2013年12月03日

◆ 燃料電池車の普及よりも研究開発を

 燃料電池車を普及するためよりは、研究開発のために金をかけるべきだ。 ──

 新技術があると、政府はやたらと普及のために多額補助金をかけようとする。
 その代表例は、太陽光発電だ。年 400億円を越える莫大な補助金が支出される。
 平成23年度の第3次補正予算が成立し、住宅用太陽光発電システムの設置補助金の継続が決まりました。予算計上上、2つの事業(下記、参照)にわかれていますが、一体的に運用されるとのことで、総額約 1,194億円となります。
( → 出典

 およそ2年半の間に、1200億円もの金が支出されるわけだ。超巨額!

 燃料電池車も同様で、水素のガスステーションのために巨額の補助金が支出される。
 エネルギー事業者10社は2015年までに水素ステーションを国内に100カ所整備、さらに2025年には1000カ所程度の設置を掲げています。
 一般的なガソリンスタンド(GS)の整備には約1億円の費用がかかるといわれますが、水素ステーションのコストはGSの5倍程度はかかるとされています。このため経済産業省は
国が半額を補助する事業を今年度から始めました。
( → 出典

 単純に掲載すると、2015年までに 100箇所で、1箇所5億円で、その半額を補助だから、250億円も支出することになる。
 それに加えて、燃料電池車への補助金も出す。当面は少額だろうが、そのうち加速度的に急増するはずだ。ちなみに、電気自動車の場合は、年 300億円以上だ。
 2013年度予算案が臨時閣議で決まった。それによれば電気自動車の補助金である『クリーンエネルギー自動車補助』に 300億円の予算を付けている。昨年度は 292億円だったので削減されるどころか増えた! 前年度からの繰り越しもあるため、予算豊富だと思う。
( → 出典

 電気自動車の場合は、これに加えて、充電ステーションのために 1000億円超の支出がある。
  → 国のH24年度補正予算補助金(1005億円)を用いたEV充電インフラの整備
  → 総額1,005億円の補助金交付を決定しています。
  → 経産省は、今年度の充電器設置補助金1005億円
 電気自動車は、すでにある程度普及しているから、充電ステーションに金をかけるのはわかる。しかし、燃料電池車は、実質的にはまだ1台も走っていない。なのに、早くも 250億円も支出する予定だ。計画ではその十倍の 1000箇所に設置する予定なので、単純計算では 2500億円も投入することになる。(実際にはコストダウンがあるだろうが、補助金が半額だとしても 1250億円になる。)
 これはあまりにも巨額だ。

 ──

 すでに何度も述べたように、燃料電池車はまったく有望でない。仮に普及するとしても、化石燃料以外の水素製造設備ができてからのことだ。つまり、太陽光発電が超安価になってからのことだ。その時期がいつ来るかは、現時点では、まったくわからない。安価な太陽光発電など、海のものとも山のものともわからない。(海の洋上発電か、山の風力発電かも、まったく予想が付かない。ダジャレ。 (^^); )
 こんな状況で、水素ステーションを作っても、肝心の燃料電池車が普及する 20年後には、水素ステーションはとっくに錆びついてしまう。
 とすれば、やたらと先走って普及のための大金をかけても、ゴミを作るために金を無駄遣いするようなものだ。

 ──

 一般に、普及のために金を使っても、たいていは無駄となる。たとえば、日本は昔、DRAM のために巨額の補助金を投入した。
  → 1979年:超エル・エス・アイ技術研究組合
 これによって、DRAM の業界が盛んになったので、これは「成功例」として数えられている。しかし、そのあと現在となっては、日本は DRAM の生産から撤退してしまった。SRAM がいくらか残っている程度だ。
 結局、産業振興のための補助金など、成功したためしがない、と言ってもいいだろう。

 それよりはもっといい方法がある。それは、「研究のために金を使うこと」である。
 技術開発の資金投入は、少額であっても有効である。たとえば、iPS 細胞のための研究開発資金は、10年間 200〜300億円でしかない。( → 日経 ) これは、燃料電池車や電気自動車に比べると、2ケタも少ない金額だ。それでいて、世界最先端の水準を(かろうじて)維持できている。

 ともあれ、これに限らず、研究開発費というのは、かなり小額で済む。せいぜい実験室で実験をするぐらいのことでしかないからだ。失敗も多いとしても、しょせんは小規模だから、たかが知れている。1箇所で 100億円もかけて実験することはない。
 しかるに、燃料電池車や電気自動車は、毎年 300億円以上もの補助金と、燃料ステーションに 1000億円以上もの出費を必要とするのだ。特に、燃料電池車に至っては、その効果がほとんどないというのに。
( ※ 炭酸ガス削減の効果もなく(前出)、排ガス削減の効果もない(前出)。)

 ──

 結論。

 普及のための補助金は、やたらと金食い虫である。しかも、その効果はたいしたことがない。
 それよりはむしろ、研究開発のために金を投じるべきだ。その方が、はるかに小額で済むし、効果も大きい。
 燃料電池車も、当面は研究開発のために金をかけるといい。具体的には、次の分野。
  ・ 白金を使わない燃料電池の技術開発
  ・ 超安価な太陽光発電(水素製造のため)

 この二つが実現しないまま、普及のために大量の補助金を投入しても、金をドブに捨てるようなものだ。
 なぜか? 燃料電池車そのものが超高コストだからだ。超高コストのものを、補助金で普及させるのは、筋が悪い。むしろ、低コストのものを技術開発するべきなのだ。これが物事の本質だ。
posted by 管理人 at 20:14| Comment(6) | エネルギー・環境2 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
管理人さんの意見は明快で理にかなっています。水素燃料電池車のおもらしに関しては、透水性の路面にして、街路樹の根へ給水するようにできれば、公園のような街にしたり、ヒートアイランドを緩和するとしても、水素製造と供給と白金問題は確かに大きなネックですね。

 人類が、あと10万年存続するとして、石油が、あと100年ほどで枯渇すると想像するとき、反応は二分されます。「あと100年持つならば(自分の世代には)問題ない。省エネなど考えなくて良い。どんどん使えばよい」という意見と、「省エネを進め、枯渇する日を先延ばししつつ、代替エネルギーに切り替えていくべき」という意見と。
 時期は不明ですが、石油が1Lあたり500円になる頃、あるいはもっと前に自動車産業は今の姿で存続できる保証はないので、生き残りのための試行錯誤は必要です。延命策のひとつは、マツダのような燃費の良いクリーンディ−ゼルでしょうか。高効率普及型太陽光発電の研究も期待したい。藻を使った石油生産は、海洋国日本には有利な突破口になるかも。演繹型のお受験秀才タイプの研究者たちばかりでなく、帰納型の自然児タイプの研究者たちも投入したいですね。

 大局的に見れば、経済発展は正義だと叫びながら、100億人に近づいた人口が、有限の地球資源を爆食している様は異常で、地球全体がイースター島と二重写しのようです。特に危うい爆走をしているのは中国です。イースター島では、馬鹿らしいことに貴重な資源を浪費し尽くし、最後は大量餓死で終焉。日本は、近い将来やってくる食糧難時代に備える食糧確保の現実的なアイディアや対策をもってないところが心配です。
Posted by 思いやり at 2013年12月03日 20:58
燃料電池車よりも、今年の日本カーオブザイヤー・イノベーション部門を受賞したPHEV方式のパワートレインの方がはるかに有望だと思うね。環境的にもコスト的にも。
Posted by Yuko-Ya at 2013年12月04日 11:15
研究開発に金を落としても土建屋は潤いません。
だから普及を銘打って設備、いや箱物投資します。
景気が良くなるためのケインズ的施策であって、技術開発で先陣を切って独占の旨味を味わおうという、狩猟民族的発想は無理です。
Posted by 京都の人 at 2013年12月04日 18:39
>研究開発に金を落としても土建屋は潤いません。

 土建屋が潤うことに絶対反対ではありません。
無意味なことに国税を浪費させて潤うやり方は情けないですね。当事者も後ろめたいでしょう。
日本の未来に有意味なことをやって潤うのなら結構なことです。
 有意味なことは、知恵と研究が必要です。
例えば、真夏に路面温度が灼熱にならない舗装は有意味です。透水性の歩道は街路樹も人にもやさしい。
都市を美しく機能的にする土木工事も、外断熱建築物も歓迎されるでしょう。
 国家の研究機関と共同研究したり、施設を利用できるようにするバックアップも必要です。
Posted by 思いやり at 2013年12月12日 22:57
予算総額は有限。選挙に寄与するか否かで配分は変わりますね。情けないですが、これが民意です。
明日のため?今食わな明日はない!という意向が強すぎますし、土建からの波及効果は経験則から予測されます。
研究開発はドブに捨てることになりかねないと、事業仕分けの茶番が再現されてうんざりするだけでしょう。
これが我が国の民意です。
Posted by 京都の人 at 2013年12月13日 08:04
>予算総額は有限。選挙に寄与するか否かで配分は変わりますね。情けないですが、これが民意です。

 選挙の投票が民意というのは、どこか詭弁のような論理ですね。
立派な政治をやってくれそうな人は立候補しない。あまり期待できそうにない人が立候補している場合、
当たりくじのないくじを引かされるようなものです。前提が不足なのに、全てを選んだ側の責任にするのは変です。
 政治には、明晰さと倫理性と人生経験をもった市井の人が、ボランティア精神で国家のために人生の一時期を
捧げることができる制度改革が望まれます。国会議員の1/3程度位は、自分の利害打算からではなく国の行く末
を考える立ち位置であれば、例えば、東北復興予算を掠めるような恥ずかしい政治をしなくなりますね。
Posted by 思いやり at 2013年12月13日 21:27
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