2013年04月16日

◆ 映画の原作の料金

 映画の原作者に渡る金があまりにも少なすぎる、ということが話題になった。そこで、改善策を提案する。 ──

 映画の原作者に渡る金があまりにも少なすぎる、ということが話題になった。
  → テルマエロマエの映画化が100万円でTVがつまらない理由 - Togetter
  → 驚愕!興行収入58億円『テルマエ・ロマエ』の原作使用料が100万円 - NAVER まとめ
  → 物議を醸した原作使用料100万円の件に関して : Mari Yamazaki's Blog

 すでに交わした契約があるので、原作者自身は文句を言っているわけじゃない。だが、不満がないというよりは、文句を言えない立場にある、ということだろう。

 ──

 そこで、この問題を解決するアイデアを提案しよう。こうだ。

 そもそも、映画の側が、原作者に金を払わないのは、次のつもりなのだろう。
 「映画の宣伝のおかげで原作も売れるようになるんだから、我慢しろ。こっちは宣伝費に巨額の金をかけているんだし、その恩恵を受けているだろ」
 と。
 とはいえ、これは理屈になっていない。
  ・ アメリカ映画では原作料をたっぷりと払っている。
  ・ 日本の原作軽視は、脚本軽視と、同根。


 後者については、前にも述べた。
   → 日本映画がコケるわけ
   → 映画「あしたのジョー」

 原作や脚本というものを、ないがしろにしているから、日本の映画の水準そのものが、低下してしまう。宣伝ばかりを重視して、肝心の映画の質を重視しないからだ。
 まったく嘆かわしい。「一文惜しみの銭失い」という馬鹿な方針を、ずっと続けて、自殺行為をしている。

 そこで、この現状を改善するために、原作者は映画会社の方針を逆手にとって、次のように言えばいい。
 (1) 映画会社が「映画の宣伝のおかげで原作も売れるようになるんだ」と言うのならば、その権利をありがたくいただく。つまり、著者の側は、「この映画の原作ですよ」と宣伝する権利をもらう。
 (2) その際、その権利の代償として、原作の使用を無償で認める。原作者としては、100万円ぐらいの料金をもらっても無意味だから、それっぽっちの金は一切、辞退する。
 (3) 一方、映画会社の側は、原作のタイトルを利用することで、莫大な宣伝効果を得る。たとえば、テルマエ・ロマエという漫画を原作とすれば、「テルマエ・ロマエ」というタイトルを使うことで、漫画の知名度を利用して、多大な宣伝効果を得る。そこで、映画における「タイトル利用料」(宣伝効果の料金)として、宣伝費総額の1割に相当する額を頂戴する。たとえば、20億円の製作費で、宣伝費が 10億円であれば、10億円の1割に相当する1億円を、「原作のタイトル使用料」として支払ってもらう。
 (4) 映画会社が「原作のタイトル使用料」を払いたくないのであれば、払わなくてもいい。そのかわり、タイトルは別のタイトルにする。たとえば、テルマエ・ロマエの映画化ならば、「テルマエ・ロマエ」というタイトルの使用は禁止され、「ローマの銭湯タイムワープ」というようなタイトルに変えてもらう。

 現実にはどうなるか? もちろん、映画会社は (4) を取りたがるだろう。そうすれば、1億円を払わないで済むからだ。しかしそのせいで、映画の知名度が激減するから、それを補うには、宣伝費を 5億円ぐらい上積みする必要がある。1億円をケチったかわりに、5億円を払うハメになる。
 「そんなのイヤだ!」
 と映画会社は駄々をこねるに決まっている。そこで、こう提案する。

 (5) 映画会社はタイトル使用量として1億円を払うが、同時に、原作者は映画会社(映画の製作委員会)に、1億円を出資する。結果的に、映画会社は、1円も払わないで済む。(製作段階では。)そのかわり、映画の興収が得られたあとで、興収の一部を分配する。(製作費 20億円に対する1億円、つまり、製作委員会の売上げの5%を分配する。)
 
 これですべてが丸く収まる。



 [ 付記1 ]
 この方針だと、原作者は 0.5億円〜2億円ぐらいを受け取ることになる。どの金額になるかは、映画の成否によって決まる。
 ただ、どっちみち、かなり多額である。映画の政策委員会としては、「固定額で済ませたい」と思うかもしれない。それなら、最低でも1千万円を払う必要があるだろう。
 ま、それでもいいけどね。それをいきなり要求しても、映画会社の側は払わないだろう。そこで、本項の方針を出せばいい。そうすれば、「これよりはマシだから」と思って、1千万円を払うかもね。

 アニメの原作者の人は、頑張ってくださいね。
  
 [ 付記2 ]
 契約書の例。
  ・ 映画会社は原作の利用料を1円も払わない。
  ・ 原作者は原作の利用権を、映画会社に無償で供与する。
  ・ 映画会社は原作のタイトル利用料を1円も払わない。
 これですべて終了です。二度と契約交渉は行なわない、と同意を得た上で、映画会社に署名捺印してもらう。
 映画会社は1円も払わないで、原作の利用権を得るのだから、喜んで契約するだろう。
 その上で、「タイトルの使用権」という項目が含まれていないことに気づくはずだ。
 もし気づかなければ、そのまま映画化してもらった上で、公開直前に、「タイトル利用の差し止め」を裁判所に訴えて、タイトル利用を禁止する。このせいで映画会社はタイトルのためにかけた莫大な宣伝費が無駄になり、大損する。それがいやなら、タイトル利用料を莫大に払うハメになる。(ざまあみろ。)
 もし気づけば、「タイトルの使用権を与えてくれ」と言ってくる。しかし契約上、タイトルの利用料は1円も払わないことになっている。1円も払わないで権利を得ることができるはずがない。裁判に訴えても無駄だ。泥棒に権利なんかはない。ゆえにタイトルの使用は(1円も払わないがゆえに)認められない。そこで「再交渉してくれ」と言ってくるだろうが、「二度と契約交渉は行なわない」と先に同意を得ているので、再交渉を突っぱねる。タイトルの利用はあくまで禁止だ。そこで「お願いします」と頭を下げてくるだろうから、そのときは高額の違約金とともに高額の金を請求するといい。最初の予定の2倍を吹っかければいい。その半分は「違約金」だ。
 つまり、「1円も払わずに権利をすべていただこう」と考えた強欲な映画会社に、通常料金の2倍の金を払わせる。(ざまあみろ。)
 


 【 関連サイト 】

 → 「リスクを考えれば妥当」「作者への敬意の指標」 「テルマエ」原作使用料100万円の是非
 一部抜粋。
 ──原作使用料に相場はあるか

 「ある程度は存在する。日本文芸家協会の著作物使用料規定では映画化の使用料を『1千万円を上限』としており、だいたいこの線に沿っている。ただし下限はまちまちだし、同協会に著作権管理を委託していない作家なら1千万円以上を得ることもあるだろう」



 【 関連項目 】
   → 日本映画がコケるわけ
   → 映画「あしたのジョー」
 
 とにかく、「原作軽視」「脚本軽視」という日本の映画界の現状がひどい。こういう状況が続くから、脚本がひどい映画ばかりが出来て、映画の質的低迷が起こる。
 「映画の出来よりもテレビの宣伝で売上げを増やそう」
 というのが、昨今の日本映画だ。そのせいで、大金をかけて、クズ映画を量産して、そのあと宣伝だけで観客を動員しようとする。
 一言でいえば、こうだ。
 日本の映画産業とは「詐欺産業」である。
 ( ※ 人をだまして、クズ商品を売りつける。)
posted by 管理人 at 23:01 | Comment(0) | 一般(雑学)1 | 更新情報をチェックする
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