2014年04月20日

《 お知らせ 》(笹井さんの責任 4)

 理研の調査機関が、画像の不正を指弾すれば事足れりと思っているようなので、それは根本的に狂っているという話を加筆しました。 ──

 加筆した項目は、下記です。
  → 《 お知らせ 》(笹井さんの会見)
 
 理研の改革委は、画像の不正について調査して、「画像の不正はけしからん」という報告を出そうとしていますが、その方針には根本的な問題があります。そのことを指摘します。

 該当箇所(加筆分)を、以下に転載します。





 【 追記7 】
 理研の調査機関(改革委)の方針には、根本的な矛盾がある。それを示そう。
 まず、基本として理解すべきことがある。この調査機関の目的は、「 STAP細胞の真偽」を問題にしているのではなくて、「画像の不正はあったか」を問題にしているということだ。
  → 研究論文の疑義に関する調査報告書
 では、画像の不正はあったか? 画像の捏造はあったか?
 ここで、「捏造はあった」と仮定しよう。その場合、笹井さんは「捏造を見抜く」ことが必要となった。では、捏造を見抜いたら、どうなったか? そこが問題となる。
 もちろん、捏造を見抜いたら、捏造を是正しただろう。その場合、次のようになるはずだ。
  ・ TCR の画像は、切り貼りの前の、正しい画像に置き換えられた。
  ・ テラトーマの画像は、博士論文所収でない、正しい画像に置き換えられた。

 いずれも、正しい画像に置き換えられたはずだ。こうして、捏造は阻止されることになる。
 では、それでいいか? 笹井さんは、このような画像の置き換え(修正)をすれば良かったのか? なるほど、そうすれば、捏造論者の言う捏造は阻止できた。しかし、そのかわり、「 STAP細胞は存在する」という証拠ができてしまうのだ!
 結局、捏造論者であれ、改革委であれ、「捏造するな」という主張は、「 STAP細胞は存在するという証拠を出せ」と主張していることになる。しかし、その証拠は、捏造ではないが、虚偽のものなのである。(実験ミスがあるからだ。)
 つまり、捏造論者や改革委が主張しているのは、「画像の捏造はけしからん」ということであるが、同時に、「実験ミスによる証拠を、真正のものとして出せ」と言っていることになる。「実験ミスによる虚偽を真実として示せ」と言っていることになる。
 つまり、彼らは、「画像の捏造をやめよ」と言うのと同時に、「論文の捏造をやれ」と言っているわけだ。なぜなら、「 STAP細胞が存在するという正しい証拠を出すべきだった」と主張しているからだ。( STAP細胞は存在しないのに。)

 ここまで見れば、本質がわかるだろう。
 捏造論者や改革委は、「画像の捏造はけしからん」と主張する。その意味は、「画像の捏造をするべきではない」ということであり、「真正の画像を示すべきだった」ということである。
 しかし、その論理には、前提がある。それは、「真正の画像を示せば、真実が示される」ということだ。なるほど、そのことは、過去の捏造事件には当てはまる。過去の捏造事件であれば、真正の画像を示せば、真実が示されるはずだからだ。(超伝導であれ、ES細胞であれ、捏造しない画像を示せば、虚偽でない真実が示されたはずだ。「そんなものは存在しない」という真実が。)
 ところが、今回には当てはまらない。つまり、「捏造していない画像を示せば、真実が示される」ということは成立しない。なぜなら、実験そのものがミスであったからだ。ここでは、「真正の画像を示せば、真実が示される」のではなく、「真正の画像を示せば、ミスった結果(虚偽)が示される」のである。
 とすれば、ここでは、「捏造を見抜くべきだった」「真正の画像を示すべきだった」と言って、笹井さんを批判しても、何の妥当性もない。それは、「ミスった結果(虚偽)を、真実として示せ」と言っているのと同じことだからだ。

 重ねて言う。今回の事例では、「捏造画像を防ぐこと」が大切なのではない。そんなことをしても、「ミスった結果(虚偽)が、真実として示される」だけだからだ。
 では、かわりに、どうするべきか? 「ミスった結果(虚偽)が示されないようにすること」つまり「実験ミスをなくすこと」が必要だった。それが根本的に大事だった。そして、そのためには、「再現実験をすること」が必要だったのだ。

 こうして、捏造論者や改革委の言っていることが、いかにトンチンカンであるか、よくわかるだろう。彼らは「捏造はけしからん」と主張する。しかしそれは、「真正の画像を示すべきだった」ということであり、「ミスった結果を、真実として示すべきだった」ということだ。そのとき、「実験はミスだった」「実験は真実でなく、虚偽を示すだけだった」という肝心の点を、すっかり見失っているのだ。

 結局、捏造論者や改革委が狙っているのは、「真実の隠蔽」つまり「捏造」である。彼らは、「実験ミスゆえに、すべての実験は虚構だった」という真実を隠蔽すべきだと主張する。「不正でない真正の画像を用いることで、ありもしない STAP細胞をあるというふうに見せるべきだった」と主張する。「正しい TCR 画像や正しいテラトーマ画像(いずれも実験ミスによって生じた真正のもの)を用いることで、STAP細胞が存在すると正しく示すべきだった」と主張する。
 しかし、「正しく示す」ということは、もともと問題にはならないのだ。なぜなら、すべては実験ミスによる虚構だからだ。

 以上のことはわかりにくいかもしれない。そこで比喩的に言おう。
 「地球はほぼ球形だ」という真実がある。これに対して、「地球は平面だ」という学説(虚偽)があるとしよう。この学説を主張するために、誰かが証拠を提出したとする。そのとき、その証拠は、実験ミスによる間違いの証拠だった。しかも、その証拠は、加工されたものであり、もともとの証拠ではなかったとする。
 ここで、「その証拠は加工されている! けしからん!」と非難するべきだろうか? いや、それはあまりにも馬鹿げている。「加工しないで真正の証拠を出すべきだった」というふうに批判する人もいるだろうが、仮に真正の証拠を出したとしても、もともと実験ミスによる間違いの証拠なのだから、意味がない。仮に、「真正の証拠を出すべきだった」という主張に従って、間違った真正の証拠を出すことで、「地球は平面だ」ということが証明されたとしても、そんなことには何の意味もない。そのすべては茶番である。
 理研の改革委がやっているのは、それと同じことだ。彼らが真面目にやればやるほど、「地球は平面だという正しい証拠を出すべきだった」という馬鹿げた方針となる。自分たちのやっていることが茶番であると理解できていない。
 ここで何よりも大切なのは、「地球は平面だ」という証拠があったとしてもそれは実験ミスだ、ということだ。同様に、「 STAP細胞は存在する」という証拠があったとしてもそれは実験ミスである、と気づくべきだ。そのことを理解しないまま、「証拠は不正だ」というふうに手続き論ばかりを語ったとしても、本質を見失っているがゆえに、そのすべては茶番にすぎないのである。(間違いではないが、馬鹿げた喜劇だ。)
 そういう馬鹿げた議論をするよりも、まず、「この実験のすべては、実験ミスだった」という事実を認識するべきだ。そうすれば、「証拠は不正だ」という議論のすべてが茶番であることに気づくはずだ。

 なお、仮に小保方さんが故意の捏造をしたのであれば、真正の画像を提出させることで、「実験は捏造だった」ということが証明されるだろう。しかし、小保方さんが故意でない実験ミスをしたのであれば、真正の画像を提出させることで、「実験は捏造だった」ということは証明されないのだ。にもかかわらず、改革委は、「真正の画像を提出させることで、実験は捏造だったということを証明しよう」としている。しかしそれは、改革委が事実認定を捏造しようとしている、ということだ。ありもしない「捏造」という事実を、勝手に作り出そうとしているからだ。これこそ捏造だ。

( ※ とはいえ、おのれのやっていることの愚かさを理解できる人は、きわめて少ない。誰もが「悪を指弾するのは正しい」と思い込んでいる。彼らにとって興味があるのは、自分が正義漢になることなのだ。正義のヒーローになることなのだ。つまり、「月にかわってお仕置きよ」と言いたいだけなのだ。彼らにとっては、真実の探求なんかは、どうでもいいことなのだ。だからこそ、「すべては愚かさゆえの実験ミスだった」という真実に目をふさごうとする。彼らは、自分が正義漢であることを証明するために、悪党という存在を捏造したがっているのだ。)
posted by 管理人 at 18:51| Comment(0) |  STAP細胞 | 更新情報をチェックする
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