2 】 ( 05-08 )
     ・ 【 追記3 】 ( 05-09 )
     ・ 【 追記4 】 ( 06-08 )
    特に、理研の調査委の報告については、追記の方で論じています。





 
 小保方さんが捏造を否定する文書を理研に提出した。記事を紹介する。
 今回提出された文書は、不服申し立ての内容を補充するもので不正があったと認定された画像について、悪意はないなどとして改めて改ざんやねつ造には当たらないとしています。
 
 今回の文書について、日本分子生物学会副理事長で九州大学の中山敬一教授は、まず改ざん問題について「弁護側は結果が正しければ画像の切り貼りをしても改ざんには当たらないと解釈をねじ曲げている。データを切り貼りすること自体が改ざんで、科学の常識からは考えられない誤った解釈だ」と指摘しています。
( → NHKニュース

 馬鹿丸出しとしか言いようがない。論旨が食い違っている。
  ・ 小保方さんは「悪意がない」と主張する。
  ・ 教授は「科学の常識から改ざんである」と主張する。


 両者は全然別のことを語っている。
  ・ 小保方さんが「Aではない」と語った。
  ・ 教授は「小保方さんが『Bではない』というのは間違いだ! Bだ!」と批判した。


 何これ。日本語理解ができていないとしか言いようがない。呆れるばかり。
 でもって、この誤読が教授だけかと思ったら、はてブ民もこの教授に同意している人が圧倒的だ。誤読する文盲ばかり。呆れる。
  → はてなブックマーク

 ──

 念のため、原文を示そう。原文はここにある。
  → ハフィントンポスト
 ここから該当箇所を抜粋すると、下記。
1 「改ざん」の定義
 本規程2条2項2号において、「改ざん」とは、「研究資料、試料、機器、過程に操作を加え、データや研究結果の変更や省略により、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること」と定義づけられている。

2 「改ざん」の意味
 この定義からすれば、研究資料に操作が加えられ、データの変更が行われても、それが、結果の偽装(真正でないものへの加工)に向けられたものではない場合は、「改ざん」にはあたらない。

3 申立人の行為は結果の偽装に向けられたものではない
 申立人のレーン3の挿入は、ゲル1、ゲル2写真が存在する以上、結果の偽装に向けられたものでないことは明らかである(客観面)。また、申立人の認識ないし意図しても結果を偽装するために行ったものではない(主観面)。それゆえ、申立人の行為が「改ざん」にあたらないことは明らかである。

4 データの誤った解釈へ誘導する危険性を認識しながらなされた行為ではない
 本報告書では、レーン3の挿入は、研究者を錯覚させるだけでなく、データの誤った解釈へ誘導する危険性を生じさせる行為であり、かつ、そのような危険性について認識しながら行った行為であると評価せざるをえないという判断のもとに、改ざんにあたるとするようである。
 しかし、仮に、申立人が、そのような危険性について認識していたのであれば、真正なゲル1、ゲル2写真が存在しており、それらの写真を掲載すればよいという状況の下で、そのような危険性を生じさせる行為をする必要は全くない
 あえてそのような行為をすることは、経験則条考えられない。
 したがって、そのような危険性を認識しながらなされた行為ではない。

5 レーン3の挿入にあたってズレが生じるか
 本報告書では、申立人の「標準DNAサイズマーカーの位置情報に基づいてレーン3の挿入位置を決定したとの説明」について、調査委員会の検証の結果、説明を裏付けることができなかったと認定している。
 しかし、不服申立書添付の資料2のとおり、申立人の説明は合理的に裏付けられている。それゆえ、申立人のレーン3挿入行為が「科学的な考察と手順を踏まない」ものであるとの事実認定は誤りであり、誤った事実認定を前提とした本報告書の判断は誤りである。

6 小括
 申立人は、再調査において上記の点を確認いただいたうえ、レーン3の挿入は「改ざん」にあたらず、研究不正がなかったとの結論を求める。

 冒頭に「本規定」とあるが、これは「理化学研究所の規定」であるそうだ。
  → 朝日新聞デジタル

 要するに、「改ざん」の定義は、次のようになる。
  ・ 小保方さん …… 理研の規定による「改ざん」
  ・ 教授たち ……… 科学の常識による「改ざん」


 その後の食い違いは、下記。
  ・ 小保方さん …… 理研の規定による「改ざん」ではない
  ・ 教授たち ……… 科学の常識による「改ざん」である


 こういうふうに、まったく食い違っている。そして、その理由は、教授や、他の人々が、小保方さんの言っていることをまったく理解できないからだ。つまり、日本語を理解できないからだ。
 日本人はいつのまにか文盲同然になってしまったようだ。

 STAP細胞の問題を話題にするより、日本人の白痴化を心配する方が、マシだろう。
 私は小保方さんのことを「とんでもない愚か者だ」と思っていたが、他の一般の人々(特に、はてブ民)に比べれば、はるかにマシだな。
 逆に言えば、小保方さんよりもはるかに愚か者であるのが、他の一般の人々(特に、はてブ民)である。日本語ぐらい理解できるようにしてほしいものだ。
 
  ────────────

 なお、小保方さんが何を言っているか、まったく理解できていない人が多いようなので、解説しておく。

 小保方さんが主張しているのは、次のことではない
 「私は間違ったことをしてはいません。私はやったことは正当です。人々が私を批判するのは不当です」
 彼女はそんなことは述べていない。過去の捏造者ならば、そういうことを主張しただろうが、彼女はそういうことを述べていない
 そのことは、会見を見た人ならば理解できるはずだ。彼女はそこで何度も「未熟さゆえの至らなさ」を詫びて、謝罪していた。彼女は自分の不当性を認めていた。自己正当化なんかしていなかった。
 なのに、上記の教授や、はてブ民は、そこを正反対に誤認する。あげく、「彼女は自己正当化をしている! 間違いを認めていない!」と誤読して批判する。何という識字力。呆れるばかり。

 では、彼女は何を主張したか? それは、すでに上記で述べた通りだ。つまり、こうだ。
 「私のやったことは理研の規定に違反していません」
 その意味は、次のことだ。
 「私のやったことは、科学者としてはまったく未熟であり、間違ったことです。しかし、理研の服務規程には違反していないので、解雇などの形で処分するのは不当です」

( ※ 理由は「悪意ある改ざんではなくて、ただの認識不足によるミスであるだけです。実質的にも、真偽を逆にするようなことはしていません。虚偽を真実に装ったのではなく、真実を真実に取り替えただけです」)


 つまり、ここで述べているのは、科学者としての倫理の問題ではなくて、労働者としての処分の問題なのだ。科学倫理の問題ではなく、労働契約の問題なのだ。(「処分するな」という意味。)
 この基本すらも理解できないまま、これを「科学倫理の問題」だと誤認して、「彼女は科学者として間違っている!」と批判する人々は、あまりにも愚かすぎる。それはまるで、次のことに似ている。
  ガリレオ 「地球は動く。これは科学的真実だ」
  基督教会 「地球は動かない。これは宗教的真実だ」


 ガリレオが科学的真実を論じたのに対して、基督教会は宗教的真実の立場からガリレオを断罪した。まるきり見当違いの方向から断罪した。
 小保方さんが労働問題の当否を論じたのに対して、科学者は科学倫理の善悪の立場から小保方さんを断罪した。まるきり見当違いの方向から断罪した。

 現在の自称科学者のやっていることは、ガリレオを断罪した基督教会と同様である。その論理的な愚かさには、呆れるばかり。人類は 21世紀になっても、これほどにも愚かな論理的錯誤をやっているのである。
 これはまあ、500人の乗客を死なせた韓国人船長と、ほとんど同様の狂気だろう。ただ、頭がイカレた韓国人船長は1人いるだけだったが、頭がイカレた日本人科学者は何百万人もいるのである。
 
( ※ ついでだが、小保方さんを科学倫理の点で批判するということなら、すでに彼女自身がやっている。会見で何度も謝罪した。それでもまだ謝罪が足りないというのであれば、「もっと謝罪せよ」「もっと頭を下げろ」「もっと泣け」と要求すればいい。一方、話を転じて、労働問題に持ち込むのは、筋違いすぎる。そういう発想こそ、あまりにも非科学的・非論理的だ。その愚かさを、人々は自覚するべきだ。人々は小保方さんよりもはるかに愚かである。)
( ※ 仮に、小保方さんを愚かさゆえに処分するのであれば、人々を愚かさゆえにその何倍も処分するべきだろう。……いや、いちいち処分するまでもなく、人々は自分で自分の首を絞めているが。日本人は 1.3億人を乗せた船を沈没させようとしているのだ。デフレという形で。……小保方さんより、そっちの愚かさに気づけよ。)
 


 【 関連項目 】

 → 捏造の論議は無駄(小保方・会見)
  ※ 会見の意味の解説。

 → 彼女は嘘つき?
  ※ 小保方さんの会見(4/9)のあとで。




 【 追記1 】 ( 2014-05-07 )
 理研の調査委は、「再調査せず」との結論を出した。
 理化学研究所の調査委員会は6日の会合で、研究不正があったとの認定は不当とする小保方晴子ユニットリーダーの不服申し立てを退け、再調査しないとの結論をまとめた。
 制度上、小保方氏が審査結果に対して、改めて不服申し立てを行うことはできない。理研幹部はこれまで「調査委は独立しており、理研はその結論を受け入れる」と説明している。理研が審査結果を受けて、今後、小保方氏らの処分の検討と論文撤回の勧告を行う見通しが強くなった。
( → 読売新聞 2014-05-07

 事の是非は別として、ここには大きな問題がある。次のことだ。
 「ことの是非について、訴えられている調査委自身が判定している」

 これはどう考えてもおかしい。一般に、裁判ならば、地方裁判所の判決に不服があれば、その是非を高等裁判所が判定する。地方裁判所自身が判定することはない。自分で自分の是非を判定できるはずがないからだ。というか、自分で自分の是非を判定するならば、「自分は正しい」という判定をするに決まっているからだ。
 理研は、不服申し立てを受けたならば、調査委自身が判定するのではなく、別の機関(不服受付機関)が判定するべきであった。なのに、それができていない。ここでは、理研の制度そのものに根本的な欠陥があることになる。
 そして、根本的に欠陥がある制度に基づいて処分を下すのであれば、それはただの滅茶苦茶であるにすぎない。馬鹿丸出しというしかない。理研は小保方さんへの処分を下すことで、自分自身のバカさ加減を証明することになる。
 
 繰り返す。
 「ことの是非について、訴えられている調査委自身が判定している」
 ということには、根本的な制度上の欠陥がある。
 そして、仮にこれを妥当であるとするのであれば、これを小保方さん自身にも適用するべきだ。つまり、次のようにするべきだ。
 「ことの是非について、訴えられている小保方さん自身が判定する」

 つまり、STAP細胞の論文に不正があったか否かについて、訴えられた小保方さん自身が自分で判定すればいい。それならば筋が通る。

 逆に言えば、「小保方さん自身が判定するのはダメだ」と思うのであれば、今回の不服申し立てについては「調査委自身が判定するのはダメだ」と認定するべきだ。
 要するに、今回の調査委の判定は、それ自体が根本的に狂っているのである。それはいわば、「裁判において被告が裁判官になる」というのと同様の、狂気の沙汰だ。
 
( 余談だが、たぶんそのうち、元・調査委委員長の処分についても騒ぎが起こるだろう。そのとき、またしても理研はバカさ加減を証明することになるだろう。まったく、何やっているんだか。)
( ※ そもそも、論文不正疑惑の委員が3人もいる(いた)というのに、それらの委員によって裁定が下るというのも、根本的におかしいが。……やはり、別の機関が裁定するべきだった。)

 なお、今回の調査委の裁定の理由は、それ自体が滅茶苦茶である。
 不正の認定を覆す新たな証拠は示されなかったなどとして再調査の必要はないとする結論をまとめました。
( → NHKニュース 2014-05-07

 これは筋が通らない。小保方さんは「裁定が不当だから再調査を」と述べたのに、「新たな証拠がないから」という理由で不服申し立てを拒むのはおかしい。このような理屈が通るのは、裁判が確定したあとでの「再審申し立て」のときだけだ。一方、一般に控訴審であれば、「裁定が不当だから」という理由だけで上級審での再判決を要求できる。そこでは「新たな証拠」などは必要とされない。
 調査委が今回のような方針を取るならば、「調査委はどれほどデタラメな判定をしても構わない」と言っているのと同様だ。「自分たちが間違った裁定をしたとしても、新たな証拠が出ない限りは、間違いを認めなくていい」と言っているのと同様だ。
 これはもはや「自分たちの誤りを認めなくていい」ということであるから、「自分たちの捏造を容認する」というのと同様だ。調査委はここまで自己矛盾を起こしている。ほとんど狂気の沙汰だ。
 



 【 追記2 】 ( 2014-05-08 )
 STAP細胞事件に関して、小保方さんの不正があったかどうかについて、理研が最終報告を出した。「改ざんと捏造があった」という認定。
  → STAP細胞、不正が確定 理研「調査せず」小保方氏らの処分検討へ
  → 理化学研究所の声明
 全文(PDF)は、上の理研のページにある。

 この全文を見ると、次のことがわかる。

 (1) 改ざん(TCR画像の加工)については、「悪意がある」と認定した。そこでは、「悪意」とは「故意」のことである、と定義した上で、「故意にやったから悪意があった」と認定した。
 (2) 捏造(テラトーマの画像)については、「ずさんな管理のせいだった」と認定した。その上で、「このようなずさんな管理には責任がある」と認定して、不当さを認定した。


 しかし、この二点は、論理としては滅茶苦茶だ。

 (1) 「故意」を「悪意」と認定したのであれば、勘違いゆえのミスはすべて「悪意」と見なされてしまう。
 たとえば、今回の不正調査委員会の委員長だ。彼は画像を加工したが、「この程度の加工は問題ない」と考えて、加工した。実際、この程度の加工は問題ないと思う。しかしながら、調査委の定義であれば、たとえ悪質さが皆無であっても、「故意にやった」というだけのことで、「画像の加工は悪意があった」ということになる。となると、委員長についても、小保方さんと同様の処分を出す必要がある。
 また、他の日本中の研究者についても、勘違いゆえのミスはすべて「悪意」と見なして、それらを指弾しなくてはならない。なぜなら、悪質さは皆無であっても、「故意」の加工はすべて「悪意」と見なされるからだ。それが今回の調査委の判断だからだ。
( ※ 比喩的に言うと、「嘘つきは殺人罪に該当するので死刑」という厳しすぎる判決を下したなら、日本中の人々が「嘘つき」ゆえに「殺人罪」と認定されて、死刑になってしまう、というようなものだ。馬鹿げた基準は、とんでもない結果をもたらす。)

 (2) 画像について「ずさんな管理」を指弾するのであれば、それは「捏造」ではなくて「画像の取り違え」だったことになる。ただの「取り違え」を「捏造」と認定するのであれば、これからも「データの取り違え」を発見するたびに「捏造」と指弾する必要が生じる。ただのデータの管理ミス(つまり、ずさんさ・おっちょこちょい)を見つけるたびに「死刑」(研究者としての死刑)のような判決を下すわけだ。しかし、そんなことをすれば、大混乱になる。

 ──

 結局、以上の (1)(2) からして、調査委はとんでもないでたらめをやっていることになる。
  ・ 悪質さの少ない加工を、「改ざん」と認定する。
  ・ 画像の取り違えを、「捏造」と認定する。

 これらは、「白を黒と言いくるめる」というのに似ている。正確には、「灰色を黒と言いくるめる」ということだ。そして、それはやはり、一種の嘘なのである。
 その意味で、調査委は、それ自体が結論を捏造している。この報告書自体が、虚偽だらけの捏造報告書なのである。前にも述べた通り。
  → 《 お知らせ 》(笹井さんの会見) 【 追記7 】
 
 では、真相は? すぐ上に書いてある通りだ。つまり、こうだ。
 「実験はミスだった、というのが本質である。この本質を踏まえて、ミスを看過した理研の管理者(笹井さんなど)の責任を問うことが大切だ。一方、責任を小保方さん一人に負わせて事足れりとするのは、問題を矮小化するものだ」

 つまり、責任を小保方さん一人に負わせるのは、理研によるトカゲの尻尾切りにすぎない。
  → トカゲのシッポ切り
 ここでは次のように述べた。
 ある不祥事が起こったときに、組織は特定個人を名指しして、責任のすべてを特定個人にひっかぶせる。「こいつが故意にやったことだ。すべてはこいつの責任である」というふうに。そのことで、組織は自分の責任を免れる。こうして組織を防衛する。(世間の指弾を免れる。)
 この際、本人がいくら「ただの単純ミスです」と真実を訴えても、組織はまったく無視する。あくまで「本人が故意でやったのだ」というふうに主張する。

 愚かな人々は詐欺師の言葉に引っかかる。詐欺師が「あいつこそ詐欺師だ!」と主張すると、人々はその言葉をあっさり信じてしまう。
 ……その陰で詐欺師はこっそり舌を出す。「愚かな人々をだますのは簡単さ。『あいつこそ詐欺師だ!』と主張すれば、愚かな人々はその言葉をあっさり信じてしまうのさ。
( → トカゲのシッポ切り

 このたびは、私が先に予言した通りになった、と言えるだろう。(理研の最終報告書が出たあとで、人々はそれを信じたからだ。)
 



 【 追記3 】 ( 2014-05-09 )
 理研の調査委は、デタラメな最終報告を出した。そのことは、すでに述べた通り。
  ・ 「悪意」とは「故意」のことだ、というデタラメ。
  ・ 「捏造」とは「ずさんな管理」の、というデタラメ。

 こういうふうに用語を勝手に自己流にねじ曲げて、強引に「悪意」「捏造」と認定した。あまりにもデタラメである。
 特にひどいのは、「画像の加工の前の画像は真正のものだった」という点を無視していること。
 比喩で言うと、「ただの紙を千円札と偽ったから偽札犯だ」というかわりに、「二千円札を五千円札だと偽ったから偽札犯だ」というようなもの。ただの間抜けな勘違いを通貨偽造罪で摘発する、というような非合理。ここでは二千円札が真実の札であるということを無視して、「偽札犯だ」と指弾している。デタラメの極みだ。
 調査委の主張は、あまりにもおかしい。論理が通らない。この件は、調査委に調査を委ねた改革委の委員長も指摘している。
 岸輝雄委員長は8日、調査委員会が再調査しない決定をしたことに関して「(複数の調査委員の論文に)疑惑が出ているが、本当に大丈夫だという説明をしないで結論を出すのは早すぎるのではないか。慌てない方がいいんじゃないかと思っている」と疑問を投げかけた。
( → 日本経済新聞 2014-05-09
 改革委委員長……は、画像の加工問題について調査委員と小保方氏の違いが明確になっていないと指摘、「再調査なし、というのは早すぎる。一般市民や私が十分にわかるようになってから出せばいいと思った」と話した。さらに「委員の説明に理解はしたけれど、納得はしていない」と語った。
( → 朝日新聞 2014-05-09

 調査委の上部機関からさえ、その拙速さと未熟さを指摘される始末だ。(こちらは理研の外部の人が担当しているせいもあるが。)

 ではなぜ、調査委はこれほどの滅茶苦茶な報告を出したのか? あまりにもバカだからか? いや、それほどバカではあるまい。むしろ、利口であるがゆえに、あえて世間を詭弁でゴマ化そうとしているのだろう。
 では、何の目的で? ……それを考えると、推察が付く。こうだ。
 「調査委の狙いは、真実の隠蔽である」


 このことは、小保方さんの方針と比べると、はっきりする。小保方さんは、実験ミスをした。それは意図的なものではなく、無能ゆえのことだった。このことは、私は何度も指摘したが、つい最近になって、幼稚な実験ノートを見てようやく気づいた人もいる。
  → 実験ノートが落書きレベルだから小保方氏は悪くない
 
 これを見て、はてブ民がようやく真相に気づいたらしく、「なるほど」というような感想を書いている。
  → はてなブックマーク

 しかしながら、はてな民は、これを「自らの愚かさを主張する捨て身の論法」というふうに主張している。つまり、こうだ。
 「本当は小保方さんは、ものすごく優秀な捏造犯なのだが、わざとバカのフリをして、バカだから許してほしいと主張している」
 しかし、こんなことはありえない。小保方さんはどこを見ても、それほどの演技をするほど優秀ではありえない。「わざとバカのフリをする」ということなど、ありえないのだ。
 では、何か? 「小保方さんは最初からずっと真実を訴えていた」と理解すればいい。そのことは、本項(日本人は文盲か?(小保方さんより愚か))でもずっと述べていたことだ。

 小保方さんは最初からずっと真実を述べていた。では、その真実とは? こうだ。
  ・ 虚偽を示すという悪意はなかった。(捏造はなかった)
  ・ 実験には未熟な点があった(ミスがあった)
  ・ 論文執筆にも未熟な点があった(ミスがあった)

 では、この場合、責任は誰にあるか? 実験を指導・統括していた笹井さんと若山さんにある。

 つまり、今回の問題の本質は、画像の捏造ではなく、実験のミスである。それゆえ、責任があるのは、画像の捏造をした人ではなくて、実験のミスを看過した人である。つまり、理研の上層部だ。(末端部ではない。)
 これが真実だ。そして、それが真実であるがゆえに、理研はそれを隠蔽しようとしているのだ。なぜなら、真実が暴露されれば、理研の上層部に累が及ぶからだ。そして、そうなれば、「理研を金銭的に優遇しよう」という政府の方針が覆されるだろうから、理研の上層部にとっては金銭的な損失が発生する。

 要するに、今回の最終報告書は、理研の上層部が自らの金銭的利益を得るために、罪のすべてを、小保方さん一人におっかぶせようとしているものなのである。これがつまり、理研による隠蔽工作だ。(トカゲの尻尾切り、とも言える。)

 こうして、何が真実で何が虚偽であるかがわかった。
 真実とは、小保方さんの語っている通りだ。彼女は何の悪意もなかったし、捏造をしようという意図もなかった。単に無能なだけだった。その無能さを、理研の上役がチェックしなかった。(再現性を確認しなかった。)かくて、理研の上役の無能さのせいで、大問題が生じた。小保方さん一人の無能さならば、単に論文が掲載拒否されておしまいだったのに、理研の上役の無能さのせいで、大問題が生じた。これが真実だ。( → 前出
 虚偽とは、調査委の語っている通りだ。そこでは責任のすべては、小保方さん一人におっかぶせられる。そして、それを見た愚かな人々は、「理研は正しい」と主張して、小保方さん一人を血祭りにあげようとするのだ。現代の魔女狩り。
 一方、その裏では、理研は罪を免れる。かくて多額の金を得ることができた理研の上層部は、「ウハウハ、儲かった」と喜んで、左うちわになるのである。

 ……というのが、調査委の狙いだった。しかし現実はそれほど甘くなかった。
  → 理化学研究所の特定法人指定 先送りへ (NHKニュース)
 ※ 欲張り婆さんの思惑通りには進まない、ということだね。たぶん。たぶんね。 (^^);

 《 オマケ 》
 「小保方さん一人を血祭りにあげようとする」というのは、調査委だけの問題ではないが、とにかく、これは狂った方針だ。どうせならば、もっと別の方面にも目を向けるべきだからだ。
  ・ 調査委の委員長の不正(本人が辞職した)
  ・ 調査委の委員の不正 (理研はいまだに公開せず)
  ・ 理研の外における大規模な不正 ( → 前出

 こういうデカい不正を放置して、小保方さんの小さな不正(もどき)ばかりにめくじらを立てるのだから、人々の意識がいかに歪んでいるかがわかる。

 p.s.
 新たに次の疑惑も出た。竹中平蔵の論文剽窃。
  → 竹中 剽窃 - Google 検索  




 【 追記4 】
 「悪意と故意」の問題については、すでに 【 追記2 】【 追記3 】 で述べたが、引きつづき、この問題について述べよう。総集編ふう。

 まず、事実報道を示す。小保方さんの画像の改ざんについて、理研は「不正だ」と認定した。
 理研の調査委は5月8日の報告書で、小保方晴子氏による捏造と改竄を改めて認定した上で、研究不正の規定における「悪意」は「故意」と同義だとし、悪意を持って行われた不正と断じた。
( → SankeiBiz(サンケイビズ) 2014.5.9

 わかりやすく言うと、こうだ。
 「小保方さんは『悪意がない』と述べたが、悪意と故意とは同義である。そして、改ざんは故意になされたから、悪意がある」
 こうして、「悪意がなければ罰されない」という理研の免責規定には当たらない、と結論した。つまり、「罰していい」と結論した。

 ここでは「悪意と故意は同義だ」というふうに述べられている。それは、事実か? どうも、事実ではないらしい。
 今回の事件が起こる以前に、この問題について論じたサイトがあるので、そこから引用しよう。
故意は過失と違って、わざとやることです。
刑法で使う言葉です。

悪意は善意と違って、事実を知っていることです。
民法で使う言葉です。
( → 知恵袋 2012/6/19
 悪意とは、民法の不当利得を論ずる時に使われ、不当利得の受益者が返還義務を負うかどうかの基準となるものです。
 また、故意・過失の故意とは、不法行為の責任を問う際の条件です。
 従って、不当利得を論ずる時に故意という単語を使うのは適切ではありません。
 故意と悪意が同時に成立するのかという考えは、大げさに言えばイチローと中田英寿のような分野の違う2者を比べようとするようなもので、意味がありません。
( → 教えてgoo 2008/03/23
 故意も悪意も、ともに特定の事実の認識であるという意味では同じである。だが、故意と悪意には様々な違いがある。
( ※ 以下、長々と説明が続くが、省略。)
( → 社会科学読書ブログ 2009-06-28

 というわけで、法律用語でも、悪意と故意とは異なる。
 また、そもそも理研の規定は、刑法でも民法でもないから、そこに刑法または民法の概念を導入することからしておかしい。あくまで普通の概念における「悪意」の意味で解釈すればいいのだ。
 こういうわけで、「悪意と故意とは同義だから、小保方さんのやったことは不正だ」という主張はおかしい。たとえば、次のブログの主張はおかしい。
  → 悪意は故意と同義 - むしブロ

 それでも強引に「悪意と故意は同義だから小保方さんのやったことは不正だ」と主張する人もいる。(理研と同じ側。)
 たとえば、次のように。
 すなわち、あるものが事実と異なることの認識が存在している間違いは、errorとは言わないのである。
 小保方氏は、論文に掲載する写真が、実際の実験のデータの写真とは異なるものである事を知りながら、見やすくするため加工した、と述べている。
 そこでは、そのものが事実と異なるということの認識があるわけであるから、小保方さんのやったことはerrorではないといわざるをえない。
 「そんなことをやってはいけないという知識がなかったからやってしまった」というのはmistakeではありえても、errorではない。
 小保方氏が「honest error」であることを反証しきるのは極めて難しく、不可能に近いと思われるのである。
 そういう意味で、理研の調査委員会が、小保方氏に研究不正があったと認定したことは、極めて妥当であるというのが、私の見解である。
( → 西村法律事務所

 ここでは、「事実と異なるということの認識がある」ということをもって、「故意」であると認定して、「 honest error 」ではない、と見て、不正だと認定している。
 しかし、それならば理研の元・調査委員長の画像改ざんもまた、不正だと認定されることになる。彼もまた、画像を見やすくするために、「故意に」画像を加工しているからだ。
  → 画像は加工してもいい  【 追記4 】
 元・調査委員長もまた、同じ理由で「故意に」画像を加工している。ならば、「悪意で」画像を加工したことになる。すると、元・調査委員長もまた処分される必要がある。
 これに対して、理研の側は、「この加工は何ら罪のない妥当なものだ」と述べた。なるほど、それはそれで筋が通っている。しかし、そのように筋を通すのであれば、同じ筋を通すことで、小保方さんもまた「不正ではない」と認定されることになる。なぜなら、「故意は悪意だ」という前提が崩壊するからだ。

 では、正しくはどう考えればいいか? ここで、いよいよ私の考えを述べよう。私の考えでは、こうなる。
 そもそも、「故意」という言葉の使い方を人々が理解していない。「故意」という言葉は、それ単独では意味をなさない。「何かをすることが故意である」というふうに、対象(となる行為)を限定する必要がある。
 今回の例で言えば、「画像を加工したこと」が、故意の対象と見なされているようだ。しかし、「画像を加工したこと」が故意であるかどうかは意味をなさない。たとえば、上記の西村法律事務所の見解は、「画像を加工したことは故意であって error ではない」というふうに述べている。だが、これは、「故意」の対象を勘違いしている。
 故意の対象は「画像を加工したこと」ではないのだ。仮に、故意の対象が「画像を加工したこと」であるとすれば、元・委員長もまた、「故意に画像を加工したこと」ゆえに、有罪となってしまう。しかし、それはありえない。つまり、「故意に画像を加工したこと」は問題とならない。
 では何が問題となるか? それは、「結果が虚偽となること」だ。つまり、「黒が白になる」というようなことだ。このことが故意になされたのであれば、「故意と悪意は同義である」と言える。一方、このことを本人が意図していなければ、それは「故意」ではないから「悪意」でもない。
 では、ここにあるのは「故意」でも「悪意」でもないとしたら、何なのか? それは、「錯誤」である。この件は、前にも述べた。
  → 認識と事実の違い
 一部抜粋しよう。
 彼女は嘘をついていない。しかしながら、彼女の語る内容はまったくの虚偽である。……とすれば、そこから得られる結論はただ一つ。「彼女は誤認している」ということだ。
 つまり、彼女は事実に反することを言っているのだが、彼女自身は、それを「事実だ」と思っているのである。
 そして、そういう構造を、多くの人々は理解できない。「彼女は自分の信じていることを正直に語っているだけだ」とは理解できない。かわりに、「彼女は嘘をついている」と思い込んでいる。
 しかし、それは、人々の誤認なのである。

 ここには「誤認」がある。つまり、「錯誤」がある。そして、それこそが、今回の事件の本質なのである。
 小保方さんは悪意をもって、狡猾に捏造を計画して実行したのではない。彼女はそれほどの知性はない。ほとんど無能と言えるほどの知性でしかない。
 彼女は単に無知をもって、愚かしくもずさんな実験をした。そのあとで画像を勝手に加工した。しかしそれは「このくらいなら加工してもいいのよ」と思い込んで(錯覚して)、そうしたのだ。ここでは、加工したこと自体は故意であるが、科学的正当性から逸脱したことは故意ではない。なぜなら、黒を白に書き換えたのではなくて、白を白に書き換えただけだからだ。というのも、書き換える前の画像も正当な画像であったからだ。この点は、元・調査委員長も認めている。
  → STAP細胞の捏造はなかった?
 該当箇所を引用する(孫引きする)と、こうだ。
 切り貼りされたのは比較参照のために置かれているT細胞のレーンです。中間報告では、切り貼りが行われる前の写真も公開されました。
 調査委員長の石井俊輔先生は「なぜ、これをそのまま使わなかったのか」と仰っていましたが、私もまったく同感です。T細胞の線が薄いので見えにくいから、もっとはっきりしたものを切り貼りしたというのが理由だったそうです。
( → 科学コミュニケーターブログ

 要するに、小保方さんの画像の書き換えは、結果を「黒から白に書き換える」ものではなくて、単に「結果には影響しない範囲で書き換えたもの」であるにすぎない。ただし、それは、科学の世界では信頼性を疑わせるものであり、妥当性をもたない。
 しかしながら、「信頼性を疑わせる」というのは、「プラスが消える」というだけのことであり、「マイナスを生み出す」というのとは違う。「業績としては評価できない」というふうにはなるが、「犯罪的なことをなした」というのとは違う。
 当然、「不正だ」と認定するのは、筋違いだ。

 ゆえに、私としては、次のように結論したい。
 「小保方さんの画像の加工は、信頼性を失わせるので、論文はもはや成立しなくなる。ゆえに、論文の取り下げは妥当である。一方、それを犯罪的な不正だと認定するのは、妥当ではない。なぜなら、黒を白にするというような故意も悪意もないからだ。ただの手続きミスにすぎないからだ。このような手続きミスを不正として認定するのであれば、元・委員長の改ざんもまた不正として認定する必要が出てくる。それはおかしいだろう」
 こうして、事件にはきれいに整然と結論が下された。
 
( ※ 簡単に言えば、一切の業績は無効であるから、論文の取り下げが妥当である。また、ユニットリーダーとしての再任も認められない。あらゆるプラスは一切与えられない。しかしながら、マイナスもまた与えられない。不正を認定することもありえないし、懲戒解雇もありえない。「犯罪者」としての認定はなく、「無能」としての認定だけがある。)
 
( ※ 何らかの画像の加工をするのは、電気泳動画像では頻繁に見られることだ……という研究報告がある。右記。→ [Science Postprint] )
posted by 管理人 at 19:31|  STAP細胞 | 更新情報をチェックする
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