無性生殖の生物は、単細胞生物が多い。
では、これらの関係は? ──
ざっと生物全般を見たところでは、次のように見える。
・ 有性生殖の生物 = 多細胞生物
・ 無性生殖の生物 = 単細胞生物
しかし、そうとも言い切れない。これらはどういう関係にあるのだろうか?
1.無性生殖で単細胞
無性生殖の生物は、単細胞であるのが基本だ。この場合、細胞分裂(体細胞分裂)の形で、どんどん増える。簡単に増えるので、「数の増加」という面では、とても有利である。だからこそ、単細胞の無性生殖の生物はとても多い。至るところにありふれている。
ただし、単細胞であるがゆえに、多細胞からなる高度な組織をもつことはできない。つまり、高度に進化することはできない。何億年もかかっても、初めのころの状態とたいして変わっていない。なかには何十億年もほとんど変わっていない古細菌もある。
- ( ※ 「単細胞生物はほとんど進化していない」という見解に対して、「いや、進化しているぞ」という見解もある。なるほど、ダーウィン流の発想では、進化とは小進化の蓄積のことであるから、遺伝子がちょっと変わっただけでも進化だと見なされる。しかし、私の見解では、それは進化ではない。遺伝子がちょっと変わったぐらいでは、ただの小進化であり、大進化とはならない。そして、私の見解では、進化というものは大進化である必要がある。小進化は、ただの「変化」であって、そんなものがいくらたくさん待ったとしても、「進化」ではないのだ。遺伝子の変化という過程がいくらたくさん蓄積しても、遺伝子数の多大な増加をともなう「進化」にはなりえないのだ。)
( ※ つまり、単細胞生物が何億年もかけて、莫大な突然変異を蓄積したとしても、それは、ただの塩基レベルの変化であるに過ぎず、進化とは言いがたい。……それが私の見解だ。)
( ※ 系統樹で言うならば、単細胞生物は、横方向への変化があるだけで、縦方向への進化はほとんどなかった。系統樹を時間レベルで示せば縦方向の幹もあるが、系統樹を進化レベルで示せば縦方向の幹はなかった。)
2.無性生殖で多細胞
無性生殖の多細胞生物はあるだろうか? 基本的には、多細胞生物が二つに分裂することは、図形的に困難だ。
→ 性の誕生(半生物を越えて)
たとえば、1人の人間が2人の人間に分裂することは、図形的に不可能だ。単細胞生物のように、「1つのものが2つになる」ということは、多細胞生物ではうまくできないのだ。
ただし、例外はある。
第1に、1枚の紙が2枚に剥がれるような形で、単純に二つに分裂するもの。(もともとが紙か糸のような形態の多細胞生物であれば可能だ。)
第2に、多細胞生物のうちの1部だけから、新たに次世代が生じるもの。(出芽という形を取る。)
以上のような例は、実際にある。下等な植物や菌類などに見られる。
無性生殖の多細胞生物は、たしかにある。では、それは、単細胞生物よりも高度に進化したものと言えるだろうか?
ちょっと考えると、「イエス」と言えそうだが、実際には「ノー」と言えるだろう。実際、無性生殖の多細胞生物は、生物の世界ではあくまでマイナーな存在であるにすぎない。生物の大部分は、次のいずれかだ。
・ 無性生殖の単細胞生物
・ 有性生殖の多細胞生物
ひるがえって、無性生殖の多細胞生物は、たいして大きな部分を占めていないのである。
なぜか? 理由は、次のことだろう。
「無性生殖の多細胞生物は、しょせんはクローンにすぎない。とすれば、遺伝子のエラーがあったときに、そのエラーを修復できないまま、系統が途絶えてしまう。これでは、数を増やす上で、圧倒的に不利である」
こういう不利さがあるからだ。その不利さは、あまりにも巨大だ。
ひるがえって、無性生殖の単細胞生物ならば、この問題はない。たとえ遺伝子のエラーがあったとしても、大丈夫だからだ。
・ 一部に遺伝子のエラーが出現しても、他の個体もたくさんある。
・ 遺伝子のエラーが出現しても、それを修復する突然変異が起こりやすい。
要するに、無性生殖の単細胞生物は、増殖速度が速くて、あまりにも数が多いがゆえに、遺伝子のエラーを飲み込んでしまうことができる。
ところが、無性生殖の多細胞生物は、増殖速度が遅くて、数もあまり多くないがゆえに、遺伝子のエラーを飲み込むことができない。そのせいで、系統が途絶えがちだ。
かくて、無性生殖で多細胞という生物は、大きな勢力を占めることはできない。
無性生殖の多細胞生物は、高度に進化することができない。先に述べたように、下等な植物か菌類ぐらいのものでしかありえない。
換言すれば、動物には、無性生殖の多細胞生物というものはない。特に、高度な動物では、そういうものはない。高度な動動物は、菌類よりもはるかに複雑な肉体組織をもつのが普通だから、前述のような(紙や糸のような)分裂の方法は成立しない。
( ※ ただし例外的に、クラゲの一部では、胞子のような形[ポリプ]で無性生殖をする時期が、生涯の一部に組み込まれている。それでも、無性生殖だけでは無理で、有性生殖の時期もある。さもなくば、遺伝子のエラーが蓄積して、とっくに滅んでいたはずだ。)
( ※ なお、動物にも「単位発生」という形の無性生殖が起こることもある。しかしそれも、「完全な有性生殖ではなく、有性生殖の一部に無性生殖が組み込まれている」という程度のことでしかない。)
( ※ ただ、ハミルトンやドーキンスはこれを勘違いして、「無性生殖と有性生殖の混合した生殖は、血縁度が高いので、自分の遺伝子を増やすのに有利だ」というふうに結論した。あまりにも馬鹿げた結論だ。それが正しいとしたら、血縁度が 100%の無性生殖が理想であることになる。……このことからもわかるように、血縁度が高いことは、有利なことではなく、不利なことなのである。 → 参考項目1 ,参考項目2 )
3.有性生殖
有性生殖ではどうか?
有性生殖では、一般に、複雑な組織をもつ多細胞生物であることが多い。そして、複雑な組織をもつ多細胞生物であるためには、有性生殖の形を取るしかない。なぜなら、複雑な組織をもつ多細胞生物が二つに分裂することは不可能だからだ。1人の人間が2人の人間に分裂することは不可能だからだ。(前出)
複雑な組織をもつ多細胞生物が個体数を増やすためには、次の形を取るしかない。
「次世代は、いったん単細胞生物の形を取ってから、その単細胞生物が新たに細胞数を1から多数へ増やしていく」
このような形でのみ、個体数を増やすことができる。そして、その最初の単細胞生物(次世代の始原)が、精子と卵子だ。
ここで注意。精子と卵子は、染色体数が半分である。染色体数が半分であるものが二つ組み合わさって、新たな個体として誕生する。……それが有性生殖の特徴だ。ではなぜ、そんな面倒なことをするのか?
実は、それをやらないのが、無性生殖の多細胞生物だ。たとえば、胞子や出芽のような形で、多細胞生物になれる。
とはいえ、そのような多細胞生物は、遺伝子のエラーが蓄積しがちであり、遺伝子のエラーを排除できない。それゆえ、高度に進化することは不可能となる。
一方、「染色体数が半分であるものが二つ組み合わさって、新たな個体として誕生する」という有性生殖の形を取れば、一部で遺伝子のエラーが出現しても、その遺伝子のエラーを排除した形で、遺伝子のエラーのない次世代を誕生させることができる。

- 上の図を見ればわかるように、有性生殖では、親の世代(左)の一部で遺伝子のエラーが発生したとしても、その部分を含まない次世代を誕生させることが可能だ。遺伝子のエラーを含む個体が滅亡して、遺伝子のエラーを含まない個体が存続すれば、その系統から遺伝のエラーを排除できる。
こうして、有性生殖の生物では、遺伝子のエラーを排除できるので、高度な組織をもつように進化することができるようになった。
実を言えば、話の順序は逆である。
高度に進化するために、有性生殖という形質が備わったのではない。有性生殖という形質が備わった生物のみが、高度に進化することが可能になったのだ。
最初の有性生殖の生物は、多細胞生物である必要はない。また、有性生殖が最初から完成していた必要もない。最初はゾウリムシのような単細胞レベルの「接合」レベルで十分だった。そこから、有性生殖がしだいに発達して、普通の有性生殖が起こるようになった。すると、単細胞生物から多細胞生物になる能力を獲得した。かくて、以後は進化して多細胞生物になることができた。そこからさらに、高度な組織をもつ多細胞生物に進化していった。
さらに言えば、有性生殖の生物は、交配によって多数の遺伝子の組み合わせを試行錯誤できるので、その意味でも、進化する余地が大きい。
→ 有性生物と無性生物
→ 有性生殖の意義
4. 結論
以上のことから、次のように結論できる。
「単細胞生物から多細胞生物へ」という進化の過程。それは、無性生殖の場合と、有性生殖の場合とでは、まったく異なる経路を取った。
(1) 無性生殖の場合には、「単細胞生物から多細胞生物へ」という進化はあったが、それは「進化の行き止まり」であった。つまり、そこから先へは進まなかった。もちろん、「無性生殖の多細胞生物から、有性生殖の多細胞生物へ」という進化はなかった。また、無性生殖では、主流はあくまで単細胞生物であった。無性生殖の多細胞生物は、マイナーな存在でしかなかった。
(2) 有性生殖の場合には、「単細胞生物から多細胞生物へ」という進化があった。それは「無性生殖の多細胞生物から、有性生殖の多細胞生物へ」という進化ではなくて、「有性生殖の単細胞生物から、有性生殖の多細胞生物へ」という進化だった。そして、このような進化は、特に困難ではなかった。いったん有性生殖の単細胞生物が生じれば、あとはほとんど自動的に、有性生殖の多細胞生物への進化が急速に起こった。
その時期は、カンブリア爆発の時期である。カンブリア爆発の時期には、生物の種類が急激に増えるという、空前絶後の急激な進化がほぼ突発的に起こった。その理由は? この時期の最初に、有性生殖が完成したからだ。いったん有性生殖が完成すれば、あとは「交配による多大な試行錯誤」という形で、急激な進化が起こるのは当然だった。そして、そのことは、無性生殖の時代にはなしえないことだった。
ここでは、有性生殖をすることと、進化することとは、ほぼ同義だったのである。下記項目で述べた通り。
→ 有性生物と無性生物
[ 付記 ]
次のニュースがあった。
→ 世界最小の多細胞生物と確認 (動画あり)
一部抜粋しよう。
単細胞生物から多細胞生物へ進化した初期段階の解明につながるという。
「どういう遺伝子が進化して多細胞生物ができたのかが分かる可能性がある」と話す。
ここでは、
無性生殖の単細胞生物
→ 無性生殖の多細胞生物
→ 有性生殖の多細胞生物
という進化の段階が想定されている。つまり、段階的な進化。
しかし、そういう段階的な進化は、ありえないのだ。そのことを、本項は結論する。[すぐ上の (2) で述べた通り。]
代わりに何があったか? 最初に「無性生物/有性生殖」という分岐があり、以後は、分岐後の進化があったのだ。
つまり、1系統の段階的な進化ではなく、2系統の進化があったのだ。
この意味でも、生物は「無性生殖の生物/有性生殖の生物」に区分することが好ましい。
→ 有性生物と無性生物
【 追記 】
「有性生殖はなぜ必要なのか?」
という疑問がある。その趣旨は、次の通り。
「遺伝子の数を増やすためであれば、無性生殖の方が高速に数を増やすことができるので有利。いちいちオスを必要とする有性生殖は不利。なのになぜ、不利な方式である有性生殖が広がったのか?」
詳しくは、下記サイト。
→ 有性生殖はなぜ必要なのか
これに対する回答は、すでに本項でも明らかだろう。
「生命は遺伝子の数を増やすためにあるのではない。遺伝子の数を増やすためというのは、無性生殖の生物の原理であり、有性生殖の生物の原理ではない」
「有性生殖の生物の原理は、数を増やすことではなく、質を向上させることである。つまり、進化することである。このことゆえに、有性生殖の生物は大幅に進化した。無性生殖の生物は数を増やすことに成功し、有性生殖の生物は質を向上させること(進化すること)に成功した。それぞれは別の原理に従い、別のことに成功した」
詳しい話は下記で。
→ 有性生殖の意義
→ 有性生物と無性生物
→ 数の増加(生命の本質)
要するに、「遺伝子の数を増やすため」という原理は、有性生殖の生物では成立しない。無性生殖の生物では成立するが、有性生殖の生物では成立しない。……つまり、上の疑問は、前提そのものが間違っているのだ。疑問そのものが間違っているから、疑問から出る回答もまた間違ったものになっているのだ。(というか、正しい回答はありえない。)
それはいわば、「1+1=3 であるのはなぜか?」という疑問のようなものだ。「1+1=3」という前提そのものが間違っているのだから、その疑問に対する正しい回答などは存在しない。
有性生殖の場合もまた同じ。「遺伝子の数を増やすため」という原理そのものが、有性生殖の生物には適用されないのだから、「なぜ?」と問うのも馬鹿らしい。有性生殖の生物は、遺伝子の数を増やすために存在するのではなく、進化するために存在してきたのだし、まさしく進化してきたのだ。
( ※ ただし、ドーキンス流に「個体は遺伝子の乗り物だ」なんていう説をまともに信じると、間違った前提を取ることになるので、矛盾に落ち込んでしまう。彼らは、無性生殖と有性生殖で異なる原理が成立するということを、理解できないのだ。)
タイムスタンプは 下記 ↓