テレビのニュースを見ていたら、「国が再除染する方針だ」という。なぜか? いったん除染しても、放射線の混じった雨が降るせいで、なかなか放射線濃度が下がらない。どうも、まわりの森林から放射性物質が寄せるらしい。(風に乗ってから雨とともに落ちる、ということらしい。)
そこでネットの記事を探ってみた。
ここで「年間被ばく線量1ミリシーベルト」というのは、日本の平均値と同程度だ。ここまで低くするというのは、現実的にかなり困難なことなのだが、当時の細野環境相がこの数字を出したので、今でのこの数字が残っている。
環境省の井上信治副大臣は26日、東京電力福島第1原発事故の避難区域のうち、除染後も放射線量が下がらない地域について「再除染をしっかりやっていく。(1回目の)除染が一巡した段階でモニタリングをする」と述べ、再除染を実施する意向を示した。
地元市町村からは、除染完了後も国が長期目標として掲げる年間被ばく線量1ミリシーベルトの水準まで下がらない地域があるとして、再除染を求める声が上がっていた。
( → 時事ドットコム 2013/08/26 )
しかし、細野環境省というのは、福島で全ゲノム解析 というようなトンデモ提案をした、放射脳の人間である。私は前に強く批判した。

放射脳
こんなトンデモ人間の決めた数値にいつまでも従うというのは、あまりにも馬鹿げたことだ。
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そもそも年間1ミリシーベルトというのは、何の根拠もない。単に日本の平均値であるにすぎない。
で、その数値は、世界各地と比べると、低めの数値である。世界各地には、もっと多い数値の場所がたくさんある。
→ 世界各地の大地から受ける自然放射線
→ 世界各地の大地から受ける年間自然放射線量
→ 生涯の被曝線量の平均、国ごとの比較
これらの高めの数値の各地でも、人々が平常通りに暮らしている。なのに、それよりもかなり低い年間1ミリシーベルトにこだわるのは、非科学的すぎる。
では、具体的には? 私は前に、次のような値を示した。
・ 乳幼児のような敏感な場合でも、年間 5ミリシーベルト
・ 妊娠年齢を過ぎた大人ならば、 年間 20ミリシーベルト
・ 余命の少ない高齢者ならば、 年間 50ミリシーベルト
だいたい、こんな値でいいだろう。(少しは数字をずらしてもいい。もともとヤマカンみたいな値だ。)
それでもどうしても心配性の人もいるだろうから、「年間 3ミリシーベルト」まで下げてもいい。
で、その数値だとしても、すでに除染は数値をパスしているのだ。冒頭に引用した記事でも述べられているように、今話題になっているのは、年間1ミリシーベルを下回る数値まで除染するか否かだ。「年間 3ミリシーベルト」ならば、ほとんどの地域がパスするだろう。
ただ、それでも、局所的には放射線量の高いスポットも残るはずだ。
《特定避難勧奨地点》たったの 282世帯だけである。これらの人々には、新しい住居を提供すればいい。それだけのことだ。
避難指示区域以外で、年間被曝(ひばく)線量が 20ミリ・シーベルトを超える恐れがある地点。政府が避難を促すため戸別に指定する。行政側が避難指示するのではなく、住民に判断を委ねている。これまでに指定されたのは福島県伊達市、南相馬市、川内村の計 282世帯。
( → 読売新聞 2013年8月25日 )
あるいは、これらの住居は、大人だけが住むことにして、そのまま済んでもらえばいい。どうせ高齢者が多いのだから、いちいち新居に移るよりは、今のままでもいいだろう。20ミリ・シーベルトなら、特に危険というほどでもない。ひるがえって、引っ越しの危険性は、はるかに高い。「老人は引っ越しによって死亡率が急上昇する」という事実があるので、覚えておこう。(ストレス急増が理由。)
実は、仮設住宅などに転居したストレスが理由で、多くの高齢者がすでに死んでいる。この先もどんどん死ぬだろう。
→ 仮設住宅は人を殺す
→ 避難による死者が 1618人
→ 原発事故による死者
こういう「ストレスによる死」に比べれば、「放射線による死」の数など、微々たるものだ。無視できる程度に過ぎない。
──
結論。
無意味な除染はさっさとやめるべきだ。
5ミリシーベルト程度なら、これ以上の除染は必要なく、そのまま居住しても何ら差し支えない。(低レベル放射線の下では、かえって健康になれる可能性も十分にある。[当否は未確定だが、Yes の可能性が高いらしい。])
20ミリシーベルト程度以下なら、高齢者を自宅に戻すべきだ。( ※ 強制的に戻すのではなく、「居住禁止を解除する」という意味。[後日注記])
20ミリシーベルトを越える特定の世帯については、新居を提供すればいい。(これは例外的な措置。対象は限定されている。)
とにかく、無駄な除染のために莫大な金を投入するのは、ただの公共事業の利権であるにすぎない。数千億円(一説では 5000億円)も、無駄な除染に投入するべからず。
しかも、除染をすれば、人命が救われるどころか、人命が失われる。除染をすればするほど、大量の死者が出るのだ。(高齢者が自宅に戻れないことのストレスで。ストレス死はとても多い。)
莫大な金を投入して死者を出す愚策。細野の放射脳が、自民党にまで伝染している。
オマエモナー、というところだが、やっぱり細野の影響か。
無意味な除染は、例えば、A氏の家の放射能を水圧等で隣家へ飛ばす。隣のB氏も同じことをする。地域全体が高濃度汚染
していたら、放射性物質は消せないので、原理的に除染できない。300年待つしかない。除染分の費用を、被災者へあげて、
安全な地域へ移住してもらうしかないのでは。
細胞分裂の止った高齢者は汚染地域へ返せというのは一理ありますが、その人たちの生活を支える施設も必要になるので、
難しそうです。
有意味な除染に限定して、借金で賄っている予算は有効に使うしかないのでは。例えば、高濃度汚染地域ではない学校の
校庭の土を1m掘り返し、上下をひっくり返す。子供たちへのガンマ線は大部分シャットアウトできる。費用効果比は高い。
福島は豊かな農業地域であったし、海の幸にも恵まれていた。本当にもったいないことになってしまった。
電力会社にとって、これからは原発は不良債権でしょう。国家も余力はあまりない。余ほど熟慮して舵取りをしなければ…
「無理やり返せ」という趣旨ではなくて、「どうしても帰りたい」という人に対して、「居住禁止」を解除するだけです。
> その人たちの生活を支える施設
住居のことかな?
「自宅に戻りたい」という高齢者限定です。自宅のない人が戻りたいと思うはずがない。戻りたいのは「住み慣れた家が最高だ。そこで暮らしたい」という人だけです。これが高齢者の気持ちです。
> その人たちの生活を支える施設も必要
商店などの必要性でしたら、通販や宅配で少しは解決できる。解決できなければ、不便さに耐えかねて、自発的に離れる。どちらにしても、個人の自由。「住む権利」を保証するのではなくて、「禁止」を解除するだけです。
日本国民、騙されすぎ。
仕事で放射能の高い地域にライフラインの保守/訪問販売/宅配便/郵便配達/介護などで入ってくれる人がどれほどいるか…
(私自身は年間10mSVぐらいならばかまわないと思っていますが)
水道や下水は特にメンテナンスは必要ない。ライフラインの保守は頻度が少ないから無視していい。
「訪問販売/宅配便/郵便配達/介護など」
それを要求しない人だけが残ればいい。残るかどうかは自由意思です。
私が現地の老人だったら、たぶん残りますね。訪問販売/宅配便/郵便配達は、なくてもいい。必要なときには、東半分まで取りに行く。
介護は? それが必要なときに限って、現地を出ます。介護が必要でなければ、現地でわが家で暮らします。20mSv ぐらい、どうってことないしね。50mSv なら考えるけど。「自分から出る」と言えるのは、200mSv を越えた場合。それ以下の場合には、態度保留。
なお、引っ越しをした場合には、2カ月ぐらいはてんやわんやになるので、その分、寿命が縮むのと同じことです。おまけに、ストレスによる寿命短縮もある。「引っ越しで寿命が1年縮まる」と考えた方がいい。それほどの代償を払ってまで引っ越しをする気にはなれない。
日本民族の存亡に係わる可能性を感じます.
http://blog.goo.ne.jp/delias
何動産も私も,まだ目の黒いうちに日本民族の末路を目の当たりにするような気がします.
これを解決する知恵はないでしょうか.
→ http://b.hatena.ne.jp/entry/kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2309.html
一番安心の根拠になったのが,それだったら核実験を繰り返した60年代にとっくに海は死んでいるという言葉です.でも,それを自分なりに再検討してみる具体的な根拠がありません.ツィッターなので,あれこれ書き込むことができないのでしょうが.
南堂さんも私も,あと20-30年でしょう.生きているうちにこのカレイドスコープが本当かどうか知ることができますね.
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20130827/252670/
には、「残された家の状況はひどく、あと1年もすれば家が持たない。帰ろうという気持ちも薄れていく」という住民の声があります。
また、楢葉町〜福島第一原発の間で除染・復興に関わる作業員らしき男性は「真夏に長袖とマスクの作業だが、現場は水も出ない。」とのことです。
ライフラインは生きていればそれほど維持の手間はかからないのかもしれませんが、破壊されていれば復旧が必要ですし、上下水の処理場なども無人では動かないでしょう。バスだってそうです。
ライフラインの重要性を過小評価していませんか?
「無理やり返せ」という趣旨ではなくて、「どうしても帰りたい」という人に対して、「居住禁止」を解除するだけです。
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あと、水が出ないのは、水道管が破壊されているからじゃなくて、水道局が元栓の元栓を止めているからです。誰もいないところに水道を通しても漏水するだけなので。
人がたくさん戻れば、また元栓を開いて、水道を通すでしょう。
上下水の処理場? それは大丈夫でしょう。隣の町(禁止地域外)では、水道の水が出ているんですから。
事故後、県外に逃げた人もだいぶ帰ってきました。
皆さんが思ってるより、福島は何もありません。
原発事故も放射能も、興味ありません。
ただ、除染で他県の労働者が集まり、街は落ち着かない程、賑わってます。
建設関係を中心に景気はバブル期以上です。
一年ぶりに、ガイガーカウンターで測定したら、除染しなくても線量は、半分以下になってます。
除染なんて、ただの掃除です。
あれに5兆円も税金注ぎ込むのは止めてください。
そろそろ、震災前の少し景気の悪い、静かな田舎町を返してください。
除染は無駄、国民の皆さんはもっと知るべきです。
震災からもう8年がたとうとしています。
あの年に行き着いた自分の考えや思いを代弁してくれている記事をやっと見つけました。
私は被曝当時20歳代半ばで、「放射性物質」と「放射線」と「放射能」の違いすら知りませんでした。
原発をたくさん抱える県に生まれながら、そんなことも知らなかったのかと、自分が恥ずかしくなりました。
テレビの信頼できそうな情報や、原子力関係の相談窓口で得た情報などを、次々と紙にメモして、知識を集めました。
そうしてようやく、この線量ならば過度に怖がる必要はないと自分なりの判断をすることができました。
そのうち、不安をあおるだけの報道を5分見ただけで、それに対する気持ちを家族に聞いてもらいながらも、最低30分は憤りの感情が収まらなくなってしまいました。
エネルギーをとても消耗するため、もともと通っていた精神科で、イライラをコントロールするための追加のお薬を処方してもらいました。
ある日テレビのニュースを見ていると、たしか東京で、
「(子どもたちのために)年間積算量1ミリSVに下げろ!」
という幕を掲げてデモ活動をしている団体がありました。
子を持つ福島県の親たちの団体でした。
私は愕然として、
「原発事故がなくても、日本では普通に生活していても毎年平均1.5ミリSVは内外部被曝しているのに!! なんて無茶なことを言うんだ!」と思いました。ショックでした。
しかも、その親たちの主張は通りました。
記者会見で、大学教授か誰かが、年間積算量基準値をそれまでの20ミリSVから1ミリSVに下げるという発表をした後、涙しているように見えました。
私の判断、考え方が正しいと言うつもりは全くありません。ただの主観で書いています。
実際問題、衝撃的な状況での大規模な環境汚染に見舞われたわけなので、人それぞれ、様々な気持ちになって当然です。
自分と異なる意見に快く賛同できないことがあってもしかたないと、今は思えるようになりました。
震災から数ヶ月がたつころ、私はテレビを見るのをやめ、ラジオや地域情報紙などのどんな情報媒体も受けつけなくなりました。原発云々でもう感情を乱されたくありませんでした。
何年も前に、家の回りの1回目の除染工事が入ったときは、悔しくて泣きました。
現在は、ニュースはアプリの通知で気になった見出しの記事だけ読んでいます。
テレビは、自分が楽しめそうな番組があるときだけ見れるようになりました。
福島の原発や除染の情報に触れても、その時だけ一瞬不快になる程度で済んでいます。
風評被害は根深く続いているような気がします。
私は郡山市在住です。
近所の小規模のスーパーでは、ご飯を使った丼ものやお弁当に必ず、「会津産米」と目立つように表記されています。
震災前はどこの米を使っていたのかも知りませんし、表示自体 偽りか真実かどうかもわかりません。
意図もわかりません。
ただ、風評被害脱却のために、「会津の米は安全です」と、福島県で声をあげたのが会津でした。
会津地方は原発から一番遠く、事故後の被曝もほとんどありませんでした。郡山市からも山を二つ越えないと行けない所です。
でも、福島県でお米を作っているのは会津だけではありません。
郡山市でも、その他の地域でも、生産されています。そして厳重な検査を通過した作物だけが売られています。
「会津産米」という表記は、
「県内の米を使っていますよ」という意味なのか、
「安心な会津以外の米は使いません」という意味なのか、、、
考えてもわかりません。
そもそもこんなことに気を留めている私がおかしいのかもしれません。
でも、どこのお米かなんて書いていなくても、皆がおいしいと言って笑顔で食べられる日が来ることを願っています。