鳴り物入りで始まったハフィントンポストは、どうやら失敗したようだ。記事を紹介しよう。
《 「ハフィントン」オープン1か月 アクセス伸び悩み目立つ 》
米有名ブログサイト「ハフィントン・ポスト」(ハフポ)と朝日新聞社との合弁でスタートした「ザ・ハフィントン・ポスト・ジャパン」開設から1か月経ち、失速ぶりを指摘する声が増えてきた。
サイト開設直後は多くのアクセスを集めた模様だが、5月中旬以降は開設時の半分以下で推移している。
ヤフーのリアルタイム検索でハフポが話題になった回数を調べてみると、5月15日にはサイト立ちあげ関連の話題で300件以上ヒットしたが、5月25日以降は100〜50件。やはり同様の傾向だ。
独自記事ではない外部からの記事の配信が目立つ上に、市況のニュースを大きく取り上げる割には続報が乏しいといった、「ちぐはぐ」ぶりを指摘する声もある。
「ブログ記事」も目玉のひとつに掲げており、安倍晋三首相をはじめとする著名人を含めて70人以上が参加しているが、実際に更新されているブログの記事数は1日に5本程度だ。
( → J-CAST )
《 ハフィントンポストとかほんと何だよ 》では、どうしてこういうひどい状況になったのか? 実際の記事に即して、考察してみよう。
あんだけ偉そうなこと言ってて、あのハフィントンポスト日本版のサイトはなんなんだよ。更新も少なければ記事も「ここでしか読めない」ネタもない、毎日何かあるかと思って訪れちゃった私が馬鹿みたいじゃないですか。
それにしても、ハフィントンポストこのやろう。期待だけさせてクソみたいなサイト作りやがって。これではネットヲッチの素材にすらなりません。
( → やまもといちろうBLOG )
──
(1) 経済
経済の記事として、次の記事がある。
→ 日本企業のグローバル化は待ったなし
→ ユニクロ「世界同一賃金」が示すのは日本型雇用システムの終焉
呆れる。ユニクロの社長と同じことを言っている。「グローバル化時代だから日本人が賃下げになるのは当然だ」というふうに。
しかしこのことが成立しないことは、「為替レート」という概念を理解するだけで簡単にわかる。
仮に著者の見解が正しければ、円のレートが下がり、途上国のレートが上がり、結果的に賃金水準が近づいていく。ところが現実には、そうなっていない。ということは、先進国では先進国なりに、独自の先端技術によって高い価値創造をなしている、ということだ。
こんな経済学のイロハもわからないで、さんざん批判されたユニクロの社長と同じことを主張しているんだから、世間知らずにもほどがある。(周回遅れ。)
どうしてこれほど無能な人間が、デタラメな経済論を書いて、掲載されるのか? そのことが不思議だったが、次のページを見て、わかった。
→ ブロガー一覧 (あいうえお順)
「あいうえお順」をクリックすると一覧が出る。それを見ると、ブロガー一覧が出るが、ひどいものだ。経済学に関する限り、まともな人間は一人もいない。いくらか目立つのは、アゴラや BLOGOS に書いている二流の人間だけだ。そういう無能な人間を、よりによって選択して、あえて書かせている。それも、ユニクロ擁護というような、保守派の理屈を。
どうせなら、保守派であっても、池田信夫でも呼べばいいのだが、そうすることもできずに、無能な保守派ばかりを呼ぶ。これでは結局、次のようになる。
「ハフィントンポストは、アゴラや BLOGOS の劣化版である」
あまりにも馬鹿げている。
では、どうして、こういうことが起こったのか? 朝日やハフィントンポストは、リベラルが基調なのだから、リベラルな論者を選べばいいのだ。なのに、どうして、よりによって、アゴラや BLOGOS という保守派の論客ばかりを選ぶのか? しかも、保守派のなかでも無能な人々ばかりを?
それが疑問だったが、編集長を見ると、わかった。
→ ハフィントン・ポスト 編集長にインタビュー
この編集長の経歴はこうだ。
東京理科大学工学部経営工学卒業後、ライブドアでポータルサイトの統括、コンデナストで日本版「WIRED」のウェブエディター、グリーで「GREE ニュース」等などを担当。一読してわかる通り、根っからのウェブ屋だ。もちろん、政治や社会や経済などの素養は素人同然だ。だから、経済学で何が正しいかも理解できず、単に「アゴラや BLOGOS で活躍している論客を選ぼう」と考えたのだろう。
( → プロフィル )
これを一言でいえば、「編集機能の喪失」だ。
ハフィントンポストは、本来は米国のハフィントンポストの真似をしようとしたはずだ。ところがどういうわけか、そこには朝日新聞社の社員のような、政治や社会や経済の素養を持つ人物がいなかった。編集長に素養がないだけでなく、編集部員にも素養がなかった。新聞や雑誌としての編集機能はなくて、単にウェブ屋の機能だけがあった。そのあげく、先人であるアゴラや BLOGOS の真似をしようとした。結果的に、独自の記事はなく、リベラルな記事もなく、保守派のゴミ記事ばかりになった。つまり、アゴラや BLOGOS の劣化版になった。
ここが最大の「がっかり」の点だ。なぜなら、たいていの人は、次のようなものを期待したはずだからだ。
「アゴラや BLOGOS と違って、リベラルな見解」
「優秀な編集部員によって精選された記事」
現実には、こういうものは現れなかった。その逆に、次のようなものが現れた。
「アゴラや BLOGOS のような保守派の見解」
「無知な編集部員によって拾われたゴミ記事」
その典型が、冒頭のような記事だ。つまり、
「グローバル時代には、日本人の賃金が途上国並みに賃下げされるのは当然だ」
というユニクロの社長みたいな見解だ。経済学に無知なユニクロの社長がこういう見解を唱えるのは、「素人の無知」で笑いものにすれば済むが、ハフィントンポストのようなウェブ媒体が同じような見解を堂々と掲載すれば、ハフィントンポストそのものが馬鹿にされるだけだ。
それが現状である。もちろん、まともな人は、いちいち読んだりはしない。経済に関する限り、ゴミ記事ばかりである、ということは明白だろう。
そして、その理由は、編集部に人材を欠いていることだ。
(2) 政治
ゴミ記事ばかりである証拠として、次の記事も紹介しておこう。これは政治の記事だが。
→ 日本版NIHに期待すること( 2013-06-20 )
まったく内容稀薄なゴミ記事だ。「グローバルな視点をもて」という一言だけを書いている。具体性が何もない。これを読んでも、何をどうすればいいのか、さっぱりわからないだろう。もしかしたら、何か重要なことを示唆しているのかもしれないが、文章を読んだ限りでは、何も伝わってこない。ゴミ記事の典型だ。
どうせなら、同じテーマでも、次のような文章を書くべきだろう。
→ 日本版 NIH とバイオクラスター (★)
読めばわかるように、ここには「何をどうするか」という具体的な提言がある。
こういう具体的な提言があって初めて、まともな論拠をなる。
なのに、ハフィントンポストは、有益なブログ記事を掲載しないで、ゴミ記事ばかりを掲載している。まったくひどいものだ。
( ※ 「日本版 NIH 」について話題にするのだから、「日本版 NIH 」という語で Google 検索すれば、いくつかページがヒットする。上記の(★)もかなり上位にヒットする。報道や解説を除いたオピニオンでは、この記事が最上位だ。だから、Google 検索するだけで、有力なオピニオンが見つかる。それを掲載すればいいのに、そうすることすらできず、よりによってゴミ記事を掲載する。……つまり、ググるという知恵さえないことになる。)
では、どうして、こういうひどいことになったのか? それは、次のシステムによる。
「掲載するブログ記事の筆者を、あらかじめ固定する。すべての優れた論者の記事から精選するのではなく、まず日本人全体の 100万分の1ぐらいに範囲を限定した上で、彼らの記事だけを掲載する」
こういうシステムを取る。これでは、まともな記事を精選できるはずがない。精選する対象が、もともと全体 100万分の1しかないからだ。これでは、まともな記事を選べるはずがない。
かくて、上の二つの記事の例からもわかるように、「駄目な方の記事が掲載されて、まともな方の記事が掲載されない」というふうになる。
記事の掲載システムそのものが、根本的に狂っているわけだ。
(3) 地球環境
では、外部の論者から記事を集めればいいのではないか? そう思うだろう。ところが、それはできないようだ。「原則、拒否」という立場を取っているようだ。そのことは、私が次の記事で確認した。
→ 地球環境の変化(緑地減少)を画像で見る (¶)
この記事は、私はハフィントンポストに「転載してください」というふうに申し出た。ところがハフィントンポストはかなり時間を経てから、「ご遠慮します」という返事を寄越した。ま、そのときは、「興味がないのかな」と私は思った。ところが、それから数日たって、まったく同じテーマで、次の記事(ゴミ記事)が出た。
→ 地球環境「28年の変化」早送りで:Google Earth 動画7選
このゴミ記事を掲載することは、何重もの意味で、問題点がある。
・ Google のページが話題になったのは、日本で 5月10日。
・ 私がハフィントンポストに申し出たのも、5月10日の夜。
・ なのに、掲載日は 5月14日であり、あまりにも遅い。
・ 米国版で 5月09日の記事を、5日遅れで翻訳しただけ。
・ 掲載内容は、他サイトが 5月10日に出したものと同様。
・ その内容は、Google のサイトのパクリ。独自情報はない。
要するに、「無内容のパクリを五日遅れで出した」というだけの記事だ。完全なるゴミである。(五日前の古新聞みたいなもの。いや、五日前の広告みたいなもの。)
どうせなら、Google の公開した情報よりもはるかに豊富な情報を、多数の画像(見て楽しい)といっしょに出したページ( → 上記の ¶)を、5月11日の時点で掲載すれば良かったのだ。そうすれば、「内容豊富な情報を、最速で掲載した」というふうになるだろう。このことが米国のハフィントンポストでも話題になって、「日本のハフィントンポストから米国のハフィントンポストへ翻訳される」という栄誉に浴したかもしれない。
ハフィントンポスト(日本版)は、そうすることができたのだ。なのに、その機会をあえて捨てて、かわりに、ゴミ記事を掲載した。
なぜか? 理由はやはり、(1)(2) だろう。つまり、
・ 編集者にまともな人材がいない
・ ブロガーを先に決めて固定している(外部の著者を拒否)
つまり、自分で自分の手を縛っている状況だ。どんなに優れた記事が寄せられても、自分の立てた原則に縛られて、外部の記事を掲載できない。かわりに、内部で書かれたゴミ記事ばかりを掲載する。自分で自分を慰めて快感に耽っているようなものだ。見苦しい。
(4) 人類の進化
それでも、どんなにゴミ記事だらけであったとしても、嘘を書かなければ、まだマシである。
ところが現実には、嘘を書く。次の記事だ。
→ 「10万年後の人類の顔」を予測(画像)
簡単に言えば、10万年後の人類は、次の特徴を持つと予想されている。
・ 目が極端に大きい。
・ 脳が大幅に拡大する。
書いたのは「計算ゲノミクス」の学者だということだから、勝手にゲノムの進化を想像したのだろう。
しかし、進化論や生物学を理解すれば、このような進化はありえない、とわかる。詳しい説明は別項ですることにして、とりあえず、私は次のコメントを投稿した。
たいていの哺乳類は夜行性だが、目が大きくなったりはしない。網膜レベルで光の感度が高い生物はいるが、目を大きくするという適応はありえない。 / また、瞳が大きくなれば、像がぼやける。 / また、こんなに大きな眼球がうまく頭蓋に収まりにくい。 / また、重量からしても、運動のときの慣性のせいで、眼球が目玉からはみだしてしまいそうだ。それを防ぐには神経などの構造を作り替える必要があるが、無理。 / 以上のすべてにより、こんなに大きな眼球は生物学的に成立しない。ところが、このコメントは、掲載を拒否された。ま、これが掲載されたら、記事の趣旨は全否定されるから、掲載拒否したがる気持ちはわからなくもない。
だが、学術的な内容の記事について、「反論を一切拒否する」というのでは、学術的に公正さを欠いていることになる。
このことから、この記事の趣旨がはっきりとわかる。
「真偽には関係なく、単に面白おかしい記事を掲載して、受けを狙う。そして、論旨の欠点を突かれたら、その批判を徹底的に無視する」
つまり、学術的な正確さなんかはまったく無視して、おもしろおかしい話題でウケだけを狙っているのだ。
この意味では、ハフィントンポストは、虚構新聞やボーガスニュースと同様のものだ、と考えていいだろう。
また、ギガジンやガジェット通信に似ているとも言えるが、これら二つは、「批判コメントは拒否して、肯定コメントだけを掲載する」というような差別行為はしていない。その意味で、これら二つは、ハフィントンポストほど、うさんくさくはない。
とにかく、ハフィントンポストのコメントは、承認制であるがゆえに、編集部の操作が入っており、公正さが望めない。どうせならば、はてなブックマークのページのコメントでも見た方がいいだろう。たとえば、これだ。
→ 上記ページ の はてなブックマーク
ここには、批判的なコメントも掲載されている。それを読めば、ハフィントンポストの記事が胡散臭い、ということはわかる。
一方、ハフィントンポストの記事のコメント欄には、「アニメふうだ」というような、アニメの話題ばかりが掲載されている。ゴミ・コメントばかり。
記事もコメントもゴミばかりとなり、全体がゴミの山となっている。
こうしてハフィントンポストは、どんどんゴミのかたまりとなっていく。誰も近づかなくなるのは、当然のことだろう。
( ※ Gunosy か、はてなブックマークか、Vingow でも見ている方がマシだ。)
[ 付記1 ]
本項では、ハフィントンポストを改善するための提言は、特にしない。
だが、欠点の指摘は具体的にきちんとやったので、それを裏返せば提言になる、とわかるはずだ。
だから、いちいち提言の形では述べない。日本語が読めれば、中学生でもわかるはずだからだ。(文章を裏返すだけでいい。)
[ 付記2 ]
それとは別に、私の当初の期待を述べておこう。それは、こうだった。
「アゴラや BLOGOS のような保守系限定の論壇ではなくて、リベラルを含めた論壇」
アゴラや BLOGOS にあるのは、「グローバル時代には低賃金で労働者を虐待するのが当然だ」とか、「企業の利益を拡大することこそ、日本経済を強化する」とか、古臭い保守派の意見ばかりだった。そこにはマクロ経済学の理論はなく、単に「市場原理で状況は改善する」という素朴な素人じみた発想の見解があるばかりだった。
そこで、まともなマクロ経済学の論拠を出して、安倍内閣や野田内閣の難点を指摘し、さらにユニクロ社長ふうの素人論議も打破する……というようなことを期待したものだった。
しかるに、現実には、先に述べたようになった。(アゴラや BLOGOS の劣化版になった。)……「がっかり」の一言に尽きる。
[ 付記3 ]
ハフィントンポストはせめて、WEBRONZA の論者でも呼べば良かったのにね。現時点では、WEBRONZA の方がはるかに優れている。
( ※ WEBRONZA は、有料なのが痛いので、読む気になれないが。でもまあ、たいした金額ではないので、読みたい人には、有料でも金を払う価値はある。ゴミばかりのハフィントンポスト、アゴラ、BLOGOS に比べれば、WEBRONZA はずっとマシだ。朝日新聞社の社員が編集すれば、ずっとマシになる、という例ですね。)
( ※ ただし、「金を取るせいで失敗する」という商売下手も、朝日らしい。せめて無料記事をたくさん掲載して、読者を集めれば、商業的にも成功しただろうに。evernote や Dropbox だって、無料ユーザーをたくさん集めたから、有料ユーザーが集まる。そのことも理解できないで、有料ユーザーばかりを集めたがるのが、WEBRONZA の商業的失敗の理由。)
( ※ WEBRONZA は、有料記事の前半だけ掲載しているようだが、せめて冒頭に「要旨」を掲載するべきだ。中身もろくにわからなければ、金を払う気になれないでしょうが。「要旨」を見て、「なるほど」と思ったら、詳しい内容を知るために金を払う。……これが正しいあり方だ。今の方式では、単に読者が逃げるだけだ。ホントに商売下手ですね。)
【 関連項目 】
ハフィントンポストについては、前にも少し論じたことがある。
→ ハフィントン・ポストに投稿しても大丈夫か?
ここで述べたように、「ハフィントン・ポストに投稿したときに、自分のサイトが Google から排除されそうだ」という危険がある。
そこで、これを避けるという目的のために、「その記事を別ブログに移転する」という案がある。
私がそう思って、書こうとしたら、すでに別サイトでも紹介されていた。下記。
→ 全文転載メディアに対する対策を考えた。
ここに「ブログを複数持つ」というアイデアが記されている。
【 関連サイト 】
本項と似た話題で、ハフィントンポストを批判しているページが見つかる。
→ ハフィントン・ポスト上陸で明らかになったプロレス団体化、ロックフェス化するネット論壇サイト
→ ハフィントン・ポストはなぜ面白くないのか そこに愛と熱はあるのか?
「がっかりだ」という感想ぐらいしかないが、一番大切なことは指摘されている。それは、「記事のクオリティが低い」ということだ。ま、それだけを書けばいいのに、やたらと字数を費やしているのは、けっこう無駄だが。
(感想ばかりで情報量の少ない批判。提言などは何もない。)
次の記事もある。
→ 日本版ハフポストは失敗なのか?
やや甘い評価だ。コメント欄が荒れないことを、BLOGOS に対する優位点とみている。
しかし、コメント欄が荒れないようにしたいのであれば、アマゾンや YouTube の方式がある。
・ アマゾン …… 評価の高いものが、上位に掲載される。
・ YouTube …… 評価の低いものは、表示されない。
こういうふうにすれば、コメント欄は荒れない。「コメントを編集部が取捨選択する」という Ameba 方式は、手間がやたらとかかる一方で、良質なコメントまで排除することになる。馬鹿げた方式だ、と評価しておこう。
参考記事:
→ 情報の精選と検索技術
【 関連項目 】
「10万年後の人類はどうなっているか?」
という話題については、別項で詳しく論じます。下記。
→ 人類の眼は巨大化するか?
> 編集長は、旧ライブドア社出身で、ブログメディア「ブロゴス」等でメディア経験豊富な松浦茂樹氏が務める。
→ http://j.mp/14NWbAP
確認のため「松浦茂樹 BLOGOS」で検索しても、同様の情報がたくさん見つかる。
──
呆れた。BLOGOS の編集長がハフィントンポストの編集長をやるなんて、これじゃ、二番煎じになるのは、最初からわかっていたことだ。「BLOGOSの劣化版」と述べたが、同じ人間がやるのだから、当然のことだった。
それだけじゃない。BLOGOS というのは、以前、「南堂久史を攻撃する(悪口を言う)」という専用ページを書いたことがある。呆れた。
このページは、ただの悪口だけが書いてあり、批判の論拠は皆無だ。悪口だけの言い放題。デマと推測だけで成立する誹謗中傷ページ。
ま、政治家を攻撃するならまだわかる。ところが、ネット上の一市民を攻撃するページを作るとは。しかも、反論の場を用意しないとは。
BLOGOS というのは、そういう気違いじみたサイトなのだが、その編集長が、ハフィントンポストの編集長だ。これじゃ、私が原稿を送っても、採用するはずがないな。
実は今日、ごくまっとうなコメント(個人的意見というより基本的知識の提供)を、コメント欄に書いて送信したのだが、それも掲載拒否された。そのくせ、どうでもいいような凡庸なコメントは、いっぱい掲載している。
ハフィントンポストはどうやら私を敵視することに決めたらしい。だったら、私も遠慮なく、批判できるというものだ。
それにしても、ハフィントンポストに目の敵にされるとは、私も出世したかな? (^^);
( ※ なお、アゴラからは、とっくに目の敵にされている。アゴラには、一時はたくさんのコメントが掲載されたのだが、池田信夫の論拠不足を指摘するコメントをいくつか書いたら、目の敵にされて、それまでのコメントを一挙に削除された。また、コメント書き込みもできなくなった。……というわけで、ブロゴスとアゴラとハフィントンポストから目の敵にされているのが、私だ。コメントすら掲載禁止だ。)
目の敵にされる、ではなく、無視される、の方が適切ではないでしょうか。
最近ハフィントンポストを使うようになった者です。
使い始めてまだ1週間ぐらいですが、既に疑問がふつふつと芽生えてきてます。(^^);
それも全てここで管理人さんがおっしゃってることと合致しました。
1年前から同じ状況だったんですね…。
私も、1年前の管理人さんと同じく、まともでリベラルなネットニュースサイトを期待して使い始めて失望してます。
ネットの普及で、それまでの主流マスコミはマスゴミと呼ばれたりして批判されてますが、私には、大半の人はゴミ以下の情報に溺れて知性を腐らせて喜んでるだけに見えます。
これは当然でしょう。
先に目指したい目的(アメリカユダヤさまによる洗脳)があるのですから、それに合致した人だけを集めるのは当然のことです。
TVのワイドショーと同じことです。
数記事読んで、継続して読む価値がないとわかります。
河野太郎代議士のブログがのっていますが、毎回国立の研究機関の出納簿のチェック記事。国会議員の仕事は、経理屋か。石破代議士のブログは処方面への挨拶文と墓参りや個人的な予定の記事。
知性の程度がもろにわかります。自民党も長くなさそうだ。浜田名誉教授と黒田日銀総裁だけが頼り。
こういうことがわかる。これが唯一の長所です。
>たいていの哺乳類は夜行性だが、目が大きくなったりはしない。
>網膜レベルで光の感度が高い生物はいるが、目を大きくするという適応はありえない。
>また、瞳が大きくなれば、像がぼやける。
>また、こんなに大きな眼球がうまく頭蓋に収まりにくい。
>また、重量からしても、運動のときの慣性のせいで、眼球が目玉からはみだしてしまいそうだ。
>それを防ぐには神経などの構造を作り替える必要があるが、無理。
>以上のすべてにより、こんなに大きな眼球は生物学的に成立しない。
wikipedia-メガネザルのページに
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AC%E3%83%8D%E3%82%B6%E3%83%AB
以下の記述がありました。
『これほどまでに大きな眼を持つのは、彼らがたいていの夜行性の哺乳類に存在するタペータム(網膜裏側の反射膜)を持たないからである。
これは、彼らがかつて一時期昼行性となったために不要となったタペータムを失い、その後再び夜行性へと戻った際にそれを再生できなかったためと思われる。そのため、眼を大きくすることで夜間の乏しい光を捉え、夜の闇に適応したと考えられている。』
記述とサイトの画像からしまして、「生物」としては、
「目が大きくなったりは」する、
「目を大きくするという適応はありえ」る、
「こんなに大きな眼球は生物学的に成立」する、
可能性はあるのではないでしょうか。
したがって、普通にいう霊長目(普通の真猿類)が進化してメガネザルになったというよりは、哺乳類の初期の段階で、特殊な奇形タイプのものがバリエーションに含まれていた、ということでしょう。
普通にいう哺乳類が進化して目が大きい形になる、ということを否定しているのが、本項の趣旨です。初期に特殊な形態のものがバリエーションに含まれていた、というのは、本項の趣旨の範囲外です。
比喩的に言うと、バージェス動物群というのは初期には広い範囲の生物の一つとして含まれましたが、現在も生きているような動物が進化してバージェス動物群のような形になることはあり得ません。仮にできたとしても、機能的に不利なので、すぐに滅びてしまうからです。
メガネザルも、競合種のいないニッチに生存することはできるでしょうが、既存の種がいるところで、既存の種がメガネザルみたいに進化する(機能的には悪化する)ことはありえません。タペータムのある種が、タペータムのない種に、進化することはあり得ません。
ただ、これは基本原則なので、哺乳類の長い進化の歴史のうちのごく初期に限れば、例外的に成立した、と見なすこともできるでしょう。その意味では、そちらの説も、例外的に成立すると言えなくもない。
だけど、細かすぎる話だし、そんなことはどっちでもいい、というぐらいの小さな話。解釈しだいとか、定義しだい、というような、どうでもいい話。
ま、「哺乳類が進化して、目が大きくなった」のではなく、「進化しなかった原始的な哺乳類の中には、目が大きい奇形種もいた」ということでしょう。認識の仕方が逆になる。