( ※ 本項の実際の掲載日は 2013-02-10 です。)
将来的に男子がいなくなる場合を、これまでは考えた。
それとは別に、男子がいる場合には、皇位継承の優先順位はどうするべきか? 浩宮の子供は愛子様だけで、男子がいない。悠仁様は男子だが、礼宮の子供だ。そこで、「浩宮の娘と、礼宮の息子の、どちらが優先するか?」という問題が生じる。
男系天皇を重視する立場からは、「悠仁様だ」という結論になる。
女性天皇を容認する立場からは、「愛子様」という結論を出す人もいる。一方、女性天皇を容認しても、「男子がいる限りは悠仁様だ」という結論を出す人もいる。
この問題を考える。
──
現状では、皇室典範により、「男子のみ」と規定されている。
現皇室典範 第一条:皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する。一方、小泉政権時代には、皇室典範に関する有識者会議が、「長子優先」という見解を出した。
・ 女性天皇及び女系天皇を認める。この方針については、朝日新聞が何度も強く支持する主張をした。一方、私としては、これに反対した。その見解は、あとで再掲するが、簡単に言えば次の通り。
・ 皇位継承順位は、男女を問わず第1子を優先とする。
「男子にするか、長子にするかは、天皇家が決めることだ。政府や国民や法律が一方的に強制するべきではない」
具体的には、次のことを想定している。
「浩宮の次の天皇は、愛子様でもいい。だが、本人がイヤだ(女性には無理だから辞退したい)と言ったら、それを強制しない。その場合は、浩宮から悠仁様に移ってもいいが、それよりは、浩宮があらかじめ退位して、礼宮に譲り、その後、礼宮から悠仁様に移ればいい」
この場合には、浩宮は、自分の次の天皇を指名できる。それは「愛子様か礼宮か」という選択肢のなかで選択できる。常識的に考えれば、「礼宮に」となるだろう。
結局、「天皇が次の天皇を指名する」という形で、皇位継承順位は決まる。政府や国民が口を出す必要(や資格)はない。
なお、次の天皇をどうするかは、あらかじめ定めて公開しておけばいい。公開しないで、遺言の形にしてもいいが、常識的には、公開するべきだろう。その内容は、ときどき変更してもいいことにする。すべては天皇の一存だ。
今上天皇の場合ならば、「浩宮・礼宮・悠仁・愛子」というような順番を決めておけばいい。それで済む。
( ※ 通常は5人目までを決めておけばいい。それ以上は必要ない。どうせ1人目で決まるのが普通だ。)
話としては、以上で終わりだ。
過去記事
この問題は、実は、小泉政権時代に出た問題だ。そこで、それへの回答となる私の見解も、小泉政権時代に書いた。その文章は、「泉の波立ち」(小泉の波立ち)のサイトに書いたので、Openブログにはない。
そこで、過去記事を再録する形で、以下に掲載しておこう。(数年前の話だが。)
● 2005年10月27日
「天皇の皇位継承順位」について。
天皇の皇位継承が話題になっている。「女系天皇でもいい」という方針が出るらしい。(朝刊・各紙 2005-10-26 )
ま、「男系が絶えたときには女系でもいい」というのは、常識的だろう。問題は、男系がいるときだ。ここでは、皇位継承順位が問題となる。
「単純に(女子であろうと)長子から」
「男子を優先」
という二つの案があり、前者にほぼ決まりかけているようだ。とはいえ、これには批判もある。では、私はどう考えるか?
単純に「男女平等」ということを原則とするなら、「男女に関係なく長子から」となるだろう。しかし、それより先に、もっと優先すべきことがある。それは、「職業選択の自由」だ。
天皇家の場合には、「職業選択の自由」は、通常は認められない。「天皇なんてやってられんよ」と思って、「スポーツ選手になりたい」「学者になりたい」「電車の運転手になりたい」と思っても、そういうわけには行かない。好き勝手に生きることは許されないのだ。責任感ゆえに。
また、同じような仕事をするにしても、タレントならば年収1億円以上になりそうだが、天皇の場合は上級サラリーマン程度の所得しか得られない。サラリーマンから見れば羨ましいだろうが、タレントとしてみれば人気の割にはごくごく薄給である。オマケに、休みも、自由に取れない。
天皇という職業は、しんどい割には、報われない。としたら、まともな人間なら、こんな職業は放棄したがるだろう。私が同じ立場だったら、(許されるなら)ぜひとも辞退したいですね。
現実には、責任感がある限り、辞退は許されない。おのれの希望を殺して、おのれの人生を捨てて、国家に奉仕する必要がある。そして、そのような義務を課されるのは、女性でなくて男性であるべきだ、と私は思う。国家の奴隷となって奉仕するべきは、女性でなくて男性であるべきだ、と私は思う。……これは、女性差別ではなく、男尊女卑でもなく、逆である。「男子としての義務感」だ。いわば、「戦争に出て命を賭けるのは男子だけで十分だ」というのと同じだ。
男は命を賭けて戦い、女や子供を守る。同様に、人生を捧げて国家に奉仕するのは、女でなくて男のなすべきことだろう。
何でもかんでも「男女平等」を貫けばいい、というものではない。戦地に出向くのが男子だけでいいように、国家のために自己犠牲するのも男子だけでいい。
ただし、である。だからといって、女性がそうしたいと思うのを、妨げることもない。「国のために命を賭けたい」と思う女性自衛官がいてもいいし、「国のために人生を捧げたい」と思う女性天皇がいてもいい。
とすれば、男子か女子かは、本人に任せるべきだ。── これが私の提案だ。
具体的に言えば、天皇の皇位継承順位は、国が定める必要はない。本人が決めればよい。つまり、姉と弟が、たがいに相談して、どちらがふさわしいかを、自分たち二人で決めればよい。
そして、二人の意見が対立した場合には、親である現天皇が決めればよい。「次の天皇はこの子にする」というふうに。なぜなら、親こそが、わが子の資質を最もよく理解しているからだ。そして、それについては、他人が口を挟むべきではない。どちらに決めたにせよ、現天皇の方針を支持すればよい。(あるいは、姉と弟の決断を支持すればよい。)
結局、職業選択については、他人が口を挟むべきではない、というのが、私の判断である。
なお、そうしなかった場合には、「不適切な状況」が成立する可能性がある。次のように。
「姉は、自分ではやりたくないし、苦手だ。弟は、自分ではやりたいし、得意だ。にもかかわらず、制度でそうなっているので、制度に従って女系天皇となる。硬直的な規則があるせいで、規則を守ることばかりが優先され、最適の選択ができない。」
これだと、本人たち二人にとっても、国民にとっても、不幸である。それで幸福なのは、頭を悩ませないで済む政府担当者だけだ。全員を不幸にして、政府担当者だけが幸福になるわけ。
[ 付記 ]
王と天皇との違いに注意しよう。双方を混同して、「天皇は王様のようにすばらしい身分だ」と勘違いしている人が多いが、とんでもない。
王は、国民の上に立ち、何でもかんでも自由にできる。贅沢でも何でもやり放題だ。
天皇は、形式的には国民の上にいるが、実質的には国民の下にいる奉仕者である。何をするにも、ほとんど自由はない。贅沢らしい贅沢もできない。何をするにも、国民の目がある。もちろん、浮気したり愛人を作ったり、なんてとんでもない。パチンコ屋に入ることすらできない。居酒屋も無理だし、本屋でぶらつくこともできない。いつでもどこでも、SPが付き添うので、煩わしいこと、この上ない。監視された囚人のようなものである。いっそのこと、「国民の奴隷」と表現した方がいい。
現代の日本では、「生まれながらにして奴隷」という人間はいないが、ただ一つ、天皇家だけは例外的に、「生まれながらにして奴隷」となり、あらゆる自由を奪われているのだ。そこそこの金と引き替えに。
オマケに、ケチな国民からは、さんざんイヤミを言われる。「紀宮の結婚支度金が1億5千万円」と報道されると、すぐに「削減せよ」という声が湧く。で、そうなったら、紀宮はスーパーのレジのパートでもやって生計を稼げばいいんでしょうかね。それでいて、公的な行事には、あれこれと出席せざるを得ないハメになる。出費ばかりがかさんで、国庫の補助はない。スーパーのレジのパートでもやって生計を稼がないと、飢え死にするハメになるかも。
で、わがままな国民に文句を言われても、「やってられんよ」とぼやくこともせずに、着実に責務を果たす責任感が、皇族には必要だ。……こういう責任感がない皇族がいると、とんでもないことになる。英国の皇太子は、品位を落とすハチャメチャなことをやって、大いに国民の不興を買った。日本の皇族がそうでないことに、私は大いに感謝を捧げたい。
例えば、次の仕事には、大いに謝辞を捧げる。
→ 皇后陛下の講演
( ※ 無償の活動です。皇后陛下は講演で1円ももらっていません。著作物に対して著作権料を受け取ってもいません。)
( ※ 「だったらアフィリエイトで儲ければいいのに」なんて思う人もいるかもしれないが、そういう人が皇族にならないで、ホントに良かった。)
● 2005年1月11日
「親子関係の真実」について。
親子関係はどのくらい真実であるのか? つまり、「知らぬは亭主ばかりなり」という形で、「実はわが子は間男の子であった」ということは、どのくらいあるのか? 血液型が違うと簡単に判明するが、血液型が矛盾しない形の間男なら、十分にあり得る。というか、通常、血液型がばれないようにして、結婚するのが普通だ。
「彼の子ができちゃったわ。だけど、彼とは結婚できないし。となると、A男かB男のどちらかと結婚しなくちゃね。その点、彼は血液型がA型だから、A男と結婚すれば、ばれないわね。じゃ、A男と結婚しようっと」
こういうふうに結婚するのが普通である。というわけで、ばれにくい。とはいえ、DNA鑑定すれば、ちゃんとバレる。で、生物学者が、匿名のもとで、DNAを調査してみた。すると、「間男率」は、10%ぐらいであったそうだ。……ただし、イギリスの調査。
日本では? もちろん、こうはならないだろう。なぜなら、女性の性道徳は、イギリスよりも、もっと乱れているからだ。たぶん、20%ぐらいかな。 (^^);
さてさて。ここで、値が 10%かどうか、ということは、問題ではない。おおざっぱに、10%ぐらいはあっても不思議ではない、ということだ。(たとえ血液型の問題がないにしても、だ。)
で、血液型の判明していない古代であれば、もちろん、まったくばれない。顔が似ているかいないかぐらいしか、判断のよすががない。ま、ばれませんね。
さてさて。話はここから、天皇制に移る。天皇制では、「万世一系」ということがいわれている。しかし、そうか? 今上天皇は 125代であるが、その間、ただの1人も、間男が混じらなかっただろうか? どうも、ありえないですね。
仮に、「間男でない」率が 90%であるとして、125人全員が「間男でない」としたら、0.9の 125乗であるが、その値は、10のマイナス6乗(つまり百万分の1)である。つまり、99.9999%の確率で、万世一系は成立しない。本当は、どこかの馬の骨の子孫であるわけだ。たった一回、どこかに馬の骨がまぎれこめば、以後のすべては、馬の骨の子孫となるからだ。
で、その馬の骨の子孫を見て、「万世一系だ」と多くの人々は信じているわけだ。大いなる錯覚。
ま、あんまり断定的に言うと、「証拠もないくせに勝手な妄想を吐くな」と右翼に怒られそうだ。たしかにまあ、証拠はない。というわけで、以上は私の憶測であることをはっきりお断りしておく。証拠は何もない。単に、99.9999%という確率を示しているだけだ。で、確率による推論が必ずしも当たらない、ということは、ディープインパクトが負けたことからしても、明らかだ。
[ 付記1 ]
なんだか「不敬罪」に問われそうなので、改めて注釈しておく。私がいいたいのは、「血筋が曖昧だから天皇家なんか駄目だ」ということではない。逆だ。「血筋なんかどうでもいい。大切なのは、国民の敬意だ」ということだ。今上天皇の祖先が誰であっても構わない。祖先が誰であれ、われわれの敬意は変わらないはずだ。その敬意の心こそ尊い。
大切なのは、血ではなく、愛なのだ。「万世一系であるがゆえに天皇の系譜は立派だ」というような意見には、私は与しない。万世一系であろうとなかろうと、天皇を敬う国民の敬意さえあれば、天皇制は維持できる。「万世一系であるがゆえに天皇の系譜は立派だ。今上天皇が偉いのはその血筋ゆえだ」というような意見は、天皇陛下の人柄を侮辱しているも同然であり、不敬罪に当たる、とすら言える。こんな不届きものの連中は監獄にぶち込んでしまえ、とさえ言いたくなる。(私の個人的な誇大な感想ですけどね。)
[ 付記2 ]
週刊朝日・最新号によると、「男子の子供ができないのなら、雅子妃と離婚してしまえ」という説が持ち上がっているらしい。
まったく嘆かわしい。これだったら「側室」の方がよほど人道的である。「側室」というのは、つまりは「妾」のことだが、これは「浮気相手に対して責任を取る」ということなのだから、必ずしも悪いことではなさそうだ。「浮気をするのはトレンディーで現代的でカッコいい」なんて持ち上げる連中が多いのだから、こういう連中に比べれば「浮気相手に対して責任を取る」という方がよほどまともである。
いえね。私は別に、道徳的に、「浮気することは絶対にけしからんから糾弾せよ」なんてふうには思いませんけどね。(ここだけの内緒ですが。)
しかしねえ。一番問題なのは、政府だと思いますよ。「愛子様の弟ができても、その弟を天皇にするという現今の制度を廃止して、何が何でも弟のかわりに愛子様を天皇にする」と狙っているのが、現在の政府だ。諸悪の根源は、これでしょう。
ま、より根源を言えば、「万世一系」なんて妄想を信じているのが根源だが。それが、本項の記述。
[ 付記3 ]
「じゃ、南堂はどう思っているんだ」という疑問に対しては、すでに答えてある。理論的な話だ。先日の分を参照。
( → 12月04日 追記 )
つまり、万世一系とか何とか、嘘っぱちのエセ生物学なんか、どうでもいい。大切なのは、天皇に対する、国民の敬意である。国民が天皇に敬意をもっていれば、万世一系であろうとなかろうと、嫡子であろうと妾の子であろうと、どうでもいいのである。万世一系と称しながら、妾の子の系譜を脈々と続けてきたのが、現代の天皇の系譜だ。こんなものを妄信するのは、馬鹿げている。「万世妾系」と称してもいいだろう。
「Y染色体が脈々と継がれていることが大切だ」
と主張するエセ生物学者もいるが、これではまるで、「人間はY染色体だけで決まる」というようなものだ。くだらん。Y染色体なんて、局所的には(小人数的観点からは)、あってもなくてもいいのである。どんな人間にとっても絶対に必要なのは、Y染色体以外の染色体だ。たとえば、X染色体。これは誰にとっても絶対に欠かせない染色体だ。一方、Y染色体なんかなくても、どうってことはない。Y染色体がなければ、男のかわりに女になるだけのことだ。生まれないわけではない。結局、人間の染色体のなかで、一番重要度が低いのが、Y染色体である。
「Y染色体の維持が大事だ」
と主張している人々が錯覚しているうちに、いつのまにか、それ以外のすべての染色体は、妾の染色体に置き換わってしまったのだ。Y染色体だけは「万世一系」かもしれないが、その間に、他の染色体はことごとく「万世妾系」になってしまったのである。
ま、だからといって、どうってことはない、と私は思う。妾の子だっていいじゃないですか。だからまあ、浩宮が妾に子を生ませたとしても、私は別に悪いことだとは思いませんね。……だけど、こんなことを言うと、雅子妃にぶん殴られるかも。
ま、やはり、夫婦の問題は、夫婦で決めるべきです。まわりの人間がとやかく言うことじゃない。
だから、天皇のお世継ぎは、天皇家だけで決めればいい。国民一般や政府がとやかく口を出す筋合いじゃない。……これが私の主張。
ついでに言えば、私が浮気をするかどうかは、私の家庭だけの問題であって、他人がとやかく口を出す筋合いじゃない、と思いますね。
さらに言えば、オタクが結婚も浮気もしないで、萌えちゃんとだけいちゃついていても、ま、それは、彼の勝手です。(ただし、個人についてはとやかく言わないが、国全体でマクロ的に見れば、オタクが増えすぎて少子化が進むのは、社会的に好ましくない。)
● 2006年2月05日
「皇位継承とマスコミ批判」について。
先日、皇族による発言を封じようとする朝日の社説があった。これについては、前に批判したとおり。( → 該当箇所 )
その後、朝日がふたたび、同趣旨の社説を掲載した。( → 朝日のサイト )
言っていることはまったくの同趣旨。同じ話を二回も書いている。前回の記事の複製かと思ってしまった。古い新聞でも読み直しているのかと思った。つまりは無内容。恥ずかしくもなく同趣旨の話を二回も書くのだから、呆れますね。自分で何を書いたか、すっかり忘れてしまったらしい。
しかも、呆れたことに、「批判があったから弁明する」という形を取る。その批判というのが、「言論機関が皇族の言論を封殺する」という批判で、これだけなら私と同様。ただし、朝日の弁明は、「皇族にも言論の節度・ルールがあるから」というもの。
馬鹿じゃなかろうかね? そんなことは誰だって知っている。だから「皇族が自由に政治について語るべし」なんてだれも言っていない。「自分たち自身のことについて語る権利はあるか」ということが問題となっている。「最低限のことも語る資格はないのか」ということが問題となっている。朝日はそれを取り違えている。
また、「冷静な議論を」というのが朝日のタイトルだが、実際には、「議論をするな」というのが社説の趣旨だ。
「皇族は黙っていろ」
「国民はろくに意見も交わさないでいい」
「政府だけが勝手に決めて、提案したらろくに議論もしないで、さっさと拙速であっというまに法制化してしまえ」
というのが社説の趣旨だ。タイトルでは「議論を」と述べて、内容では「国民は議論せずに、さっさと政府だけが決めろ」と主張する。矛盾じゃないですか。
そもそも、問題は、「女系天皇」より、「第一子優先」である。これについての国民の意見はまったく収斂していない。なのに、政府は小泉の独断で、さっさと法制化してしまう。二千年ぐらいの歴史の末にある現状を、たったの2年ぐらいの論議で政府が勝手に変更してしまう。あまりにも独断専行の暴挙であろう。本来、二十年は議論するべきだ。それでも間に合うのだから。四十年かけても遅くはないかも。
たぶん、朝日は、「男女平等なら男子優先よりも民主的だ」と思っているのだろう。これは大いなる錯覚である。「第一子優先」なんて言葉でたぶらかしているが、これは歴史的には「長子優先」と呼ぶべきだ。そして、「長子優先」というのは、封建的な発想なのである。なぜなら、「男子優先」「長子優先」の二つを柱としてきたのが、古臭い封建的な発想だからだ。そのうち一つをはずすことばかりに熱中して、もう一つの方にこだわりすぎている。
一方、民主的な発想は、こうだ。
「最も適した子が相続する」
つまり、長子であれ末子であれ、男子であれ女子であれ、最も適した子が親の仕事を相続すればよい。(これについては「一子相伝」という関連概念もあるので、お暇なら検索するとよい。)
ともあれ、朝日の主張する「長子優先」というのは、まさしく封建的で非民主的な主張なのである。こんなことを主張して得意がっている記者は、マスコミ担当者として、自らの無知を恥じるべきだ。
( ※ なお、私の主張は……「天皇の皇位継承順位は、国が定める必要はない。本人が決めればよい。つまり、姉と弟が、たがいに相談して、どちらがふさわしいかを、自分たち二人で決めればよい。そして、二人の意見が対立した場合には、親である現天皇が決めればよい。」 → 10月27日 )
※ 以上は、「泉の波立ち」(2005年〜2006年)の再掲。(転載ふう)
※ 最後の箇所では「姉と弟が決めればいい」と書いてある。
これは本項の「天皇(つまり親)が決めればいい」という
方針とは、ちょっと違いますね。
ただ、文章は異なるが、結果は同じだろう。 なぜなら、
親は子供の意見を聞いて、子供の意見を尊重するからだ。
【 追記 】
書き落としたが、参考情報があるので、記しておく。
本文中では次のように述べた。
DNAを調査してみた。すると、「間男率」は、10%ぐらいであったそうだ。……ただし、イギリスの調査。これは 2005年に書いた話だが、別のデータもある。
→ 先進国では3%〜4%の子供の父親は違う
先進国で行われたさまざまな調査により、20人〜30人にひとりの割合で、生物学的な父親が、実際に父親だと思われいてる男とは別の男であることが分かっています。
また、次の三つは、同一の文献だ。
→ 父親の25人に一人は 他人の子供を育てている
→ 戸籍上の父親が生物学上の父親ではない確率は、25 分の1
→ 1 in 25 Fathers not Biological Parent
10%じゃなくて、3%〜4%ぐらいのようですね。ま、国や時代による違いもあるけれど。
(1)日本にはオリジナリティが存在しない。
日本は『木』の文化で『石』の文化ではない。
木は再生するが石は再生しない。
木は加工しやすく石は加工しにくい。
木はオリジナルを作らないが石はオリジナルを持ちやすい。
(2)呪術的にもオリジナルが無い。
玉・鏡・剣など神前の儀式に使われるものにオリジナルを求めない。
現に源平合戦で失われた剣を再生して何の不都合も無く使っている。日本の神事にオリジナルは不必要である。
(3)人間もまた再使用が可能である。
日本書紀と古事記で神話が重なり合い異なっているごとく、神も死に、子孫である人間も死ぬのが当たり前の文化。
人間もまた全てが神から始まったのならば、入れ替わりがあっても当然認められる。(はず)
(4)真のオリジナリティ
系統だって伝わってきたからには伝わるものがあってもよいように思われる。
日本書紀読むと仁徳天皇だってろくな人物ではなかったし、あとは人殺しばかりで嫌になるし、
何が伝わって良かったのだろう、文化的に、
そこで管理人様の「日本人が天皇を敬愛する心」という言葉を読んでなにか、そこにあるのではないかという気がしました。
日本人が愛するに足る『形・姿・魂』が伝えられて来たのではないでしょうか。
形が無いものをこれ以上言いようも無いですが、なんとなく感じたことを書きました。
長文を失礼しました。
タイムスタンプは 下記 ↓
いえ、そういうわけには行きますまい。
日本人が愛するに足る『形・姿・魂』は見る側によってその性状が異なります。つまりある人にとっては男系遺伝子なのであり、ある人にとっては内親王が天皇になり女系を確立し小○田家を外戚として・・・ あ、やめやめ頭痛が痛い!
このブログでは管理人様のご意見を伺うのが習い。聞きます。悠仁親王に掛ける事を希望せずに女系になってもよいとまで言われる真意を問いたいと思います。
ほっとけば天皇家滅ぶのならほっとけばいいのです。管理人様がこころを煩わせることもなく数世代で消えましょう。なぜ、女系と言う正史に無い形をそこまで望まれたのか?
そこが管理人様が理解なさっていると思われる文化に反すると私が感じる部分ですので、私、気になります。w
どうか教えてください。
そんなこと言っていませんよ。「万が一」に備えているだけです。原発事故に備えるように。
私が「原発事故に備える」と言うと、「原発事故が起こるのを望むのか!」と批判するようなものです。
> 女系と言う正史に無い形をそこまで望まれたのか?
望むんじゃなくて、許容しているんです。
それがわからないのなら、イギリスに行くといいですよ。そしてみんなに訊いてごらんなさい。
「女王を認めるぐらいなら、イギリス王室を廃止すればいいのに」
たぶん、ぶんなぐられると思いますが。 (^^);
そんな返答では私が許しても・・・
ぶんなぐられるのはきっとあなたの方でしょう。
あったほうがイザという時、いろいろ便利だと思うんですが
どうなんでしょうか?その辺を読んでみたいです。