通常の記録媒体は、磁気などに頼るせいで、あまり長持ちしない。高温多湿の条件下では、数十年もたてば劣化が進むと推定される。これでは未来への資産として残せない。
そこで、千年程度(〜数億年)という超長期の保存が可能な記録媒体の開発が進んでいる。画期的な新技術、という感じ。
→ 朝日新聞 2014年1月20日 (図あり)
しかし、これらはすべて無意味だ。なぜか? 記憶媒体というものは、高密度化が急速に進んでいるからだ。
たとえば、数億年の保存が低コストで可能となる媒体ができたとしよう。ここではモデル的に、その媒体のコストがゼロ円だとしよう。では、この媒体は、実際に使われるか? 使われない。なぜなら、かさばるからだ。
媒体がかさばるとすれば、媒体を収容するためのビルの建設が必要となる。その建設費が莫大になる。だから、媒体がいくら低コストであっても、意味がないのだ。
現実には、30年もすれば、記録媒体は完全に世代交代する。とすれば、古い低密度の媒体を超長期保存するよりは、新しい高密度の媒体に情報を移転して、古い媒体は廃棄する方がいい。ここでは、古い媒体の寿命がどれほど長くても関係ない。30年ぐらいで古い媒体は廃棄されることになる。
たとえば、30年ぐらい前のフロッピーディスクがあったとしよう。この記録媒体の保存性が1億年もあったとする。しかも、コストがゼロ同然だったとする。その場合、このフロッピーディスクを今後も1億年ぐらい保存するか? まさか。むしろ、このフロッピーディスクのデータをすべて、ブルーレイか何かの最新媒体に移転して、フロッピーディスクの方は廃棄するはずだ。となると、フロッピーディスクの保存性がどれほど高くても、まったく無意味であることになる。なぜなら、記録密度が低すぎるからだ。
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記録密度が急速に高くなっている時代には、10〜30年ぐらいで記録媒体を交換するのが賢明である。そうすれば、記録媒体の収容のためのスペースが節約できるからだ。
たとえば、ブルーレイの記録容量は、100GB(3層型)である。一方、フロッピーディスクは 2DD で 720KB であり、2HD で 1.44MB であった。平均して 1MB だとすると、100GB のブルーレイ1枚は 10万枚の フロッピーに相当する容量がある。だから、10万枚の フロッピーを何十年も保存するよりは、情報をブルーレイに移転して、10万枚の フロッピーを廃棄した方がいいのだ。
それと同様のことが、今後も次々と起こるだろう。30年後ぐらいには、10万枚のブルーレイに相当する情報が、1枚のディスクに収まるようになる。とすれば、何億年も長期保存できる DVD みたいなものがあっても、まったく無意味なのである。そんな新媒体があったとしても、数十年もたてばゴミ箱行きになるだけだ。
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結論。
超長期の記録媒体など、開発するのはまったく無意味である。
それよりは、記録密度を高密度化するための研究開発を続ける方がいい。
新たに高密度の新媒体が開発されたころには、既存の超長期記録ができる媒体は、ただの化石になってしまっている。
「数億年も保たれる化石」
なんて、ただの冗談商品でしかない。それはいわば、現代の DVD を、情報の記録媒体のかわりに、ガラスのコップを敷くためのコースターとして利用するようなものだ。馬鹿げている。
それだったら、最初からコースターを買う方がマシというものだ。たとえば、木製のコースター。
コースター 6p
というわけで、研究者は、無駄な研究をするのはやめましょう。研究の方向が狂っている。たとえ研究成果が出て、目的通りのものができたとしても、時代はもはやずっと先に進んでしまっているので、その成果は時代遅れだ。
どうせ研究するなら、フロッピーの寿命を長くする研究でもする方がいい。同じく無意味だとしても、無意味さがすぐにわかるだけ、ジョークになっている。笑えるだけ、マシである。
モバイルはシリコン系半導体、据置はHDD。サーバーとして、適宜買替え更新になるでしょう。cloudビジネスですが。
HDDの再利用生産という自己循環型で擬似生命的なサーバーシステムが生まれるかもしれません。
これは妄想です。
もしかしたら外宇宙へ記録媒体を運ぶ手段として超絶長寿命を考えているのかもしれません。
無駄ですが。
サーバーのHDDは普通RAID5でホットスワップ可能になっているはずです。
http://www.tekwind.co.jp/faq/QNA/entry_37.php
そのために必要なのは多重バックアップであって、特殊な記録方式(※)によるバックアップではありません。
バックアップの基礎原理から学び直した方がいいですよ。
あなたの方法が有益なのは、人類滅亡後に情報を残したい場合だけ。それ以外では多重バックアップこそが有効。
(※)特殊な記録方式というのは、もはや使われなくなった大昔の低密度の記録方式のこと。現時点で言えば、フロッピーとか紙テープとか。こんな媒体に入っている情報はさっさと、現代の記録媒体に移してしまって差し支えない。その後、元の媒体は捨ててしまって差し支えない。
ただ、その技術開発に優先して技術を運用するソフト面を確立すべきなんじゃないかと。公文書の保管と公開ルールを明文化するとか。不都合な記録を保管対象に指定せず廃棄したり、保管しても非公開のままにするなら高度な技術も無意味です。
今だって、Zip ドライブや MO ドライブなどの読み取り装置は入手できない。録画ではベータやVHSの再生機械もない。フィルムでは8ミリ映写機がない。いずれも、媒体は残っているが、再生装置がないので、読み取れない。
5.25インチのフロッピーというのもあったな。パイオニアのレーザーディスクというのもあった。録音装置では、カセットテープはまだ何とかなりそうだが、オープンリールは無理だろう。他にもソニーあたりの独自規格みたいな録音媒体がいくつかあったはず。
そんな中、レコードは案外根強く生き残ってます。溝という機械的手法を採用しているためでしょうか。
情報自体は既にネットワーク上のクラウドという”どこか”に保存する形態が主流になっていくでしょうから、データセンタで高性能の規格への移行が繰り返され続けるだけです。ただ、媒体の開発において超長期を高信頼性、高耐久性と読みかえれば方向としてそれほどずれてはいないような気がします。
こんな研究は一刻も早く止めるべきだな。無意味なことに社会の富を使うのは泥棒に等しいし、こんなことに携わっている研究者などは泥棒そのもの。