2013年08月09日

◆ twitter のDQN公開・炎上はなぜ?

 twitter で「冷蔵庫に入った」「厨房でいたずらした」などの馬鹿げた行為を公開して炎上する事件が起こっている。では、なぜか? ──

 twitter で「冷蔵庫に入った」「厨房でいたずらした」などの馬鹿げた行為を公開して炎上する事件が起こっている。
  → コンビニのアイスケースに入った従業員
  → 客がコンビニのアイスケースに入った
  → バーガーキングの従業員が床に置いたパンの上に寝そべって
  → 未成年の女子バイトがソーセージをくわえた件4

 これに対して、さまざまな論評が出ている。いくつか示そう。

  →  おバカな従業員は「安さ」の代償
 ここでは、「賃金が安いから馬鹿な従業員しか集まらないんだ」と論じている。しかし、これはピンぼけだろう。「賃金が安い」という理由でこういう事件が起こるのであれば、他の同様の店でも起こっていいはずだが、そういうことはない。

  → 「うちら」の世界 - 24時間残念営業
 ここでは、「低学歴層にはまともな知性がないからだ」というふうに論じている。ここで「低学歴」というのは、正しくは「低知能層」のこと。そう言っては身も蓋もないので、オブラートをかぶせて言っている。

  → 「自分たちの世界だけで完結する」を学歴問題にしないほうがいい
 ここでは、上の「低学歴層」という言葉に反発して、「高学歴の人でも同様のことをやっているぞ」と事実を指摘している。次の二つだ。
  ・ 幼稚、暗愚、無神経…USJ迷惑騒動
  ・ 不倫ツイートの青学
 前者は神戸大で、後者は青学。どっちもかなりの高学歴である。テレビの女子アナを卒業生として輩出していることからも、レベルが高いとわかる。それでいて、上記のようなネット炎上事件を招いている。

  → 内輪の悪ふざけを公開して炎上するのは何も特別なことではない
 ここでは、以上の話のすべてを紹介した上で、同志社大のUSJ事件も紹介している。そして最後に、「こういうのはネット時代にはどうしようもない。また起こるだろう」という趣旨の結論を出している。

 ──

 以上の話はいずれももっともらしいが、どこかしら隔靴掻痒の感がある。「核心を突いた」という感じがしないのである。そこでモヤモヤとしていたところ、次の記事を読んだ。
  → Twitter、攻撃的ツイートの禁止を明文化、「通報ボタン」も追加

 これの発端となったのは、次の事件だ。
  → ツイッター上で脅迫や嫌がらせ、男を逮捕 英国

 これは、自分の馬鹿をさらす事例とはまったく違って、脅迫という明白な犯罪だ。「そんな英国よりは日本はマシだな」とも思ったが、あにはからんや。日本でも殺人予告をした例があった。
  → ツイッターで殺人予告、入試妨害容疑 兵庫の高1逮捕
  → twitterで犯罪予告 名古屋での殺人を示唆
  → Twitterで殺人予告!ディズニーランドで無差別に
 英国の場合ほど本気度は高くなくて、冗談半分のように見えなくもないが、それでも愚かしいことは明白だ。

 では、彼らはなぜこういうことをやらかすのか? それが問題だ。

 ──

 いろいろと考えたすえ、私としては次のように結論した。
 「世の中にいる何人かの人々がIT上で愚かな行為をなす。その理由は、彼らが愚かであるからではなく、また、この世にITがあるからでもない。真の理由は、人々がITを使いこなせていないからである」


 わかりやすく言おう。
 人類はもともとは猿のような生活をしていた。その後、石器を使うようになり、火を使うようになった。また、さまざまな道具を使って、狩りをするようになった。これらの途中で、ときどき火や刃物によってケガをすることもあったが、大事には至らなかった。
 人類はやがてさまざまな文明の利器を使うようになった。たとえば、自動車を発明して使った。これはとても便利だったが、同時に、交通事故による死者を多大に発生させた。
 20世紀の最後のころには、IT機器が普及した。これはそれまでにない多大な影響力を発揮することになった。しかるに、その影響力があまりにも多大であるせいで、人々はそれを十分に使いこなせなくなった。年寄りはもともと使いこなせなかった。低学歴の人々も使いこなせなかった。ところが、高学歴の人々でさえ、うまく使いこなせなかった。彼らは、限られた範囲ではアプリを使うことができたものの、その背後にあるメカニズムまでは理解できなかった。そのせいで、犯罪行為をすれば、あっさりつかまってしまう、ということを理解できなかった。
 かくて、「仲間内の小さなウケ狙い」のつもりでツイッターを使って馬鹿騒ぎをして、そのあげく、世間の大騒ぎを招いてしまう。どこかの他人が似たような騒ぎをすると、「自分もやってしまえばウケ狙いができるな」とは思うが、「その炎上事件がどれほどの社会的影響を招くか」ということを理解できない。

 それはちょうど、次のようなことに似ている。
  ・ 火の使い方を知らない、石器時代の原始人
  ・ 自動車の使い方を知らない、馬車時代の人

 このような人々は、本質的に愚かだというよりは、(当時の)新しい文明に対して無知なのである。そのせいで、火に手を付けて火傷をしたり、自動車の前に飛び出て衝突されたりする。

 文明に対する無知。新時代の技術に対する無知。── これこそが事件の真相だろう。
 とすれば、この事件は、「どうしようもないから次々と再発するだろう」と諦めるよりは、「IT技術についての教育をすることで、事件の再発は予防できる」と考えるべきだ。

 それは、原発事故の予防に似ている。「どうせ原発事故は起こるのさ。避けられないのさ」と諦めるよりは、「原発事故を少しでも減らすように、最大限の努力をするべきだ」と考える方がいい。
 同様に、「ネット炎上事件はIT時代には避けられない」と諦めるよりは、「ネット炎上事件はIT教育によって予防できる」と考えるべきだ。
 したがって、小学・中学・高校・大学の教育段階、および、コンビニや飲食店などの各会社で、きちんとIT教育をするべきなのだ。特に、「 twitter の炎上事件に注意しろ」というふうに。
 そのためには、30分ぐらいの教習を月にいっぺんぐらいやるだけで足りる。

 現状では、学校であれ、企業であれ、「IT機器の操作法」という教育をすることはあるが、「IT機器で炎上しない方法」という教育をすることはない。そのせいで、IT機器の操作法ばかりをやたらと学んだあげく、いつのまにか、自分がIT機器に操作されてしまうのだ。機械を操作しているつもりが、機械に操作されてしまうのだ。(まともな教育を受けていないせいで。)

 これが事件の真相だろう。そして、真相を知ることで、予防法も理解できるわけだ。
  


 [ 付記 ]
 あとで気づいたのだが、本項とよく似た趣旨で書いている人がいた。
  → バカな写真がよく炎上している理由 - ぼくはまちちゃん!

 ここには次の結論がある。
 「すべての学校で教育してあげないとダメだと思う」

 これは、スマホで見たツイッターやフェースブックについてのことだが、IT機器一般について言えるだろう。そのなかでも特に、ツイッターやフェースブックなどが重要だ。

 上記リンクの話は、本項ほどはっきりと論述しているわけではないのだが、話の方向性は本項と同様である。なかなか頭のいい人ですね。感心した。



 【 追記 】
 上記リンク(ぼくはまちちゃん)には、「スマホのインターフェースがグループチャットに似ているのが理由だ」という話もある。

 なかなか面白い指摘だ。だが、よく考えると、これは妥当ではないと思う。インターフェースの類似性に着目したのは興味深いが、本質は別のところにあると思う。こうだ。
 「自分のツイートが世界中の人々に見られている、ということを理解できていない」

 
 ここまで理解すれば、対策もわかる。
 なすべき対策は、次のことではない
 「ツイッターのインターフェースと、グループチャットの板−フェースを、別々にする」

 むしろ、次のことが対策だ。
 「自分のツイートが世界中の人々に見られている、ということを教える」
 そのことは、抽象的に教えても、理解しがたいだろう。だから、かわりに、「自分が他人のツイートを覗ける」ということを教えるといい。そのためには、次のことを実行させるといい。
 「任意の検索語で、世界中のツイートを検索する」

 たとえば、「屁こいた」「うんちもらした」というような語で検索する。あるいはエッチ系の言葉で検索する。すると、恥ずかしいツイートをしている人がいっぱい見つかる。こうして、
 「ツイッターで馬鹿をさらしている人がいっぱいいる」
 という現実を理解する。馬鹿を見て、「あいつ馬鹿だなあ」と笑えば笑うほど、自分が馬鹿なことをしなくなる。(笑いものにされまいと思う。)

 こうして「人のフリ見て わがフリ直せ」というIT教育が成立する。
 
( ※ なお、ツイッター検索するには Tabtter というアプリがお勧めです。ただしパソコン用。スマホは別。)
 
 【 オマケ 】
 底辺層の人は、ITについてはまったく無知だ、という告白が、はてなで大人気。
  → 私のいる世界 - ひきこもり女子いろいろえっち
  → 路上の歌 - ひきこもり女子いろいろえっち
posted by 管理人 at 19:57 | Comment(2) | コンピュータ_03 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最後に 【 追記 】 と  【 オマケ 】 を加筆しました。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2013年08月09日 22:49
言語表現はいわば公共物である。どの個人であれ、個人の発話は、その個人のもとにとどまることはなく他者に共有されてしまう結果になる。口頭の発言であろうが文章であろうが言語表現は他者に共有される運命にある。

自分の放った言葉は自分のものではない、というごく当然の言語の仕組みを実感できない人間は、たとえ法には触れずとも人間社会の中で非常に不自由するだろう。

自分の放った言葉は自分のものではない。しかし果たせるかどうかは別として文責等責任は発生してしまう。

自分の放った言葉は自分のものにはならず他者に共有される運命にあるが、それと同時に責任が発生する。それを理不尽だと思わず当然の理屈だと実感できれば、その個人は他者に危険物を振り向けるような発話はしなくなるだろう。
Posted by まえやま at 2013年08月19日 23:44
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