2013年02月20日

◆ 治験とプラセボ

 治験では、新薬のほかに、プラセボも使う。しかし、これではプラセボに当たった患者が気の毒だ。では、どうすればいいか? ──

 新薬の効能を調べるための治験では、新薬のほかに、プラセボも使う。3分の2が新薬で、3分の1がプラセボだ。プラセボが当たった患者は、ただのデンプン玉みたいなもの(偽薬)を与えられるだけだから、治療を受けないことになる。これでは、プラセボに当たった患者が気の毒だ。いわば、
 「新薬開発のモルモットにされて、犠牲になる」
 というようなものだ。ひどい場合には、治療を受けられずに、寿命が短縮する。
 「標準医療を受ければ、きちんと治療の効果があったはずなのに、治験に参加したばかりに、治療を受けられなくなって、犠牲になる」
 というわけだ。可哀想。

 ──

 では、どうすればいいか? 簡単だ。(既存の)別の薬を与えればいい。特に、患者ごとに別々にしないで、統一的に同じ薬を与えればいい。(症状もなるべく統一する。)
 その結果は? たとえば、次のようになる。
  ・ 新薬  …… 生存期間 11カ月
  ・ 別の薬 …… 生存期間 11カ月
  ・ 薬なし …… 生存期間 8カ月


 この場合、次の結論が得られる。
 「新薬は、確かに有効だが、(既存の)別の薬と同程度である」

 ま、それはそれでいい。大事なのは、次のことだ。
 「対照群の方(別の薬)に当たった患者も、プラセボのかわりに別の薬を得られたのだから、きちんと治療の効果があった。モルモットにされて犠牲になることはなかった」

 ──

 そもそも、新薬開発の目的は、「既存の薬よりも優れているかどうか」という比較だ。「薬が何もない場合よりも優れているか」という比較ではない。
 その意味で、「プラセボとの比較」という比較試験は、もともと方針が狂っている。根源的に方針がおかしいのだ。

 ──

 さらには、別の問題もある。次のことだ。
 「昔に比べて、今では薬剤以外の医療環境が向上している。そのせいで、昔の薬と同一の効能しかなくても、治験をすると新薬の方が効果があるようなデータが出る。そのせいで、たいして効果もない新薬が次々と承認されて、薬剤費が高騰する」

 たとえば、こうだ。
 Aという薬剤は、生存期間 10カ月の効能があった。
 それから5年後に、よく似たBという薬剤が開発された。それによると、生存期間 11カ月の効能があった。Aに比べて、1カ月長い。だからそれだけ効能がある、と見なされて、新規に承認された。(ここではプラセボとの比較だけがあった。)
 ところが、AとBは生理学的な効果が同じである。結果に差が出るはずがない。そこで詳しく調べてみるため、再度治験をすると、AもBも生存期間 11カ月の効能があるとわかった。これはどういうことか? 
 5年前には他の医療環境が悪かったので、生存期間 10カ月だったが、今では他の医療環境が良くなったので、生存期間 11カ月となったのだ。そのせいで、薬としての効能はまったく同じでも、5年前に治験をしたAという薬剤は、生存期間 10カ月となり、今になって治験をしたBという薬剤は、生存期間 11カ月となった。
 この両者を比較するならば、今という時点で双方を比較しなくてはならないのに、5年前のAと現在のBとを比較してしまった。そのせいで、間違った結論が出た。そして、それというのも、現在における新薬の比較対象が、別の薬ではなくて、プラセボであったからなのだ。

 ──

 結論。

 新薬の治験で、比較対象にプラセボを使うことは、プラセボに当たった患者に治療機会を奪う。(それは犠牲をもたらす。)
 さらに、「(既存の)別の薬との比較をしない」ということで、薬効の評価が不正確になる。同じ時点での評価ではないので、同じ環境での評価とならず、公正な評価にならないからだ。
 このように、倫理的にも科学的にも、治験でプラセボを使うことは悪しきことなのである。
 


 [ 補足 ]
 細かな話。(やや専門的。)
 次の疑問があるかもしれない。
 「AとBには五年後に1カ月の延命効果ということだが、その1カ月の延命効果は、プラセボ群にも当てはまるのでは?」
 なるほど、普通の衛生環境などならば、プラセボ群にも当てはまる。
 しかし、薬効を得るための環境ならば、プラセボ群には当てはまらない。たとえば、「副作用を抑制する薬剤が発展したので、副作用による寿命短縮がなくなった」というふうな。……これならば、同じ薬剤に対しても、「副作用を減らす」という効果のおかげで、5年後の方が大きな効果を持つことになる。

 


 【 注記 】
 本項は私の個人的な認識です。医学界の公式見解ではありません。間違っているかもしれないので、素人の人は鵜呑みにしないでください。
 専門家からのご意見があれば、コメント欄に書き込んでおいてください。
posted by 管理人 at 20:36| Comment(5) | 医学・薬学 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
専門家じゃありませんが、脳循環改善薬については、プラセボとの比較が不適切だったために、無効な薬が認可されて、数千億円が無駄になりました。
「ホパテ」事件。

そもそも、痴呆症改善薬は、効能の評価が難しい。患者は複数の疾患を持っていて、対象疾患だけを持つ「きれいなケース」はほとんどなく、無作為割付も難しい。
Posted by 井上晃宏 at 2013年02月21日 05:13
う〜ん...ちょっとこれは医薬品開発の現状を御存知ない内容かと...
 ヒトの反応をmimicできるモデル動物は有りません。動物実験で有効性・安全性が証明されていても、それがヒトで当てはまるかどうかは試してみなければわからないのです。
 要するに、薬の候補品(まだ薬ではない)の期待できる有効性(ベネフィット)と、証明できていない有害性(リスク)はつり合っています。
 実際、やっとヒトへの実験的投与まで進んだ(Phase Iという)薬の候補品が販売まで持っていけるのは10-20%程度で、80%-90%の候補品は開発中止になります(効率をどれだけ上げれるか、各社しのぎを削っています)。
 また、保険制度が整った日本と異なり、多くの国(先進国)でも患者さんが最低限の治療を受ける機会が保証されているわけではありません。
 したがって、薬の開発に参加することで、(開発会社が費用を負担するので)受診、各種検査の機会を得ることに加え条件によっては対価を受けることができる貧困層の存在もあるのです(UKには開発試験参加の代償として衣食住を保証するシステムもあるそうです)。
 また、placebo群でも病状が進行した場合、試験薬も含むその他の治療の機会も(無償で)与えられます。こういった面でplaceboを与えられた患者さんもメリットを享受出来るようになっています(placeboに割り付けられても確実に何らかのメリットはある)。
 既存の薬との比較試験も有りますが、本当に既存薬が(その臨床研究の条件で)有用かどうかははっきりしないことがあるので、薬の開発に関するガイドラインでは、その場合でもplacebo群を設けることを基本方針としています(これは井上さんの指摘通り)。
 こういったことから、placebo群を設けた厳密な臨床研究が必要ですし、それは決して参加されるかたがたに不利にはなっていないのです。
 その薬が本当に有効であれば、数千人の人々の協力により世界中の患者さんを救うことが出来るので、モルモットというのはちょっとどうかと...
 なお、臨床研究は極一部の患者さんで短期間しか試されていません。新薬の有効性・安全性を確実に証明できるわけではなく、市販後に問題が明らかになり、販売中止に追い込まれる薬も数多く有ります。また、10年以上使ってみて問題が明らかになる薬も有ります。こういった面で薬の使用は常にリスク-ベネフィットのバランスの上に成り立っています。
 尤も海外で有効性が確立されているのに、それでも(世界でも例外的な)保険制度が充実しているため、こういった試験への参加のメリットが乏しい日本人での試験を必要とし、drug lagを発生させている某規制当局の方針には(若干改善されてきているとは言え)違和感を覚えますが...
Posted by いつも見ています at 2013年02月21日 11:09
> 保険制度が整った日本と異なり、多くの国……

 それは本件とは別の話題になりそうです。本件はあくまで日本の話ですから。外国の場合はまた別の話。

> 本当に既存薬が(その臨床研究の条件で)有用かどうかははっきりしないことがあるので、

 「ことがある」からって、そのような例外的なことがあるかもしれないから、既存薬との比較をしない、というのは、変じゃない? どうせなら、既存薬もいっしょにチェックすればいいのに。
 例  新薬 100人、プラセボ 100人
  → 新薬 100人、プラセボ 50人、旧薬 50人
 これで Phase II ぐらいをやればいいのに。あるいは、新薬と旧薬との比較が済んだあとで、新薬とプラセボとのチェックをすればいい。被験者の総数は同じでいいでしょう。

> こういったことから、placebo群を設けた厳密な臨床研究が必要ですし、

 この件は、すぐ上に述べた方法で、追加的に是正できます。

> それは決して参加されるかたがたに不利にはなっていないのです。

 前提で示されているとおり、外国の場合でしょう。日本ではそうではない。

 なお、抗ガン剤などで「新薬の治験を受けたい」という患者が「だけどプラセボに当たるのはいやだ」と言っている声が、ネット上に見つかります。
 どうせなら、「新薬でないときは、プラセボでなく旧薬」というグループも作って、「プラセボか、旧薬か」という選択を、患者にさせて上げればいいのに。そうすれば、プラセボを選ぶ人はいなくなるでしょうが。

 ──

 それより、「日本独自の治験」(欧米の治験を無視すること)をやめた方がいいと思うんですよね。アメリカではアジア人も含めて治験をやっているんだし。そもそも人種差なんて、ごく例外的な場合を除いて、無視していいんだし。(白人と黄色人種の人種差はきわめて小さい。黒人同士の人種差に比べて、圧倒的に小さい。)

 そもそも、人種差よりも個人差の方が圧倒的に大きい。欧州の治験で個人差がが大きいと判明した場合のみ、人種差もチェックすればいい。……ただ、どちらかと言えば、オーダーメード医療を考慮する方がいい。
Posted by 管理人 at 2013年02月21日 12:44
こんばんは

>なお、抗ガン剤などで「新薬の治験を受けたい」という患者が「だけどプラセボに当たるのはいやだ」と言っている声が、ネット上に見つかります。
ダブルブラインド試験が成立しなくなるように思いますが……

>では、どうすればいいか? 簡単だ。(既存の)別の薬を与えればいい。
そのような治験も多数ありますし「既存薬と劣る点がない」というだけで認可される薬もあると思いますが.

>新薬の治験で、比較対象にプラセボを使うことは、プラセボに当たった患者に治療機会を奪う。(それは犠牲をもたらす。)
なら患者として治験に参加しなければ良いだけではないでしょうか.治験に参加する際には同意書が必要ですので.
Posted by 耳鼻科医 at 2013年02月21日 20:27
> ダブルブラインド試験が成立しなくなるように思いますが……

 「いやだ」と思っているだけです。実行はできません。患者の側の願望だけ。「死にたくない」という願望みたいなものです。「それは無理です」と理屈を言っても無意味。

> 患者として治験に参加しなければ良いだけではないでしょうか.

 既存薬では効かない人にとっては、切実な問題です。一縷の望みで新薬を望んでいるのに、「参加しなければ良いだけ」では可哀想です。
 「運が良ければ新薬。運が悪くても旧薬」
 ならば、諦めが付くでしょうが。

 「治験 プラセボ」で検索してみて、患者の側の声を聞いてみてください。現状では製薬会社の側の立場があるだけで、患者の側への思いやりが欠けていることがわかります。
 「いやなら新薬の治験をやるな」
 というのは、余命わずかの癌患者には残酷に聞こえるものです。「ブラックジャックによろしく」の無料版でも見るとわかりますよ。
Posted by 管理人 at 2013年02月21日 20:52
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