──
東大で推薦入試を実施するようになった。そこでは面接が重視される。その意図は、「意欲的な学生を入学させるため」である。
受験学力は高くても学ぶ意欲が乏しい学生が目立つため、視野の広い意欲的な学生を獲得したいという。ここでは受験生の「やる気」「意欲」が重視される。そして、「やる気」「意欲」のある学生を集めることは素晴らしいことだ、と見なされている。
各学部で求める学生の基準を公表し、それぞれの教員が面接する。「授業の内外で、幅広く学び、問題意識や深い洞察力を真剣に獲得しようとする人」が大原則。ボランティアなど体験活動の成果も、入学後にやりたい学問や研究との関連性を問うという。
受験生の資質を吟味するため、面接は数時間に及ぶことも想定している。
( → 2013年3月16日 読売新聞 )
しかしその発想が根本的に狂っている。
──
具体的に例を挙げよう。

上記の人物は、アインシュタイン、渡辺明(竜王)、中野美奈子である。この三人のうち、誰が最も意欲的な人物か? たぶん、中野美奈子であろう。面接しても、中野美奈子が最も高評価を得るはずだ。はきはきした態度で答えて、印象もいいからだ。
というか、アインシュタインや渡辺明は、もともと意欲的な性格の人物ではない。アインシュタインは、どもり(吃音)だった。意欲的とは正反対の評価しか得られない。渡辺明も、見るからにおとなしそうだ。実際、ブログを読んでも、活気ある奥さんの前で、鈍重な性格を示している。この二人は、「もっさり」という感じの性格だ。中野美奈子とは正反対だ。
では、知性の点では? アインシュタインと渡辺明は、いずれも傑出している。将棋の天才と言われた羽生を、渡辺明は若くして何度も打倒して、竜王7期を達成している。20歳で竜王になった上に、あの羽生を何度も打倒したのだから、怪物クラスの知性をもっていると言える。
一方、中野美奈子と言えば、こうだ。
「ニュース原稿で、中学生でも読める漢字が読めない。金庫をチンコ、一目をイチモツ、冗談としか思えない誤読に苦情だらけだった。ルビ(ふりがな)を振ってあげても間違えて、それを指摘されるとふてくされ『ルビが小さい』だの『仕事が多すぎるせい』だの捨てゼリフを吐いて女子トイレに立ち去る。怒られて当然だった」結局、意欲があまりないと見えるアインシュタインや渡辺明は、抜群の知性を持つが、意欲がたっぷりあると見える中野美奈子は、抜群の知性を持つとはとても言えない。
( → 日刊サイゾー )
つまり、意欲と知性とは、まったく比例しない。にもかかわらず、東大は「意欲的な学生」を求めようとする。それはなぜか?
──
このヒントは、次の動画を見るとわかる。
これについての解説は、下記項目で述べた。
→ 外向的な知力/内向的な知力
そこでは結論ふうに、次のようにまとめた。
「集団討論のような、外向的な知力よりも、一人で沈思黙考するような、内向的な知力こそが大切だ。人と人とで会議しながら意見を集約していくことよりも、一人で黙ってじっくり考えることの方が大切だ。その意味で、外向的な知力や性格ばかりを重視して、内向的な知力や性格を軽視する世間は、判断基準が妥当でない」結局、次のように言える。
東大はこう考えた。
「受験学力は高くても学ぶ意欲が乏しい学生が目立つ。ならば、意欲的な学生を獲得しよう。そうすれば、視野の広い能動的な立派な知性を持つ学生を獲得できる」
しかしながら、アインシュタインや渡辺明の例を見てもわかるように、傑出した知性というものは、「意欲的な人物」ではなく、むしろ「内向的な人物」なのである。
なぜか? 物事を深く探究するという知性の持主は、内向的な性格であることが普通だからだ。アインシュタインはじっくりと相対論を研究した。渡辺明はじっくりと将棋を研究した。いずれも一人で閉じこもって研究した。ほとんど引きこもりふうに。
一方、静かにじっくり研究するかわりに、他人と討論したり、戸外でせっせとボランティア活動をしたり、友人とわいわいやったりするタイプの人もいる。こういう人は、外向的であり、いかにも意欲的に見える。しかしながら、そういう外向的な性格は、「じっくり研究する」という内向的な研究生活には不向きなのである。
結局、東大は根本的な勘違いをしていることになる。次のような。
意欲的 = 視野の広い優秀な学生
なるほど、そういうことが成立することもある。たとえば、組織のリーダーなどだ。そういう人物を求めるのであれば、東大のような面接は有意義だろう。
一方、科学や将棋のように「じっくり研究する」というタイプの人物を求めるのであれば、次のようなタイプの方が好ましい。
内向的 = 物事を深くじっくり考える学生
このような方針で選抜すれば、アインシュタインや渡辺明のような学生を獲得しやすくなる。
──
だが、本当は、そういう「性格分類」などは、一切不要である。大学がなすべきことは、単に「学力試験だけで選抜する」ことだ。
その後、内向的な学生や外向的な学生など、さまざまなタイプの学生が見つかるだろう。だが、彼らがどの道に進むかは、彼ら自身に任せておけばいい。外向的な学生はそれなりの職業に進むだろうし、内向的な学生もそれなりの職業に進むだろう。そこにおいて、大学がいちいち介入する必要はない。
東大は、「視野の広い意欲的な学生を獲得したい」という。だが、そのような性格分類で学生を選抜することは、まったく好ましくない。そのような性格分類を採用すれば、アインシュタインや渡辺明のようなタイプの学生を振り落とすことになるからだ。近年の例で言えば、ノーベル賞を受賞した田中耕一は、いかにもおとなしそうな性格なので、こういうタイプの人が入学しようとしたら、「おまえは性格がおとなしいので駄目」と排除されかねない。(少なくとも推薦入学では排除されそうだ。)
東大は何か勘違いしている。「受験学力は高くても学ぶ意欲が乏しい学生が目立つため」ということだが、それは、入試の際に選抜基準にすることじゃない。「意欲」の問題であれば、あくまで東大自身が学生の「意欲」を掻き立てればいい。つまり、「入試」ではなく「教育」によって、学生たち全員に意欲を持たせればいい。
たとえば、次の記事がある。
米ハーバード大のマイケル・サンデル教授の講義に着想を得た「日本版白熱教室」が東京で開講され、人気を集めている。中学生以上を対象に、英語で「正義」について討論する対話型授業。「サンデル役」は現役東大生だ。こういう形の講義を行なえば、学生は能動的に思考して、意欲的に学ぶようになる。要するに、学生が意欲的に学ぶかどうかは、教える側の態勢しだいなのだ。教える側が学生の意欲を掻き立てれば、学生は意欲的に学ぶようになる。
参加者を巻き込んでいく高橋さんの教室さばきは、本家のサンデル教授をほうふつとさせる。
( → 朝日新聞 2013-04-07 )
なのに、その作業をほったらかして、十年一日のごとく退屈な講義を繰り返したあげく、「学生が意欲的に学ばないのは学生の意欲が足りないからだ」なんて言うのは、大学の側に意欲が根本的に欠落している。
大学の側こそ、まずは意欲的になるような方針で自己変革するべきなのだ。たとえば、上記の「日本版白熱教室」ようなことを、多くの教授が実行するようにすればいい。そして、それができないような教授は、「学生の評点が低い」という理由で、解雇されるべきだ。
つまり、選抜されるべきは、学生ではなくて、教授の側なのである。
ここを根本的に勘違いしては駄目だ。
──
まとめ。
・ 東大は意欲的な学生を求めようとする。
・ 意欲と知性とは同じではない。むしろ逆関係だ。
・ 入試では、意欲でなく、知性だけを見ればいい。
・ 意欲については、大学の教育で掻き立てよ。
・ そうしないで学生任せの大学には、意欲がない。
・ まずは意欲のない大学教授を解雇せよ。(不合格)
[ 付記 ]
似た話題で、次の話がある。
→ なんで全員にリーダーシップを求めるのか
外資系の会社組織では、全員にリーダーシップを求める。そのわけは……という話。
この方針も駄目だ。「営利組織にはリーダーシップが必要」というのは成立するかもしれない。だとしても、大学入試の要件では、リーダーシップは必要ない。理由は、次の二つだ。
・ リーダーシップは、入学後でも養成できる。(意欲と同様。)
・ 学問研究は、組織は関係ない。(孤独な作業であるから。)
つまり、営利組織では、組織の効率が大事なので、リーダーシップのある社員は有益だ。一方、学問研究は、組織は関係ないから、リーダーシップの有無なんかはどうでもいい。(アインシュタインや渡辺明には、リーダーシップなんか不要だ。)
そもそも、リーダーシップというのは、人柄や気質であって、才能とは違う。
世の中には、リーダーシップのある人もいるし、ない人もいる。ないからといって排除するべきではない。
リーダーシップは確かに組織にとっては非常に有用だが、だからといって、それを組織の全員に要求するべきではない。能力のある人を抜擢してリーダーに育てればいい。
[ ※ 上記のサイト(ちきりん)では、チームの妨害者の排除が必要だという。なるほど、それは成立するだろう。しかし、だからといって物静かな人を排除するというのは、道理が通らない。妨害者とおとなしい人とは、タイプが異なる。]
[ ※ そもそも彼女(ちきりん)は、外資系コンサル会社のマッキンゼーの社員だった。そういうタイプならば、リーダーシップが必要なのは当然だ。一方、一般の学術的研究者にリーダーシップや外向性を求めるのは、とんだお門違いだ。]
[ 余談 ]
中野美奈子は、慶應大学に指定校推薦で入学した上で、ミスキャンパスになって、フジテレビに入社した。仮に彼女があの美貌を持たなければ、慶応に入学することもなかっただろうし、学力相応の二流大学にしか入れなかっただろう。推薦入学というのは、かくも美人にとって有利な方式なのである。
なお、Wikipedia の「中野美奈子」の項目には、推薦という言葉はなく、単に「慶應大学卒」と記してあるだけだから、彼女のことを「学力優秀な才媛」と勘違いする人も多いだろう。
何だか、詐欺みたいですね。私も長年、だまされていた。
【 追記 】
このような面接試験が実施された場合に、どうすれば合格できるかを教える。
第1に、「意欲をもつ」と面接でアピールすることだ。無口でぼそぼそと語るようでは駄目で、快活で積極的であると訴えることだ。そのためには? 演技学校で俳優としての演技を学べばいい。大切なのは、実際に意欲を持つことではなくて、面接の場で「意欲的だ」と見せかけることである。「明朗で、快活で、はきはきと応答する」ということが大切だ。一方、「一つの学問問題にじっくりと考えて創造的な知見を打ち出す」というような能力は必要ない。東大が求めるのは、アインシュタインのような人物ではなくて、中野美奈子のような人物なのである。したがって、「自分の頭でじっくり考える」ことは必要なく、「自分をうまく偽装する」ことが大切だ。そのためには、演技学校に行って、演技を学ぶべきだ。
第2に、いくら演技が上手でも、顔が悪ければ好印象を残せない。将棋が強ければ竜王にもなれるが、東大では学力だけでは合格できないのだ。顔がものを言う。「いかにも積極的です」と感じられる顔が必要だ。そのためには、「整形と化粧」が大切だ。化粧の場合には、ナチュラルメークにすることも大切だ。(ケバケバしい化粧は不可。)というわけで、「整形手術を受けて、ナチュラルメークの技巧を学ぶ」ことが大切である。学力以上に、これらが大切となる。
※ 例示すれば、板野友美や押切もえ。東大に合格するには、彼女たちの真似をすればいい。ただし化粧はナチュラルに。
※ 「そんなことで面接官はだまされないぞ」と思う人は、現実を知らない。現実は、下記だ。( 面接官なんて、こんなものである。)
→ 就活50連敗中の妹がリクルートスーツをちょいエロ仕様にした結果
【 関連項目 】
→ 東大推薦入試は有効か?
→ 入試と熱意・意欲 (次項)
※ 本項の続編です。是非、お読みください。
→ 面接入試の難点:その根源
※ 重要な話があります。是非、お読みください。
が、一点。
東大側の理念である「授業の内外で、幅広く学び、問題意識や深い洞察力を真剣に獲得しようとする人」。
これを好意的に解釈すれば、「意欲」ではなく「熱意」を持った人間を集めたいという事なのでしょう。
あくまで好意的に解釈すれば、ですが。
ここでいう意欲と熱意は別ものです。
熱意は個々人の興味関心から発するある種の飢えです。
意欲は指導によって外から喚起できますが、熱意は外から干渉できる類いではありません。
熱意ある人材を集めるという趣旨であれば、これは意義ある選抜方法だと思います。
意義を認めつつも問題は多いと感じますが。
故に、熱意ある人材用にスカウト形式の特例入学ルート枠を公に用意すればいいだけの話です。
熱意ある人材という括りの時点で全体に占める割合は低いのですから、そこから「東大の用意できる学問分野に対して」と篩がければ、数は言わずもがなでしょう。
間口として一般化する必要性を感じません。
その点からも、東大推薦入試の本旨はアピールの類いだなぁと感じてしまいます。
それだったら、ガリ勉タイプを集めるといいでしょう。才能はないのに、熱意だけで学力アップを果たそうとして、ものすごくガリ勉する人。これはものすごく熱意があります。
ただ、それだったら、学力テストで済むんですけどね。
数年間かけて全校教師が観察してきた評価や地域の人の評判から絞り込まれた各地域で飛び切りの若者が集まってくるのだから、凄くお得なやり方です。
集まった若者の中から、多様性を考えて選抜すれば良い。センター試験が高得点であれば、異常に高得点である必要はない。直交補空間に生息している人材を求めるということ。活性化しそうですね。
認知科学の研究で興味深い研究があった。一流数学者はどのように思考しているのか?の研究。比較用に若い大学院生たちが動員された。大学院生たちがじっくり考えれば解けるが、数学者にとっては、縁遠くなった類の問題。
考えていることを全て言葉に出して欲しいと注文。ふつう黙って考えるので、むしろ障碍になる。気にならなくなるまで慣らす期間を設けた。思考過程に歴然とした違いがあることがわかった。
先端的な研究では、重要な情報は言葉で飛び交って消えていく。未知に対する選択眼や捨て身で飛び込んでいく勇気やコミュニケーション力や人間としての信頼感や好感なども重要な要素になる。
それらは、長時間の面接(質疑)でかなり見えてくる。ペーパー試験では全く見えない。
東大がやろうとしている試みは、今後の日本にとっても非常に重要に思えますね。
及ぶことも想定している
数時間で分かるんですかね。
推薦入試ならスポーツ推薦の方が全然良い
東大は偏差値が高いだけで、中身のレベルは
低いとも言われるが、その通りなのかもしれない
数が少ない限りは、ほとんど何も変わらない。
慶応藤沢キャンパスみたいに、AO主体になたら、良くも悪くも激的な変化がありますけど。
後期入試の比率の少なさをみてもわかるように、推薦入試は、ちょっとした賑やかし程度で終わるとおもいます。
医学部には、推薦や地域枠という事実上の裏口入試が横行していますが、医師には、大して学力は必要ないので、かまわないんでしょう。
これは、高級官僚の子弟、有力政治家の子弟、社会的地位の高い人物の子弟、資産家の子弟が、学力において劣っていても東大に入学できるようにすること。
ではないでしょうか?
つまり、学力が劣っていても、(有力者の子弟は)大学側の任意で入学が許可されるということです。
なぜそのようにしたいか?
自分が支配階級(制度設計の権利を有する階級)の人間で、尚且つ、自分の息子、娘が学力において劣っていたとしたら、東大の入試制度をどのようにしたら自分に都合が良いか?
と考えてみたところ、これがもっとも 合理的な説明だからです。
(東大は独立自営の機関ではなく、官僚や、産業界や、政界から、干渉を受けています。)
根拠となる事実はありません。あくまで推測ですので、悪しからずお赦し下さい。
和田秀樹さんが同趣旨のことを述べていて、けっこう話題になりました。
→ http://www.j-cast.com/tv/2013/03/17169903.html
→ http://ameblo.jp/wadahideki/day-20130316.html
本サイトでも、下記項目のコメント欄で紹介されています。
→ http://openblog.meblog.biz/article/14719893.html
(1)
「<国公立大入試>2次の学力試験廃止 人物評価重視に」
→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131011-00000014-mai-life
(2)
「政府の教育再生実行会議有識者に【イオンド大学】から名誉博士号を授与された方がおられる」
→ http://togetter.com/li/575514
(3)
「秋田大医学部医学科の今年春の入試で、筆記は高得点だった女子受験生(18)が、前後期とも面接で0点で不合格になった」
→ http://www.asahi.com/edu/center-exam/TKY201212230769.html
(4)
「文科相「学力試験否定せず」 大学入試での廃止検討に」
→ http://www.47news.jp/CN/201310/CN2013101101001892.html
 ̄ ̄
文科相は、否定的見解を述べることで、火を鎮めようとしているらしい。しかしこれはおかしい。「入試で点数よりも面接を」というのは、文科相が今年の春ごろからずっと言っていることだからだ。(言葉は「面接」ではなく「人間力」だが、言っている内容は同じ。)
→ http://j.mp/GRHBAD
とすれば、今回の審議会の方針も、文科相の方針に沿ってのことにすぎない。(そういう委員ばかりを文科相が選んだ。) というか、これは安倍首相の息がかかっているようだ。
→ http://j.mp/1hHRkEx
 ̄ ̄
ついでだが、「面接」でなく「1点刻みの否定」という形で「学力試験の否定」という話題もあった。この件は、別項で論じた。
→ http://openblog.meblog.biz/article/19025272.html
また、東大の先生に競争原理を持ち込むのは賛成。
違います。後期試験は廃止されます。
→ http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1363350730/
東大の後期試験は、学力がすごく高い人が合格します。前期試験よりも難易度が高い。
そういう人たちをごっそり落として、代わりに、前期試験では合格できないような学力の低い人が合格できるようになります。
結局、「前期の試験日には風邪を引いた超優秀な人たち」が落とされ、「整形して美男美女になった人たち」が合格するようになります。
これからは「合格したければ整形しましょう」というふうになりますね。日本も韓国化する。こんなふうに。
→ http://rocketnews24.com/2013/04/24/321330/
タイムスタンプは 下記 ↓
→ 「東大は教員採用に面接を」
http://openblog.meblog.biz/article/19211273.html
教育ではありません。
だったら誰が教育するの? おかしいでしょう。
正しくは「研究も教育も」です。
なお、上記引用のようなことを述べるのは、あんまり研究のできない人だけです。(例外:大学院の教授。)
一方、ファインマンは、教育の重要性を述べています。さすがに天才はわかっている。立派な研究ができない人は、ファインマンの話を読むといいですよ。
とりあえずは、「ファインマン 教育」でググるといいでしょう。
正論ですね。研究重視といって教育をおざなりにしていると、大学の存在意義は半減します。
ファインマンは、素晴らしい研究者であり教育者でした。そのファインマンを誰が教育したのか? と考えると面白い。
答えは、彼の父親。子供のファインマンに寄り添い、ものごとの理由を具体的に順を追って考える楽しさと習慣を身に
付けさせた。他の子供から「君の親父は、鳥の名前も教えてくれないのか?」と馬鹿にされたが、父親は「名前なんか
どうでもよいさ。それより、あの鳥が何をしているのか見よう。そしてなぜそうしているのかを考えよう。その方が、
ずっと大事なことのだから」。父親は、大道芸のマジックの種明かしを探ったりと、仕組みを考える面白さを教えた。
子供の心の骨格づくりは、父親がやるべきではないか。そう気づくのは、子離れした後であることが多いですね。
大学・大学院の教育には、基礎部分と最新部分とがある。最新部分は、大学教員自身の研究テーマそのものを扱うの
で、教育のために研究と関係ない教材を時間をかけて準備する焦燥感がない。前者は、最先端の研究に忙殺されている
人がやらなくてもいい。60歳から75歳くらいの、研究センスがよく、教えることが好きな先輩方にやってもらえば、
大学・大学院は、研究と教育の両面でパワーアップするのではないでしょうか。少子高齢化社会を逆手にとって、世代
別の人材を有効活用する手ですね。文科省や大学は真剣に検討されるとよいのでは。
──
「中学受験 個別指導塾ドクター」では、中学受験の対策の一環として、面接個人レッスンを開講します。面接の事前準備の指導、模擬面接・面接指導、そして改善指導まで、ひとりひとりの志望状況に合った、面接実技を中学受験のプロがマンツーマンで指導します。
面接の事前準備は、「どの学校でもされる質問」から、「学校の特色があらわれる質問」まで、さまざまな質問を想定して準備しておくことが必要とされます。志望校に対する理解を深め、質問の意図に応じて答えるために必要な情報を、事前に整理しておくことが大切なのです。また、願書やアンケートの記入方法などプロならではの「コツ」も指導するという至れり尽くせりのレッスン内容です。
模擬面接後には「対策カルテ」を作成し、ひとりひとりの改善点を洗い出して具体的な改善方法を指導します。
→ http://www.dreamnews.jp/press/0000082858/
就活もそうですが、面接は「喋るのが上手な人をとる手段」ではないです。もちろん相手にわかりやすく伝えることは大事ですが、いくらはきはき喋っていても、内容が伴っていなければ意味がありませんから。
面接入試というだけで、中身を見ずに拒否反応を示しているようにしか見えません。
20131031日経 私の履歴書 利根川 進
MITはSAT、高校の成績よりも小論文と個人面接を重視。面接官はMIT卒業生で各界活躍中の人。
入学後MITに必要か否かを検証、よい学生を選べなかった面接官は次回から交代。
MITの特徴を維持するため、主観的視点を大事にする。
なるべくエネルギーがあり、独創的な人材を採りたい。
創造的な仕事は秀才が適しているとは限らない。
仮説の難易度を予想できてしまい、高い目標に挑戦する意欲を持てなくなる。
スマホからの入力のため、一部省略しています。ご容赦を、
翻って日本ではどうか?
東大はMITよりハーバードとかよく知りませんが、官吏やMBAの系列の色が濃い様なので、少し合わないような気がします。日本ではMITは受け入れられにくい気がします。
それはどれだけの売上、利益につながるのかね?
と思考の邪魔をすることが権力者の特権と勘違いしているかぎり、無理でしょう。
しかし,ボーダーライン付近にいる大半の受験生は金太郎アメ状態で,面接では優劣がつけられませんし,ペーパー試験をしても五十歩歩百歩です。
結局,面接でも1点差で合否が決まることに変わりはありません。
ペーパー試験のほうが選抜の信頼性は高い(間違って合格する学生は少ない)でしょうね。
なお,国立理工系の面接は「元気にはきはきと」という基準ではなく,学力を具体的に口頭試問するのです。
中野美奈子を通してアインシュタインを落とすことはありません。
文系のことは知りません。
なお,欧米名門私立大学は,半数を家柄や血筋の良い学生で,半数を学力の高い学生で埋めることが多いようです。
しかし,憲法を改正しないと,日本の国立大学が家柄や親の職業で学生を選抜することは許されないので,アメリカの真似は不可能です。
本項で述べているのは、現在行われている面接試験という現状のこと(学力評価)ではなくて、文科省が狙っている「人間性の評価」という面接方針です。
> 中野美奈子を通してアインシュタインを落とすことはありません。
それは現状であって、文科省の狙いとは違います。アインシュタインはどもり(吃音)であったという点に留意してください。どもりが人間性評価で高得点を取ることはありえません。
──
面接などによる「人物評価」や、基礎編と発展編に分かれた「達成度テスト」を盛り込んだ提言の実施時期は「5、6年後をめど」とされる。今後、中央教育審議会が具体的な制度設計を議論するが、「1期生」になる可能性のある現小学6年生や中学1年生の保護者からは、「人物評価で客観的な評価が示せるのか」と不安の声が上がる。
今回の提言内容は、実は、かねて文部科学省内で検討されていたものだった。同省にとっては、「自民一強」に支えられた政権の勢いを借りて、長年の課題を一気に通せる絶好の機会を得たといえる。
→ http://www.asahi.com/articles/TKY201311070429.html
→ http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n1404
1)志望動機・理由について。
2)将来の進路と希望について。入学後の学習計画、将来設計、時事問題
3)高校生活の思い出。
こういうのは、あらかじめ模範解答を用意しておいて、それをペチャクチャと語れば、うまく満点を取れる。ここでは「いかにも本当らしく嘘を語るか」という演技力だけが重要となる。
現実には、アニメとゲームばかりやっている、という生徒がほとんどだろうが、スポーツとボランティアと趣味でリア充だった、……というふうに語れば、最高点を取れるはずだ。
ここでは、上手に嘘を用意して上げることのできる金持ちだけが有利になる。
私みたいに嘘をつくのが上手な人は、金持ち向けに「お一人様 30万円でコーチを引き受けます」という商売でも始めようかな。30万円で馬鹿が超一流大に入学できるんだから、安いものだろう。
これからは、学歴は金で買う時代になりそうだ。
( ※ 一部、冗談が混じっています。真に受けないでください。)
私自身は,過去の口頭試問で以下の3点は一度も質問したことがありません(無意味なので)。
たぶん,多くの私大文系でそういう質問をしているのでしょう。
1)志望動機・理由について。
2)将来の進路と希望について。入学後の学習計画、将来設計、時事問題
3)高校生活の思い出。
ただし,今までどういう勉強や活動をしてきたかは詳細に聞きますし,
必ず,具体的な問題を何問か考えてもらいます。
いくら塾でトレーニングしても,基礎学殖がないとこれはクリアできません。
しかも,ペーパー試験と異なり,思考過程を詳細に分析できます。
勉強していない受験生は,簡単に見抜けます。
あと,素行不良な学生も見抜けます。
> どもりが人間性評価で高得点を取ることはありえません。
東大が面接で「人間性評価」をするとは書いてないはずです。
今まで行ってきた大学院の口頭試問のノウハウをもとに,
専門分野の学習・研究に対する才能や基礎学力を検査するのだと思います。
民間企業の就職面接とは全然異なります。
参考までに,天才には特有の思考の波長があって,天才同士だと,それが分かるのです。
私自身「どもり」でも才能のある受験生に低い評価をつけたことはありません。
東大の話に戻りますと,私の経験からしても, 10人から1人を面接で選抜するのは可能です。
しかし,100人から50人を面接で選抜するのは不可能です。
真ん中の80人くらいは金太郎アメだからです。
先に述べたように、それは思考力を問う面接であり、優秀な人材を採る面接です。
今回の文科省の方針は、そうではありません。人間性を見るものです。
> 東大が面接で「人間性評価」をするとは書いてないはずです。
そうです。東大の方針の難点は、「人間性評価」とは別のところにあります。その件は下記で述べました。
→ http://openblog.meblog.biz/article/14719893.html
「人間性評価」というのは、自民党と文科省の方針であって、大学の方針とは違います。大学の間ではかなり評判が悪いようです。実際にそれが実現するかというと、疑問符も付きます。ともかく今はそういう方向性があるというだけで、最終決定はされていません。
> 天才には特有の思考の波長があって,天才同士だと,それが分かるのです。
それはそうですけど、わからないことも多いんですよね。なぜなら天才は多様だから。理解できることもあるが、理解できないこともある。特に分野や方向性が全然違う場合には理解できない。
> 「どもり」でも才能のある受験生に低い評価をつけたことはありません。
どもりは今後、「人間性の低さ」を理由として低評価となるのです。私が何を論じているかを理解してください。「身障者が低評価となる」と述べているのではありません。
──
なお、その人間性を評価する選考委員というのは、ろくでもない人間たちだ、という点に注意してください。何しろ、「人間性こそが入試の要件だ」と信じていて、思考力や論理力をないがしろにする連中です。国民から大反発を受けても、それでも自己流を通そうとする、頑迷で唯我独尊的な人物です。
こういう選考委員にとって「好もしい人物」というのは、「反抗心や独創性がなくて、従順で素直で愛国心がある性格」という点が重要になります。この点を理解しましょう。
要するに、自民党好みの受験生が有利なんです。この点を理解することが合格のポイントです。それを理解しないと、合格できません。
あなたが述べているのは、「現在の大学での選考ポイント」ですが、それは今後は無用となります。あなたの言うように「思考力を問う」という方針を取ろうとすれば、そういう選考委員は排除されます。
これからは「人間性が優れた受験生」つまり「愛国心があり国旗や国歌に敬意を払う受験生」こそが有利になります。それが文科省の方針です。そう理解しましょう。
そして、それに合わせることが、合格のポイントです。あなたも解雇されたくなければ、今後は方針を転換する必要があります。それが文科省の政策なんだから。
先の記事を読んでください。
> 同省にとっては、「自民一強」に支えられた政権の勢いを借りて、長年の課題を一気に通せる絶好の機会を得たといえる。
国民からはとうてい支持されないような方針を、自民党の独裁政権下で、強行的に通してしまえ、というのが、現在の方針です。
このことを理解しないと、受験生はうまく合格できなくなります。
──
あなたはたぶん、「正しい面接とは何か」を論じているのでしょうが、私が論じているのはそうではなくて、「これから日本がとんでもない状況に悪化するぞ」という警告です。
私は本項では教育論を述べているのではありません。大きな警告をしているのです。論点を間違えないでください。
──
慶応の指定校推薦は、中野美奈子と、もうひとり受けたんだよ。
そのもうひとりのほうが、中野美奈子よりもずっと頭もよくって、(ダッシュじゃないけど)部活も写真部、とかじゃなくって、吹奏楽部に入っててがんばってたの。
だから、どう考えても、中野美奈子が指定校推薦を取るのはおかしいんだよ。
ちなみに、丸高は、ダッシュの人は指定校推薦もらえません。
ついでにもう一つ、指定校推薦もらえなかったら、慶応どころか6大学にも入れるレベルじゃないらしい。
それで、中野美奈子が指定校推薦もらったのは、誰が考えてもおかしい事で、皆が”ずるい”って言ったの。
→ http://j.mp/1910sCm
──
真偽不明だが、十分にありそうな話だ。何しろ、あの国語力ですからね。
これは面接ではなく、指定校推薦の例だが、どっちだって似たようなものだ。「人間性重視」という情実であれば、美人が圧倒的に有利になる。
そしてまた、慶應大学自身がその方針を取った。お馬鹿でも圧倒的な美人を選んだ。そして、それを知っているからこそ、高校は美人を送り込んだのだろう。(不美人で頭のいい人を送り込んでも、慶應に面接で拒絶される、と理解していたのだろう。)
これが現実だ。
文教部会の提言は,「暗記型」学力以外の要素を入試に加味するように,という意味だと理解しています。
ただ,大学・学部・学科により,特に重視される側面はそれぞれ異なるでしょう。
私大大学だと,学力より「将来社会でで活躍できそうな人」「大学名を高めてくれそうな人」を重点的に採る,という基準もあるでしょう。
実際,中野美奈子はアナウンサーとして活躍しましたから,その判断は正しかったわけです。
あと,美人を少し採っておくと,男子学生の出席率が上がる,というクラス運営上の判断があったのかもしれません。
いろんなタイプの人をバランスよく採る,というのは欧米型AO試験の1つの考え方です。
ただし,国立理系では専門分野の基礎学力があることが絶対条件です。
「(定積分の)区分求積法のアイデアを説明して下さい」とか「熱の正体を熱力学の視点で説明して下さい」などの質問をして,返答に応じていろいろ突っ込んでいくと,筆記試験では見られない理解力・思考力という人格の重要な一部を知ることができます。
また,ペーパー試験の得点が高くても,反社会性の強い人,素行不良な人は,他の学生への悪影響が大きいので,入学をご遠慮願いたく,そこは面接でチェックできると思います。
(上位)大学の教員は,官僚や政治家より成績上位だった人達の集まりで,いろんな能力を持った人がいるので,侮れませんよ。
文科省の方針はそうではなくて、「人間性」重視です。基礎学力はセンター試験で見るだけ、という立場です。面接では基礎学力以外を見ます。
> 「(定積分の)区分求積法のアイデアを説明して下さい」とか「熱の正体を熱力学の視点で説明して下さい」などの質問をして
これでうまく即答できる人は能力があることは間違いないでしょう。でも、即答できないからといって無能だとは言えない。
こういうのに即答する能力というのは、アドリブの能力に依存して、沈思黙考の能力とは異なります。
私はどちらも得意だからわかるけど、アドリブと沈思黙考とは、脳の働かせ方がまったく異なります。
例示的に言うと、島田紳助タイプならば最高点で東大に入学できるだろうけど、アインシュタインタイプだとあっさり不合格です。
頭脳のレベルというよりは、アドリブに応じられる性格を測るのに適しています。
頭脳レベル × アドリブ能力
という掛け算ですね。いくら頭脳レベルが高くても、アインシュタインタイプは点数が低くなる。
即答できる人は、たしかに優秀なのは間違いないですが、即答できないからといって、頭脳レベルが落ちるとは言えない。引っ込み思案の研究者だと、すごく不利ですね。ノーベル賞の田中さんタイプ。
将棋で言うと、5秒で差す早指しの能力と、持ち時間10時間でじっくり指すタイトル戦の能力とは、まったく異なります。前者で強い人はたしかに有能ですが、それで後者の能力が測れると思ったら大間違いです。
そして、大切なのは、アドリブ的な早指しの能力ではなくて、じっくり考える能力なのです。それは論述式試験では測れても、短時間の面接では測れません。1人あたり何時間もかけて、1問の返答に20分の待ち時間を許すならともかく。
そのような点がまさしく面接試験の最大の弊害なのです。
この件は、下記項目で詳述しました。
→ http://openblog.meblog.biz/article/19534772.html
このコメント欄の ★ のところに、続きを書きます。
美人がデタラメ日本語を振りまいて、ろくにニュースを読めもしない……というのは、よかったのかどうか。テレビ局としては安価にタレントを入手できたことになるが、テレビ局はよくても、デタラメ日本語を聞かされた視聴者にとってはよかったのか? テレビ局が金儲けして日本人の知的レベルを低下させることがよかったことなのか?
それをよかったと見なすのであれば、もはや大学の存在意義はないですね。その大学はタレント養成学校になった方がいい。教育なんか必要ない(金儲けさえできればいい)、と思っているわけなんだから。
これからは、学歴は金で買う時代になりそうだ。
( ※ 一部、冗談が混じっています。真に受けないでください。)
本題に関係ない部分の書き込みで恐縮ですが、正直どの部分が本気でどの部分が冗談かわかりません。笑