南極海で調査捕鯨を実施しないよう命じた国際司法裁判所(ICJ)の判決が出た。
これに対して、いろいろと解釈が出ている。
捕鯨賛成派は、「裁判の戦術がまずかった」という認識であり、「だから国際法の専門家を養成しよう」という方針を立てた。いかにも泥縄的。
→ 捕鯨判決の反省踏まえ国際法の専門家養成へ
一方、捕鯨反対派は、「自業自得だ」「もともと捕鯨が間違っていた」という見解だ。たとえば下記。
→ ICJ敗訴の決め手は水産庁長官の自爆発言──国際裁判史上に汚名を刻み込まれた捕鯨ニッポン
この見解は、はてなブックマークで大人気。はてブ民には、こういう環境保護派が多いようだ。
→ はてなブックマーク
しかし、上記で指摘されたことは、実は、ごく小さな論点にすぎない。そんな小さな論点が全体を左右するはずがない。ちょっと考えればわかるはずだ。たとえば、野球だって、試合の途中でエラーが出ることはあるが、エラーの一つで試合の全体が左右されることはない。(仮にエラーで勝敗が決定するとしたら、そこまで均衡した状態になっていたという全体状況の方が根本原因だ。)
はっきり言っておこう。今回の判決で日本が負けたのは、「わずかな差での敗北」ではない。「圧倒的な差での完全敗北」である。ここでは戦術的な小さなミスなどは何の関係もない。もちろん、水産庁長官の自爆発言があってもなくても影響はほとんどない。また、国際法の専門家で弁舌を巧みにしても、影響はほとんどない。
本質は別にある。
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本質とは何か? それは、前出項目を見ればわかる。
「捕鯨禁止にする理由は、鯨の保護のためである」
という理由が述べられることがあるが、これは嘘八百である。というか、話が逆である。
まず、「鯨の保護のため」ということが嘘八百である点については、しばしば、次のように述べられる。
「鯨全般について言えば、ミンク鯨その他の小型鯨は、絶滅の危険はまったくない。それどころか、昔に比べて、圧倒的に数が増えている」
( → 捕鯨とシロナガスクジラ )
つまり、絶滅回避のためであれば、捕鯨を禁止する必要はまったくない。これが科学的な結論だ。
しかるに世界的には、「捕鯨を禁止せよ」という声が圧倒的に高い。なぜか? これはただの感情論だ。「鯨は知性が高いから殺してはいけない」というふうに。
しかしながら、「鯨は知性が高い」というのは、まったく非科学的な情緒にすぎない。
「鯨は知性的な動物だから、これを殺すのはけしからん」
というのが、反捕鯨派の根拠である。しかし、この根拠は、非科学的である。
「鯨は知性的な動物だ」ということはない。あくまで哺乳類の一種であり、他の大型哺乳類と比べて大同小異である。
( → 捕鯨の是非 )
犬やイルカを殺すことは、罪深いことである。ただしその理由は、彼らが芸をできるからでもなく、彼らが人間と親しむからではない。つまり、彼らが上等なペットになるからでもない。彼らはいくら利口に見えても、類人猿ほどの知性があるわけではない。彼らは人間の仲間ではない。彼らはどちらかと言えば、牛や羊の仲間だ。犬やイルカを殺してはいけないのは、猫や牛を殺してはいけないのと、同様の理由による。
( → 鯨に知性はあるか )
──
ここまでをまとめれば、こうだ。
・ 鯨は、一部を除いて、絶滅寸前ではない。
・ 鯨は知性があるから殺してはならない、というのは非科学的。
つまり、科学的には、「捕鯨禁止」ということはまったく成立しない。
ならば、現在の「捕鯨禁止」という方針は、科学によるものではなくて、ただの文化的な対立にすぎない。イスラム教徒が「豚は不浄だからを食べるな」と言ったり、ヒンズー教徒が「牛は神聖だから食べるな」と言うのと同様に、キリスト教徒は「鯨は知性的だから食べるな」と言う。これはただの文化的な対立である。
いや、間違えた。この背景は、文化の差ではない。「鯨を食べる連中は野蛮人だ」という西洋人の思い上がりである。つまり、人種差別だ。「アボリジニは野蛮だから、狩りで殺しまくろう」とした豪州の白人と同様である。彼らは、アボリジニを殺害したことは屁とも思わないくせに、彼らの愛玩する鯨を食べる日本人については「鯨以下の存在だ」と思い込んでいる。だから船で体当たりして攻撃しかけたりするわけだ。これが西洋の白人の文化的な立場である。(正確には人種差別。)
──
ここまで見れば、物事の本質がわかるだろう。
日本が裁判で負けたのは、小手先の失敗によるのではない。「捕鯨禁止」を最初の前提としている基盤が間違っているのだ。基盤とは、こうだ。
「捕鯨は悪である。その悪は原則として禁止する。その枠内で、調査捕鯨というものを例外的に許容する」
日本はこの枠組みを受け入れた。そこに根本的な間違いがあった。この枠組みを受け入れた以上は、捕鯨はごく限定されたものにならざるを得ない。
しかるに実際には、「調査捕鯨という名目の商業捕鯨」をやっていた。「捕鯨は悪です。ほんのちょっとだけ例外的にやるだけです」という名目を受け入れて、実際には「捕鯨は悪ではないので、たくさんの鯨を捕らえて食べます」というふうにしいていた。
全体としては、捕鯨禁止派は、次の方針を取ったことになる。
「日本は捕鯨禁止を受け入れなさい。名目だけでいいから、捕鯨禁止を受け入れなさい。名目で受け入れれば、実質的には、調査捕鯨という枠内で、商業捕鯨を認めて上げますよ」
この口先に、日本はまんまと引っかかった。
「名目で譲歩すれば、実質的には捕鯨が継続できるんだ。だったら、オーケー」
こうして名目で捕鯨禁止を受け入れて、実質的には商業捕鯨を続けてきた。
ところが、捕鯨禁止派は、態度を一変させた。
「名目では捕鯨禁止だ。なのにその名目を守っていない。だから、国際司法裁判所に訴えてやる! こうすれば、名目通りにすることができる。法律の専門家は、建前しか信じないからな」
そして、まさしく、その通りになった。
──
これでわかっただろう。
日本が捕鯨禁止の判決を食らったのは、小手先の失敗によるのではない。捕鯨禁止派の「悪魔の方針」に、まんまと引っかかったからだ。
「この契約書にサインしなさい。サインすれば、ものすごく利益が得られますよ。鯨をいっぱい獲れますよ。何も損はしません。確約します」
悪魔はこう述べて、日本にサインさせた。
そのあとで、悪魔は契約書を他人に譲渡した。譲渡を受けた他人は、その契約書を元に、裁判所に訴えた。
「日本はこういう契約をしている。契約を守れ!」
裁判所はもちろん、契約書通りに判決を下した。
日本はその後、悪魔に文句を言った。「約束を破るな!」と。しかし悪魔は答えた。
「私は約束を破っていません。私は捕鯨を認めています。しかし、他人は違うようですね。文句を言うなら、他人に言ってください」
日本は喚く。「最初の思惑とは違うぞ! 大損害だ!」
悪魔は答える。「そんな思惑なんか知ったこっちゃない。捕鯨禁止という契約書にサインしたあなたが悪いんですよ。自分でサインしておきながら、何を言っているんです。私がだましたんじゃない。契約書にサインしたあなたが愚かだというだけのことだ」
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まとめ。
捕鯨禁止というのは、科学的にはまったく論拠がない。
西洋人は、文化的感情によって、鯨を尊重する。
西洋人は、人種差別ゆえに、鯨を食べる日本人を蔑視する。
捕鯨禁止派は、「調査捕鯨」という口実で、「名目は捕鯨禁止で、実質は捕鯨許容」という文書にサインさせた。
捕鯨禁止派の一部は、あとになって、国際司法裁判所に訴えた。
国際司法裁判所は、契約文書のみに従って、「捕鯨禁止」という判決を下した。
日本は、「こんなはずじゃなかった!」と大騒ぎした。
Openブログが「悪魔の契約書にサインした方が愚かだ」と指摘した。
[ 付記 ]
じゃ、どうすればいいのか? 日本はなすすべがないのか? 詐欺師のペテンに引っかかって、泣き寝入りするしかないのか?
いや、対策は、四つある。
(1) 本筋
本筋は、こうだ。
「捕鯨禁止というものが、非科学的であり、人種差別的なものであることを指摘する」
(2) 裏道
裏道もある。
「日本が捕鯨するのではなくて、他の外国(インドネシア)などの国籍の船で捕鯨をして、そこで取った鯨を日本に輸入する」
……ただし現状では、IWC非加盟国からの鯨肉の輸入を禁止する、という方針があるので、ちょっと困難だ。(裏道逃れの禁止措置。)[この箇所、追記しました。]
(3) IWC脱退
いっそのこと、IWCを脱退する、という手もある。これはこれで問題はないのだが、欧米との軋轢は増える。別サイトを参照。……これは、気骨があれば実行可能だが、欧米と論議する気骨がないのであれば無理。論理力と英語力がないとね。[この箇条、追記しました。]
(4) 対抗策
捕鯨が残酷なら、牛を殺すのも残酷だ、という理由で、牛肉に高い関税をかける。「捕鯨禁止を訴える国を対象とした輸入関税」という形で、米国と豪州の牛肉には高い関税をかける。これは、関税というよりは、課徴金の形にするといいだろう。「残酷税」という名目で課税すればいい。
一方、日本の国内の牛肉については、「安楽死」を前提として「残酷税」を免除すればいい。特別な安楽死の方法を取った牛だけに、税の免除をする。
そんなことをやる国は、外国ではあるはずがないから、自動的に外国の牛肉だけに課税がなされる。
( ※ 安楽死の方法は、毎年変更する。これで、外国は追従できなくなる。)
[ 余談 ]
ただし、経済的に言うなら、捕鯨というのはもはや価値がない。あまりにもコストがかかるからだ。
昔ならば、牛肉は高額で、鯨肉は安価だった。しかし今では違う。牛肉は安価であり、鯨肉は高額だ。税金を莫大に投入しても、市販の鯨肉はすごく高額だ。
→ 鯨肉の価格 ( 価格.com )
となると、経済的に言うなら、捕鯨というのはもはや維持する必要がない。何らかの文化的な側面のために、少数を維持するだけで十分だ。南極海の捕鯨は、コストもかかりすぎるし、自発的にやめてしまう、というのが、一番賢明かもしれない。( ※ 沿岸捕鯨は今も残っているから、それだけでも足りる。)
オマケで言うと、鯨肉は、固いし、あまりおいしくない。一方、牛肉は、現状では関税が 38.5%もかかっている。これを抜きにすれば、かなり安価である。おいしくて安い牛肉が入手できるのだから、今では鯨肉はなくても構わないだろう。
なお、昔はそうではなかった。円安状態だったので、輸入する牛肉はすごく高価だったし、国産牛も高価だった。その半面、鯨は大量にいたので、鯨肉は安価に入手できた。
ところが、今では事情が違う。つまり、時代は変わったのだ。今はもう、主なタンパク源を鯨肉に頼る時代ではないのだ。
【 関連サイト 】
(1)
→ シー・シェパード側から一転「捕鯨の歴史や正当性を伝えたい」
(2)
日本の捕鯨による数よりも、米軍のソナーによる鯨の大量被害の方がずっと数が多い。
米海軍は、事実関係を認めたうえで2014 から2019年の間に行う、アメリカ海洋大気圏局プログラムのための模擬実験で、アメリカの東海岸、メキシコ湾、ハワイ、南カリフォルニアに生息する海の哺乳動物に及ぼす影響を試算した環境影響研究報告を発表した。
それによると、この模擬実験のせいで、東海岸沖で186頭、ハワイや南カリフォルニアで155頭のクジラやイルカが死に、重症を負うものは11267頭、方向感覚を失うなどの異常行動をきたす個体は2000万頭と試算されている。
( → カラパイア ,転載サイト )
捕鯨反対派が本当に鯨を守りたいのであれば、米軍の訓練停止を要求するべきだろう。なのに、そうしない。このことからしても、彼らの要求が「捕鯨反対」「鯨を守れ」ではなくて、ただの人種差別にすぎないことが、見て取れる。
なお、この件(ソナーによる鯨の死)については、前にも論じたことがある。
→ 象の大量殺害 の [ 付記 ]
【 関連項目 】
捕鯨については、これまで何度か言及してきた。下記も参照。
→ 捕鯨の是非
→ 捕鯨とシロナガスクジラ
→ 鯨に知性はあるか
→ 日本人の命 < 鯨の命
→ 象の大量殺害
<STRONG>[ 付記 ]</STRONG> の (2)(3)
【 関連サイト 】の(2)
わはは
調査捕鯨の在庫も積みあがっていると聞きます。
言うことだけ言ったら事実上退場して幕引きで良いと思います。
正直大して効用もない捕鯨で日本イメージが大きく損なわれていて、費用対効果悪すぎ。
倫理的な問題に経済制裁で対抗するのは効き目がありそうですね。
手塚治虫氏がご存命であられたら、きっと
地球の大気から食物を作り続けたら、地球の環境が破壊されてしまうなどの理屈をつけただろうと思われますが、この作品40年前の『鉄腕アトム』の一作です。
日本の「調査」捕鯨は鯨肉の確保と販売、捕鯨会社並びに日本鯨類研究所の組織維持、及び官僚の天下りを第一の目的としており、捕獲許可発給は科学的調査を目的とするものでなければならないとの国際捕鯨取締条約第8条の規定に反している
「豪州の牛の殺害は一定数までに限定する。理由は、牛の知性は鯨と同程度であるから」
我々は命をいただいて生きている。
キリスト教徒は、神に感謝する。
我々は、命を供した生命に感謝する。
牛とクジラに違いがあろうはずもない。
生きる糧として感謝して頂くにすぎない。
靖国神社に参拝することへの批判も、これに類似している。
宗教観が近いインドなどでは批判されることが無い。
しかし、2点、釈然としない疑問が残ります。
(1)捕獲数の問題
一般的に統計的に優位なサンプル数は確か1000くらいと言われています。裁判のときに統計学的な議論はされず商業捕鯨だと決め付けられているところが解せません。
(2)食料安全保障技術としての南氷洋捕鯨
沿岸捕鯨と南氷洋捕鯨はプロジェクトの規模がまったく異なります。経済的に無駄であるときって捨てるだけでなく、最低限でいいから南氷洋捕鯨を残すべきではないでしょうか?日本人が自らタンパク源を確保しなければならない状態に追いやられることは未来永劫無いといえるのでしょうか?
すぐに見つかるように、 最後に 【 関連項目 】 を加筆しました。
(シロナガスクジラの項目。オキアミを捕食する話のついで、という形。)