将棋界には、プロ試験があり、試験に合格したものだけがプロになれる。ただ、それには年齢制限がある。26歳までだ。26歳を超えると、資格を失い、退会させられる。
( ※ プロ試験といっても、ペーパーテストではない。奨励会という下部組織において、リーグ戦で一定の成績を上げることが、プロになる条件だ。)
( ※ 26歳という条件は、成績によっては保留によって延長可能で、最長 29歳まで在籍可能である。)
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このように 26歳(〜29歳)で放り出されると、そのあとは、どうなるか? 運のいい人は「将棋観戦記者」になれるが、そんなのは一部の例外だ。たいていはずっとみじめな人生を送るしかない。たいていは全然無関係の分野でサラリーマンになるが、年を食ってから転職するので、まともに仕事ができないことが多い。「将棋馬鹿」で暮らしていたのに、いきなり世間に出ても、まともな仕事ができないわけだ。(将棋オタクだから当然か。)
この問題は、前項(司法試験の問題)と同様だ。年を食ったあとで放り出されると、その人の人生が無駄になるし、社会的にも才能の浪費となる。
文系では、司法試験をめざす人はエリートぞろいだし、理系でも、プロの棋士をめざす人はエリートぞろいだ。米長邦雄・名人は「上の兄3人は頭が悪いから東大に行ったが、自分は頭がいいからプロ棋士になった」というようなことを言ったことがある。(冗談半分でだが。)
このような有能な人材が社会的に埋もれるのは惜しい。特に、将棋の得意な人は、プログラマになればすばらしい才能を発揮できるはずだから、いっそう惜しい。これらの才能をプログラムの分野で生かしてほしい、と思う。
では、どうすればいいか?
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私の提案は、こうだ。
「プロ棋士になるのに、年齢制限を設ける。その年齢は 20歳」
そもそも、名人や竜王になれるような人材は、20歳までにとっくに頭角を現している。プロ試験があるとしても、有能な人材は 18歳までに合格しているはずだ。羽生・渡辺・谷川クラスなら、(新制度において)15歳ぐらいで合格できるだろう。で、残りの人は、20歳までに合格すればいい。(毎年2名程度。)
で、それ以外の人は? 20歳までに合格できなければ、その時点で、放り出される。この場合、20歳だから、まだまだつぶしが利く。プログラムの専門学校にでも入って、2年間勉強したあとで、22歳で「天才的プログラマー」としてデビューすればいい。たぶん買い手はたくさんいるだろうから、好きなところに就職すればいい。
こうして、社会的な人材の浪費がなくなる。と同時に、本人の人生も豊かになる。
現状では、「将棋しかできない」という人材が、26歳ぐらいで放り出されて、無駄な生き方をしていることが多い。まったく悲惨だ。
( ※ 「悲惨だ」という話は、週刊漫画誌の「イブニング」の最新号の「K2」という漫画に記してある。)
[ 付記 ]
「それでもどうしても将棋を続けたい」
という熱意のある人は、どうすればいいか? アマとして将棋をやればいい。アマの強豪は、全国大会で勝ち抜いて、あとでプロと対戦することもできる。それで十分だ。
ちなみに、アマで特別強いと、プロ編入試験を経て、プロになることができる。数年前、その実例があった。( → Wikipedia )
彼はその後、どうなったかというと、つぶれたわけではなくて、3年半かけて、ようやく C級2組という最低のクラスに入れた。39歳にしてようやく、「非常勤社員から正社員になれた」という状況。現在は5段で、「係長よりひとつ下の主任」という感じ。
年齢からしてすでにピークは過ぎている。「とりあえずは正社員になれたのが人生の喜び」という感じ。
これだけの頭脳のある人間なら、プログラムの分野を進めば、相当の業績を上げたはずだが、「鶏口となるよりも牛後となる」道を選んだため、最低レベルのプロ棋士としての人生しか遅れなかった。唯一の花は、新聞で話題になったことぐらいか。
諺は大事ですね。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」
天才プログラマーといえる、ドナルド・クヌース、スティーブン・ウルフラムなどは、数学や物理学の達人であったように、表現したいものに関する卓越した知識と感覚が必要なので、プログラムのルールだけでは通用しないかもしれませんね。定型プログラムを覚えて、組み合わせれば片付く仕事ならやれるとは思いますが。
駄目です。シェフは別だが、他の三つは、非常に高い人間力(交際力・会話力)を必要とします。その力がないと、とんでもない結果に導かれます。
シェフだけは、会話なしに自己流を押し通せますが、将棋の棋士には今さら料理は無理。
本項では舌足らずだったので、あとで加筆しようと思っていたことがあります。次のこと。
「棋士の能力がプログラマーと共通するというのは、両方とも頭のなかで記号操作をする能力だから」
棋士ならば、将棋の駒。プログラマならば、コマンド(の記号)。これらを頭のなかで多様に組み合わせる、というのが、共通しています。仕事が共通しているというよりは、脳の使う部分が共通しています。まったく同じということはないが、きわめて近いものとなっています。学問で言えば、数学が近いが、物理はいくらか遠くて、化学はかなり遠くて、生物は大幅に遠い。文系はもはやまったく異次元。人間関係もまったく異次元。
将棋の能力は、探索の能力ではありません。探索するのは詰め将棋のときだけです。(それはコンピュータが得意。)
数学でも、数学の下手な人は、やたらと計算力で探索みたいなことをしますが、数学の得意な人は、探索せずに、一挙に最短距離を進みます。それがヒラメキです。棋士にはこのヒラメキの力が備わっている。それがある人が強い。
将棋は数学に似ていますね。
プログラムもそうです。下手な人は力ずくで大量のプログラムを書く。センスのある人は短い単純なプロセスでプログラムを書く。逆に、バグを見つけるのもうまい。センスのある人は、簡単にバグを見つける。いちいち全体の探索なんかしない。
p.s.
上の質問は、とてもいい質問でした。私が考えて、まとまりが付かないでいたことを、うまくまとめるきっかけになりました。思っていた以上に、実りある返事を書けた。
良い質問に感謝します。
PCの性能がさらに飛躍し、将棋ソフトもさらに進化・普及したとき(プロ棋士が勝てなくなる)、プロ棋士の存在理由はどうなるのか? 経営戦略や薬品開発もコンピュータの方が上手になっていったとき(「プラズマTVに未来はないので、傷の浅いうちに撤退すべし」など)、経営陣や製薬会社の研究所に属している人間の存在理由はどうなるのか? 22世紀の人間は、人間の能力を超えた存在が知らないところで重要な仕事を代替していく、やりにくい社会をいきなければならないかもですね。
案外、靴職人やシェフのような手に職のある職業人の存在理由の方が劣化しないのかもしれませんね。
暑い厨房で絶えず動き続け、十数時間も立ちっぱなし・・・
マラソンランナー並みの体力・根性(古い言い方ですが)が必要ですし、
周りとの連携(セクションごとの)も大事で、コミュニケーション能力が高くないと仕事が回りません。
人の入れ替わりが非常に高い職場なんで、臨機応変に環境に馴染める才能もないと厳しい世界です。
但し、一人でやる小規模レストランのシェフなら可能かもしれません。
今のプロ棋士の方々は相当な営業力(&活動)を要求されている
みたいですよ。対局料で食べていけるのはほんのひとにぎりの
上位クラスだけですから、中堅以下の方々は別の収入源を必要と
するでしょうし、そうなると実際に将棋を指す稽古や顧問(料)
は自身の営業活動でコネクションを確立しなければ場所すら確
保できません。実際有名大学の将棋部なんかですと(無料か、
カスカスの顧問料で)中堅の棋士の方が女流棋士を引き連れて
指導に来ていたりしますから(古い例ですと、某R大学のS棋
士とか)。ネット対局の影響下かは何とも言えませんが、将棋
会所はどんどん潰れて将棋大会も減る一方、解散する連盟支部
etc.でマスコミで騒がれるレベル以外では地味な営業活動で
固定の得意先を開拓する必要があるのはほぼ必須になっている
のではないですかね。
管理人様が言下に仰っているように、人材と才能の適正な再配
置がなされれば(将棋大会で数分大盤解説をするだけで金一封
包まなければならない時代と違って、)純粋に将棋を楽しみ探
求したいアマチュアにとってはとても良い時代になり得るとも
言えましょうか。