センター試験の世界史の問題をやってみたが、ひどいものだ。 ──
センター試験の世界史の問題は、ここから入手できる。
→ 平成25年度本試験問題
各科目があるから、「世界史B」の PDF をダウンロードすればいい。
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で、これをやってみたが……
私はほとんど点数が取れませんでした。 (^^);
ま、受験生のころから世界史はほとんど点が取れなかった。ただ、私は世界史がまるきり苦手だというわけじゃない。高校受験のときには、歴史(日本史・世界史)の点数は、常にほぼ満点だった。中学校(1学年200人以上の公立校)で、常にトップだったと思う。満点ならトップに決まっているが。で、200人以上のなかでトップになるような歴史力のあった私でさえ、大学入試の世界史の問題ではほとんど点が取れなかった。別に、私の歴史認識能力がひどく劣っている、というわけではないはずだが。
これはどうしてか? 理由は、こうだ。
「センター試験の世界史の問題では、細かな歴史知識ばかりを記憶させて、記憶力のテストになっているから」
換言すれば、こうだ。
「世界の歴史の流れというような大きな歴史的本質はまるきり無視して、細かな固有名詞の概念知識ばかりを記憶させている」
これじゃ、歴史力のテストというよりは、ただの暗記力のテストでしかない。馬鹿げている。ネットで歴史事典か簡易百科事典みたいななものを引けばすぐにわかるような簡易情報ばかりを人間の頭に詰め込ませている。無意味の極み。
このような試験は、さっさと廃止するべきだ、と思う。人間の頭脳の大いなる浪費だ。
しかも、このようなことを、受験生の全員に強要する。そして、このような能力が足りないと、それだけで「不合格」の扱いにする。つまり、不得意科目が一つでもあると、それだけで「不合格」の扱いにする。(この件は先に 別項 で述べたとおり。)
このような愚にも付かない試験は、さっさと廃止するべきだろう。能力のある人を選抜するのが入試であるはずだが、この試験は能力のある人を不合格にするためにしか役立っていないからだ。ない方がマシ。
[ 付記1 ]
「世界史の歴史認識は大切だ」
という見解もある。それはそれでいい。しかし、それを認めるとしても、次の二点は必要だ。
・ 理系の学生には強要しない
・ 試験内容は断片的知識とは関係のないものにする
現状は、この二点を満たさないので、まったく駄目だ。
仮に試験をするとしたら、次のような内容を受験生に考えさせるような問題であるべきだ。
→ 封建制とは(歴史学)
[ 付記2 ]
《 以下は個人的な体験なので、読まなくてもよい。 》
私は高校の世界史の時間を、ずっとサボっていた、というわけではない。なぜなら、もともと世界史の授業がなかったのだ。
これはどうしてかというと、高校の方針で、「受験勉強は教えません。かわりに大学レベルの専門教育をします」ということをやっていたからだ。
で、大学レベルのごく小さなタコツボ的な事件(今から思えば大学院レベルだったな)については詳しく教えられたが、世界史一般については教えられなかった。
で、文系の人は自分で教科書や参考書を読んで、世界史の知識を頭に詰め込んだ。
私は理系だから、教科書や参考書を読まない……というわけにも行かず、少しは読んだのだが、挫折した。英数国に勉強時間を取られたからだ。
高校受験のときには、英数国理については勉強しなくても点が取れたから、勉強は社会だけだった。だから社会についても満点を取れた。
しかし大学受験となると、「社会だけを勉強する」というのでは非効率すぎる。そこで「社会は捨てて、英数国理だけを勉強する」というふうにした。同じ時間をかけても、社会1科目だけならば1教科の得点しか取れないが、英数国理なら4教科の得点を取れる。だったら、社会を捨てて英数国理で点を取る方がいい、という判断。
だから、私の世界史の知識は、大学卒業後に百科事典などをいろいろ読んで得た知識。
2013年03月18日
過去ログ
「世界の歴史」(河出書房新社)を全巻通読したからです。
この文庫本シリーズは、フランス革命、ロシヤ革命、ヨーロッパ中世といったテーマごとに専門の著者がいて、自分の学問的立場を明確にしつつ、テーマについて詳しく論ずるというもので、実に読んでおもしろいです。同じ出来事が、巻によって矛盾した記述がなされていたりして、歴史学の多様性を教えてくれる。
高校の世界史教科書は、言わば、ガンダム劇場版みたいなものです。出来事の要約にはなっているが、肝心のことは何も書かれていない。
考えの引き出しの数を増やすという点で、役に立つ。
それは時間と努力が大変すぎる。高尾山に登るのを目的に、エベレストで訓練する、みたいな。本末転倒ふう。
ただ、そちらの意見を参考として、次項を書きました。その意味では、いいヒントでした。
歴史は因果応報の織り成す綾から多くのことを学ぶことができる非常に重要な教養ですが、受験暗記科目として堕落しているのが残念です。
フォン・ノイマンは、家の一室にあったウィルヘルム・オンケンの44巻本の歴史書『世界史』を読了した。ラマヌジャンは、バラモン階級に属し、徹底したヒンドゥー教の宗教教育を受けた。それらの壮大で多様な縦糸や横糸が走るストーリー群を、脳の神経回路網に通すことで、潜在的なポテンシャルを目覚めさせた。細切れのトイ・プロブレムばかりを過剰にやるお受験教育で、萎縮した脳にしている日本の教育と隔たること遙かです。
今の軽薄なお受験教育を続けると、不適任者がリーダーになり、まともなリーダー資質の人が排除され、日本は劣化し、貧乏国になると思われます。現に、シャープ、パナソニック、ソニーに明確に兆候が現れています。雇用は失われ、若者は仕事を通じて成長する機会を失いつつあります。
良い方法は、人生でやり直しの機会を何度でも与え、自分の適性を活かせる教育・社会システムにすることであり、人を生かすシステムづくりです。
ソニーなど、適任者がCEOになれば、難なく復活します。そうなる前に没しそうで、ハラハラです。