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( ※ 本項の実際の掲載日は 2014-04-08 です。)
進化論は生物学の一分野ではあるが、きわめて古臭い分野である。主流である「遺伝子淘汰説」(個体でなく遺伝子の淘汰によって進化が起こるという説)は、半世紀も前に登場したものであり、それは現在でもほとんど変わっていない。「利己的遺伝子説」というのも同様で、「遺伝子淘汰説」の一変形にすぎない。
現代の進化論はいろいろな点で古臭いが特に、特に古臭いのは、遺伝子ばかりを見ていて、エピジェネティックスについては何も考えていないという点だ。
( ※ 細かい点ではエピジェネティックスを考えることもあるが、あくまで付け足しふうに考えるだけであり、進化の原理そのものにエピジェネティックスを組み込んでいるわけではない。)
この欠陥が典型的に露出するのが、次のテーマだ。
「デニソワ人やネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの間で混血が起こったか?」
この問題に対して、「混血はあった」という説が主流だ。
実は、「混血があった」というのは、ただの有力な仮説であるにすぎないのだが、Wikipedia では、これが公認された事実であるかのように記述されている。
概略のところは、40万-30万年前にアフリカを出、中東を経てヨーロッパに拡がった集団がネアンデルタール人に、中東を経てアジア内陸部に移動した集団がデニソワ人になった。それに遅れて6万 - 5万年前にアフリカを出た我々現生人類の祖先は、中東やアジア内陸部で先住者のネアンデルタール人やデニソワ人と交雑しながら全世界に拡がり、現在に至った。
ネアンデルタール人やデニソワ人はその後絶滅してしまったが、アフリカ土着のネグロイドを除く現在の現生人類遺伝子のうち数%はネアンデルタール人由来である。中東での現生人類祖先とネアンデルタール人との交雑を示す研究成果は2010年5月に発表されているが、2010年12月にアジア内陸部におけるデニソワ人とも現生人類祖先は交雑したとする研究結果が出たことから、この結果が正しければ、過去には異種の人類同士の交雑・共存も一般的だった可能性が出てきた。
( → デニソワ人 - Wikipedia )
このあとの記述で、「現生人類との関連などは、今後の研究により変更される可能性もある」という注釈が入っているが、少なくとも現段階で「混血があった」というのが定説であるかのように記述されている。
しかし、そうか?
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ここで、エピジェネティックスの概念を適用すれば、「ゲノム・インプリンティング」という概念から、次のことが結論される。
「哺乳類では、異種間交雑は起こりにくい。なぜなら、ゲノム・インプリンティングがあるからだ」
この件は、いちいち述べると大変なので、次の項目を読んでほしい。そこに詳しく説明してある。
→ 異種間交雑が起こりにくい理由(ゲノム・インプリンティング)
ここで述べた話からすると、常識的には、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの間では、異種間交雑は起こりそうにない。つまり、混血種は誕生しそうにない。また、仮に誕生することがあったとしても、その混血種は繁殖力を持ちそうにない。
さらに言えば、ホモ・サピエンスから見て、ネアンデルタール人よりもさらに遠いデニソワ人(これはホモ・エレクトスの系統に近い)との間では、異種間交雑はまったく起こりそうにない。つまり、デニソワ人とホモ・サピエンスとの混血種はまったく誕生しそうにない。このことは、種同士の遠さと、ゲノム・インプリンティングとの概念からして、まず確実だと思える。
( ※ 右図については、別項解説 を参照。)
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結局、進化論にエピジェネティックス(特にゲノム・インプリンティング)の概念を適用すれば、「デニソワ人やネアンデルタール人との混血はありえない」とわかる。にもかかわらず,現代の進化論は「混血があった」と考える。
これは、現代の進化論が、遺伝子的な知識からいかに取り残されているかを示すと言える。生物学の分野は、エピジェネティックスという概念を取り込んで、どんどん進歩しているのに、進化論だけは進歩しないのである。
( ※ 皮肉で言えば、進化論だけは進化しない。)
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では、正しくはどうか? 上の Wikipedia の項目を書き換えると、次のようになる。
概略のところは、40万-30万年前にアフリカを出、中東を経てヨーロッパに拡がった集団がネアンデルタール人に、中東を経てアジア内陸部に移動した集団がデニソワ人になった。それに遅れて6万 - 5万年前にアフリカを出た我々現生人類の祖先は、中東やアジア内陸部で先住者のネアンデルタール人やデニソワ人と交雑しながら交雑しないで全世界に拡がり、現在に至った。
ネアンデルタール人やデニソワ人はその後絶滅してしまったが、アフリカ土着のネグロイドを除く現在の現生人類遺伝子のうち数%はネアンデルタール人由来であると共通する(つまり祖先から継続して保たれている)。中東での現生人類祖先とネアンデルタール人との交雑を示す研究成果は2010年5月に発表されているが、2010年12月にアジア内陸部におけるデニソワ人とも現生人類祖先は交雑したとする研究結果が出たことから、この結果が正しければ、過去には異種の人類同士の交雑・共存も一般的だった可能性が出てきた。
最後の部分(打ち消し線の部分)は、「交雑した」という仮説の代わりに、「共有遺伝子が祖先から継続して保たれている」というふうに説明される。このことは、下記で簡単に説明した。
→ ネアンデルタール人との混血はなかった
一部抜粋すると、次の通り。
「ネアンデルタール人との混血はなかった。かわりに、アフリカのネグロイドが、ネアンデルタール人との共通遺伝子を失っただけだ。そのせいで、非ネグロイド系の人々が、ネアンデルタール人との共通遺伝子を持っているように見える。それだけのことだ」
これを説明する図もあるので、上記項目を読んでほしい。
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実を言えば、「混血はなかった」という事実は、ちょっと頭を働かせるだけでも、簡単にわかる。こうだ。
「仮に混血があったとすれば、中東の一部分で混入した原人の遺伝子が、急速にホモ・サピエンス全体に拡大したことになる。しかし、原人からホモ・サピエンスへの進化の過程で『不利なもの』として失われた遺伝子が、あらためて『有利なもの』として急激に拡大したというのは、ほとんど論理矛盾である」
また、次のことも言える。
「共通する遺伝子があるからという理由で『混血があった』と見なすのは、あまりにも乱暴な推論だ。それが成立するなら、人間とチンパンジーは遺伝子が 99%も共通するので、人間とチンパンジーは混血していたことになる。さらに言えば、ウマやカバやマウスだって、人間と共通する遺伝子は 90%以上もあるのだから、人間はウマやカバやマウスとも混血していたことになる」
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真実を言おう。
「共通する遺伝子があるからという理由で『混血があった』と見なす」
というのは、あまりにも乱暴な推論である。その推論は成立しない。では、正しくは?
「共通する遺伝子があるのは、二つの種の間で混血があったからではなく、二つの種が共通する祖先をもつからだ。それだけのことだ」
ではなぜ、進化論学者は、「混血があった」と勘違いしたのか?
まず、次の事実があった。
「非黒人と原人との間には共通遺伝子があるが、黒人には共通遺伝子がない」 (★)
一方、次の仮説がある。
「人類は、『黒人 → 非黒人』という順で進化した」 (¶)
事実(★)と、仮説(¶)とが整合的であるためには、次のことを結論するしかない。
「原人と非黒人とは混血した。だから、黒人の段階でいったん失われた遺伝子が、非黒人では復活したのである」
しかるに、この結論が間違いであることは、ゲノム・インプリンティングの概念から否定される。かくて、矛盾が生じる。
では、真実は? 簡単だ。背理法を用いればいい。
「仮定を前提とすれば矛盾が生じるのであれば、仮定が間違っている」
これが背理法だ。背理法を適用すれば、次のことが結論される。
「仮定が間違っていた。つまり、仮説(¶)が間違っていた」
ここから、仮説(¶)は否定される。
では、この仮説が駄目ならば、どう説明されるか? 次のように説明される。
「黒人から非黒人が進化したのではない。共通祖先から、黒人と非黒人の双方が進化したのだ。その共通祖先は、どちらかと言えば、黒人よりは非黒人に近い系統だった。黒人は、そこから分岐する形で生じた。そのとき同時に、原人から引き継がれていた遺伝子を失った」
このことは、図示すれば、次のように示せる。
┏モンゴロイド
原人 ━━━ 原白人 ━┳━┻━━ 白人
┗━ 黒人
この図において、次のように説明される。
・ 黒人以外は、すべて共通遺伝子を引き継いでいる。
・ 黒人だけは、分岐したときに、共通遺伝子を失った。
これで説明が付く。
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実を言うと、(種や亜種などで)ある系統が分岐したときにいくつかの遺伝子群を失うということは、ごく普通に起こることである。(遺伝子群がまったく同じであれば、別の種や亜種になるはずがないのだから、伝子群に差異が生じるのは当たり前のことだ。)
黒人の場合も同様だった。すぐ上の図で分岐が起こったときに、いくつかの遺伝子群を失った。
一方、モンゴロイドや白人では、それらの遺伝子は失われなかった。単にそれだけのことだった。
ところが、これを見て勘違いした進化論学者がいた。
「モンゴロイドと白人(非黒人)は、原人と共通の遺伝子をもつ。黒人は共通遺伝子をもたないのに、黒人以外は共通遺伝子をもつ。それは、非黒人が原人と異種間交雑をしたからだ!」
呆れますねえ。こういうのは、よほど獣姦が好きな生物学者の悪趣味というものだ。
実は、こういう学者がいくら悪趣味をもつとしても、現実の生物は、異種間交雑なんてしたがらないものなのだ。「やれ」と言われても、やりたがらない。
→ 異種間の交雑
一部抜粋すると、次の通り。
(異種間では)交配が非常に困難です。
一緒にいるだけでは交配しないので、精神安定剤を投与して酔っ払わせ、メスには鎮静剤も投与して動けなくして交配させるのです。
結局、異種間交雑という奇怪なものを持ち込むべきではないのだ。
代わりに、次の二つの原理だけを取ればいい。
・ 共通祖先から、共通遺伝子を引き継ぐ。
・ 分岐した系統は、共通遺伝子を失うことがある。
この二つのことだけで、すべては整合的に説明される。
なのに、現代の進化論は、「エピジェネティックスと整合的論理」のかわりに、「異種間交雑」という奇怪なものを好むようになっている。これはもはや、科学というよりは、ただの変態趣味であろう。
「異種交雑って素敵!」
「獣姦って素敵!」
こういう変態趣味がのさばるわけだ。(皮肉ですけど。 (^^); )
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ともあれ、「エピジェネティックスからして、異種間交雑などはありえない」という生物学的な真実を理解してもほしいものだ。
そうすれば、「二つの種に共通遺伝子があるのは、二つの種に交雑があったからだ」という奇怪な仮説を取ることはなくなるはずだ。かわりに、「二つの種に共通遺伝子があるのは、二つの種が単にその遺伝子を引き継いでいるだけだ」という単純な事実を理解するはずだ。
人間がチンパンジーと同じ遺伝子をもつのは、人間がチンパンジーと交雑したからではない。この当り前の事実を理解するべきだろう。
※ 以下は、細かな話なので、読まなくてもよい。
[ 付記1 ]
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの間で混血が起こらなかったことは、化石レベルでもわかる。次のことだ。
「ネアンデルタール人の化石には、種としての同一性が保たれている」
このことから、「混血はなかった」と結論できる。なぜなら、混血があったなら、中間種が大量に存在するので、種としての同一性が崩れるからだ。
たとえば、人間では、人種間の境界が存在しない。黒人、白人、モンゴロイドの間には、中間種がたくさん存在して、境界ははっきりとしない。混血が可能であれば、このように境界が消えてしまう。だから、人種は種ではない。
一方、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスでは、両者の境界ははっきりとしている。これはつまり、それぞれの種に、種としての同一性があるということだ。このことから、「混血はなかった」と推定できる。
( ※ その根拠は、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとは、地理的に隔離されていなかったことだ。地理的に隔離されている二つの種であれば、両者が混血できることから、両者が実質的には亜種の関係にある、とわかることもある。しかし、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとは、地理的に隔離されていなかったのだから、そういう例には当てはまらない。)
[ 付記2 ]
デニソワ人については、見つかった化石の数が一つしかないので、[ 付記1 ]の話は適用できない。
一方、デニソワ人の化石が限られていることから、「デニソワ人はごく一部の限られた領域にしか住んでいなかった」と推定できる。このことから、次のことが結論できる。
「デニソワ人とホモ・サピエンスとの間で、大規模な広範な混血があったはずがない」
一方、「混血があった」という説によると、メラネシアまたはユーラシアの広い領域で混血があった、ということになる。これは矛盾( or きわめて不自然)である。
この件は、下記で詳述した。
→ デニソワ人・ネアンデルタール人との混血 4
【 関連項目 】
→ サイト内検索
http://6609.teacup.com/natrom/bbs/16154
http://6609.teacup.com/natrom/bbs/16155
http://6609.teacup.com/natrom/bbs/16156
だそうですよ
> 交雑は可能でしょうね。
> 不具合が生じるほどの遺伝子的な生殖隔離が進んでいたとは考えられないから。
> 生殖隔離が進んでないなら、そもそも異種ではない。
つまりこの人の主張は、「ホモサピエンスとネアンデルタール人は交雑は可能である。両者は異種ではない」つまり「ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は同種である」
あほくさすぎる。自分が何を言っているかわかっていない。オボカタ症候群。
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さらに言えば、引用するときに、 ※ 以後の注釈を意図的に排除して、その注釈が存在しないように、故意に曲解している。これはもう、捏造と同様ですね。
引用するときに、つまみ食いして、原意とは逆の意味に解釈するようにするなんて、研究者にはあるまじき不正行為です。捏造研究者として批判されるべき。
具体的には、下記の箇所を省いて、逆の意味にねじ曲げている。
> ( ※ 細かい点ではエピジェネティックスを考えることもあるが、あくまで付け足しふうに考えるだけであり、進化の原理そのものにエピジェネティックスを組み込んでいるわけではない。)