2013年12月14日

◆ 英語で授業:その是非

 中学校で、英語の授業を英語でやる、という文科省の方針が出た。その是非を考える。 ──

 中学校で、英語の授業を英語でやる、という文科省の方針が出た。
 《 中学の英語授業、英語で 18年度から 》
 文部科学省は13日、中学の英語の授業は原則、英語で行うことなどを盛り込んだ「英語教育改革実施計画」を発表した。より実践的な英語指導への転換がねらい。
 高校の英語の授業は現在英語での指導が原則だが、計画では中学でも原則英語による指導とし、達成目標を現在の「英検3級程度」から「準2級程度」に引き上げる。
 政府の教育再生実行会議が5月に「英語教育の早期化」を提言し、文科省内で具体策を検討していた。
 下村博文文科相は同日の記者会見で「グローバル社会で活躍できる人材育成(のための英語教育)へ変わる必要がある」とした。
( → 朝日新聞 2013年12月13日

 どうしてこういう方針が出たについてかは、委員の声がある。
 「小学校からの英語教育には疑問もあるが、社会のあらゆるところでグローバル化が進む中、中学校では英会話中心の、より実践的な英語教育を行うことは、間違った方向ではない」
 政府の教育改革を民間の立場からサポートする「教育再生をすすめる全国連絡協議会」の阿部孝企画委員は、今回の計画に一定の理解を示す。
( → MSN産経ニュース 2013-12-13

 この方針には疑問を感じる人も多いだろう。文句を言いたくなる人も多いだろう。しかし、いちいち声を上げる必要はない。すでに現場から異論がわんさと出ている。
  これに対し、学校現場からは批判的な意見が強い。東京都内の区立中学校長(56)は「小学校から英語を教えるにしても、基礎が十分に身についていないまま英語で授業を行えば、理解できずにドロップアウトする生徒が続出するだろう」と話す。
 教員の英語力の向上も課題だ。実施計画では小学3年生から英語授業を導入し、5年生から正式教科にする方針だが、三重県内の小学校教諭(49)は、「教科になると成績評価が必要になる。自分自身が英語を話せないのに、対応できるか不安」とこぼす。
( → 同上

 そもそも、「英語で授業」という方針を出したところで、それを実現するだけの能力が現場にあるのか? それは高校の現場を見ればわかる。2013年度から「英語で授業」という方針を出しているのだが、実現できていない。
 「高校の英語の授業は英語で行う」という方針が発信され、話題になったのを覚えているかたも多いだろう。2013(平成25)年度より施行されているが、実際の授業はどうなっているのだろうか。
 ベネッセコーポレーションでは、昨年の夏にインタビュー調査を実施し(対象は全国の常勤、非常勤の高校英語教諭50名)、高校の先生はどれくらい「授業は英語で」行うつもりなのか、どのような不安や課題を持たれているのかをたずねてみました。
 そこでは、「2013(平成25)年度以降に授業で英語を、概ね使う」という先生は、2割程度にとどまりました。
 「文法は日本語で説明しないと生徒が理解できたか不安になる」「英語が苦手な生徒は英語だけで理解できるか」などの先生方の不安や課題認識が挙げられました。
( → ベネッセ

 文科省の調査結果も、同様の結果を示している。こちらは、もっとひどい。高校の普通の英語授業だけでなく、英会話の授業(オーラル・コミュニケーション)ですら、英語による授業ができていないのだ。
 気になる数字が文部科学省の調査で明らかになりました。高校の英語科目「オーラル・コミュニケーション」で英語を使って授業をしているのは、約2割にすぎないというのです。
 文科省の調査結果(10<平成22>年度)によると、オーラル・コミュニケーションIで、ほとんど英語で授業をしたという教員は19.6%にすぎず、半分以上を英語で行った教員も32.8%でした。コミュニケーション重視の英語教育をするはずの科目でさえ、授業を英語で行うというには程遠い現状だったのです。
( → ベネッセ

 別の問題点も指摘されている。「聞く・話す」の授業ばかりを熱心にやっていて、「読む・書く」をおろそかにすると、すると、大学入試では点が取れなくなるし、大学で論文の読み書きもまともにできなくなる。

 この背景には、小学校教員などと異なり、英語の専門家である高校の教員は、「読む・書く」を主体にした従来の英語教育からの意識の転換が遅れていることや、大学入試を意識しなければならないことなどが挙げられます。
 このまま行けば、コミュニケーション重視の英語に接してきた子どもたちが、高校入学後、大学受験に向けた「読む・書く」中心の授業で、英語嫌いになってしまう可能性も否定できません。
( → ベネッセ

 つまり、「聞く・話す」に熱中すると、英語の読み書きがまともにできなくなる。「読み・書きだけはできる」という現状から、「読み・書きすらもできなくなる」というふうに、かえって悪化してしまう可能性がある。

 ──

 以上で、情報を紹介した。
 これらを読めば、どうすればいいかは、誰でもわかる。こうだ。
 「教育は基礎から段階的に進むべきだ。英語で授業をするなら、その前に、授業を理解できるだけの英語力を身につけるべきだ。授業を理解できるだけの英語力もないまま、やみくもに英語の授業を進めても、何も理解できない生徒が続出するだけだ」


 こんなことは、誰でもわかる。いちいち私が書くまでもないし、あなたが叫ぶまでもない。誰でもわかることなのだ。
 問題は、誰でもわかることに反して、逆の方針が実施されるのはなぜか、ということだ。
 これが真の問題となる。

 ──

 ベネッセのサイトには、次の文言もある。
 しかし、「日本語の説明を英語に置き換える」ことが、この新学習指導要領の本意ではありません。「生徒が英語に触れる機会を充実するとともに、授業を実際のコミュニケーションの場面とするため、授業は英語で行うことを基本とする」と書かれています。
 つまり、授業の中で生徒が英語にたくさん触れ、英語を使うさまざまなコミュニケーションの機会を増やすことが目的とされているのです。英語の授業を、「英語の文法や語彙(ごい)の知識を教えること」を中心にしたものから、「生徒が英語に触れ、英語を使いながら、思考・判断・表現力を高めるための言語活動」を中心にしたものへと、転換することが求められています。
( → ベネッセ

 すべての子どもが、それぞれの人生をよりよく生きていくために、「ことばを使って考え、判断し、自分の意見や主張を表現していく力」を身に付けていく必要があります。この力は、日頃の生活の場面においても、人生において何か大きな困難にぶつかった時にも必要です。「授業は英語で」行うこと、すなわち、生徒が「使える英語の力(英語によるコミュニケーション能力)」を身に付けることは、グローバル化がますます進むこれからの社会を生きていく子どもたちにとって極めて重要なことだと思います。
( → ベネッセ

 つまり、「読み書き」だけでなく、「ことばを使って考え、判断し、自分の意見や主張を表現していく力」「英語を使いながら、思考・判断・表現力を高めるための言語活動」をめざしているわけだ。その目標自体はいい。
 問題は、その目標のために、「英語で授業」という方針が正しいかどうか、ということだ。

 ──

 私なりに問題を整理すれば、今回の新方針は、比喩的には、次のように言える。
 「プールで補助板を使って泳ぎ始めたばかりの幼稚園児がいる。なかなかうまく泳げない。そこで、うまく自力で泳げるようにという目的で、いきなり太平洋の真ん中に放り出す」

 ここでは、「うまく自力で泳げる」という目的は正しい。しかし、「いきなり太平洋の真ん中に放り出す」という方法は正しくない。目的と手段とが乖離してしまっている。

 「英語で授業」もそうだ。「英語で授業を受けられるだけの英語力を身につけさせる」という目的は正しい。しかし、「英語で授業を受けられるだけの英語力を身につけさせる」という目的のためには、「英語で授業を受ける」ということを練習すればいいのか?
 そう考えて、「イエス」と思った人々が、今回の方針を打ち出した。
 しかし現実には、基本的な英語力がないままでは、英語で授業を受けさせても、その授業を理解できない。だから、いくら授業を聞かせても、チンプンカンプンなままである。つまり、「英語で授業を受けられるだけの英語力を身につけさせる」ということには失敗する。
 それは、「幼稚園児を太平洋の真ん中に放り出しても、幼稚園児は泳げるようにならない」(溺死するだけだ)ということと同様だ。

 ──

 ではなぜ、人々はその当たり前のことが理解できないのか? …… 実は、これと似たことは、前にも述べたことがある。
 一般に、人々は進化論の「自然淘汰」という原理を信じている。その原理は、こうだ。
 「生物は環境に応じて進化する。魚が陸に上がれば、魚に足が生える。猿が草原に出れば、猿が直立して、手が自由になり、脳が発達する」

 このような原理を信じた人々が、「生物を進化させるために、生物を目的の環境に置け。そうすれば、生物はその環境に適して進化するはずだ」と主張する。
 具体的には、次のようなことを主張する。
 「企業を過酷な競争にさらせばいい。そうすれば、過酷な競争にさらされた企業が進化して、優秀な企業になる」
 しかし、そうか? たとえば、スマホの競争にさらされた日本のIT会社は、最高のスマホを開発したか? DRAM はどうか? 家電はどうか? 過酷な競争のなかで最高に進化したか? いや、逆だ。ほとんどの企業は撤退した。ちょうど、太平洋の海に放り出された幼稚園児が溺死するように。

 では、どういうことか? 進化論の原理が間違っているのか? 自然淘汰説は間違っているのか? 「イエス」である。なぜなら、真実は、こうだからだ。

  ・ 「魚が陸に上がっても、魚に足は生えない。魚が干からびるだけだ」
  ・ 「猿が草原に出ても、猿の脳は発達しない。猿が肉食獣に食い殺されるだけだ」

   ( → ITの国際競争力

 自然淘汰説とは、何か? 「優勝劣敗」という形で、劣者が淘汰される(絶滅する)ことを示す理論だ。しかし、そこには、「優者が誕生する」という原理は示されていないのだ。
 「あからじめ優者と劣者が存在すれば、劣者が淘汰される」
 ということは、自然淘汰説で示される。しかし、
 「もともと現在種(旧種)だけが存在しているところで、優者となるべく進化した種(新種)が誕生する」
 ということは、自然淘汰説では示されないのだ。
 そして、そういうところで、旧種を新環境に放り出しても、旧種は決して進化しない。たとえば、魚を陸に放り出しても、魚に足が生えることはなく、魚が干からびて死ぬだけだ。

 ここから、同様のことが成立する。
 幼稚園児を太平洋に放り出しても、幼稚園児が泳げるようになることはなく、幼稚園児が溺死するだけだ。
 英語を理解できない中学生に英語で授業をしても、中学生が英語がぺらぺらになるわけではなく、ちんぷんかんぷんな授業を聞いて、中学生がバカになるだけだ。
 
 ──

 こうして、物事の根源がわかる。
 「英語で授業をすれば英語力が発達する」
 というのは、間違いだ。ではなぜ、その間違いである方針が取られるのか? それは、人々が進化論というものを信じすぎているからだ。
 現在の進化論(自然淘汰説)というのは、不完全なものだ。「劣者が滅びる」ということは説明できるが、「優者が誕生する」ということは説明できない。その意味では、現在の進化論は間違っている。(進化があったという点については正しいが、いかにして進化があったかという点については正しくない。)
 なのに、その間違った進化論(自然淘汰説)を過度に信じた人々がいる。これらの人々は、「生物を新たな環境に放り出せば、生物は新たな環境に適するように進化する」と思い込む。
 そういう発想のせいで、
 「英語で授業をすれば、その環境に適して、英語力が発達する」
 と思い込むのだ。
 しかし現実には、こうなる。
 「新たな環境に適するだけの能力(基礎力)もないまま、やみくもに新たな環境に放り出されれば、そこで滅亡する」
 これが事実だ。しかし、この事実を理解できる人々は、多くない。それゆえ、「幼稚園児を太平洋に放り出す」というような方針が取られるのである。



 [ 付記1 ]
 「神が生物を創造した」
 という説は、創造説と呼ばれて、進化論学者たちから批判された。
 しかし、進化論学者たちもまた、創造説の信者に似ている。彼らはこう信じているからだ。
 「生物は、新たな環境に置かれれば、その環境に最適化されるように進化する」
 これは、「神」のかわりに「環境」が進化をもたらす、という説だ。
 しかし、そこには何の科学的な根拠もない。あくまで都合よく、「進化」というものが起こることになっている。
 「生物は環境に応じて進化する。魚が陸に上がれば、魚に足が生える。猿が草原に出れば、猿が直立して、手が自由になり、脳が発達する」

 そのご都合主義(非科学性)は、創造説とどっこいだ。まったく非科学的な「神」を信じる代わりに、まったく非科学的な「環境」というものを信じる。環境が変わったぐらいでは魚に足が生えたりはしない、ということを理解できない。
 多くの人々は、進化論というものを正しく理解できていないのである。

 [ 付記2 ]
 なお、進化論的に正しくは、次のようになる。
 「魚に足が生えた過程は、水辺という境界領域において、ヒレが足のような形にだんだんと変化したからである。その際、ヒレと足の中間のような形態をもつものは、水辺というニッチにおいて例外的に存在しただけだった。広い海や陸上を支配したわけではなかった。あくまで例外的なものだった。しかるにこのような例外的なものが、淘汰されることなく、細々と存在した。それらが長い時間をかけて、まともな足を形成していくようになった」

 ここでは、次のように言える。
 「魚が陸に出たから、魚に足が生えたのではない。魚に足が生えたから、魚が陸に進出するようになったのだ」
 「生物は、新しい環境に適するように進化するのではない。先に進化があった。進化したものだけが、新しい環境に進出することができたのだ」
 「新しい環境に進出するためには、まずはそのための能力を獲得しなくてはならない。それも、従来の環境で」


 これが真実だ。この真実を理解すれば、英語力についても、どうすればいいかはわかるだろう。
 いきなり英語の海に放り出せばいいのではない。まずは、英語の海に放り出されても生き延びられるような基礎力を獲得するべきなのだ。そのことは、従来環境(過渡的なニッチ領域)でなされる必要がある。



 [ 補足1 ]
 まったく別レベルの話をする。英語教育の方法論を離れて、英語力養成という言語論の話をする。
 英語学習をどのように進めればよいかという方法論には様々なものがありますが、外資系企業や海外展開している日本企業の中では、英語学習は絶対的な時間数が極めて重要であるとの考え方が一定のコンセンサスを得ています。
 例えば、出張など仕事で英語が必要となった場合、2000時間を超えると多くの人が自由に会話ができるようになるといわれています。外国に留学したり赴任すれば、丸一日英語になりますから、1日10時間は英語を勉強することになります。200日現地で生活すれば2000時間を達成することが可能となります。1年近く外国にいれば、たいていの人は英語が出来るようになっているという状況を考えると、この2000時間という数字は現実的といってよいでしょう。
 一方、高校卒業までの英語の授業時間数は900時間程度しかありません。学校の授業だけで本格的に英語を上達させるためには、従来の3倍以上の量をこなす必要があるわけです。今回の取り組みでは、内容はともかくとして授業時間数としては200時間程度しか増えません。
( → THE PAGE(ザ・ページ)

 とすれば、中学生に「英語で授業」というのは、まあ、進化の途中の境界領域にいる過程をすっ飛ばすようなものだ。進化(≒ 進歩)するための時間もないまま、さっさと魚を陸に放り出すようなものだ。あとには魚の干物が残るのみ。

 [ 補足2 ]
 「英語で授業」という方針は、根本からして狂っていると考えていい。
 ベネッセの言うように、「ことばを使って考え、判断し、自分の意見や主張を表現していく力」「英語を使いながら、思考・判断・表現力を高めるための言語活動」は、大切だ。ただし、それを養成するための方法は、「英語で授業」ではない。
 では、何か? それは、「英語を教師が発信すること」ではなくて、「英語を生徒が発信すること」だ。つまり、「読む・聞く」のかわりに、「書く・話す」をすることだ。
 この能力。「書く・話す」の能力。英語を発信する能力。……これこそが、英語力上達のコツである。なぜか? それは、「英語脳を形成する」ということだからだ。
 英語力を高めるために最も大切なことは、音声の「聞く・話す」ことではない。「英語脳を形成する」ということだ。そのためには、「書く・話す」ことが大切なのだ。「書く・話す」ことを続ければ、英語脳が形成されるようになる。
 以上が、言語学的にわかる「英語力養成の方法」(というよりは外国語力養成の方法)だ。

 なお、英語の脳については、別項で述べた。そちらを参照。
  → 英語理解と脳



 【 関連項目 】

 すぐ上の「書く・話す」や、「英語理解と脳」に関連する話題で、次の項目もある。
  → 英語: 発音・聴取より 討論力

 ──

 次の項目もある。 ( nando ブログ)
  → 英語の早期教育
  → 紙の辞書の学習効果

  → 頭が良くなる本 
   ( ※ 英語でなく思考力について、書くことの重要性。)
 
 ──

 国レベルでなく会社レベルで英語を標準言語にすると、どうなるか? その例を検証する。
  → 英語の社内公用語化は? (次項)
posted by 管理人 at 20:26 | Comment(2) | 一般(雑学)2 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そんな小手先じゃだめですよ。
次の1)と2)を併用すれば解決ですよ。
1)義務教育も一定の水準に達しないものは卒業させない・・・これはいい!やれやれッ!
2)英語を第二公用語にする・・・そうなればいずれ日本語は消えるでしょう。石原慎太郎先生は泣いて喜ぶ!これはいい!やれやれッ!
Posted by 私はPenです。 at 2013年12月14日 19:49
> そんな小手先じゃだめですよ。

 本項の話題は「英語力をアップさせる方法」ではありません。それについて述べたのは  [ 補足2 ] だけです。

 本項の話題は、「どうしてそういう勘違いが生じたか」という認識ミスです。
 たとえば、「義務教育も一定の水準に達しないものは卒業させない」という発想。そんなことをいくらやっても、劣者を滅ぼすだけであり、優者を誕生させることにはならない……というふうに。

 アホな認識をする人をどんどん淘汰すると、アホな人が利口に進化するわけじゃありません。アホな認識の人はいなくなりますが、それは大虐殺みたいなものです。
Posted by 管理人 at 2013年12月14日 20:00
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