初めに結論を言おう。
「優秀な人材を集めるために入試改革をする」
という発想そのものが、市場原理や競争原理に基づいた発想であり、根本的に間違っている。
「優秀な人材を集めるため」
であれば、他大学との競争で、優秀な人材を引っ張ればいいのではない。
「優秀な人材が来たくなるように、大学自身を自己改革する」
というのが、本筋だ。
比喩的に言えば、ある男性が女性にモテモテになりたいとしたら、美人女性を探して、あれこれとオファーをすればいいのではなく、自分自身が魅力的な人間になればいい。放って置いても女性から寄ってくるような魅力的な人間になればいい。これが本筋だ。
大学もまた同じ。
──
そのためには、どうすればいいか? こうだ。
「超優秀な人材を育成するための学内システムを整備する」
これについては、東大もいくらか考えているようで、次のような提案をする。
東大によると、対象は、物理学や数学、文学など特定の学問分野に強い関心や学習意欲を持つ人。文科1〜3類、理科1〜3類の各科類に推薦入試枠を設ける。推薦入試の合格者は、学生全員が教養学部に在籍する1、2年生の段階から大学院などの専門的な授業を受ける。呆れる。大学院の専門的な授業を教えれば、特別優秀な人材が集まる、……と思い込んでいる。東大の教授は、真の秀才というものがどういうものだか、全然わかっていない。
( → 共同通信 )
真の秀才というものがどういうものかについては、私ほどよく知っている人はいないだろう。次の経験がある。
「全国模試で全国1位、2位になる二名と、高校のときには同級生であり、東大理科1類でも同級生だった」
このような経験を持つ人は、きわめて少ないはずだ。そもそも、「全国模試で全国1位、2位になる二名」が、高校で同級になることはめったにないし、東大でも同じクラスになることはほとんど奇跡的な偶然だ。それと同じクラスになって、下校もいっしょに下校した、……なんて高校生は、ほとんどいないだろう。
だから、私はわかっているが、このレベルの超秀才というのは、こうだった。
「東大模試では傑出した点数を取る。ほとんど満点に近い。1位がほぼ満点であり、2位がそれにやや足りず、3位、4位、となると、大きく点数が下がる。そのあとで、団子状に多くの受験生が続く」
要するに、1位、2位、3位ぐらいは、ものすごく傑出した点数を取り、他の「秀才」たちとは全然違うレベルなのだ。
では、このような「超秀才」は、物理や数学ではどれほど傑出していたか? ……実は、傑出していなかった。彼らは東大の試験のような大学入試のレベルでは傑出していたが、真の天才的な才能があるわけではなかった。むしろ、模試でははるかに低い点数しか取れないような人々に、数学の天才とも言える人がいた。
で、数学の天才と言えるタイプは、私とは席が隣で、私と仲が良かったから、私はよく知っている。私は彼の才能に感嘆した。私とは頭の出来が全然違うと思った。常人が及ばないような方法で解答を出す。「数式操作で解答を解く」というのではなく、「ヒラメキで一瞬にして解答を出してしまう」という感じだ。
ま、歴史上、こういう数学の天才は、ときどきいる。ガロアとかね。
で、こういう数学の天才には、どういう教育をすればいいか?それが本題だ。
この件についても、私はいくらか知っているので示すと、それは「大学院の教育をすること」なんかじゃない。数学の天才というのは、自分で勝手に本を読んで、自分で勝手に証明をしてしまう。本だけがあればいいのだ。一方、大学院の教育をすればいいと思うのは、ひどい勘違いだ。そんなことをすれば、自分で本を読んで考える時間が減るから、有害でしかない。
ここで、大学側がすることは何もないかというと、そうではない。次のことならばできる。
「非常に優秀な教授が、学生の質問を受けて、質問に答える」
つまり、教授の側が一方的に教えるのではなくて、学生の側が求めたときにだけ質問に答えればいい。あるいは、アドバイスをすればいい。
ここでは、次の形が必要だ。
「学生と教授とが、マンツーマンの形で、個別に対応する」 ……(*)
たとえば、解析学については解析学の教授がマンツーマンで対処する。トポロジーについてはトポロジーの教授がマンツーマンで対処する。……こういう形ならば有益だろう。
だから、こういうシステム(*)を整備した上で、そのことを宣伝すればいい。
「本大学では、特別優秀な学生に対して、このようなマンツーマンの教育システムを用意しています」
というふうに。これならば、天才的な学生が集まってくるだろう。
──
では、そのために、入試改革をする必要はないか? いや、ある。それは、先の項目でも述べたとおりだ。
→ 東大推薦入試は有効か?
その意味は、「優秀な学生を引っ張ること」ではなくて、「優秀な学生を排除しないこと」である。
ところが、現実には、東大のシステムはそうなっていない。「平均点が 80%ぐらい」というセンター試験を使うことで、「1科目でも不得意科目がある受験生を排除する」という方式になっている。これでは全然ダメだ。1芸に秀でた学生が来ても、それを自分で排除してしまっている。
──
結論。
東大が傑出した学生を引っ張りたいのであれば、そのためになすべきことは、推薦入学を取り入れることではない。他大学との競争で、優秀な学生を選べばいいのではない。優秀な学生が自ら進んで来てくれるように、大学の教育システムそのものを改革するべきだ。入試を改革するよりも、大学の教育システムそのものを改革するべきだ。
ただし、入試にも、改革するべきことはある。それは、「不得意科目を持つ学生を排除する」という現行のシステムをやめることだ。このようなシステムを維持している限りは、すべての改革は画餅になる。従って、センター試験を使わないことが、改革の第一歩となる。
( ※ とはいえ、東大にそれができるかというと、まず無理だろう。「優れた教育とは大学院の専門教育を教えることだ」なんて思っているようでは、どうしようもない。)
[ 付記 ]
例の1位、2位の同級生でさえ、東大の1年生の講義については、けっこう難儀したようだ。というのは、教科書も使わず、下手なわかりにくい講義を受けさせられたからだ。
大学1年生の秀才に、大学院レベルの専門教育を受けさせる、というのは、恐ろしいほどひどい発想である。そんなことをやれば才能を伸ばせると思い込んでいるとしたら、東大の教授というのは、教育というものをまったく理解できていないと言える。
東大を改革するには、今の東大教授をみんなクビにしてしまうのが、一番いいかもね。教育というものをまったく理解できていない教授が多すぎる。