前項のコメントが邪魔くさいので、この項目に移転しました。 ──
すみません!
掛け算の順序
とはいったいなんでしょうか?
a×b=b×a と a×b=a×b
の違いのことでしょうか?
Posted by Sparrowhawk at 2013年12月16日 23:05
>では、正しくは?
数式は、思考を抽象化したものであって、思考過程そのものではない。だから、思考過程における言語的な過程は、数式では消えてしまう。……こう理解するのが正しい。
なのに、そこを理解できないで、「数式には言語的な思考過程が残されている」と思うのが、学校教師だ。本当は、その認識自体が、非数学的であるわけだ。(言語 or 日本語でないものに、言語 or 日本語を持ち込むから。)
言いたい事は分かるが、かけ算には右からのかけ算と左からのかけ算がある。
これは「思考を抽象化したもの」として得られる基本的な(数学上の)ちがい。非数学的なちがいではない。
その上で「おそらく思考過程の差異から」日本では
3+3+3+3+3=3×5 (右からのかけ算として)
と「定義した」。欧米では
3+3+3+3+3=5×3 (左からのかけ算として)
と「定義する」のが主流。
ブログ主のお書きになっているように「これはどちらでもよい」(どちらを採用してもよい。ということ)。
ただし、日本式では
3+3+3+3+3=5×3
はまちがい。欧米諸国では
3+3+3+3+3=3×5
はまちがい。となる。
なんでこんな簡単な原理が分からんで、余計な(自分勝手な)理屈をみなさん付けたがるのか?
ここまでは理解してもらわんとはなしはすすまんよ。
その上で教育上の問題(かけ算の順序にこだわってバツをつけることの是非)は別。
かけ算に順序などないと主張しているみなさんが引き合いに出す数学者Kのweb pageのタイトルも
「かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである」
であって
「かけ算の式の順序は数学上どちらでもよい」
ではないからな。もっとも彼の批判はときに「故意に」的を外しているように見えるがな。森毅への批判など。
Posted by 呑み助 at 2013年12月27日 18:11
続き。
>まとめ。
「数式の意味を理解するべきだ」という主張には、「数式の意味は言語で理解される」という発想がひそんでいる。
「数式は言語で表現されるものだ」という思い込みが、このような「意味の理解が大切だ」という主張をもたらす。
その是非はともかく、この「まとめ」はその通り。
もっとも、意味の理解が大切というのはまったく正しいと思うがね。人間は計算機械じゃないんだからさ。
それが行き過ぎた指導となっているかどうかが問題。
それと上に書いたことだが
3+3+3+3+3=3×5 (右からのかけ算として)
とするか
3+3+3+3+3=5×3 (左からのかけ算として)
とするかのちがいは純粋に「数学の問題」で「区別する」というのが現代的理解。
20世紀以後区別する方が正しいという共通認識なんだよな。
それを遠山あたりが噛み砕いて説明してきたのだが、それをよく読みもせずに批判するのは「出直してこい」ってもんだね。
Posted by 呑み助 at 2013年12月27日 18:23
しつこくてすまないが。
====================
もう少しわかりやすく書こう。
50×8 = 400
と書けば正答だが、
8×50 = 400
……ということは、次の二つを区別したい、と意図している。
・ 単価 50円のものが 8冊
・ 単価 8円のものが 50冊
しかしそれは「単価×冊」という日本語の言語構造を前提としている発想なのだ。
実際には、逆順に「冊×単価」であってもいい。この場合には、
・ 単価 50円のものが、 8冊
・ 8冊の、単価 50円のもの
という区別をすることになる。そして、この区別は無意味である。
これがつまり、上記の「不可逆性」ということだ。
====================
ちがうちがう。
・ 単価 50円のものが、 8冊
・ 8冊の、単価 50円のもの
どっちでも足し算で書くと
50+50+50+50+50+50+50+50
これをかけ算でかくときの「定義」(かけ算の定義)が
日本では =50×8
ということ。
=8×50
との区別は「無意味である」では全くなくて、「数学上区別すべきこと」なんであります。(区別しないのは前近代的。)
Posted by 呑み助 at 2013年12月27日 18:35
>呑み助 さん
日本とか外国とかの話ではないでしょう。
m・(n+1)=m・n+m
などは和洋を問わず数学書でよく見かけます。
ちなみに,2つの順序数α,βの積
α・β
は,積集合β×αの順序型とするのが普通かもしれません。
Posted by Sparrowhawk at 2013年12月27日 19:19
>日本とか外国とかの話ではないでしょう。
そんな話はしとらん。
> m・(n+1)=m・n+m
などは和洋を問わず数学書でよく見かけます。
それで?
>ちなみに,2つの順序数α,βの積
α・β
は,積集合β×αの順序型とするのが普通かもしれません。
それとは取り敢えず関係ない話をしとるんだが。。
それでも「α・β 」の順序が大切ですやろ?
そういうことですワ。
Posted by 呑み助 at 2013年12月27日 21:31
補足する。
>ちなみに,2つの順序数α,βの積
α・β
は,積集合β×αの順序型とするのが普通かもしれません。
>それとは取り敢えず関係ない話をしとるんだが。。
どういうことを言いたいかというと
饅頭3個が5皿あるとき、饅頭は
3+3+3+3+3=3×5
単位を付けるなら
3個+3個+3個+3個+3個=3個×5
このときの5は3(3個をあらはす)と対等ではないっちゅうこと。
α・β のαとβ はどちらも順序数で対等な立場。
そーゆーちがいがある。
せやから
3+3+3+3+3=3×5
の3と5は立場がちがうゆえ、ゼッタイ交換できないっちゅうこと。
これが現代的な数学の考へ方。現代的といってもすでに確立された考へ方。
あえていうならブルバキスム。
Posted by 呑み助 at 2013年12月27日 21:39
ここは持論(自説)を展開する場じゃないので、余計なコメントが続くようなら、遡ってすべて削除します。
Posted by 管理人 at 2013年12月27日 21:49
『@sekibunnteisuu さんの報告のまとめ。「長さ16m紐もを使って長方形を囲む。縦の長さを3mとするとき、横の長さは何mになるか」に「16÷2−3=x」と式を書くと「未知数量を既知数量と同等とみて、関係式に表すという考え方ができてない」とみなされるらしい。 #掛算』
とつぶやいとる御仁がいる。不満があるようだが、これは算数の教育上の問題で数学のはなしじゃあない。
ところが続けてこうつぶやく。
『 続き。これと「4人に3個ずつ配る」場面で「4×3」と式を書くと「乗法の意味がわかっていない」とみなされることとの類似性も明らか。「16÷2−3」なんて式が偶然出て来る可能性はほぼ皆無なのでそのように式を書いた子の理解力は相当なものだとみなすのが普通だと思うのだが。』
類似性というのは『教育上の問題点としての類似性』だろう。ほんとに類似性があるのかどうかしらんけどね。(ちっとも明らかじゃあない。)
それをハッキリさせずにあいまいに「類似性も明らか。」と断言しちゃって、饅頭3個が5皿で
3+3+3+3+3=5×3
とするとき、それが数学的にまちがいであるという主張自体がナンセンスであるかのように錯覚させるのは
森毅がかけ算の順序の話題で大学受験での答案の書き方を持ち出したのを「最低だと思います。」と断じるお方のつぶやきとしてアリなんだろうか。
つぶやきだからいいってもんじゃない。
森毅についてはこんなつぶやきも。
『さて、森毅によれば「ヤクソク」だから「1あたり量×幾つ分」の順序を守らなければいけない。で、その次に森毅が持ち出すのが行列の積の非可換性 http://tinyw.in/lKB6 。算数の掛算とは関係ありません。他の発言を無視しても、これだけで論外と言える。』
関係ありませんかね?その根拠は。。。書いてないね。断言してるだけ。
他の発言を無視しても、これだけで(こういうつぶやきをするだけで)論外と言える。
Posted by 呑み助 at 2013年12月27日 21:54
>管理人さん
入れ違いで失礼した。でもなあ。余計なコメントですかね?
2013年11月19日
◆ 掛け算の順序、という教育問題
についてコメントしてるんだけど。。。
上のコメントで一旦やめときますけどね。ではまた。
Posted by 呑み助 at 2013年12月27日 21:59
>呑み助さん
2つの順序数の積 α・β については,一般に交換法則は成り立ちません。つまり「対等」ではない。
2・ω=2+2+…=ω (ω×2 の順序型)
ω・2=ω+ω (2×ω の順序型)
で,
ω+ω≠ω
です。意味の違いを記号列の順序を利用して表していますが,「右から」「左から」
ただ呑み助さんの
>その上で「おそらく思考過程の差異から」日本では
> 3+3+3+3+3=3×5 (右からのかけ算として)
>と「定義した」。欧米では
> 3+3+3+3+3=5×3 (左からのかけ算として)
>と「定義する」のが主流。
などという話をはじめると,「思考過程の差異」「日本式」「欧米諸国」と話がそれてしまうと感じコメントしました。
呑み助さんの
>せやから
>
> 3+3+3+3+3=3×5
>
>の3と5は立場がちがうゆえ、ゼッタイ交換できないっちゅうこと。
は面白いと思いました。それは,
3+3+3+3+3=3×5 は成り立つが,
5+5+5+5+5=5×3 は成り立たない。
ということですね?
Posted by Sparrowhawk at 2013年12月28日 07:55
>管理人さん
「ここは持論(自説)を展開する場じゃないので、」と弁えて以下書くから許してな。
成り行き上持説を「展開こそせんものの」すでに書いたことには触れますけんども、勘弁。
>Sparrowhawkさん
>2つの順序数の積 α・β については,一般に交換法則は成り立ちません。つまり「対等」ではない。
2・ω=2+2+…=ω (ω×2 の順序型)
ω・2=ω+ω (2×ω の順序型)
で,ω+ω≠ωです。意味の違いを記号列の順序を利用して表していますが,「右から」「左から」
なるへそ。一般に「順序数の掛け算は交換不可能」だから「その一部である」「自然数」の掛け算も
2・3 と 3・2
は「定義が異なる」ゆえちがうものと見るべし。という御説ですな。おっしゃることは「小生には」分かりますけど、「非可換な量」まで持ち出すと「交換法則が成立するから同じ」もうちょい分かった連中でも(ホントはなんも分かっとらんけどね)「いまは可換な範囲(交換法則の成り立つ範囲)で話しをしとる」と、肝心な点を見ずして「表面上の反論」を大声で叫び出すからして、なかなか伝わらんでしょう?Sparrowhawkさんのおっしゃりたいことは
「α・β のαとβ はどちらも順序数で対等な立場(拙記)でもα・β の定義は順序に依存する故
2・3 と 3・2
は「定義上」異なるものを表す。その証拠が大きな順序数まで考えるとジッサイ
α・β ≠β・ α
となる。」っちゅうことですやろ?
んでな。小生の論点は(であって、オソラクしてSparrowhawkさんの論点でもあるのは)
2・ω=2+2+…≠ω+ω=ω・2
でタイセツな点は「実際≠となる」ところではなくして「2・ωとω・2の定義が異なる」ってところ。ってことです。
これ。饅頭3個が5皿の場合にスデニして明らかになっとって、Sparrowhawkさんが引用してくださったとおり
>呑み助さんの
>せやから
>
> 3+3+3+3+3=3×5
>
>の3と5は立場がちがうゆえ、ゼッタイ交換できないっちゅうこと。
は面白いと思いました。それは,
3+3+3+3+3=3×5 は成り立つが,
5+5+5+5+5=5×3 は成り立たない。
ということですね?
と言うこと。このときは順序数の積を考えるときとちがって「最初から」3と5の立場が「違っとります」。
分かって下すってうれしいね〜。
で。
>「思考過程の差異」「日本式」「欧米諸国」と話がそれてしまうと感じコメントしました。
リョーカイしました。先のコメントでは失礼仕りました。おっしゃるとおり(おっしゃるとうりもセイカイって叫んどる連中が最近居るようですなあ。笑。)日本と欧米諸国の「定義」のちがいに言及したんは小生はサぁヴィスのつもりでしたが、たしかに分からんちんの連中は話しのスジも「正しく」読めんからね。お互い苦労しますなあ。
Posted by 呑み助 at 2013年12月28日 18:10
>管理人さん
すまん。面白い題材を拾って来たから今回(も)だけ許して下せえ。
ある最近の数学をセンモンとする人のさえずりから。
「交換法則を知っていて、それを理由に掛算の順序は気にしなくてよいと考える」というのは論理的に正しい考え方である。算数教育ワールドでは伝統的にそのような子ども自身による論理的には正しい考え方を「立式」「乗法の意味」「数量関係」などの要注意フレーズを使って否定している。
だとさ。
「交換法則を知っていて、それを理由に掛算の順序は気にしなくてよいと考える」というのは論理的に正しい考え方である。
よく考えてさえずっとるのかね?
「交換法則を知っていて、それを理由に掛算の順序は気にしなくてよいと考える」のは場面による
饅頭3個×5 は 饅頭5個×3
が等しいのは
饅頭3個×5=饅頭(3×5)個=饅頭(5×3)個=饅頭5個×3
とするのが正しい。交換法則はまんなかの=で用いる。饅頭3個が5皿で何個?っちゅうバアイ(ちゃんとした)スーガクシャなら「饅頭3個×5=」から式を書き始める。
饅頭5個×3
を良しとするか田舎は教育上の問題。
Posted by 呑み助 at 2013年12月28日 18:25
>呑み助 さん
ご了解くださりありがとうございます。ところで,
√2×√3 と √3×√2
についてはどうなるでしょう?
Posted by Sparrowhawk at 2013年12月29日 09:40
>Sparrowhawkさん
「それだけ」の比較では等しいとしか言いようがない気がする。
このお尋ねに関連して以下を訂正しておく。
>前回のコメントの訂正(誤字)
饅頭3個×5 と 饅頭5個×3 が等しいのは
饅頭3個×5=饅頭(3×5)個=饅頭(5×3)個=饅頭5個×3
とするのが正しい。
ついでに(管理人さん。今回も大目に見て下さい。)
>ここ1時間にあったあるさえずりより。
こいつ(↓)は「掛け算に順序が定められるのはおかしい」といいたいのか?
「掛け算には交換法則があるから順序は気にしなくてよい」といいたいのか?
「掛け算には交換法則があるから順序を気にするのはおかしい」といいたいのか?
いったい何が言いたいんだ?
(1)実際には数学的法則に合わせて誤解が減るように数学的記号法を利用しなければいけません。たとえば算数で習う掛算は可換なので(交換法則をみたす)ので、実際に4×3のような式を使う場合には交換法則の成立に配慮して誤解を招かないように注意を払う必要がある。続く
(2)続き。たとえばある小銭が幾つか欲しいときに「5×10」と書いた紙を渡しただけでは、5円玉10枚なのか、5枚の10円玉なのか判別不可能になります。日本の算数教育ワールド的には5円玉が10枚以外の意味にはならないようですが、実際の生活では混乱が生じる。続く
(3)続き。掛算は交換法則a×b=b×aを満たしている(しかも子どもにとって九九を暗記するよりも交換法則に気付くことの方が易しい!)ので、a×bのaとbについて非対称なルールを世間一般で普及させようとしても現実問題として不可能なのです。続く
(4)続き。普遍的な法則とは「掛算のa×bという表記法についてaとbについて非対称なルールが使われているならば、"逆順"のルールも使われていること」です。掛算の交換法則という数学的法則の支配力は極めて強い。続く
(5)続き。「最高裁判所は存在しない」のようなもってまわった言い方をせずに、「2×3を2が3つの意味で使う規範を強制しようとしても、2×3を2つの3という意味で使う人が大量発生するのを防げないんだよ」と言った方がわかりやすいでしょうか?続く
(6)続き。数学的記号法の使い方について自由があるせいで掛算の順序へのこだわりを強制する教え方の問題が発生するのではなく、数学的記号法に関する自由と数学的法則の影響を軽視しているから問題が発生しているのです。
(7)一つ前で紹介した大学の授業で出された問題の要約:「2本のようかんを3人で分けると、1人あたりは分数で何本になるか」という質問に「ようかんをそれぞれ3等分して6切れ作って、一人に2切れずつ分ければよいから2/6本です」と答えた子どもの考え方のどこに問題があるか?
(1)について。「実際に4×3のような式を使う場合には交換法則の成立に配慮して誤解を招かないように注意を払う必要がある。」うん?ふつうは逆である。「α∧βのような式を使う場合には交換法則の不成立に注意を払う必要がある。」とする。つまりそれだけ「α∧βのような式を使う場合には交換法則が成り立つもの」という誤解が生じやすい状況にあるということだ。
(2)について。「「5×10」と書いた紙を渡しただけでは、日本の算数教育ワールド的には5円玉が10枚以外の意味にはならないようですが、」言いがかりである。そうではなくて「5円玉10枚を書くときに5(円)×10と書くことになっているというだけ。5×10で5円玉10枚の意味にしかならないワケじゃあない。
(3)について。ポピュリズム?。悪貨が良貨を駆逐するのなら数学の記法もそれに倣えということか。
(4)について。その通り。だけど(だから)「どちらかのルール」を選択せねばならんということ。どっちでもいいというワケじゃあない。
(5)について。あ、そう。でもその大量発生した連中は「分かってない」。適当な得手勝手な解釈でものを扱うから大事故が起こる。
(6)について。「数学的記号法に関する自由と数学的法則の影響を軽視しているから問題が発生しているのです。」そのとおりだね。だから「饅頭3個×5」が正しいとしたら(定義したら)「5×饅頭3個」はその定義ではまちがい。どっちでもいいというのは「数学的記号法に関する自由と数学的法則の影響を軽視している」のだ。
(7)こういうことを持ち出して「6×4」論争も「どこに考え方に問題があるのか」といいたいのだとしたらインチキもいい所だ。これを胡麻化しという。
Posted by 呑み助 at 2013年12月29日 21:23
2013年11月19日
この記事へのコメント
「等しいとしかいいようがない」ではゴマカシに見えてしまいます。
Posted by Sparrowhawk at 2013年12月30日 11:28
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