三題噺みたいだが、この三人に、ネット時代の騒動を見る。
(1) 安倍首相
安倍首相は、元官僚を Facebook で批判した。このことで各方面から批判された。
安倍晋三首相がフェイスブック(FB)で田中均元外務審議官を「外交を語る資格はない」と批判したことをめぐって、自民党の小泉進次郎青年局長は18日、「個人の名前を挙げて反論、批判はすべきじゃないと思う。政治家が、いちいち批判に反応していたらきりがない」と指摘した。国会内で記者団の質問に答えた。
小泉氏は「首相は何をやっても批判はある。面白くないな、分かっていないな、と思うことがあっても、政治家の宿命だと思いながら結果を出すことに専念したほうがいい」。首相と同じようにFBに個人アカウントを持って発信することには「読書や勉強の時間を犠牲にしかねないという思いがある」と話した。
( → 毎日新聞 2013年06月18日 )
私が懸念するのは表現の自由についてです。幸い田中氏は発信を続けると言われているようですが、今後、発言が委縮する可能性があります。田中氏以外の人も、最高権力者である総理から名指しで反撃を受ける可能性を考えると、総理に対して批判的なことを言いにくい雰囲気ができてしまいます。最高権力者である総理には、表現の自由を実質的に確保するために、広い度量を持って頂きたいと思います。
( → 細野豪志 Facebook )
安倍氏は「外交官として決定的判断ミス」と指摘し、田中氏に外交を語る資格はない、と決めつけた。だが、この批判は筋違いだ。田中氏は外交官として、政治家が決断するための選択肢を示したのであり、小泉首相が下した最終的な結論にはもちろん従っている。朝日社説が最も核心を突いている。そもそも、田中氏が何か論じたとして、それに対して正面から反論しないで、全然別のこと(昔の過去の問題)をほじくりだして攻撃する。そんなのは、ただの人身攻撃(属人攻撃)にすぎない。論争になっていない。下品の極み。「おまえのかーちゃんデベソ」と言っているのと同じだ。
そもそも、この問題と田中氏が指摘した右傾化問題とどういう関係があるのか。
( → 朝日新聞社説(転載) )
まともに論争もできないで馬鹿をさらすから、小泉に「馬鹿をさらすな」という意味のことを言われる始末だ。恥ずかしい。
一言でいえば、一国の首相が「個人攻撃」「悪口」を語る、という下品さだ。
(2) 乙武
乙武・車イス事件は、さんざん話題になったから、ここでは繰り返さない。
ただ、これも事情は似ている。「身障者の車イスを運ぶべきか?」というような一般論とは無縁な形で、「俺が正しい、あいつが間違っている」という方向に持ち込もうとした。そのとき、特的の相手を攻撃しようという意図があった。それがつまり、「相手の(レストランの)名前を明示する」ということだ。
この際、「相手の(レストランの)名前を明示する」ということをしなければ、話は一般論になるから、世間から批判されることもなかっただろう。しかるに実際には、「相手の(レストランの)名前を明示する」ということをした。── ここでは、世間の人々と議論をしようという態度はなくて、「世間の力を借りて相手を攻撃しよう」という攻撃の意図があった。
これも、安倍首相の「個人攻撃」「悪口」と同様だ。
(3) 川越シェフ
川越シェフも同様だ。「水を 800円」という値付けをしたが、そのこと自体は、店の方針だから、特に非難するには値しない。
ただ、これを強制的に否応なく売りつける、という点では、ちょっと詐欺っぽい。で、その詐欺っぽさを批判した客がいたわけだが、その人について、「年収 300〜400万円だからだろ」というふうに書いた。
年収300万円、400万円の人が高級店に行って批判を書き込むこともあると思うんです。ここでも、相手の個人の属性について批判した。(それも見当違いの当て推量。実は、書いた人は、すごい金持ち。)
でも、そこまでの店にしてきた企業努力や歴史は、あなたにはわからないでしょ? と思うんです。
僕の店も「水だけで800円も取られた」と非難されることがある。でも、当たり前だよ! いい水出してるんだもん。
( → サイゾー )
こういうふうに、肝心の議論そのものでなく、相手の属性を攻撃する、というのが、狂っている。そのせいで、議論そのものが支離滅裂になっている。
・ 格の高い店だから高価である
・ いい水を出しているから高価である
どっちだよ! と問い詰めたくなる。はっきり言えば、水自体は、どうってことのない水だ。ここで「企業努力や歴史」なんて、関係ないでしょう。「いい水出してるんだもん」なんていう嘘は書かない方がいい。
また、そもそも客は、値段については文句を言っていない。その値段を押し売りする(注文もしないのに売りつける)ことに文句を言っている。というわで、川越シェフは、議論に正面から答えず、論点そらしをしていたわけだ。
( ※ 最終的には謝罪して、頭を下げている。この点は、(1)(2) の二人とは違う。)
──
結論。
以上の (1)(2)(3) から、何がわかるか? こうだ。
「議論とは関係のない個人攻撃(悪口)をすれば、自分自身の論拠不足を突かれて、かえって世間の批判を浴びてしまう」
ということだ。
安倍・乙武・川越 の三氏とも、まともに議論をする能力がない。その話題について理屈のレベルで議論することができない。かわりに、相手の個人の属性を攻撃している。ひどいものだ。
しかも、この三氏は、それぞれネット上の媒体で悪口を書いた。
→ 安倍首相の Facebook (転載)
→ 乙武氏の twitter (転載)
→ 川越シェフの ブログ
川越シェフの場合は、自分のブログ上で悪口を書いたわけではないが、「クレーム」と称して、事例を書いた。このクレーム(?)の事例を、サイゾーのインタビューで蒸し返して、悪口を言ってしまった。
これらをどう評価するか? こうだ。
「三人とも、ネット時代のネットの利用法を理解していない」
たとえは悪いが、「気違いに刃物」みたいな状況になっている。これらの人々は、ろくにネットの使い方を知らないのだから、むやみやたらと書かない方がいいのだ。その点では、小泉小泉進次郎の言うように、ネットごっこなんかやらないで、職務に専念する方がいいのだ。
( ※ 似た例に、武雄市の市長がいる。彼もまた、twitter や Facebook の使い方もろくに知らないくせに、知ったかぶりをした結果、ひどい批判を浴びた。上記の三人とよく似ているね。)
──
この件については、次のページが参考になる。
→ TwitterとFacebookってどう違うの?
この最後に、次のような結論がある。
Twitterはろくでもない人生を送るクズが 実生活を隠してはしゃぐ場所、Facebookは人脈しかない人間が 人脈を自慢する場所あはは。ま、そんなものである。
で、読者もそのつもりで見ているんだから、そういうところに「誰かの悪口を書く」なんてことをしたら、飛んで火に入る夏の虫。たちまち炎上するのが当然だ。
ネットというのは、とにかくやたらと炎上を起こしやすいところだが、だからといって、「その炎上で、あいつをやっつけてやろう」なんて思うと、その汚い魂胆を見透かされて、自分自身が炎上してしまうのだ。

──
対策。
では、どうすればいいか? すでに述べたことから簡単にわかるが、対策は、こうだ。
「きちんと議論をする。理屈には理屈で対抗する。相手を個人攻撃しない。特に、悪口を言わない」
こういう上品な態度を取ればいい。悪口を言えば言うほど、下品になり、ネット民から批判される。むしろ、自己を抑制して、きちんと議論をすればいいのだ。
議論といっても、橋下みたいに「はい論破」なんて言って調子に乗っては、駄目だ。きちんと上品な論争の仕方をしなくては。
一言でいえば、「紳士であれ」ということだ。その点、安倍首相も、乙武氏も、川越シェフも、とても紳士とは言えない言動を取った。炎上騒ぎになるのも当然だ、と思える。
[ 付記1 ]
「悪口を言うことが趣味」みたいな人もいる。たとえば、「トンデモだ!」と攻撃するのが生きがいである、トンデモマニア。こういうのは、世間でも馬鹿にされているらしくて、はてなブックマークでもときどき話題になる。(私はそういうのには関わらずに、高みの見物をしているが。)
ま、私も「トンデモマニア」という言葉を使って、ちょっと悪口っぽいことを言うこともあるが、その場合にも、特定個人を名指しして攻撃することはない。
一般に、特定個人ではなくて思想集団を批判する場合には、批判対象はその人々ではなくて、その思想であることになる。
というわけで、とにかく、個人を名指しして悪口を言うことは、やめた方がいい。安倍首相や乙武氏は、そのタブーを犯した。川越シェフは、名指しはしなかったものの、特定の相手を決めつけた上で、「年収がどうのこうの」という下品なことを述べた。カッコ悪い。
[ 付記2 ]
悪口を言うと、その人の弱点やコンプレックスがあぶり出される。
安倍首相のコンプレックスは、官僚トップに向けられる。自分が二世議員で、成蹊大法学部卒で、(理系の)神戸製鋼所社員ぐらいにしかなれなかった。つまり、中央省庁には入れなかった。……こういうことから、頭のいい官僚にコンプレックスを持っている、とわかる。
乙武氏のコンプレックスは、もちろん彼の障害にある。これを覆すための武器として、「名声」というものがあるはずだった。それによって誰もがへいこらするはずだった。ところがこのシェフはちっともへいこらしなかった。そこで乙武氏は、「他人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる店主」というふうに感じてしまった。自分にコンプレックスがあるがゆえに、妙に被害妄想に駆られてしまった。
川越シェフの場合は、文句を受けたとき、「おまえは金がないからわからないんだよ。この貧乏人が」と言わんばかりに馬鹿にした。このことから、彼が金というものにひどくコンプレックスを持っていることがわかる。「金が大事だ、金が大事だ」というふうに、強く意識しているわけだ。金銭コンプレックス。……これはどうも、彼の生い立ちが、ひどく貧しいものであったかららしい。そして、それが、かなりの大金持ちになっても、抜けきれないわけだ。そのせいで、本当の金持ちのような上品さをもてずに、下品な言動を取ってしまうわけだ。
考えてみると、橋下もそうだが、いずれも下品ですねえ。生い立ちがひどいと、こうなってしまうんだろうか。安倍の場合は、逆に、親が(経歴では)立派すぎて、無能な自分が凹んでしまったのかもしれない。
とにかくまあ、上品になりましょう。他人の悪口なんかを言っていると、下品になるばかりです。そう気づきましょう。
どうしても他人の悪口を書きたければ、(匿名で)2ちゃんねるに書けばいい。 twitter や Facebook なんかに書くものじゃない。そういうリテラシーぐらいは、もちましょう。
【 Amazon ベストセラー 】
話者の属性や過去の言動をあげつらうのではなく、争点についての議論をきちんとしよう、というのは納得がいくものです。
ただし、付記2の文章では、三人のコンプレックスをそれぞれ断定し、揶揄していますよね。これは筋が悪いと思います。自らが批判した地平へと下ってはいませんか。せめてユーモアや新たな視点があれば知的だと思えたのですが。残念です。
自分の職場でも、他人の悪口で盛り上げようとする人が少なか
らずいます。特に飲み会で。お酒が入るとひどい有り様。ここ数年、
異動でメンバーが変わり、悪口が増えているため、お酒がうまくない。
なので、最近は、職場の飲み会には出ないようにしています。
>コンプレックスをそれぞれ断定し、揶揄していますよね。これは筋が悪い
というのはその通りだと思いますが、ただ「問題の人物の属性からコンプレックスを断定する」というのは南堂さんの論の肝だったりしますので、これを禁じ手にすると読み手としては困りますね。
飛躍した着眼点と直線的で明快な論理が南堂さんの持ち味ですが、論理には追いつけても着眼点にはなかなか追いつける人はいないでしょう。
安倍晋三という人は立派なじいさんの名誉を(頼りない)自分が守りたいと思うあまり前回慰安婦問題の蒸し返しという壮絶な自爆をやらかしたわけですが、今回はそこそこ上手くやっていると思います。
たぶんこの人もてはやされてる間は安全ですよ。エコノミスト誌表紙でスーパーマンになった時点でもう満足かも。
事実googleで検索してみて、「安倍首相 炎上」で検索してみるとわかる。乙武と川越についてはいくらでもヒットするし「まとめサイト」なども作られている。安倍についてはそれはない。
(首相夫人の炎上はヒットする)
つまり総理のFBが炎上しているといっているのはネットでなく新聞だということだ。
炎上というのは(厳格な定義は確立していないものの)ネットで騒ぎになることと理解している。だから検索してまったくヒットしないという炎上というのは無理があると考える。
安倍のことを嫌いな朝日や毎日が騒いだだけとみるべきではなかな?
主の定義する「炎上」というものが新聞が騒いでも該当するのなら別だが。
本項の1行目に書いてある通り、「炎上ふう」です。
本題は、三題噺。
こちらの言いたいのは、首相がネット上で騒ぎを起こしたに対しての意見。
騒ぎが起きているようには思えない。理由は検索してもヒットしないから。
これについては?
確かに検索結果は見つかりましたので「見つからない発言」は撤回しましょう。
しかし、件数の話をいえば、「川越シェフ 炎上」「乙武 炎上」だといずれも100万件超。
私は2ケタも違う規模のものを「大騒ぎ」「炎上ふう」等とひとくくりにするのはどうやっても無理があるように思えるが。
(コンビナート火災と山小屋の火事を「大火事」でまとめるようなものではないのかな)
主は三万超だから大騒動には違いないという主張なのか。
知らずにココを見た人は、これ程の「差」があるとは思わないだろう。
例え「ふう」とつけていても、多くの読み手は炎上していると思うかもしらん。
「安倍・乙武・川越の騒ぎは同レベルのものだ」と誤誘導させるような文章に感じる。
それとも新聞が騒いでいるので、同規模のものだと思ったとか。
→ http://j.mp/17Vh6pE
同様に安倍晋三を見ていくと、3万件もなくて、215 件だけです。
→ http://j.mp/14Talyl
Google の件数の数字は当てにならないのです。覚えておきましょう。
──
本題に戻ると、本項の話題は社会的事件の規模じゃなくて、人間の発想法です。どのくらいの規模かは話題になっていない。話題にしているのは、あなただけ。私の知ったこっちゃない。
おいおい…3万件を持ち出したのは主でしょ?
あてにならないものをこっちに振ったのかね。
で、こちらは一行目の前提おかしいんじゃ?と言ってる。本題の部分を否定していないが…
とにかく3つの事例を集めたかったので大騒ぎになってたかどうかは、どうでもよかったと理解すればいいのだな。
そこできちんと検証すると目安の件数がいい加減な値であることが判った。
さらに表示件数百万と三万の検索件数がどちらも200~300件である。
これはネットで話題になったレベルはほぼ等しいとみなせる。
つまりつかみの「炎上ふう」はそれほどずれてはいない。
という解釈は的外れなんだろうか?
「炎上」という言葉の認識の違いでしょうか?
ぜひ意見を聞きたいところ。
いくら「ふう」とつけようが、炎上は炎上。それらしき痕跡がありそうなもの。
川越・乙武と安倍(夫人ではなく総理の方)の盛り上がりには大きな差がある。
一般的な炎上なら、通常は2chのニューススレが暴走するし、個人の検証サイトやまとめサイトが立ち上がる。
川越・乙武の事件は本人の言動そのものが騒動になってるのに対し、安倍総理の事件は総理によって暴露された、田中氏の過去の行動にスポットが当たってるのが少なくない。一般的な炎上的なものとは異質なものだと私は感じている。
経験レベルの談義で恐縮だが、川越・乙武の事件は多くの人が知っているが、田中均の件についてはあまり知られていないレベルであるのは体感している。なので指摘したところ。
ま、統計はとっていないので断言はできないが…
このトピがこの三名の炎上(風)から教訓を得てスタートしてるので、前提が違うだろうと、指摘したところです。どうだろうか。
>「きちんと議論をする。理屈には理屈で対抗する。
↑
同じ人物が書き込んでいるとは到底思えないな。
別人なのか?
そろそろ書き込みを停止して方がいいのではないか?主の矛盾が強調されるだけだぞ…
→ http://openblog.meblog.biz/article/17614195.html
つまり、少ない方の数字が正しいのではなく、多い方の数字が正しい。
先にこのコメント欄では、「100万や3万という数字が出ても、実際は 200〜300だ」と述べましたが、どうも、100万や3万という数字の方が正しいらしい。
ただし、100万という数字には、ツイッターのつぶやき数も含まれているようだ。
総理の件は単なる例の一つ。規模で同列にするべきと仰せなら、然るべき代替案を提示されると発展的だと思う。そうでないと管理人が嫌悪感を抱くだけではないでしょうか。もう飽き飽きしてそうですが。
本件は三例が本題のつかみであるので、規模の裏付けの必要性も感じない。また論文でもない。論文ふうかもしれませんが。
私はこのままでokです。
まず、「炎上」「大騒ぎ」という言葉を使う以上、「ある程度の規模を伴うはず」と言いたいだけで、規模にこだわっているわけではない。
炎上は必ず規模を伴う。世間が無関心ならそれは「炎上」でもなければ「大騒ぎ」でもなく、単に「報道された」だけだ。
そして「報道された」と「炎上した」を比べると受け取る側のイメージは相当違うはずだ。
然るべき代替案を上げるとしたら、無理に3人にする必要はなかった。3人いないと座りが悪いのであれば、岩手県議員の小泉みつお氏が適任であったろう。
規模的にも内容も、酷似したパターンだし、報道もされたのでここの主も知っていたと思う。
彼なら、ここの本文中イラストと同じ構図にピッタリ嵌まる(まったくもって「ギャー」状態だった)
それに対し、総理はちっとも「ギャー」となっていないばかりか「むしろ田中均けしからん」という報道やネット書き込みも少なくない。
(報道では阿比留氏や青山繁治氏などが見つけやすいと思う)
そもそも総理は各方面から攻撃などされていない。ご存知だと思うが、朝日・毎日が総理を攻撃するのは彼らの平常運転なのである。
細野が攻撃するのも立場上当たり前だ。彼らは「各方面」などではなく、定位置のポジショントークだ。
このトピの問題点は、総理が(乙武・川越レベルの愚かな行為により)全方位から攻撃されている』と錯誤させるような書き出しになっていること。
『◆安倍首相・乙武・川越シェフ(炎上)』の見出しからしてそうだろう。
朝日新聞にありがちな、導入部の前提でミスリードし、そのまま主張を展開する文章にも見える。
少なくとも(特に選挙前のこの時期に)このような裏付けのない文章はひかえるべきではないか?
非難する事自体は、別にかまわないが、(裏付けがなければ)逆ステマや政治的ネガキャンと邪推される可能性があるぞ。
導入部の印象操作が気になるだけで、ここの主の本文については、意見の相違はあるものの、わざわざ反論するほどの異論はない。
政治家は元から信頼されていないから揺るがない
他はヤバい