種の絶滅の理由を探る。これがテーマだ。まずはこれを念頭に置いてほしい。
ここで、種の絶滅の理由として、自然淘汰説というものを参考にしよう。「適者生存」の逆概念として、「不適者絶滅」という概念が考えられる。これによって、種の絶滅を説明できるだろうか?
あらかじめ結論を述べれば、できない。以下では、順々に説明していこう。
( ※ 簡単に言えば、「進化のための原理」を「絶滅のための原理」として適用することはできない、ということ。進化と絶滅とは異なる。両者を混同する人が多いが、混同してはいけない。……そのことを、本項では指摘する。)
(1) 概念紹介
まず、興味深い概念を紹介する。次の概念だ。
「生き延びる生物は、最も力の強いものでもなく、最も頭のいいものでもない。変化に対応できるものだ」
これは、進化論の世界よりも、政治経済のあたりでしばしば主張される概念だ。たいていは、
「企業は、時代の変化に取り残されないようにせよ」
という趣旨で語られる。ひところ、小泉首相(当時)がこういう趣旨で語った、と話題になった。
(2) ダーウィンの言葉か?
小泉首相(当時)によれば、この概念はダーウィンが語った、ということになっている。では、本当にそうか? どうやら、違うらしい。詳しく検証した人がいる。
→ ダーウィンは「変化に最も対応できる生き物が生き残る」と言ったか?
これによれば、上記の概念は、ダーウィンの概念ではなくて、のちに経済学の分野で勝手に創作された言葉であるらしい。「なーんだ」というところ。
しかし、出典はともかく、そういう概念がある。その概念の妥当性を考えてみたい。 (1) の概念は正しいだろうか?
(3) 自然淘汰で絶滅?
ダーウィンの説は、「自然淘汰説」である。これは「適者生存」という原理で説明される。これを逆方向から見て、「不適者絶滅」と言い換えることもできそうだ。
そして、個体同士の競争としてみれば、「適者生存」と「不適者絶滅」とは、同じことを言い換えただけだ、と言うこともできるだろう。
その意味で、「環境に適していない個体が淘汰される(絶滅する)」ということは成立するだろう。少なくとも、個体レベルでは。
問題は、「種の絶滅」だ。「種の絶滅」もまた、同様にして説明されるだろうか?
(4) 種の絶滅
種の絶滅に、自然淘汰説は、適用できるか? いや、できない。これは当然のことだ。
自然淘汰説は、そもそも個体間の競争における淘汰を説明しただけだ。そこには「種間競争」という概念はない。「種淘汰」という概念もない。
言い換えれば、「突然変異によって、ある種から別の種へ突発的に進化する」というような、「種間の進化」はありえない。
これを遺伝子という言葉で説明すれば、こうなる。
「自然淘汰説では、1遺伝子レベルの突然変異による遺伝子間の競争があるだけだ。種の異なるもの同士で、遺伝子の競争はない。なぜなら、種の異なるもの同士では子が産まれないから、子が産まれるときの競争というものがないからだ」
たとえば、チンパンジーと人間との間には子は産まれない。ゆえに、チンパンジーの遺伝子の一部と、人間の遺伝子の一部との間には、競争は生じない。(人間同士の遺伝子の間でなら、競争は生じるが。)
自然淘汰説はあくまで「同一種における個体間 or 遺伝子間の競争」という原理に基づく。自然淘汰説は、異なる種の間では意味がない。
したがって、異なる種の間では、「不適者絶滅」というような概念は成立しない。自然淘汰説そのものが成立しないからだ。(「理論の適用外」という形で。)
しかし、ここを勘違いしている進化論学者は多い。たとえば、先に示した、次の項目の例だ。
→ ネアンデルタール人の絶滅 3
ここでは、著者は「環境の変動への不適応」というのを、ネアンデルタール人が絶滅した理由だ、と考えた。
しかし、そのような発想は、自然淘汰説からは得られないのだ。なぜなら、自然淘汰説は、「異なる種同士での生存競争」というものを主張しないからだ。自然淘汰説はあくまで、同一種(つまり遺伝子が交流す同一種)においてのみ成立する概念なのである。
なお、異なる種同士では自然淘汰説が成立しないということは、別の点からも結論できる。次のことだ。
「異なる種同士では、絶滅の前に共存期間がある」
このことゆえに、異なる種同士では自然淘汰説が成立しない、とわかる。なぜなら、自然淘汰説では、「なだらかな進化が少しずつあった」と考えるからである。それは、「黒から、灰色を経て、白へ」というふうな、無段階の連続的な変化である。
この図の上側が、連続的進化だ。自然淘汰説は、このような連続的進化を主張する。
一方、種の絶滅では、共存期間がある。下図のように。
種A ━━━━
種B ━━━━
この図では、先に 種A が誕生して、後で 種B が誕生する。ただし、種A が絶滅する前に、種A と 種B が共存する期間がある。
このように共存する期間がある、ということは、自然淘汰説の「連続的進化」という原理に反する。それゆえ、異なる種同士の関係では、自然淘汰説は適用できないのだ。
( ※ 適用できるのは、同一種の先祖と子孫という場合だけだ。つまり、同一種の小進化の場合だけだ。)
ともあれ、自然淘汰説は、なだらかな進化(つまり小進化)の理由であるがゆえに、種の絶滅という突発的な現象を説明することはできないのだ。(もともと適用外である。)
(5) 棲み分け
では、種の絶滅は、どう説明されるか? ここからが、本項の眼目となる。
私としては、まずは、次のことを指摘したい。
「進化や絶滅というと、環境への適応ということが話題になる。しかし、環境への適応というのは、あやふやすぎる概念だ」
説明しよう。
ダーウィン説では、「適者生存」というのを、「環境への適応」という言葉で説明する。「環境に適したものが生き残る」というわけだ。
だが、これは、「生き残ったものが環境に適したというだけのことだ」と見なされるので、「生き残ったものが生き残る」というだけのことだ。つまり、ただのトートロジーだ。……というふうに批判されることもある。(英語版 Wikipedia などに説明あり。)
この意味で、「環境への適応」という概念は、あやふやだ。
もっと生物学的に考えよう。「環境」というものは、実はまったく曖昧だとわかる。というのは、「砂漠と湿地」というような環境差があるとは限らず、多くの生物は棲息領域を共有するからだ。
たとえば、「草原」という環境に、さまざまな草食動物や肉食動物が共存する。同一環境に複数の種が共存し、また、異なる環境に同一種が分布する。(たとえば渡り鳥はまったく異なる環境の土地を移動する。
さらに言えば、同一の土地の内部で、「棲み分け」という現象が発生する。同一の区画でも、高低その他の違いによって、住む生物種が異なることがある。
例。樹上と樹下。水辺と浅瀬。日向と日陰。
こういうふうに「棲み分け」という現象が発生する。
( ※ 本来の「棲み分け」という概念は、もっとよく似た領域で別々の種が棲息することを言う。たとえば、同一の川において異なる種が共存する。場所ごとの流れの強さなどの違いによって。)
以上のように、「環境への適応」という概念は、かなり曖昧なのである。生物は、「住みやすいところに住んでいる」というぐらいのことは言えるが、「環境に適応するように進化した」というふうには言い切れない。というのは、同一種の住んでいる環境が、各地で同一環境だとは言えないからだ。まして、「環境が変化すると絶滅する」ということは、なかなか言い切れない。
( ※ 前項 でも述べたが、「環境の変化が絶滅をもたらす」というような事例は、多くの種の大絶滅をもたらすような、特異な場合だけだ。たとえば、白亜紀末の恐竜絶滅とか、ペルム紀末の大絶滅とか。こういう大絶滅ならば、「環境の変動のせい」と言っていい。しかし、1種類に限られた絶滅を、「環境の変動のせい」と言うことは困難だ。なぜなら、他の種は絶滅していないからだ。)
(6) 兄弟種の競合と絶滅
1種だけの絶滅、というのを考えると、次のことが多いと言えるだろう。
「棲み分けにおいて同等の環境(または領域)において共存するような兄弟種において、両者の競合が起こった場合に、一方だけが生き延びて、他方が絶滅する」
つまり、兄弟種の競合と絶滅だ。こういう形の「種の絶滅」は、しばしばあったと推定される。
近いところでは、「外来種の進出によって在来種が絶滅する」ということが、しばしば見られる。この場合、絶滅するのは、同一環境における完全な他種ではなくて、兄弟種のみである。似ても似つかぬ種が競合関係になることは、あまりない。
同様に、進化の関係にある兄弟種(つまり古いところで共通の祖先を持つ種)でも、「新しい種の増加にともなって、古い種が絶滅する」ということは、あるだろう。具体的には、次のような例が考えられる。
・ ホモ・エレクトスの絶滅
・ ネアンデルタール人の絶滅
これらの絶滅は、なぜ起こったか? 兄弟種に当たるホモ・サピエンス(など)の勢力拡大にともなって、古い方の種が勢力を減らしていったからだ、と考えられる。
( ※ 兄弟関係にないまったく別の種は、あまり関係しなかった。)
(7) 棲み分け競合
ではなぜ、兄弟種でのみ、競合や絶滅が起こるのか? 「両者が棲み分け領域を共有するからだ」と私は考えたい。
ここでは、「棲み分け領域を共有するものだけが、たがいに競合して、たがいに相手を排除しようとする」という関係が成立する。
一方、同じ領域で会っても、棲み分け領域を共有しないもの同士は、まったく異なる種同士という関係にある。だから、たがいに競合しないし、たがいに相手を排除することもない。
この原理を、「棲み分け競合」と呼ぼう。
棲み分け競合という概念は、「環境への適応」という概念とは、まったく異なるものだ。同一の土地領域であっても、異なる種同士であれば、たがいに棲み分けをするので、「環境への適応」というようなことは問題とならない。
問題となるのは、棲み分け領域が一致する場合だけだ。このような場合のみ、競合関係が発生して、自然淘汰が発生する。一方、棲み分け領域が一致しない場合には、競合関係が発生しないので、自然淘汰が発生しない。(地理的には同一の土地であっても。)
(8) 原人の絶滅
以上の原理を、具体的に適用しよう。
まずは、原人(ホモ・エレクトス)を考える。ホモ・エレクトスが滅びたのは、なぜか?
自然淘汰説の信者ならば、次のように考えがちだ。
「ホモ・エレクトスは、環境に適応しなかったので、絶滅した。一方、ホモ・サピエンスは、環境に適応したので、生き延びた。同一環境で、環境に適応しなかったものが絶滅して、環境に適応したものが生き延びた」
しかしこれは成立しない。なぜなら、
ホモ・エレクトス → ホモ・サピエンス
という連続的な進化(= 自然淘汰)はなかったからだ。ホモ・エレクトスとホモ・サピエンスには、共存期間があったのだ。詳しくは下記。
→ 20万年前のジャワ原人
私の推定では、次のようになる。
ホモ・エレクトスとホモ・サピエンスは、ある時期までは共存したが、のちに「棲み分け競合」が発生した段階で、ホモ・エレクトスが絶滅した。その時期は、場所ごとに異なる。
第1に、アフリカでは、エチオピアのトゥルカナ湖 のあたりの水辺で、競合が起こった。ホモ・エレクトスが水辺で生活していたが、ホモ・サピエンスが増えていくと、ホモ・エレクトスは圧迫されて、追い出される形で、絶滅した。この時点のホモ・エレクトスは、水辺でしか生きる能力がなかった。
( ※ 理由は、年間を通じて高タンパクの食物を得られるのは、魚介類 のある水辺だけだったから。)
第2に、アジアでは、20万年前( or 数万年前?)までジャワ原人のようなホモ・エレクトスがいた。また、もっと古くは、北京原人もいた。これらの原人が絶滅したのは、ホモ・サピエンスとの間に、棲み分け競合が発生したからか? いや、どうも、そうではないようだ。というのは、ホモ・サピエンスがそこに到達した時期(数万年前)よりも、もっとずっと前に絶滅したらしいからだ。たぶん、棲み分け競合とはまったく別の理由で、たまたま絶滅したのだろう。(たとえば、猛獣の虎に食い殺された、とか。)
ただし、ホモ・フロレシエンシスに限れば、この種は 1.2万年前ごろまで生きていたようなので、この種との間では棲み分け競合があった可能性は十分に高い。
(9) ネアンデルタール人の絶滅
ネアンデルタール人の絶滅はどうか? やはり棲み分け競合があったのだろうか?
いや、どうも違うようだ。というのは、ネアンデルタール人やホモ・サピエンスの生息領域はものすごく広大であり、かつ、当時の人口は非常に少なかったからだ。
→ ネアンデルタール人の絶滅
これでは、住む領域がほとんど重ならないので、棲み分け競合は起こらなかっただろう。ネアンデルタール人が絶滅した理由は、棲み分け競合とは別のことだったろう。(具体的には、病気。詳しくは上記項目。)
(10) まとめ
種の絶滅の理由は、何か? 自然淘汰説の「適者生存」という形を逆に見て、「不適者絶滅」という原理で示せるか? つまり、「種の絶滅は、その種が環境に適さなかったからだ」と言えるか? いや、言えない。
種の絶滅は、自然淘汰説では説明しきれない。共存のあとの絶滅には、(小進化を原理とする)自然淘汰説とは別の原理が必要だ。
では、どう説明できるか? 「同一の棲み分け領域では、兄弟種が競合して、一方だけが絶滅する」という「棲み分け競合」の概念で説明できることが多い。
ただし、それ以外にも、複雑な要因が理由となることもある。種の絶滅には、生物学的な要因が絡み合うことが多い。
ただ、「環境の変動」は、種の絶滅の理由にはならないのが普通だ。なぜなら、「環境の変動」は、特定の1種だけに影響するはずがないからだ。「環境の変動」が絶滅の理由となるのならば、特定の1種だけを絶滅させるのではなく、多くの種を大絶滅させるはずだ。
ネアンデルタール人の絶滅の話などで、進化論学者は、「環境の変動への不適応が、絶滅の理由だ」と考えがちだ。しかし、それは妥当ではない、と私は考える。自然淘汰説は、進化のための理論であって、絶滅のための理論ではない。自然淘汰説を、誤った形で適用するべきではない。
【 補足 】
補足しておこう。本項の核心は、次のことだ。
進化論学者は、「環境の変動への不適応が、絶滅の理由だ」と考えがちだ。しかし、それは論理が転倒している。
なるほど、「環境の変動があったから、絶滅した」という例は、実際にあっただろう。しかし、その論理を逆にして、「絶滅したのは、環境の変動があったからだ」と推定して、「環境の変動を探そう」と思っても、そんな「環境の変動」は見つからないのが普通だ。
たとえば、ネアンデルタール人が絶滅したからといって、「そこには環境の変動があったからだ」という原因を想定して、環境の変動を探そうとしても、ネアンデルタール人を絶滅させるような環境の変動などは見つかるはずがないのだ。(筆者の示した環境の変動は、ネアンデルタール人の絶滅の時期に起こったのではなく、もっとずっと前に起こった環境の変動だった。時期がズレている。 → ネアンデルタール人の絶滅 3 )
また、環境の変動は、1種だけの絶滅でなく、多数の種の絶滅をもたらすはずだから、その意味でも、「ネアンデルタール人の絶滅」の理由とならない。
「環境の変動」を絶滅の理由の理由とするのは、あまりにも発想が偏りすぎているのである。そういうふうに先入見にとらわれてはいけない、ということを、本項は示す。
現代の進化論学者は、やたらとダーウィンの自然淘汰説を信じすぎている。自然淘汰説はたしかに重要な学説ではあるが、それだけで万事が片付くというほど、自然というものは単純ではない。自然や生物は、一つの原理では片付かないような、複雑な現象なのである。そういう多面性に目をふさがれてはならない。「環境のせいだ、環境のせいだ」と、馬鹿の一つ覚えみたいな発想に凝り固まってはならない。……そのことを、本項は指摘する。
[ 付記1 ]
自然淘汰説はあくまで、同じ種内の小進化のための理論なのである。それは大進化のための理論ですらない。この件は、下記。
→ 小進化と大進化(原理)
[ 付記2 ]
本項とは直接の関係はないが、関係する話。「絶滅する」話でなくて、「絶滅しない」話。
「絶滅が起こりにくい」というケースがある。それは、孤立環境だ。
大陸から離れた孤立環境では、ライバル種(新種)が到来しないので、棲み分け競合が起こりにくい。そのせいで、古い種がほとんど進化ないまま存続する、ということが起こりやすい。
たとえば、マダガスカルや、オーストラリアは、大陸から分離した数千万年前の生物をそのまま残している(いた)と考えられる。( → 言及 )
この両者のような孤立環境では、生物は「生きた化石」となっているわけだ。
( ※ ついでだが、ガラパゴスはちょっと違う。この島は、500〜1000年前に形成された、比較的新しい島だ。となると、「生きた化石」と言えるほど古くはない。せいぜい、「運良く絶滅を免れた固有種」というぐらいのことだろう。この場合は、「生きた化石」の代わりに、単に「棲み分け競合が起こらなかった」というだけのことだ。)
【 関連項目 】
本項は、次項に続きます。
→ 生態的領域(棲み分け領域) (次項)
てはならない。
--> とても大事な視点だと思います。
動物は絶滅に至る記録を残さないので原因を特定できないが、人間の場合は文字や生活の址を遺すので、
絶滅の理由が分かります。ノルウェー人赤毛のエィリークは、吹聴しグリーンランドへ人々を導き入植した
(985年)。温暖化が進行中であったため、樹木や牧草が広い範囲を覆っていた。「緑の島」の雰囲気はあった。
人々はノルウェーやアイスランドの生活様式を持ち込んだ。森林を伐採し、家屋や教会を建て暖房に消費し
畑と牧草地を広げたが、1100年頃から寒冷期に突入。年平均気温は低下していった(0.15℃/100年)。
1500年頃、急激な寒冷化した冬が数年間続いた頃には、森林は枯渇、牧草地は過放牧のため地力は衰え
ていた。寒冷な気候のダブルパンチで家畜が飼えなくなった。船を作る木材もなくなり、家屋を作ったり暖房を
とるための木材もなく、食料も尽き、入植者の子孫たちは、酷寒の中で震えながら餓死していった。
どれほどの気候変動であったか? 氷床コアの解析から、1100〜1500の期間に、年平均気温は、
0.6℃ほど低下した。脆弱化していた生活基盤を崩壊させるに十分だった。一方、イヌイットは存続した。
遺伝子改変によってではなく、生活スタイル(文化)を北極圏の環境に適合させたから、生き延びた。これら
の種族は資源の上で競合しなかった。特にワモンアザラシ猟は、ホッキョク熊に学んだ独創的な狩り手法。
このケースでは、人間が生存基盤の環境を疲弊させていき、限界状況で気候寒冷化が襲ってきたため絶滅。
南極ボストーク基地の氷床コア解析では、最近40万年間、およそ10万年周期の気候変動が繰り返された。
振幅は年平均気温で10℃程であった。20万年ほど前の寒冷化では、平均気温は0.2℃/100年の割合の
低下を5000年間続けた。年平均気温で10℃の低下は苛烈。熊本の年平均気温16.2℃、稚内6.4℃。
九州が稚内の気候になる。ニホンザルの北限の青森は9.7℃、イルクーツクは0℃。ニホンザルは滅びる。
世界の人口の半分以上が餓死し、多くの動植物も絶滅する。
過去20億年間では、もっと大きな振幅の気候変動があった。
大繁殖した種が特定の生活スタイルを続けることで、資源を多消費することで環境を変化させ、生存基盤が
脆弱になったところに、気候変動が襲ってくると絶滅しても不思議ではない。
世界の人口が90億人になり、地球の環境を十分に劣化させた頃、寒冷化オンセットになると悲惨です。
適正人口へ減らすべきだが、人口を増やして経済発展をと思い込んでいる人が多いので、制動が利かない。