2013年04月10日

◆ 抗ガン剤の効果は無意味

 抗ガン剤については、1カ月または1割程度の延命効果が見られることが多い。しかし、このような延命効果というものは無意味だ、と私は考える。(常に、というわけではないが、たいていは。) ──

 抗ガン剤については、完全否定する見解もある。
  ・ 抗ガン剤はまったく延命効果がない
  ・ 抗ガン剤では寿命がかえって縮まる


 ま、そういう例もあるだろう。(薬剤によっては。)
 ただ、一般的には、1カ月または1割程度の効果が見られることが多い。その幅にはかなり変動があるが。より詳しくは下記。
  → 抗がん剤は延命治療!? (朝日)

 ──

 ただ、本項では、次のことを指摘したい。
 「単純に延命効果を測定しても、意味がない。なぜなら、生活の質(QOL)が悪化しているかもしれないからだ。副作用があったり、倦怠感があったり、病院から出られなかったり……というふうに、弊害が大きければ、生活の質(QOL)が悪化する。その場合、たとえ延命効果があっても、トータルとしての改善効果はあったとは言えない」
 
 原理的に言えば、こうだ。
   生命の量 = 生活の質 × 生存期間


 たとえば、次の二つを比較する。(ケース1)
  ・ 1年間の余命があって、生活の質は 100%
  ・ 2年間の余命があって、生活の質は 50%

 後者では、生存期間は倍だが、生活の質は半分なので、たとえ生存期間が倍になっても、トータルの生命の量は変わらない。

 たとえば、次の二つを比較する。(ケース2)
  ・ 1年間の余命があって、生活の質は 100%
  ・ 10年間の余命があって、生活の質は  0%

 後者は、10年間も生きられるのだが、その間、意識を失っており、ずっと昏睡状態である。この場合、たとえ生命は維持されていても、生活の質は 0% だから、生きていても死んでいるのと同様だ。このような形で長生きしても、何の意味もない。本人には「生きている」という実感がゼロだからだ。

 たとえば、次の二つを比較する。(ケース3)
  ・ 1年間の余命があって、生活の質は 100%
  ・ 1.1年間の余命があって、生活の質は 80%

 後者は、余命が1割延びたが、病院から抜け出せないし、副作用もいくらかあって、かなりつらい。差し引きして、生活の量は 2割程度、低下している。……こういう例は、けっこうあるだろう。とにかく1カ月か1割ぐらいは延命効果があるのだが、病院に閉じ込められて生きているだけで、生きている実感が大幅に減る。しかも、副作用のせいで、かなりつらい。
 ま、そのどちらを選ぶかは、個人の好みでいい。「生活レベルが大幅に低下しても、とにかく少しでも長生きしたい」と思う人があれば、それはそれでいい。それを「いけない」と非難するつもりはない。個人の人生については、個人の自由にしていい。
( ※ 「自由にしていい」というが、実は、入院生活というのは「自由をなくすこと」である。禁固刑になったようなものだ。禁固刑の患者も、病気になれば病院に入るが、それと同様だ。自分で進んで禁固刑になるなんて、馬鹿げていると思うが。それでも「死ぬよりマシだ」と思う人が多いのかもね。)
 
 ──

 一方、別の問題がある。別の問題とは、医療費の問題だ。やたらと高額の抗ガン剤(数百万円程度)が多用されるせいで、日本の医療財政は破綻の危機に瀕している。


zaimusho1.jpg
  → 出典 (財務省) 


 たいして効果もない(延命効果はあっても、生活の質を低下させてしまう)ような薬剤を使うために、個人が自分の金を使うのは構わないが、国が莫大な金を援助する。そのせいで、国家の負担が莫大になる。
 こんなことでいいのだろうか? 

 ──

 これに対して、反対論もあるだろう。
 「金がいくらかかるとしても、人間の生命は大切だ。たとえわずかな延命効果しかないとしても、大金を負担するべきだ」
 というふうに。
 ま、こういう人は、「消費税が 30%でも 40%でも構わない」と思っているのだろう。それはそれでいい。400万円の年収に対して、消費税 40% と 所得税 で、合計して実質所得が 200万円に減ってしまうのでもいい、と思うのであれば、それはそれでいい。
 問題は、次のことだ。
 「延命治療の終末医療に医療資源を奪われるせいで、肝心の救急医療や普通の医療の資源が食いつぶされてしまって、死ななくてもいい人々が死んでしまう」
 ここにおける死因は、癌ではなくて、「医療崩壊」である。そして、医療崩壊をもたらすものは、「有限の医療資源を、ただの延命治療のために食いつぶすこと」である。

 つまり、ろくに効果もない終末期の患者を、自宅で自由に生きさせるかわりに、病院に閉じ込めることにして、そのせいで、肝心の病院に普通の病人を収容することができなくなる。そのせいで死者が次々と出る。

 これが現状の日本の医療だ。そして、そこにあるのは、
 「延命治療によって延命効果を追求することが大切だ」
 という姿勢だ。ここでは、
 「延命治療を追求することで、普通の病人の生命そのものが奪われる(救えなくなる)」
 ということが起こっている。
 こんなことでいいのだろうか? 
 


 [ 付記1 ]
 私の発想は、次の基本に立つ。
 「生命というものを数で数えるな」
 一般に、理系の人は数こそが大切だと考えるので、数を重視する。そのせいで、次のような発想をしがちだ。
 「人の命は、数で示せばいい。1,2,3……というふうに」
 しかし、このような発想では、人の命の違いを区別できない。そのせいで、10代の少女の命も、30代の経産婦の命も、70代の高齢者の命も、同等だと考えがちだ。しかし、それらの命は、重み(重要性・価値)が異なる。青春期を過ごしていない人は、生まれてきた目的を果たしたと言えないが、青春期を過ごした人は、生まれてきた目的を果たしたと言える。前者の命は、後者の命よりも、尊重されるべきだ。(比喩的に言えば、産卵を済ませた鮭は、生まれてきた目的を果たしたと言えるので、死んでも惜しくはないはずだ。)……こういう話は、前項で示した。要するに、人の命を数だけでは測れないのだ。換言すれば、「こっちの一人も、あっちの一人も、命の価値は同じだ」とは言えないのだ。
 それと似た話が、抗ガン剤でも成立する。「抗ガン剤なしで自由に生きた9カ月間」と、「抗ガン剤で苦しみながら生きた不自由な 11カ月間」とでは、同じ1カ月間でも価値が異なる。要するに、人の人生の価値を、日数(時間)だけでは測れないのだ。「9カ月間の人生に比べて、11カ月間の人生は、時間が2割多いので、価値も2割多い」とは言えないのだ。
 命や人生を数で測る、という科学的な発想は、実は大切なものを見落としているのである。

 [ 付記2 ]
 すぐ上のことが本項の主題である。一方、次のことは主張していない。
 「あらゆる抗ガン剤は有害だから、あらゆる抗ガン剤を拒否せよ」
 こんなことは言っていない。仮に、抗ガン剤が副作用がないとか、劇的に延命効果があるとかいうなら、抗ガン剤を使うべきだろう。
 しかし現実には、2割程度の延命効果しかないことが多く、しかも副作用がひどいことが多い。また、治療のために多額の費用がかかることも多い。……こういう場合について、本項は否定している。
 もちろん、あらゆる抗ガン剤を否定しているわけではない。あくまでメリットとデメリットを比較してのことだ。ゆえに、個別ケースごとに結論は異なる。本項は一般論を「考え方」として述べただけだ。個別のケースについては、本項を援用しないでほしい。
( ※ 実を言うと、副作用の発現は、個人差が大きい。人ごとに、副作用が大きかったり小さかったりする。副作用が大きい場合には、抗ガン剤を使わない方がいいだろうが、副作用が小さい場合には、抗ガン剤を使う方がいいだろう。あくまでケースバイケースだ。その点、注意。)



 【 関連項目 】

 (1)
 本項と同様の話題は、別項でも論じた。
  → 抗ガン剤は有効か?
 この項目では、本項と同様の話題を扱っている。ただし本項では新たに、「延命効果」というものが無意味だということを指摘している。
 通常は、「延命効果があるから抗ガン剤は有効だ」と主張されるが、「延命効果なんていうものには意味がない」ということを、本項では新たに指摘している。(例の数式によって。)

 (2)
 新薬の効果が旧薬の効果よりもある、というデータは信用が置けない。そのことを、下記項目で示した。
  → 治験とプラセボ
 なお、そこに書いたことには、典拠があった。次のサイトだ。
  → 「抗癌剤治療と延命効果」



 [ 余談 ]
 しばしば言われるが、癌というものは病気ではない。何らかの病原菌やウイルスを撃滅すれば済むというものではない。癌というものは自分の体の一部なのである。ただ、自分の体の一部が、自分自身に対して反逆する。いわば鬼子みたいなものなのだ。
 比喩的に言えば、こむら返りだ。自分ではそうしようと思っていないのに、自分の足が勝手に硬直してしまう。自分の意思とは関係のない反応を、自分の体がやる。ここでは、「こむら返りの原因を除去しよう」として、「自分の足をちょん切って、切り捨ててしまう」というような対処は取れない。
 私の認識では、癌とは、「自分の死の一部」なのである。死が急激に訪れるのではなく、自分の体の一部が死に侵されてしまう。このとき、「死をいかに阻止するか」を考慮して、何とかして死と戦おうとするのが、現在の医学の主流だ。
 しかし私は、それでは良くない、と思う。人間は決して死を乗り越えることはできない。とすれば、死を克服しようとするよりは、死をそのまま受け入れる方がいい。そして、死によって侵された部分は放置して、残っている生の部分をできるかぎり享受すればいい。余命が1年間であれば、その1年間に、十分に楽しく生きればいい。生存期間を1割延ばそうとするかわりに、生活の質を2倍にも3倍にも引き上げればいい。つまり、より良く生きればいい。ある程度の金があれば、それは可能だろう。そして、人が最後に残している金は、そういうことのために使うといいだろう。
( ※ たとえば、死の危険を顧みず、パラシュートから落下する、とか。ハンググライダーで空を飛ぶ、とか。……ハンググライダーは、人間が鳥になった気分がするので、すごく楽しそうだ。墜落の危険があるのが唯一の難点だったが、癌患者ならば、そんな危険は気にしないで済むだろう。)




 【 関連サイト 】
 抗ガン剤の延命効果については、ググってみたところ、次のようなページが上位に来る。
  → 抗がん剤で延命できるか
  → 実際は延命効果がわずかしかない抗がん剤
  → 近藤誠氏「抗がん剤は効かない」批判@延命効果はないの嘘

 なお、抗ガン剤にも、かなり大きな効果が見られることもある。ただし、そういうのは、幸運な例(例外的な例)であるようだ。

 ── 

 本項を書いたあとで気づいたのだが、同じような発想をする人がいる。
  → がん名医が末期がんに…それでも「治療しない」と語る理由
 一部抜粋しよう。
 これまで彼は患者への治療を必要最小限にとどめてきた。それは延命ではなく“自分らしい人生”を送ることに重点を置いた治療だった。神代医師によると、今の医療はやるべき治療を行なっていない一方で、やり過ぎだと思うことも多いという。「もちろん何でも放置すればいいというわけではないですよ。でも手遅れなのに手術を重ね、辛い治療を続けることで“最期の時間”を犠牲にしている人も多いんです」
 本項と重なる発想なので、読んでみるといいだろう。特に、「抗ガン剤は延命効果が2割ぐらいあることが多いので、どれほど生活の質が低下しても、抗ガン剤で2カ月間だけ長生きするべきだ」なんて思っている医者は、上記の話を読むといいだろう。
posted by 管理人 at 19:59| Comment(1) | 医学・薬学 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>抗ガン剤なしで自由に生きた9カ月間

ガンって、痛いんですよ…
抗癌剤の副作用関係なしに…
だって、生きるのに必要な臓器が、ほぼ機能停止してるんだもの…
Posted by テツ at 2014年10月30日 16:26
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