小泉元首相が原発ゼロ論を論じている。この件は前にも話題になったので、私も前に論じた。
→ 原子力と科学
肝心の話は、そこに詳しく書いてある通りだ。簡単に言えば、
「何万年も先のことを、今現在の人類が心配する必要はない」 ということだ。
比喩的に言うと、それは、次の話に似ている。
「石器時代の原始人が、コンピュータ時代の人間について、『数万年後に、石器の石がなくなったら、彼らは石なしで、どうやって暮らすのだろう?』と心配する」
これと同じぐらい馬鹿げた心配だ。
──
ただ、それとは別の形で、あらためて論じよう。
まず、朝日の社説がある。
「私は、即ゼロがいいと思います」
このところ脱原発発言を繰り返している小泉元首相が、先日の日本記者クラブでの会見で言い切った。長らく政権中枢を担った人物から出てきた明確なメッセージである。
主張はシンプルだ。放射性廃棄物の最終処分場をつくることができない、だから原発は動かせない。この一点に尽きる。
原子力発電を推進する人たちは、小泉氏に様々な角度から反論をぶつけている。
「代替エネルギーの見通しもなく脱原発を言うのは無責任だ」「火力発電に頼ったままでは燃料費がかさみ、電気料金の再値上げが避けられない」
しかし、「これからの日本において、『核のゴミ』の最終処分場のめどをつけられると思うほうが、楽観的で無責任すぎる」という小泉氏の直言に反論するのは難しい。
朝日新聞の先週末の世論調査では、小泉氏の主張を支持する人は 60%に上っている。自民党支持層でも 58%だ。
( → 朝日・社説 2013-11-13 )
「放射性廃棄物の最終処分場をつくることができない、だから原発は動かせない」
まったく、シンプルな主張だ。小学生並みの単細胞とも言える。
では、核のゴミを今すぐ解決できないのは、無責任だろうか? 私が先に述べたように、「未来(遅ければ数万年後)の人類に委ねよ」というように、未来に委ねるのは、無責任だろうか?
仮にそうだとすれば、国債も同様だろう。千兆円の国債という借金がある。この返済は未来の子孫に委ねられている。そいういうふうに「未来に借金をツケ回しする」ということもまた、無責任だということになる。
だから、小泉元首相の主張に従うなら、「千兆円の借金をやめよ」つまり、「千兆円の借金を今すぐ返済せよ」ということになる。
しかし、それは年収 500万円の人に「今すぐ借金 1000兆円返せ」と言うのも同様だ。不可能なことである。不可能なことを無理にやらせようとすれば、単純に破綻が生じるだけだ。
ここで、破綻することで 1000兆円を返せるのならば、まだいい。しかし実際には、破綻すれば、「将来は返済できる」という状況から、「永遠に返済が不可能になる」というふうに転じるだけだ。
( ※ アルゼンチンが破綻した場合には、国債は紙切れとなって、返済はなされないことになった。これが破綻の意味だ。)
──
結局、国債というものは、「今すぐ返済する」という必要がない。どちらかというと、「永遠に借金を続ける」ということが前提となっている。そのことが可能であることを研究するのが、ドーマー条件の経済学だ。別項を参照。
→ nandoブログ「ドーマー」 - Google 検索
ここでわかることは、「借金は、ただちに全額を返済する必要はない。維持可能であればいい」ということだ。
つまり、「維持不可能なほど拡大してはいけない。維持可能な範囲内であれば借金していい」ということだ。
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核のゴミも同様である。「先送りはいけない」ということはない。「先送り」が可能である限りは、先送りしていいのだ。別に今すぐ解決する必要はない。
そして、それを理解できないのは、頭が弱すぎることになる。
「放射性廃棄物の最終処分場をつくることができない、だから原発は動かせない」
というのは、子供の論理にすぎないのだ。
[ 付記 ]
では、どうすればいいか? 構わずに原発を再稼働すればいいか? いや、そんなことは言っていない。
まず、現状は、次の二つの意見が対立している。
・ 原発廃止。原発ゼロ。
・ 原発をさっさと再稼働させよ
私の見解は、そのいずれでもない。こうだ。
「原発に十分な安全対策をせよ。
・ 原発設備では、フェイルセーフ。水棺方式の準備。
・ 組織では、安全確立のための新組織。
この前提の上で、原発の稼働を認めていい」
これらについては、下記の諸項目で、いろいろと論じた。
→ 原発 水棺 - サイト内検索
→ 原発 安全 組織|体制 - サイト内検索
これらの各項を読んでほしい。
また、廃棄物の処理については、冒頭に掲げた項目を参照。
原発のような不完全技術で不健康で経済的にも見合わないものに拘泥することはないでしょう。
米国が日本に強要しているというウワサがあります。民主主義の模範であるべき米国がまさか?
郵政民営化にしても然りで、なにか弱みを握られてるのでしょう。
ただ、原発に関して言うと、軍事攻撃の的になる点は問題ですが。
サウジアメリカの属国は従うしかないし、某国の暴走でマラッカ海峡やら南シナ海か封鎖されると中東産の燃料入手困難になるわけで、リスク管理からも調達すべきと考えます。
同時に、今ある設備の最大限活用とリスクの最小化はきちんとやるべきです。
とんでもないものを持ってしまったのは事実ですが、目を背けて根拠なく夢を語るのではなく、立ち向かう事が必要なんでしょう。
廃絶、持続どちらも最大難関を避けようとする逃げの戦略です。虎穴に、と思いますね。
原発は使用済み核燃料の最終処分場がないだけでなく、
中間貯蔵プールも不足間近。
10万年後の心配ではなく、今すぐの問題。
あなたが現実を知らな過ぎるだけ。
それと原発は事故の危険性や使用済み核燃料の問題だけでなく、
コストも高い。
電気代とは別に税金で膨大な額を補填している。
こういった経済的な観点からも不的確。
それと代替案なら充分ある。
例えば国内の老朽化火力を高効率のガスや石炭のコンバインドサイクル化して行けば、
それだけで二酸化炭素排出も抑制出来るし、
燃料費の削減にもなる。
原発を停止したって、そのコストは消えません。あなたも小泉さんも、そこを理解できていない。停止しようが停止するまいが、核廃棄物は存在するし、過去の原発の費用も消えはしない。原発停止によって浮く費用は、ごく小額の運転費だけです。
> 中間貯蔵プールも不足間近。10万年後の心配ではなく、今すぐの問題。
これもそう。原発停止したって、中間貯蔵プールの必要性が消えるわけじゃない。追加分がいくらか少なめで済む、という程度。
あと、中間貯蔵プールについては、私は別項で呈示しています。それは人形峠。あと、離島。歯舞諸島とか。
しかし原発の記事に目を通し、異論ありと思いました。
管理人さんはフェイルセーフと新管理体制で安全性を担保できるからコストの観点で、再稼働OKと結論づけているように読めます。しかしフェイルセーフなんて実現できないと私は思います。
地震により、地面が割れ、地滑りが起き、津波がきて、電柱は折れ、送電線は切れて、道路は断絶されたとしましょう。追加工事のようなものでそういった状況でも水がたまるような構造に発電設備を改良できないと私は思います。
しかもポンプを使って水棺というが、燃料や電気を失ったら動かないでしょう。わきに置いておくとか他から持ってくるという考え方もあるが、二か所以上で事故がおきたら、まず対応できないでしょう。
全自動でノーメンテならと思うかもしれませんが、全自動装置には電力が必要で、その電力はどこでいつまで発電するのですか。また、地震じゃなくても隕石や北朝鮮からのミサイルがきたらまた想定外とでもいうのでしょうか。
新組織というが、高速道路のトンネル落盤事故は覚えてらっしゃいますか。この国家の仕事や管理の質は極めて低く倫理規範もまた低いと思います。そんな組織が大きな事故を1度もおこさない管理を実施できるとは思えません。
私も発電方式はコストで選択すればいいと思ってます。
しかし原子力発電は1度事故を起こしたら、自然収束するまでの被害がほかの方式よりも大きい特徴があると思いますよ。仮に事故が起きなくても処理費用の為の積立を考えるとトントン、事故後の賠償や再処理開発コスト償却分をコストに入れれば割高なのではないでしょうか?
私は全国的に節電を進めて、LNGでやっていけばいいと思います。関西地方は思いのほか電気を景気良くつかう風潮があるようですし、まだまだ節電シロはあるように思いますよ。
311でラッキーだったのは福島第一しか甚大事故にならなかった点です。福島第二や東海原発も極めて同じ確率で事故になる可能性がありましたが、たまたまラッキーで防げたから、東日本は守れたということを再認識してほしいです。
私は福島県のいわき市に住んでまして、311もいわき市にいました。1号機の爆発騒動から国やメディアの対応・報道の遅さを感じ、妊婦の妻を連れて、早々に逃げることにしました。
道中は地盤が下がり、津波被害にあった建物や乗り捨てられた車を横目に、ガソリンの残量と風向きを気にしながら逃げたのです。関東に入ると、避難民が国道に集まり、渋滞ができて思うように進めない。
あなたも少し想像してみて下さい。私はもう自分の子孫をそんな局面にさらしたくありません。
私は地震の多い日本では原発は即辞めて、燃料棒を1か所に集め、それこそ何十にも安全策を用意して燃料棒を守ることに決めることが、最初に日本が決めるべきことだと思います。
誤解しているようですが、原発を新設することは考慮されていません。既存の原発を利用するかどうかです。この場合、建設費はゼロで、維持費が少しあるだけです。
推定で、原発費稼働は毎年5兆円の損失です。これだけの高額の負担があると、自殺者だけで毎年千人ぐらいになります。
毎年千人の死者増加をもたらしてまで既存原発の稼働に反対するべきでしょうか? クリーンエネルギーは千人の命よりも大切なのでしょうか? 毎年千人で、二十年だと、2万人です。人の命はそれほどにも無視されていいのですか?
アゴラ藤沢氏の記事で似たような話がありましたが、それによると毎年5兆円の負担は、既存の火力を使うと燃料代の比率が高くなるで5兆円増。死者0.1万人増は古い既存の火力を使うので粉じんがとぶから死ぬと。南海トラフがおきたら、みんなで移住。この記事読んでみましたが、はっきり言って支離滅裂で理解不能です。
原発再稼働必要という結論を先に決めて、事実から目を背け、都合の良い情報だけを選んで結論を出す。こういう行為は事故を起こす前の原子力管理団体がやっていたものそのものじゃないですか。普通、事実を調べて、事実から結論を出すのではないですか。
池田信夫も往々にしてそういう傾向があるように思いますが、いい加減にしてほしいものです。
私はクリーンエネルギーという名前の定義がわかりませんが、原発以外の選択肢で、あとは発電コストで選べばいいと思ってます。
私は南海トラフ地震は20年以内に必ず起きると確信しております。南海トラフのハザードマップから被害をうけるであろう原発は、川内3基、伊方3基、浜岡5基です。燃料棒が入っているので今の状態でも、間違いなく1基以上、福島第一と同じ事態になると思います。
内閣府発表の避難者の想定人口を根拠とするなら、950万人です。950万人の命を危険にさらし、住む土地が消失させる可能性があるのです。津波や火事だけなら、収束まで1週間待てば良いし、命さえ守れば建物はまた作ればいいのです。しかし放射能被害は、復旧するまで数十年かかるんです。除染だって完全にできるわけではない。
原発廃止によって、原発誘致地域の労働環境確保を心配する人もいますが、既存の原発を廃炉にしたとしても、廃炉という仕事と新発電所の建設という仕事が与えられるじゃないですか。私は失業による自殺者は出ないと思います。
困るのは国の補助金や利権をあてにしてきた研究機関、電力会社役員、誘致した地域の市長村の役場や組合の人間と彼らから不正にお金を受け取っているメディアだけです。これが0.1万人位でしょうか?
彼らの命ではなく利権を守るためだけに、その数千倍の人間を危険にさらす等、論外ですよ。
私は9500人の命の危険を守る為なら1人の犠牲者がでても構わないという考え方です。
人の命の重さを持ち出してきたことは大変卑怯だと感じますが、今シリアの内戦では、14万人が死んでます。死ぬ可能性がある0.1万人を心配する位なら、すでに14万人死んでいるシリアの内戦を今すぐ止めるために動くべきではないですか?
多くの日本人は綺麗ごとを好んで喋るのですが、実際に他人を助けるかというと助ける人は少ないですよね。
こういうことを書くと管首相のことを思い出します。管は不器用ながら、そういう国民でも自分の政治生命を投げ打って守ろうとしてくれたと思ってます。
南堂さん。あなたも多くの人になにかしら影響を与えるお立場とお見受けします。原発再稼働についてもう一度、事実を調べて、考え直してほしいです。
原発を使い続ければ、使用済み核燃料がさらに増えて、コストもそのぶん増える。
そんな当たり前の事さえ理解できないのか。
>既存の火力を使うと燃料代の比率が高くなるで5兆円増。
これも大ウソ。
火力は年々高効率化されており、同じ発電量を得るのに使う燃料の量が減って来ている。
燃料費が増加しているのはアベノミクスで円安に大きく誘導したからであって、
使う燃料の量はわずかしか増えていない。
よって原発停止ではなく円安が燃料費増加の主因。
小泉元総理が言うように、原発即ゼロこそ正しい。