10万年後の人類は、どうなっているか? 特に、顔はどうなっているか? それを予測した科学者がいる。彼の予測では、こういう顔になるそうだ。

解説記事は、下記にある。(いずれも同内容。原文の要約。)
→ 2万年後、10万年後の人類の顔はこうなる? ― 米科学者が予想
→ これが「10万年後の人類の顔」です
→ 「10万年後の人類の顔」を予測(画像)
ただ、画像を見ればわかるように、まるでアニメ顔だ。いかにも冗談っぽいので、ネタ記事ではないか、という疑いが立つ。
ただ、上の三つのうち、一番目は簡単な抄訳だし、二番目は面白サイト(ネタサイト)の記事だ。一方、三番目は、ハフィントンポストの記事だ。ここでは、まともな記事の扱いである。だから、これを読んで、まともな科学的な話だと思う人も多いだろう。
しかし、原文を見よう。
→ What Will Humans Look Like in 100,000 Years?
ここでは最後のあたりで、次のようにある。
This human face will be heavily biased towards features that humans find fundamentally appealing: strong, regal lines, straight nose, intense eyes, and placement of facial features that adhere to the golden ratio and left/right perfect symmetry. Functional bias will be incorporated into the vanity driven constraints above. Eyes would seem unnervingly large to us and have “eye shine” from the tapetum lucidum.結局、何らかの科学的な根拠があって想像しているのではなく、きっとこんなふうになるだろう( will be heavily biased towards )というふうに勝手に想像しているだけだ。そこには生物学的な根拠はゼロである。
そのことは著者の略歴を見てもわかる。
... is fascinated with trends in the technology and business world, often illustrating these interests in illustrations.ただの IT好き・イラスト好きのオタクにすぎない。こういうふうに生物学に無知な人間が、勝手に面白おかしく想像して、「体の一部を機械に置き換えたサイボーグみたいになるだろう」なんて想像したあげく、「遺伝子工学で肉体をも改造して、セックスアピールのする容貌になるだろう」なんて考えるわけだ。オタク意識丸出し。アホ丸出し。
こういうのは、ネタ記事の扱いだから、ケラケラと面白がって読んでいるうちは、まだいい。だが、ハフィントンポストみたいなまともな情報を扱うサイトが、真面目な顔をしてこういうネタ記事を真実のごとく報道するのは、困ったことだ。しかも、「これは間違っている」という指摘コメントを、掲載拒否する。この件は、下記でも論じた。
→ ハフィントンポストはなぜ失敗したか?
上記項目では、「どこがおかしいか」という話を、あとで説明すると述べた。その説明を、本項で書くことにしよう。
以下は生物学的な話となる。
画像を再掲しよう。

まったく、アニメ顔である。人間がこんなアニメ顔なる、なんて話は、ただのネタに決まっているのだが、きちんと論証していなかったので、以下で論証する。
まず、元の文章を引用しよう。(出典はすべて、ハフィントンポスト)
クワン博士は、10万年後までには人類は地球外にも移住するようになると仮定した上で、人類は、「地球よりも太陽から離れた居住地での薄暗い環境に適応して」、現在よりも大きな眼球を持つようになると予測する。これについて、次の諸点を指摘する。
(1) 火星人
仮に上記の説が正しいとしても、それが成立するのは、火星に居住した人類(火星人)だけである。(アメリカ人とか欧州人とかいう意味で、火星人という言葉を使う。タコ足みたいな宇宙人のことではない。)
というわけで、火星人以外の地球人には、そのことは成立しない。
(2) 火星の照度
火星が暗いというが、たいして暗くない。照度はあまりに小さな差でしかない。
火星での日射照度は、私たち地球の約半分ぐらいというデータがある。このことからして、北欧並みかな。あるいは、温帯の夕方並み。決して、夜間並みではない。そのくらいだったら、別に眼球の大きさを変化させる意義はない。
( → livedoor ニュース )
(3) 夜行性の動物
仮に(夜間でなく)夕方ぐらいの照度で、目が巨大化する必要があるとしたら、夜行性の動物はすべて、目が巨大化しているはずだ。
ところが実際は、違う。たいていの哺乳類は夜行性だが、目が大きくなったりはしない。また、夜行性のフクロウだって、さして目玉は大きくない。
→ フクロウの画像
これを見てもわかるように、フクロウの目玉は、上記画像(10万年後の人類)よりも、目玉自体は小さい。
(4) F値
そもそも、「明るさ」と「眼球の大きさ」とは、関係ない。「眼球が大きいほど明るい」と思うのは、素人の勘違いだ。カメラのレンズの知識があればわかるが、「明るさ」は、次の値によって与えられる。
F値 = 焦点距離 ÷ 口径
したがって、「口径」(瞳の大きさ)を大きくする、ということならば意味があるが、「眼球を大きくする」ということは意味がない。
(5) F値 のデメリット
では、F値 を小さくすればいいか? すなわち、瞳を大きくすればいいか?
いや、そのことには別のデメリットがある、とわかっている。(レン図の知識があればわかるはず。)
つまり、F値 を小さくすると、像がぼやける(画像の焦点範囲が浅くなる)のである。それほどのデメリットを得てまで、夕方のときの瞳を大きくするはずがない。
というか、そもそも、夕方のときには瞳孔はあまり拡大していない。瞳孔が大きく拡大するのは、夜間のみである。したがって、どれほど瞳が拡大するとしても、それは火星の夕方の活動にとって、何の効果もないのだ。
( ※ 比喩的に言うと、最高速度が 60キロに制限されている道路では、最高速度が 150キロだろうと 300キロだろうと、実際に走る速度は変わらない、ということ。同様に、瞳孔がどれほど大きくなる能力があるとしても、夕方ぐらいの照度では、瞳孔はあまり開かない、ということ。)
(6) 巨大化のデメリット
眼球があまり巨大になりすぎると、それを眼窩(という穴)にうまく収めることができにくくなる。そもそも眼球は、頭蓋にパチンと嵌まっているわけではない。穴に差し入れているだけだ。だから、下手をすると、眼球が飛び出してしまう。特に、大きな衝撃を与えると、その危険が高い。
そういう致命的な危険があるのに、眼球を巨大化する(重くする)なんて、およそありえないことだ。
(7) 網膜の感度
どうせ明るくしたいのであれば、眼球を大きくするより、もっとまともな方法がある。それは「網膜の感度を上げること」である。写真で言えば、フィルムの ISO 感度を上げることだ。
生物学的に言えば、錐体細胞のかわりに、桿体細胞を増やすことだ。
ただ、このことには、デメリットもある。「感度が上がるかわりに、色彩や細かさが低下してしまう」ということだ。そういうデメリットがあるがゆえに、たいていの生物では、やたらと感度を上げようとはしない。現状程度が妥協点だ。
惑星の照度が現在の半分ぐらいになったとしても、錐体細胞と桿体細胞の比率がいくらか変化するという程度のことであり、眼球が巨大化するというような極端なことが起こるとは思えない。
──
記事には次の記述もある。
頭部は、進化によって容積が増えた脳を納められるように大きくなっている。こういうことは、いかにもありえそうだが、現実にはありえない。
なぜか? 人類の化石は、20万年前のものが見つかっているが、その当時から比べても、これまでほとんど脳の容積は増えていない。ホモ・サピエンスは、20万年前から単一種なのであって、その間に脳の容量の増加などは起こっていないのだ。いくらかあるとしても、1500cc に対して 10cc ぐらいのものであり、それはほとんど無視していいレベルだ。(個体差の範囲に含まれてしまう。)
もちろん、現生人類に対して額が著しく大きくなる、というような進化はありえない。それは、人類が別種のものになるような進化だが、そういう進化は、たったの 10万年ぐらいでは起こらないものだ。
どうも、著者は、進化というものを根本的に勘違いしているようだ。進化というものは、「望ましい方向にどんどん発達していく」というようなものではない。
正しくは、こうだ。
「一つの種においては、進化というものは、ほとんど起こらない。瞼の形とか、肌の色とか、髪の色とか、そういうどうでもいい小さな点については、しばしば変化が起こるが、基本的な構造については、変化は原則として起こらない。もし起これば、たいていは致命的な形質変化となって、流産するだけだ」
人類に進化が起こるとしても、それは小さな形質の変化(小進化)だけである。髪の色とか、瞼の形ならば、変化することもあるだろう。しかし、脳の容量が巨大化するというようなことは、とうていありえない。まして、「眼球が巨大化する」という、「生物学的に無理な構造」へ向かって進化するはずがない。
結局、著者が唱えたのは、「ITオタクが妄想した、アニメふうの顔への進化」であるにすぎない。それはただのネタ記事である。生物学的な根拠は皆無。というか、生物学的な根拠にはまったく反する。
こんなネタ記事をまともな記事のように扱うハフィントンポストは、まともなジャーナリズムではない。虚構新聞のようなものだ。
いや、虚構新聞には、「これは虚構です」という隠し文字がひそんでいるし、サイトのタイトル画像にも「虚構新聞」と書いてあるからいいが、ハフィントンポストは、まともなジャーナリズムのフリをしている。それどころか、「これはネタ記事です。内容は間違っています」という指摘コメントを、あえて掲載拒否する。
ハフィントンポストは、まともなジャーナリズムのフリをしているが、デマ(非科学的なネタ記事)を掲載するがゆえに、ほとんど「トンデモ・ジャーナリズム」と言っていいだろう。
[ 余談 ]
漫画では、数十年前の漫画に比べて、最近の漫画はやたらと目玉ばかりが大きい。いわゆる「萌え」の顔だ。それに染まったオタクが、「3次元の人間も2次元の萌えキャラみたいになるといいなあ」と思った妄想が、今回の仮説だろう。
まともに取り上げるのが馬鹿馬鹿しい。ネタサイトが取り上げるのはわかるが、まともなジャーナリズムで取り上げたマスコミはないだろう。ハフィントンポストがいかにいい加減なサイトであるか、よくわかる。
( ※ その責任はすべて、編集長にある。)
[ 蛇足 ]
本サイトは原則として、真実のみを探求する。他人のトンデモ見解を批判することは、しない。
ただし今回は、例外である。ハフィントンポストの記事は、明らかにトンデモ記事なのだが、それを指摘する人は少なく、逆に、面白がりながら信じてしまっている人が多い。その分、指摘の必要性がある。
また、ハフィントンポストというのがデマ・ジャーナリズムであることも、指摘するべきだろう。この件を指摘する人は、私以外にはいないようなので、本項できちんと指摘しておいた。
【 関連項目 】
→ ハフィントンポストはなぜ失敗したか?
>いわゆる「萌え」の顔だ。
手塚治虫・横山光輝・石ノ森章太郎・藤子不二雄両先生ら
「漫画」のジャンルを開拓した巨頭の先生方の代表作は
いずれも今の漫画作品に負けず劣らず巨眼です。目の大き
いデザインになるのは、漫画に不可欠な「誇張(デフォル
メ)」による感情表現に眼の描画が必要不可欠だからで、
眼のデザインが小さめになるのは昭和40年代以降に青年
漫画誌が次々創刊されて、それ(劇画)用のデザインが確
立した後に少年漫画と融合した影響ですね。その後の少女
漫画の手法が少年漫画に取り入れられた流れとか幾つもの
要因がありますから断定はしにくいかと思いますが、これ
は決めつけすぎかと思います(だからこその「余談」なの
でしょうが^^;)
そういえば、70年代の少年マガジンとかでも巻頭(SF)
特集で「未来人は頭が大きく、歯も髪の毛も退化して食事
は丸薬状の栄養食品でまかなう」なんてイラスト付きで描
写されていましたね。当時は不気味でしたが、今思うと
H.G.ウェルズの諸作品とか5〜60年代SF映画の影
響受けまくりなのがバカらしくも微笑ましかったと感じま
す。
>F値 = 口径 ÷ 焦点距離
F値を導く式は
F値 = 焦点距離 ÷ 口径
ではありませんでしょうか?
そうしますと以下のお言葉の
>では、F値 を大きくすればいいか?
>F値 を大きくすると
「大きく」は「小さく」になるのではないでしょうか。
ご指摘に従って書き直しました。