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シロアリについて血縁淘汰説を実証した、という研究報告が出た。
→ オスとメス、どちらが得か? 昆虫社会の損得勘定?シロアリで初めて血縁選択理論の実証に成功 (京都大学)
一部抜粋すると、次の通り。
生物の社会性の進化を説明する中心理論である血縁選択理論を2倍体の生物で検証する方法を確立し、シロアリの社会に血縁選択がはたらいていることを初めて実証することに成功しました。
これまで、血縁選択理論はアリやハチなど半倍数性という特殊な遺伝様式の社会性昆虫では実証研究が進められてきましたが、われわれヒトと同じように両性とも2倍体のシロアリでは検証する方法がありませんでした。
今回の研究成果は、2倍体の生物で血縁選択理論を検証する新たな道を開くとともに、シロアリの社会進化においても血縁選択がはたらいていることを示す決定的な証拠であり、さまざまな生物の社会進化を理解する上で、きわめて重要な意味を持ちます。
血縁選択理論の実証研究は、アリやハチなど半倍数性(メスは2倍体、オスは半数体)の社会性昆虫で多くなされてきました。しかし、同じく高度な社会を発達させたシロアリは、われわれヒトと同じように両性とも2倍体であり、半倍数性の生物と同様の方法で血縁選択理論を検証することは不可能でした。
簡単に言おう。これまでの研究では、ミツバチのような半倍数体についてのみ見てきた。
・ メス(2倍体) [母親]
・ オス(1倍体) [父親]
前者だと、遺伝子が一致する割合は、姉妹で 50%。
後者だと、遺伝子が一致する割合は、姉妹で100%。
両者の遺伝子の平均を見ると、75%。だから姉妹の遺伝子の一致率は 75%である。これは母子の遺伝子の一致する率である 50%よりも高い……というわけ。
この理屈は、アリやハチなど半倍数性では成立する。一方、父親も2倍体である一般の有性生物には適用されない。たとえば、シロアリがそうだ。では、シロアリでは、血縁淘汰説は成立しないか?
そう思った研究者が、今回の研究をした。その結果は?
ヤマトシロアリなどでは、女王が自分の後継者となる女王を単為生殖で生産するという驚くべき繁殖様式の実態が明らかになっています(図4)。創設女王が死亡しても、その分身が次の女王となるため、女王は遺伝的には不死身です。そのため、このような繁殖様式を持つ種では、母?息子の近親交配の方が父?娘の近親交配よりもずっと起きやすい状況にあります。数理モデルから予測される通り、単為生殖による女王継承システムをもつ種では、羽アリの性比がメスに有意に偏っていることが分かりました(図5)。
ここまでは事実の報告である。このあとの解釈が問題だ。
この結果は、シロアリの巣のメンバーが、自分たちの遺伝子の運び手として、より優れた方の性に多く投資することで、包括適応度をより高めていることを示しています。これは、両性とも2倍体の生物でも血縁選択がはたらいていることを示す強い証拠であり、これまでの半倍数性のアリやハチの研究と併せて、昆虫の社会進化における血縁選択の重要性を支持するものです。
何を言っているんですか。呆れ返る。
(1) 優れた性?
「より優れた方の性」というが、そんなものは存在しない。オスとメスはともに必要なのであって、競合関係にはない。
「オスとメスが競合する」というような発想は、進化論や遺伝子学を理解しない、まったくのデタラメ発想だ。どうしてこういう狂気的な素人発想をするのか? まったく呆れ返る。
今回の例では、「メスの方が多い」という観察結果が得られた。それはそれでいい。だが、だからといって「メスの方が優れた性である」というのは、まったくの曲解だ。もしそれが正しければ、「メスだらけ」になってもいいはずだ。しかしそんなことになれば、その種は絶滅する。
要するに、「オスとメスが競合する」というような発想は、まったく成立しない。そのような解釈は、ただのデタラメであるにすぎない。
( ※ そもそもオスとメスは、同じ遺伝子座における対立遺伝子ではない。染色体が異なるのだ。このような基本さえも理解できていないようですね。呆れるしかない。)
(2) 2倍体/単為生殖
事実から結論を得る論理過程(推論過程)が、まったくのデタラメだ。「両性とも2倍体の生物でも血縁選択がはたらいていることを示す強い証拠」というが、これはおかしい。
仮にそんなものが成立しているのだとしたら、人間を含む一般の生物でも同様のことが成立するはずだ。つまり、オスよりもメスの方が多いはずだ。しかし、現実にはそうではない。オスとメスはほぼ同数である。このことは、次のことで説明される。
→ フィッシャーの原理 ( Wikipedia )
要するに、普通の2倍体の生物では、オスとメスには数の差は見られない。ゆえに、今回の観察結果から、「両性とも2倍体の生物でも血縁選択がはたらいている」というような結論は得られない。前記の研究は、論理が飛躍しすぎている。
では、正しくは? こうだ。
「メスが単為生殖をする種では、オスよりもメスの方が多くなる。そのことは、血縁淘汰説で説明されそうだ」
これが論理的な結論である。ひるがえって、次のことは、まったく成立しない。
「2倍体の種でも、血縁淘汰説が成立する」
こんなことは、ただの論理の飛躍であるにすぎない。「一事が万事」というやつだ。2倍体の種のなかで、たった一つの種の現象を見て、「2倍体の種でも一般に成立するのだ」なんて、あまりにもひどい論理の飛躍だ。話はあくまで「メスが単為生殖をする2倍体の種」のことに限られる。
そして、「メスが単為生殖をする2倍体の種」というのは、単為生殖をする種と、たいして差はない。ちょっと風変わりな例が新たに見つかった、というぐらいのことでしかない。(一般の2倍体には成立しない。)
( ※ 簡略化して言えば、「1倍体の単為生殖が2倍の遺伝子で起こった」というぐらいの意味でしかない。ちょっと違うけど、そんな感じで理解する方がいい。)
(3) 近親交配の意義
近親交配についても、まったくデタラメなことを言っている。
このような繁殖様式を持つ種では、母?息子の近親交配の方が父?娘の近親交配よりもずっと起きやすい状況にあります。数理モデルから予測される通り、単為生殖による女王継承システムをもつ種では、羽アリの性比がメスに有意に偏っていることが分かりました(図5)
というふうに語って、「近親交配だと血縁度が高まるので有利だ」というふうに述べている。
しかし、仮に近親交配が有利だとしたら、女王バチだけでなく、一般の働きバチもまた近親交配や単為生殖で生み出せばいいはずだ。しかし現実には、そうしない。なぜか? その理由は、著者の一人が、以前の報告で述べている。
女王は自分の分身を単為生殖で産むことで、遺伝的には不老不死と同じ利益を得ています。単為生殖は自分の遺伝子を次世代に多く残すためには効果的ですが、働き蟻や羽蟻まで単為生殖で生産すると、コロニーの遺伝的多様性が低下して生存率や生産効率が低下する危険があります。女王は後継女王の生産に限定して単為生殖を使っており、コロニー全体の遺伝的多様性は高いままで維持されていることも判明しました。
( → 岡山大学昆虫生態学研究室 )
つまり、近親交配は、有利どころか、不利なのである。「血縁度を高めるため」という目的のためには有利であるように見えるが、「遺伝子の多様性」という目的のためには不利だ。そして、現実には、「遺伝子の多様性」という目的が優先されるので、働き蟻や羽蟻は単為生殖では生み出されない。
なお、下記も参照。
→ 近親婚と有性生殖
→ 近親婚のタブー(自分の遺伝子)
→ 近親婚による絶滅
(4) 血縁淘汰説の真偽
すぐ上のことからわかるように、「血縁度は高いよりも低い方が有利だ」と言える。その方が「遺伝子の多様性」を得られるからだ。実際、血縁度が 100%の無性生殖よりも、血縁度が原則 50%の有性生殖の方が、遺伝子が多様であり、それは有利なことなのである。つまり、「血縁度は高い方が有利だ」という血縁淘汰説は、根源的に間違った理論なのだ。
なのに、血縁淘汰説が正しい理論であるように見えるのは、ハミルトンが血縁度の計算方法を間違えてしまったからだ。そのことは、下記でも示している。
→ 血縁淘汰説の解明?
→ ミツバチの利他的行動 3
つまり、自分の子(50%)と比較するべき対象は、自分の姪(37.5%)であるのに、自分の妹(75%)と比較してしまった。そのせいで、37.5%という正しい数値を取らずに、75%という数値を取ってしまった。
ハミルトンは、こういう計算ミスをした。その計算ミスを理解しないまま、血縁淘汰説(という間違った理論)を頭ごなしに信奉して、間違った理論に合わせて現実を解釈したのが、今回の研究である。
それはいわば、「夜空の星々は回転する」という事実を観察したあとで、「だから天は動くのだ」(天動説)という結論を証明したと思い込む、というのに似ている。
もともと間違っていると判明している説を証明してしまったとしたら、その研究はどこかが間違っているのである。(たとえ観察した事柄が事実だとしても。)
(5) 不妊の意義
血縁淘汰説が間違っていることは、上記の計算ミスでも明らかだが、より単純に証明することもできる。次のことだ。
「働きバチ(働き蟻)は、不妊である。不妊である個体をいくら増やしても、その個体は遺伝子を残さないから、遺伝子を増やす効果はない」
たとえば、ミツバチにおいて、一匹の女王バチが1万匹の働きバチを産んだとしよう。このことで、遺伝子を増やす効果はあるか?
「ある。1万匹も増やしたのだ」というのが、ハミルトンの立場だ。
「いや、ない。1万匹を増やしても、その1万匹は不妊であるから、次世代を1匹も生み出さない。ゆえに、働きバチをどれほど増やしても、遺伝子を増やす効果は皆無だ」というのが、私の立場だ。
どちらが正しいかは、事実を見ればわかる。すなわち、働きバチは不妊であるという事実から、ハミルトンの説は間違いであると、明らかになるのだ。
( ※ 重箱の隅を突つくなら、特別な例外はある。ローヤルゼリーによって働きバチが女王バチになった場合だ。しかしこの場合は、働きバチが女王バチになってしまったのだから、その働きバチはもはや働きバチではない。いちいち考慮する必要はない。)
ハミルトンは、自分の誤りを理解できなかった。働きバチは、自分と同じ世代の妹をたくさん育てるが、次世代を生み出すことはないのだ。次世代を生み出すのは、女王バチである。その次世代は、今のコロニーとは別のコロニーとなるから、働きバチが次世代を育てることはない。その意味で、働きバチは、遺伝子を残すためには、何もしていないのである。強いて言えば、「女王バチに貢献している」ということだけだ。これのみが意味を持つ。
(6) ミツバチの本質は女王バチ
では、どう考えればいいか? 次の項目で述べた。
→ ミツバチの本質は女王バチ
ミツバチの遺伝子を考えるときには、女王バチの遺伝子だけを考えればいい。働きバチの遺伝子は、一切、無視していい。その数が1万であろうと2万であろうと、無視していい。なぜなら、その遺伝子は一代限りのものであるからだ。その遺伝子は、子孫を生み出すことはなく、一代限りで絶えてしまうからだ。大事なのは、女王バチの遺伝子だけなのである。(ミツバチについては。)
では、今回のヤマトシロアリはどうか?
アリ(ハチ)は、親(女王)が自分の子のほとんど全部を不妊の働きアリ(蜂)にすることで真社会性になったのに対して、シロアリは親が子の一部を兵アリとして不妊化することによって真社会性になったと言っていい。
( → Wikipedia )
これを読むと、「不妊である兵アリと、不妊でないアリとがあるようだ。ただ、詳しいことは、ちょっと調べただけではわからない。次のような参考文書が見つかるぐらいだ。
→ 参考文書
シロアリの場合には、「女王バチだけを見ていればいい」と言うほど、単純ではないようだ。
だとしても、「不妊の個体の遺伝子数はいちいち考慮しなくていい」とは言える。その意味で、不妊である娘の数をせっせと数えるような血縁淘汰説を、「正しいもの」と見なす研究は、あまりにも見当違いの方向を進んでいる、と言える。
このようなデタラメな(間違った)研究が、Nature Communications という有名雑誌に掲載されるというのは、まったく嘆かわしいことだ。誰か、是正する人はいないのだろうか?
( ※ 本来なら、他人が指摘する前に、自分で誤りを是正するべきだろう。しかし、無理だ。私が本項で指定したことは、実はずっと前からネット上で公開されていたことだ。ネットで「血縁淘汰説」を検索するだけで、誰でも簡単に理解できることだ。それだけの初歩的なネット・リテラシーを持たないのが、今回の研究者だ。「ググる」という知恵さえもなく、古臭い間違った理論を信奉している、旧態依然の人。……古臭い文献が好きなせいで、「真実などはどうでもいいさ。間違っていようが、目立つ論文が書ければそれでいい」と思っているのだろう。どうしようもないね。)
【 関連サイト 】
→ Nature Communications の原論文 (英語)
【 関連項目 】
→ サイト内検索 (血縁淘汰説)
単為生殖を考えた場合、オスは必要ではありません。
子への投資量に限界があると考えた場合、1匹の出産メスが息子と娘どちらを多く産むかによって、他の出産メスの子供との相互作用の結果、適応度が異なります。
そのため、確かにオスとメスの間では競合はないかもしれませんが、『自分たちの遺伝子の運び手として、より優れた方の性』は存在します。
詳しくはフィッシャーの原理のページでもお読みください。
『2倍体の種のなかで、たった一つの種の現象を見て、「2倍体の種でも一般に成立するのだ」なんて、あまりにもひどい論理の飛躍だ』とありますが、元の記事では『一般に』の文言は含まれていないので管理人さまの誤読だと思われます。
しかしながら、細かいことを言えば今回の報告は2種であり、帰納的考えて一般に成り立つと考えてもさほど無理はないと思います。
『(3) 近親交配の意義』〜『(5) 不妊の意義』について
コロニーの維持個体と生殖に関わる個体を分けて考えることが重要です。
そうでないと、管理人さまのような考えになるのだと思います。
さらに、「なぜ不妊の個体が存在するのか」を説明するのも血縁淘汰の一部です。
そのため、理論を考える上で『「不妊の個体の遺伝子数はいちいち考慮しなくていい」とは』言えず、むしろ必須です。
だから、ここは血縁淘汰説とは関係ない。
一般化の件は、引用文を参照。
「2倍体の生物で検証する方法」
と冒頭で書いてあるでしょ。「単位発生する生物」と書いてない。つまり、特に限定していない。それゆえ、「一般化している」と読める。
> 一般に成り立つと考えてもさほど無理はないと思います。
ほら。あなた自身が、「単位発生する種」に限定していない。
> 「なぜ不妊の個体が存在するのか」を説明するのも血縁淘汰の一部です。
血縁淘汰説では説明できていません。それをきちんと説明しているのは、私の説です。
→ http://openblog.meblog.biz/article/293385.html
→ http://openblog.meblog.biz/article/300805.html
→ http://openblog.meblog.biz/article/17247750.html
> コロニーの維持個体と生殖に関わる個体を分けて考えることが重要です。
そうです。ところが血縁淘汰説ではそこを分けて考えていません。だから駄目。
> 理論を考える上で『「不妊の個体の遺伝子数はいちいち考慮しなくていい」とは』言えず、むしろ必須です。
そこがおかしい。コロニーの維持個体の分は、そのためだけにカウントすればよく、生殖のためにカウントしてはいけないんですよ。そこを混同しているのが血縁淘汰説。
働きバチは、コロニーの維持のためには必要ですが、生殖のためには必要ありません。きちんと区別しましょう。
「コロニーの維持個体と生殖に関わる個体を分けて考えることが重要です」というあなたの指摘は正しいけれど、そのように区別することは、私の説明の示していることであり、血縁淘汰説の説明していることではありません。
血縁淘汰説は、このような区別をしないで説明しています。この点に注意。
( ※ このような区別をすれば、自然淘汰説の「適者生存」だけで説明できます。それが私の説明。一方、このような区別をしないで遺伝子数の増減の割合で説明するのが、血縁淘汰説。きちんと理解しましょう。)
> 理論を考える上で……必須です。
「理論を考える上で」じゃなくて、「適者生存を考える上で」です。最終的に自然淘汰における適者生存を考えるのは、上記リンクで示した通り。このように(ダーウィン流の)自然淘汰で考えるのが正しい。ハミルトンふうに考えるのは正しくない。上記リンクを参照。
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基本的には、「自然淘汰説と血縁淘汰説とは矛盾する」と理解してください。ミツバチの件については、自然淘汰説だけできちんと説明されます。それが私の説明。一方、自然淘汰には矛盾する発想を取っているのが、ハミルトン。そのおかしいところを指摘するのが、私の「血縁淘汰」シリーズ。
シリーズの全体を読んでくださいね。(本項だけでなく。)
※ 基本線を言えば、「遺伝子をたくさん残すのが生き延びる」と考えるのが血縁淘汰説。「絶滅しないのが生き延びる」(適者生存)と考えるのが自然淘汰説。私は後者の立場を取る。それが上記リンクの説明。
この意味で、血縁淘汰説は、それ自身のうちに論理矛盾を含むので、説としては自己崩壊しています。「他の説と比べてどちらが正しいか」を論じるまでもなく、自分自身で自己崩壊しています。