PC遠隔操作の事件で、被告は「真犯人は別にいる」と主張した。
被告(31)は12日、東京地裁での初公判で全面無罪を主張したのに続き、自身による異例の冒頭陳述を行った。約1時間にわたり、「真犯人にPCなどを遠隔操作され、犯人に仕立てられた」などと訴えた。
( → 片山被告、自ら陳述1時間 )
一方、この事件では、被告の犯行を直接裏付ける証拠はない。これをもって弁護側は、「直接証拠がないから、有罪とは言えない」と主張している。
→ NHK パソコン遠隔操作事件
→ 日経 2014/2/12
では、これらをどう評価するか?
──
私としては、以上の二つから、論理的に次のように結論する。
「真犯人が、PCなどを遠隔操作して、犯人に仕立てた」という被告側の主張が正しいとすれば、真犯人は、被告の行動を逐一知っていて、工作していたことになる。
・ 被告が江ノ島に行ったことを知って、猫の首輪の画像を送付した。( → 画像 )
・ 被告が雲取山に行ったことを知って、猫の首輪の画像を送付した。( → 画像 )
さて。これほどにも被告の行動をよく知っていて、さらに被告のパソコンにウイルスを仕込むことまでできたとすれば、真犯人は、被告の身近にいる存在であるはずだ。よほど強い恨みをもっていて、何が何でも被告を犯人に仕立て上げたいと思っていたことになる。
だが、よほど強い恨みをもっていて、何が何でも被告を犯人に仕立て上げたいと思っていたのだとすれば、被告が真犯人であるという直接証拠を、被告のパソコンや持ち物に仕込んでいたはずだ!
つまり、真犯人が別にいたとすれば、被告が犯人であることを示す直接証拠があるはずなのだ。次のような。
・ 被告のパソコンのどこかに、ウイルスのソースが暗号化して隠されてあった。
・ 被告の机のどこかに、猫の首輪などの物証がひそんでいた。
このようなことがあったはずなのだ。そういう直接証拠をこっそり仕組むことは容易であったからだ。
しかるに、現実には、そういう直接証拠は見つからなかった。とすれば、被告に強い恨みをもつような別人(真犯人)などは、もともと存在しなかったことになる。
かくて、「別に真犯人がいる」という被告(および弁護団)の主張は、崩壊する。
[ 付記1 ]
本項では、誰が真犯人か、という議論にまでは踏み込まない。単に、「別に真犯人がいる」という被告(および弁護団)の主張が成立しないことを、論理的に示しているだけだ。あくまで論理上の問題を扱っているだけだ。
ここを誤読すると、「被告が真犯人であることの論拠を示せ! 証拠を示せ!」と文句を言う人が出てきそうだが、困りますね。私はそんなことは主張していません。
「Aではない」という形の主張はしているが、「Bである」という形の主張はしていません。
( ※ 「タイトルが変だぞ」という文句は来そうだが、まあ、勘弁してください。ギリギリセーフということで。……タイトルは、疑問文であり、何も断定していませんから。……問題文があるからといって、回答文があるとは限りません。)
[ 付記2 ]
「真犯人は別にいる、という説を否定しているんだろ? ならば、被告が真犯人だ、と主張しているんだろ?」
と思うかもしれないが、そうとも限りませんよ。「真犯人は一人もいない」というのも、論理的には成立します。つまり、「この事件には犯罪はもともとなかった」という可能性がある。
で、私がそう主張しているのかというと……むにゃむにゃ。 (^^);
私としては、ここでは特に何も主張しないでおきます。なぜか? しつこく粘着されるのがイヤだから。この事件では、やたらと粘着してくる人が多くて、閉口する。(たぶん、被告を見て、親近感を覚える人がすごく多いからだろう。)
片山被告が真犯人なら当然有罪である。
中世の魔女裁判の、川に沈めば人間だから無罪、浮いてくれば魔女だから処刑という話を思い出しました。
ただ、不十分な証拠をもとに有罪になることの重大さに比べると、
こんなゴミみたいな犯罪を犯した者が
無罪になるほうがよっぽどマシであると思います。
> 片山被告が真犯人なら当然有罪である。
真犯人でも無罪になることはあります。
・ 警察の立証が下手だった。
・ 真犯人が上手に偽った。
・ 裁判で誤審があった。
理由はいろいろ。
本項は、「有罪か否か」という判決については扱わず、真犯人か否かという話題に絞って論じています。その意味で sassou さんの論述は、かなりズレている。
真犯人は別にいることは否定されるという論理が理解できないので書き込みさせて頂きます。
真犯人は警察に誤認逮捕させて喜んでいた愉快犯であり、”警察に恥をかかせたい”という動機があったことは間違いありません。
だから片山被告が無罪になることを真犯人が望んでいたとしても不思議ではないでしょう。”またしても誤認逮捕”ということになるわけですから。
直接証拠がないことは真犯人が別にいることを否定する根拠にはならないでしょう。他の誤認逮捕された人と同じように片山被告も利用されただけと考えることができます。
片山被告が真犯人であり、逮捕された後で無罪になることを計画して警察に対して工作した可能性もあります。
そもそも愉快犯が自分の犯行を否定する理由がよくわかりません。自分がやったと堂々と言えば警察を出し抜いたことを賞賛する人もいると思われるのに何故否定するのでしょうか。
無罪になる自信があると考えれば不思議ではないのですが。
その通り。真犯人が別にいたとすれば、片山被告が無罪になることを望んでいたはずで、その場合には、「警察はまたも失敗したな」という声明を出したはずです。ところが、声明を出さなかった。ということは、「真犯人が別にいる」という仮定は真でなく偽であったことになります。
この件は、前に述べました。
→ http://openblog.meblog.biz/article/14123604.html
有罪となれば裁判所も恥をかかせることになるし、無罪となれば警察・検察を貶めることになるからです。
有罪となったあとで真犯人が名乗り上げれば、裁判所が恥をかくのであって、その分、警察は恥をかかずに済みます。
無罪となれば、警察・検察を貶めるのは裁判所であって、真犯人ではありません。
いずれにしても、警察としては、真犯人に恥をかかせられずに済むことになり、「ラッキー」と感じるでしょう。
したがって、真犯人がいるのに沈黙を守るということは、真犯人は警察を救って上げようとしていることになります。これは、最初の真犯人像に矛盾します。ゆえに、「真犯人がいるのに沈黙を守る」という仮定は成立しません。
Q.E.D.
ここの部分がよくわからなかったです。
片山被告の前に同種ウイルスで誤認逮捕になった4名は上記に当てはまらなかったと思うんですが。
その直前に説明してあるので、わからないなら仕方ないですね。私としてはこれ以上わかりやすく説明することはできません。