「大雪になる」という気象庁の予報がはずれた。
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このせいで、JR の大混雑という問題が起こった。
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このことで、気象庁を批判する声が上がった。特に、都知事が次の発言をした。
天気予報は科学なのに責任に対する心理に支配され歪んでいる。成人の日に外れたので過剰に積雪量を2度も見積もった。多めに先読みすれば責任逃れができるとする姿勢がもし3度目にあったら責任を追及します。狼少年は許さない。気象庁の自己保身のためにどれだけの組織、人が迷惑を与えられたか。
— 猪瀬直樹/inosenaokiさん (@inosenaoki) 2013年2月6日これに対して、「天気予報は科学だが、都知事の強圧的な態度はけしからん」という声が多く寄せられた。
→ はてなブックマーク
しかしながら、「天気予報は科学だ」という認識は間違いだ。そのことを示す。
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天気予報は科学ではない。では何かというと、科学に基づく主観的判断である。
このことは、「科学」の特徴である「客観性」が成立せず、人によって異なるという「主観性」が成立していることからもわかる。
今回も、観測として得られたデータ事態は同一であり客観的であったが、それに基づいてなされた予報は人それぞれだった。実際、予報はいろいろだった。気象庁は「大雪になる」と予報したが、「雪はあまり降りません」と予報した会社もあった。
明日は雨の一日で、時々雪が混じることも。芝生にウッスラと積雪する可能性があるのでご注意下さい。また、雨と共に真冬の寒さが戻ります。シッカリ防寒対策を!
( → ウェザーニュースによる、前日夜の予報(孫引き) )
このように、天気予報というものは、「人の判断によって異なる主観的なもの」であって、「客観的なもの」ではない。つまり、科学ではない!
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このことは、「確率とは何か」という問題と関係する。
基本的には、確率とは、「同一の事象がたくさんあるとき」に限られる。たとえば、サイコロを振る。その事例はどれも同様の均一性が保たれている。
一方、現実の事例は、どれもが異なる。今日の天気は昨日の天気とはまったく異なり、過去のどの天気とも異なる。似た例はあっても、同一の例はない。それゆえ、ここでは「確率の同一性」という前提が成立しないので、確率的には何も言えない。
では、統計はどうか? 統計ならば、完全に同一ではなくても、ほぼ同一の事例を同一グループに含めて、統計分布を見ることができる。その結果、「よく似た事例」における法則を見出すことができる。そこから、次回の事例についての予測も成立する。……これが現在の天気予報の原理だ。
その際、「よく似ているもの」の分類について、コンピュータによるシミュレーションなどを加えて、いっそう科学的になすこともできる。しかしそれは、「予報が科学になった」ことを意味するのではなく、「予報が科学を使っている」ことを意味するにすぎない。予報がどれほど科学を使おうと、予報そのものが科学になるわけではない。それは、人の未来を予想する「占い」が、どれほど科学を使っても、決して科学にはならないのと同様だ。
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はっきり言えば、「天気予報」というのは、「占い」の一種なのである。個人の人生の未来を予想するように、天気の未来を予想する。その際、科学を使うこともできる。しかし、どれほど科学をたくさん使おうと、不確定の要素が必ずまぎれこむがゆえに、100%的中する予想は絶対にできない。……この点は、天気予報も、人生占いも、同様だ。
天気予報も、人生占いも、はずれることは多々ある。つまり、100%的中することはない。……このことをはっきりと理解しよう。そして、そういう原理を理解するということが、科学的なのである。
今回の事例では、都知事は気象庁を批判した。しかし彼は「気象庁の予報が当たる」と思い込んでいる点で、非科学的なのである。なぜなら天気予報ははずれることがあるものだからだ。
また、都知事を批判していた人々(はてなブックマークの人々)もまた、別の意味で非科学的にだ。なぜなら、「天気予報は科学だという都知事の認識は正しいが……」と言っていたからだ。
──
では、正しくは、どうすれば良かったか? こうだ。
「気象庁の予報は、はずれることもある」と JR などは理解しておくべきだった。(そしてその方針で、はずれてもいいように、両構えの対策を取っておくべきだった。)
また、気象庁自身が、そのように述べるべきだった。「大雪になりそうですが、この予想がはずれることもあります」というふうに。
そうすれば、人々は、予想がはずれたときの対策を取ることもできたはずだ。
つまりは、「天気予報とは何か」ということを人々が正しく理解しておくべきだったのだ。
その意味では、気象庁の態度もまた、妥当ではなかった。なぜなら、「大雪になるでしょう」と自信たっぷりに予報を述べていたからだ。本来ならば、「たぶん大雪でしょうが、はずれることも十分あります」と述べておくべきだった。予報というものは、ある程度の幅をもって推定するべきなのである。
[ 付記 ]
実は、このことは、先の大地震の教訓でもある。
あのとき、気象庁は津波の高さを「三陸では6メートル」というふうに決定的に述べた。そのせいで、南三陸では、「だったら大丈夫さ」と逃げずにいた人々が、20メートルの高さの津波に沈んで、大量に死んでしまった。
ここからは次の教訓が得られたはずだ。
「津波の高さの正確な予想などはできない。ある程度の誤差の幅がある。高さの具体的な数値などは信じないで、危険のある地域では、大きめの危険に対処して、さっさと避難してください」
つまり、気象庁は、「予想の数値はあまり当てにならない。数値がはずれる可能性はかなりある」と示すべきだったのだ。
→ 津波の気象予報
→ 南三陸の津波被害
繰り返す。天気予報や気象予報は、科学ではない。科学を使うことはできるが、科学そのものにはならない。それはあくまで主観的な判断にすぎない。
なぜならそれは、確率が成立するような多数の事例の一つではなく、たった1回限りの事例(個別事例)への適用という主観的なものだからだ。
この基本原理を理解しておくことが大切だ。そうすれば、「天気予報や気象予報を科学だと信じて盲信する」ことによる被害をなくすことができるだろう。
簡単に言えば、「天気予報や気象予報は科学だ」と思い込むのは、一種の迷信なのである。「科学教」というものを信じている、宗教的な迷信。「エコ教」というものを信じている、宗教的な迷信と同様だ。
( ※ 科学ではないものを科学だと思い込むのはトンデモだ、と言ってもいい。)
【 補説 】
確率との違いについて解説しておこう。
気象や人生(の予想)は、「はっきりと定まらない」という点は、確率に似ているが、確率とも違う。
確率ならば「コインの裏表の確率が 50%」というふうに、確率としての数値が定まる。その値は、大数の法則に基づいて、事象の数が多くなるほど収束する。その意味で、収束先の数値は客観的に定まる。
一方、気象や人生のような事例は、事象の数が1である[それぞれの事象がまったく異なる]がゆえに、収束するというい葉自体が無意味となる。ゆえに、それは確率的な現象ではない。
なお、気象庁の述べる「確率」もまた、確率ではない。たとえば、次のようなものだ。
・ 降水確率
・ 台風の進行方向の確率
これらは、「確率」という用語は使われていても、確率ではない。なぜなら、1回限りの事象についての予想値にすぎないからだ。(多数回、という確率の前提を満たさない。)
これが確率でない証拠に、次の事実がある。
「降水確率の予報が当たった割合は、その数値に収束しない」
たとえば、「降水確率が 50%」と予想した日について、その結果をたくさん集めたとしよう。その場合、数が多くなれば多くなるほど、雨の頻度は 50% に近づくか? いや、そうではない。40%ぐらいになったり、60%ぐらいになったり、フラフラと変動する。なぜなら、「降水確率が 50%」と予想が、もともと主観的なものにすぎないからだ。実際、降水確率は、それを述べる人しだいで、いくらでも変わる。A氏が「降水確率が 50%」と予想したとしても、B氏は「降水確率が 40%」と予想したり、Cは「降水確率が 30%」と予想したりする。特定の値に収束するようなことはない。
では、それは「確率」ではないとしたら、何なのか? 「確信度」とでも言うべきものだ。それな私的に定まる心理的なものであり、人ごとに異なるものなのである。確率とはまったく異なる。
( ※ 強いて確率という言葉を使うなら、「主観確率」とでも言うといい。ただし、そこでは、「確率は客観的なものだ」という概念と矛盾する用語になってしまう。つまり、「主観的な客観的数値」みたいな、自己矛盾した表現になる。だから、確率という用語は、なるべく含めない方がいい。)

まあ、あの都知事だから……。
天気予報は実測値を元にシミュレーターをぶん回して得られる予測値にすぎないということさえ踏まえていれば良いだけですね。
ツイッターではそういうある意味冷静な訂正意見も見られていましたが、知事の発言は残念です。
むしろ今日の御題は原口氏のグーグルアースへの誤認識の方だと思っていました。
突っ込むとしたら、「彼が間違ったこと」ではなくて、「彼が間違ったことを指摘できなかった議員諸氏と政府官僚」でしょうね。揃いもそろって何しているんだか。日本のレベルがバレてしまった。
原口氏自身については……素人の無知を批判しても仕方ないのにね。
http://www.asahi.com/national/update/0206/TKY201302060049.html
国民全体に影響が及んだのは、気象庁がいかにも「確実」というふうに述べたことが原因。嘘で問題が生じたら、だまされた人が悪いというより、だました人が悪い。嘘がなければ、だまされる人もいなかったんだから。「だまされる方が悪い」というのは、詐欺師の言い分です。
ま、「詐欺師にだまされないことが大事」というのは確かだが、政府が詐欺師になる場合の対策まで国民に要求するのは過酷。