前に 外国人看護師の導入? という記事を書いた。(2013年04月17日)
これと同趣旨の話を書く。話は大幅にダブっているが、ご容赦あれ。
( ※ 本日は、疲れて書く気がしなかった。ただ、古い原稿でもないかと思って探していたら、これが見つかったので、これを掲載する。お暇な人向け。)
外国人看護師が看護師試験に合格しないのは、難しい日本語のせいだから、合格しやすくせよ、という見解がある。次のように。
《 外国人看護師 日本語を非関税障壁にするな 》なるほど、“非関税障壁”というのは、その通りだ。しかし、そもそも、外国人看護師を日本に入れる必要はない。なぜか? 日本人の看護師が余っているからだ。
1年目は合格者がゼロで2年目は3人、率にして1%台だった。日本人の合格率約90%と比べると落差が大き過ぎる。
日本語、特に漢字の判読が大きなハンデになっているためだ、との批判を受けて、厚生労働省もようやく重い腰を上げた。昨年夏、日本語の病名に英語を併記し、難解な漢字にはルビを振るといった試験問題の改善を図った。
ただ、医療・看護の専門用語はルビの対象外で、「褥瘡(じょくそう)」は床ずれ、「仰(ぎょう)臥(が)位(い)」はあおむけと表記するといった平易な表現への言い換えも見送られた。
日本人看護師の雇用機会が奪われることを警戒する日本看護協会が、大幅な見直しに消極的なのが一因という。
インドネシアやフィリピンにすれば、極端な合格率の低さは、EPAで製品をどんどん売り込みながら、看護師らの受け入れは、日本語という“非関税障壁”でブロックしている「日本の身勝手さの象徴」と映るのではないか。
( → 読売新聞 2011-02-09 )
実は、現実には、看護師の人手不足という問題がある。ただしこれは、人数が絶対的に足りないせいではない。夜勤などの勤務がきつすぎて、出産を機に仕事を辞めてしまう看護師が多いせいだ。そのせいで、現場では未婚( or 既婚だが出産前)の若い看護婦がとても多い。こんなに未婚女性の多い職場は、めったにない。それというのも、出産後には勤務が続けられない体制だからだ。こんなことをやっている国は、日本だけだろう。
だから、第一義的には、出産でやめた看護師を病院に引き戻せばいい。なのに、そうしないで、外国人看護師を招こうというのは、本末転倒だろう。そして、外国人看護師という裏道を取りたがるのは、「病院の側の賃金コスト引き下げ」が目的だからだ。安い若手労働力を入れて、病院を儲けさせよう、という魂胆だ。
今の日本は不況である。このような不況という状況では、仕事に就きたがる人々は多い。家庭内失業を含めて、多くの女性が職に就きたいと望んでいる。にもかかわらず、現状の病院は、キツイ・キタナイ・キケンという労働環境にある。そのせいで、人手不足が起こる。それを解決しようとして、外国人労働力に頼りたがるが、それは邪道というものだ。むしろ、産後の女性が(子供がいても)働けるような、人に優しい労働環境を整えることが先決だ。ちなみに、子持ちの看護婦用に育児室が備えられた病院が、いったいどれほどあることか。ほとんどないだろう。(よほどの大病院を除けば。)
だから、なすべきことは、失業者だらけの日本で外国人を雇用することではない。失業した日本人を雇用することだ。そして、日本人が行きたがらないような劣悪な労働環境において、「人手不足だから外国人を」というのは、ほとんど蟹工船とか奴隷畑みたいな発想である。「白人は働きたがらないから、黒人を導入しよう」というふうな。
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結論。
外国人労働力を導入することは、長期的には不可避だろう。将来的には、外国人を導入してもいい。
しかし、大量の失業者があふれている不況期に、あえて外国から人手を導入すれば、日本において失業者がさらに増えるだけだ。あまりにも狂った方針だ。
外国人労働者を招くのは、もっと先でいい。つまり、日本が景気回復してからでいい。そして、それまでは、失業者を一人でも多く解消するように、日本人の雇用確保に努めるべきだ。
そして、そのためには、今の劣悪な労働環境(子持ちの看護婦が勤務できないような労働環境)を改善するべきだ。たとえば、半日ずつの勤務で二人を雇用する、というふうな。
なお、看護師の応募者が少ないのであれば、看護師の養成学校の定員を増やせばいい。とにかく、日本では、働きたい女性たちが仕事がなくて困っている。失業者があふれているのだ。この状況では、外国から労働者を招く必要はないのだ。
何かやるべきだとしたら、看護師の給料を上げるべきであり、そのために、診療報酬その他を引き上げるべきだろう。
なのに、医療コストを引き下げるために外国人労働者を招こうというのだとしたら、本末転倒である。そんなことを主張する新聞社があったら、その新聞社に対しては「記者の半数を外国人にせよ。現在の日本人記者の半分を解雇せよ」と要求するべきだ。
( ※ ついでだが、大学教員も、外国人教授を大幅に導入するべきだし、日本人教授を大幅に解雇するべきだろう。そうすれば国際化が進むからだ。看護師のような低めのレベルの職業は、単純労働者に近いので、原則的には外国人を導入しない方がいい。少なくとも、大量の失業者があぶれている状況では。好況期にはまた別の話となるが。)
【 関連サイト 】
参考情報。新聞記事の孫引き。
→ 看護師の8割「辞めたい」 人手不足で激務
このような話を読むと、冒頭の読売記事がいかに看護の現場を知らないで空理空論をほざいているか、よくわかる。(朝日も同様だが。)
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参考記事として、朝日新聞の記事を一部抜粋する。
《 外国人看護師―「人の開国」に向け改革を 》
インドネシアとの経済連携協定(EPA)によって3年前に来日した約90人の看護師候補について、政府は、その滞在期限を来年夏まで1年延長する方針を打ち出した。
先日あった今年の国家試験の合格発表は3月末だ。協定は、3年以内に日本の看護師の国家試験に合格しなければ帰国するよう求めている。落ちていればこの夏までに帰国になる。
国家試験には、床ずれを意味する「褥瘡(じょくそう)」といった漢字も使われる。外国人にとっては大変な難関だ。多くが帰国すればインドネシア国内から反発の声が上がりかねない。滞在期限の延長は当然だ。
フィリピンからの受け入れも2年前に始まり、あわせて約450人の看護師候補が来日した。昨年の合格者は3人だけ。挑戦が続けられるよう全員の滞在期限を延長すべきだろう。
そもそも問題は、EPAの目標を海外からの人材導入ではなく、日本のケア技術習得の研修にしていることだ。
これでは国境の障壁は下がらない。一人ひとりの技術や日本語能力、意欲を評価する道も閉ざされている。
彼らは母国の看護師資格を持つ。実務経験もあり、日本の看護現場で働くことを夢見てやってきた。しかし入国前に十分な日本語研修はなく、来日後の研修を経て、看護助手として働きながら言葉や看護学を学ぶほかない。
病院側の負担も重く、受け入れる人数が急減している。制度は機能不全に陥りつつある。政府は、難しい漢字にルビを振ったり、病名に英語名を併記したりするなどの試験改革をしたが、その効果には限界があろう。
制度を再生させるためには、日本の看護師不足を解消する一助にするという目的を加えた上で、根本から仕組みの見直しを行うべきだ。
看護師の労働実態は厳しい。日本看護協会によると、病院で働き始めた新人看護職の9%が1年以内に職場を去っていく。夜勤が多く、過労が医療事故につながらないか心配だ。
厚生労働省や看護業界は海外からの人材導入の必要性を認めていない。しかし2025年には最大20万人の看護職が不足するとの研究報告もある。
年10万人もの離職者を減らし、資格を持ちながら仕事につかない60万人前後の再就業支援を急ぐのはもちろんだ。それと同時に、海外から人材を受け入れる道をつける必要がある。
欧米諸国ではすでに、高度人材である看護師の獲得競争が起きている。今後、高齢化が進むアジアでも同じような競争が激化するだろう。その時になって手を打っても遅すぎる。
菅直人首相は「平成の開国」をうたっている。看護や介護といったケア人材についても、開国に向けた改革へと踏み出すべきだ。
( → 朝日社説 2011-02-28 )
※ 引用した記事の日付からわかるように、本項を書いたのは 2011年2月ごろです。ずっとお蔵入りになっていた原稿。
看護婦の仕事は厳しく、夜勤を含む交代制勤務はつらい。重病の患者もいる。頼りない医師に較べて、有能な看護婦でも給与は低い。
にもかかわらず、使命を尽くしてきたのは、フローレンス・ナイチンゲールの精神を受け継ぐ教育が大きかった。仕事の魂は使命感。
日本は、バブル景気を境に価値観を変えた。お受験一辺倒で、心が育たなくなっている。老人介護施設で、老人をベッドに縛り付けるのは、単に給与目当ての仕事であるに過ぎないから。
病院は、高価な機器と薬に依存して、医療の本質から遠ざかっている。医師になればフェラーリに乗れるということが動機の人間も増えている。
現時点に限れば、インドネシアの心の純朴な女性は良いし、10年間働いたら帰国する制度なら、大いに助力になるように思えます。
教育改革で、競争に勝ちたい人間を育成する方策ばかりに焦点をあてるのはバランス感覚を失っている。助け合う心は同等に価値がある。
移民は、北欧で暴動など大問題になっているように、慎重にするべきと警鐘を鳴らしている。外国人労働者1000万人を入れると未来はどうなるか、大半の日本人にも見えてきているのではないだろうか。
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それとは別に、次の記事がある。
→ 中国人看護師が急増 NPO仲介・漢字に強み・支援充実
http://www.asahi.com/national/update/0521/OSK201305200152.html
その趣旨は:
「フィリピン人は日本語が覚えられなくて大変だが、中国人はもともと漢字圏だし、また、現地で日本語を覚えてくるから、適応が容易。だから中国人は日本で看護師試験の合格率が高い」
http://www.nstac.go.jp/services/2ji/j-satoru_miyazaki.pdf
これを見てもわかるように、一般女性よりも、看護師の就業率は遥かに高く、ライフイベントによる就業率低下を考慮すると、「働ける人はほぼ全員が働いている」水準です。
つまり、看護師有資格者の数自体が足らないのです。就業率の問題じゃない。
「仕事がきつい」なんて、調査は、他職種と比較しなけりゃ、本当かどうかわからない。
以前はどうだったか知らないが、現在は、看護師の勤務形態は、ほぼ、労基法を満たしており、ブラック企業のそれと比較するなら、ずっと恵まれています。
勤務形態も、フルタイム三交代から週2日のパートタイムまで様々です。自分の事情に合わせた就業ができる。
勤務形態は他職種よりも恵まれている、賃金水準も非常に高い、それでも、看護学校は誰でも入れる水準だ。となると、看護師需要を満たすには、外国人看護師を導入せざるをえない。
日本語人口は、中国大陸に膨大に存在しています。日本語学校があり、検定合格者も多い。日本語人材が大量にいるのだから、彼らを看護師にすることは難しくない。
中国との間にEPAを締結しさえすれば、外国人看護師はいくらでも採用が可能になると思われます。国家試験合格率が10%しかなくても、母集団が100倍になるなら、何の問題もない。
老人介護施設を見学させてもらったらいい。縛られた老人がいるかどうかはすぐにわかる。客商売だから、見学者は歓迎されます。
それでもなお、看護師が足らないのは、要求水準が上がったからです。南堂さんも書いていた北杜夫の死因についても、20年前なら問題にすらならなかったろうと思う。
> 一般女性よりも、看護師の就業率は遥かに高く、ライフイベントによる就業率低下を考慮すると、「働ける人はほぼ全員が働いている」水準です。
提示された資料を見ればわかるように、就業率は 70%程度にすぎない。これは低すぎる。もっと大幅に高めることが可能だ。一般女性は、看護婦ともども、劣悪な育児支援環境のせいで、就業率が低くなっている。比較対象は「一般女性」ではなくて、「外国の女性」だ。それについては下記。
>> 日本は全就業者(6385万人)に占める女性の割合は41.6%(2656万人)。諸外国の女性の就業者割合を見ていくと……欧米諸国で高い数値が出ている。
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-2965.html
>> 特に30-39歳の出産・子育て期にあたる女性の就業率は低く、子どもを持つ女性の就業を妨げる要因が多く存在することが考えられる。
http://www.dir.co.jp/research/report/overseas/europe/20130305_006897.html
> 看護師有資格者の数自体が足らない
この問題は、「急激に増やすことは不可能なので、短期的対策にはならない」と述べた。下記のコメント欄。 at 2013年04月18日 12:06
→ http://openblog.meblog.biz/article/15615204.html
> 「仕事がきつい」なんて、調査は、他職種と比較しなけりゃ、本当かどうかわからない。
不規則夜勤が常態である職場は、他にはほとんどありません。
> 自分の事情に合わせた就業ができる。
できません。「人手不足の大学病院で、順番を割当てられた夜勤を断る」なんて、まず無理。拒否権はない。「放置したら患者が死ぬ」という状況なのに、断れるわけがない。
ま、一般の中小病院なら、お好みでよりどりみどりでしょう。しかし救急病院では慢性的な人手不足です。医師だって人手不足なのに、看護師が余っているわけがない。次の記事もある。
> 新人看護師が1年間で退職する割合がおよそ1割に及ぶと報告されています。
早期退職した看護師の退職理由は、夜勤の頻度や勤務時間の長さなど
http://www.red-akn.net/kanngosityoutennsyoku.html
>外国人看護師を導入せざるをえない。
第1に、短期的に急増させることは不可能。養成には何年間もの時間がかかる。また、ある年だけ一挙に5万人を臨時養成して、翌年以後は臨時養成はなし、というのは非効率。一方、休眠労働力を喚起するのならば、容易。
第2に、外国人を招く必要はなく、日本人の失業者を養成する方がいい。女性も男性も失業者は大幅にいる。日本人労働力が余っているのに、外国人を招く必要はない。外国人を招き、同時に、日本人失業者に生活保護費を出すんですか?
> 老人介護施設を見学させてもらったらいい
縛り付ける事例は、最近では減っているようですね。ただ、「介護 虐待」でニュース検索すれば、最近のひどい事例がわかります。
> 看護師が足らないのは、要求水準が上がったからです。
私は、「看護師不足が救急病院・大病院に集中するようになったから」だと考えています。「医療崩壊」は、医療界全般のことではなく、産科と救急医療と大病院に集中していると考えています。
管理人さんの指摘は、興味深いです。最近10年間の看護師、準看護師数の推移では、20万人ほど増えて、総数140万人ほどになっている(H22)。
救急車で「たらい回し」の悲劇は多い。緊急医療の医師が怠慢という訳でもない。医療関係者は疲弊している。どこかにアンバランスがあることを暗示している。
町医者の役割を再評価することも必要ではないか。気軽に接触でき、健康維持のアドバイスを受け、軽い症状なら未然に対処してもらえる。重篤の場合は、大きな病院を紹介してくれる、親身のアドバイザーという役割である。
軽い病気でも、救急車、大病院を利用する人が増え、本当に必要とする人が困っている面もある。
北欧では、風邪で病院に行くと、「栄養つけて寝なさい」といって薬もくれない。代わりに、深刻な病気のときはとことん面倒を見てくれる。医療財源は無尽蔵ではないので、メリハリが必要。
現在の、薬漬け医療で財源を浪費している医療のやり方なども改善の必要があると思われます。
保育士はいっぱいいるが、職に就けない理由がある。
結局、「女性就業率を上げるには、人がもっと必要」という堂々巡りの話になる。
これは一種の所得再配分だから、いくら膨大な金がかかっても、無駄じゃない。金持ちが損して、育児世代(の女性 or 夫婦)が得するだけ。
防潮堤に数千億円を費やせば、その金は(少なめの人件費以外の大部分は)消えてしまうだけですが、保育所の増設なら、保母さんの所得がいっぱい増えるので、別に問題ではありません。
また、国全体では、就業女性の分、生産額が増えますから、差し引きして、経済的には大いに有効です。
特に、保母さんが育児をして、看護婦さんや女性医師が専門職の労働をすれば、比較生産費の概念により、生産額が増えるとわかります。逆に、看護婦さんや女性医師が、おとな一人でこども一人の育児をすると、すごく無駄です。生産額は減ってしまいます。
保育士の養成は、看護師の養成よりずっと簡単ですから、いくらでも短期間で養成できる。五代くんだって保育士になれたし。
問題は、どちらかと言えば、保育士が余りがちなことです。そのせいで給与が低い。
もっと保育所が増えると、人手不足で、給与も上がりそうですけど。まあ、無理。給与が上がれば、参入者が多大になる。特に、リタイアした中年女性が、わんさと押し寄せそうだ。
>診療報酬その他を引き上げるべきだろう
これ,財源はどこでしょうか.最も医療資源を使っている,高齢者の自己負担率暫定低減を元に戻すのでさえなかなか決まらないのに…….労働年齢の方々には余裕はありますか?
>医師になればフェラーリに乗れるということが動機の人間も増えている
保健医療をしつつフェラーリに乗っている医師って,私はみたことないですな.自由診療をしている医師にはいましたが,
>「人手不足の大学病院で、順番を割当てられた夜勤を断る」なんて、まず無理。拒否権はない。「放置したら患者が死ぬ」という状況なのに、断れるわけがない。
私が大学病院に勤めていた10年前は,手術中でも担当看護士は帰宅しました.最近は変わったのですかね.
>現在の、薬漬け医療で財源を浪費している医療のやり方なども改善の必要があると思われます。
「あなたの病状では薬は不要」と説明したら怒りだす患者の軟と多いことか.
以上,しがない耳鼻科医の思うところでした.
さて,明日は今年初めての,朝から出勤しなくてよい日だ…….看護師にこんな状況はないよな.いいよな.
> これ,財源はどこでしょうか
財務省は「消費税」と言うでしょう。
私は「癌患者の延命治療をやめる」という提案です。
→ http://openblog.meblog.biz/article/11320430.html
あと、医師への診療報酬を引き下げる、という案もある。これは、私の見解ではなくて、医師会の主張から論理的に導かれる結論。「薬剤費を上げて、医療費総額を増やさない」ということから、「医師診療報酬の引き下げ」という結論になる。
→ http://openblog.meblog.biz/article/11334315.html
耳鼻科医さんは、真面目な医師のようですが、そうでない、金儲けの上手な医師もいるし、実際可能であるし、それを見聞きして医師っていいな、医師になろうと思う人もいるということです。あなたのことではありません。悪しからず。
--> 「私は医者だが、見たところ大したことない」スタンドでフェラーリ洗車後、店員はねて逃走、65歳医師を逮捕
http://www.kimasoku.com/archives/5519654.html
--> フェラーリ大破…11年の多重事故で61歳男性ら10人を書類送検
http://news.guideme.jp/kiji/104483ce889aba2c2a801dbc9b13e465
--> いくら医者の年収が高くても フェラーリとかの高級車を買うのには苦労しますよね?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1398250308
--> 開業医は本当に儲かる?>保険診療を辞めればフェラーリに乗れる?
http://skyteam.iza.ne.jp/blog/entry/3021244/
>「あなたの病状では薬は不要」と説明したら怒りだす患者の軟と多いことか.
なぜ怒り出す? 普通の人は「あなたの場合、あとは自然治癒力で直ります。敢えて薬を出すとすれば○○ですが、効果はそれなりに程度です。副作用は△△です。どうしますか」と説明すれば、怒りはしない。下記のような人は怒り出しますね。
はっきり言って、医療費浪費の温床だったことは明らかです。
--> 医薬品転売防止!生活保護受給者はジェネリック医薬品基本に
http://kimasoku.doorblog.jp/archives/22453626.html
比較優位は、国内労働者と海外労働者との間で成立しているのです。
一方、補助金なしでの保育所の負担は、0歳児で 20万円ぐらいで、2〜3歳児で 10万円ぐらい。(いずれも月額。ググるとわかる。)
というわけで、補助金なしなら、うまく行かない。
だけど、比較優位だけで済むかというと、そうならないですね。比較優位は、半分ぐらいかな。
ただ、看護師の養育費用や、看護師の生み出す社会的効用を考えると、看護師は 370万円ということはないですよね。看護師は 500万円ぐらいを生産していると思う。ただ、差額の 130万円は、病院とか健保とかが、食いつぶしてしまっているのだろう。
今の看護師を眠らせて、新規に看護師を養成するとなると、ずいぶん無駄なお金を食いそうだ。それも国民負担になる。→ 保育所にお金をかける方が効率的です。
「国全体の効率の高低と、個人の損得とは、一致しない」
たとえば、子育てなら、年収370万円の看護師がやるよりは、年収310万円の保育士がやる方が、低コストで済むので、保育士がやった方がいい。その分、看護師は働いて年収370万円の生産をすれば、国全体では生産額が上がる。つまり、国全体の効率が上がる。……これが「比較生産費」の発想です。
ただし、これは個人の損得とは結びつかない。年収 370万円の看護師が働いて、保育所に月 10万円を払うと、年間 120万円かかるので、年収 250万円になってしまう。これでは割に合わない感じ。
( ※ なお、国が補助金を5万円出して、母親が保育所に月5万円払うのであれば、年収 310万円になるので、特に損ではない。
)
ただ、年収 250万円だとしても、無収入に比べれば、ずっとマシです。だから、保育所に月 10万円を払って、年収 250万円になるとしても、看護師はその道を取る方がいい。だから、特に補助金を出さなくても、看護師ならば(月 10万円を払って)保育所に預ける方がいい。
その意味で、井上さんの言う通り、特に補助金を払う必要はない。(対象が看護師のように、比較的高所得の母親であれば。)大事なのは、保育所の数であって、補助金ではない。
ただし現実には、保育所の数が足りない。無認可保育所の数も圧倒的に足りない。ここが根源です。
また、母親にすれば、「無認可では月 10万円で、認可では月1万円」だとしたら、無認可に入れるのが馬鹿馬鹿しくなってしまう。「認可に当たるまで待とう」という意欲が生じて当然だ。
以上を勘案すれば、次のようにするのが妥当だろう。
「保育所はすべて高額の私立保育所とする。公立保育所は独立させて私立にする。保育料はすべて 10万円程度の実費とする。保育所への公的補助はゼロにする。」
「その一方で、母親には、保育バウチャーのチケットを与える。これが月7万円ぐらい。」
対比すると、次の通り。
・ 現状:認可保育所では激安。無認可では月 10万円。
・ 新規:全員が月 3万円ぐらいの負担。
現状は、認可に当たるかどうかで違う。当たれば大儲け、はずれれば大損。ギャンブル。
新規は、全員が同等の負担。多くもなく少なくもなく。公平。
ばかにしすぎじゃないですか?
一語だけを読まずに、前後の文脈でとらえてみれば、意味がわかりますよ。
「看護婦」は、基本的には「女性看護師」の意味で使っています。当り前。
「女性看護師」よりは「看護婦」と書くのが普通でしょう。「女性看護師」なんて言葉、私は見たことがないし。