大阪市立桜宮高校2年の男子生徒が、バスケットボール部の顧問から体罰を受けた翌日に自殺した。ここでは、体罰が問題となっている。
一方、いじめの問題も、先に大きく話題になった。本項でも何度か論じた。
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体罰といじめというのは、共通性がありそうだ、と感じられるだろう。どちらも学校における暴力行為だからだ。ただ、漠然と感じるだけでなく、どういう共通性があるか、よく考え見よう。そうすれば、物事の本質がいっそうよくわかる。
──
まず、次の質問を出す。
「いじめを根絶することはできるか?」
これに対しては、「できない」と答えるしかない。この世から暴力犯罪を根絶することは理想だが、人間というものはそんなに善良なものではない。どうしても暴力をふるう人が出てくるから、暴力犯罪は根絶できない。
社会においてはそうであるが、学校においてもそうだ。となれば、いじめを根絶することはできない。
では、なすすべはないのか? いや、ある。すでに起こった暴力に対してはどうしようもないが、現時点で起こっている暴力に対しては「暴力を止める」ということが可能だ。
では、暴力を止めるとしたら、どうやって?
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ここまで考えて、私としては、こう結論した。
「いじめであれ、体罰であれ、それを止めるのは、教育委員会(教委)である」
実際、次のような事情があった。
・ 大津市いじめ自殺事件では、教委に報告があった。
・ 大阪市の体罰自殺事件では、教委に報告があった。
いずれの場合も、教委に報告があった。では、それで問題は解決したか? しなかった。大津市いじめ自殺事件でも、大阪市の体罰自殺事件でも、教委に報告があったに、教委はそれをないがしろに扱った。
つまり教委は、その報告を受けたあとで、学校側に調査を命じたが、学校側は「臭いものに蓋」という形で、いじめや体罰がなかったことにした。そのいい加減な報告を受けた教委は、「あ、そう。いじめはなかったんですね」というふうに、握りつぶした。
→ 大津市中2いじめ自殺事件 - Wikipedia
→ 桜宮高校長「教諭の将来考えた」バレー部顧問体罰報告せず
つまり、「いじめはなかった」という学校側の報告を鵜呑みにしたわけだ。
比喩的に言うと、こうだ。
「暴力事件を受けた被害者が、警察に暴力被害を訴えた。すると警察は、暴力をふるった犯人に問い合わせて、犯罪の有無を問い質した。すると犯人は、自分は暴力をふるっていないよと答えた。そこで警察は、暴力事件はなかった、と判断した」
ここでは、犯人の言うことを鵜呑みにしていることになる。呆れた話だ。犯人が嘘をつく可能性をまったく考慮していない。そのせいで、大津でも桜宮でも、学校側の「事件はありませんでした」という嘘がまかり通ってしまった。
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ここまで見ると、物事の本質がわかる。こうだ。
「教育委員会が、まともに機能していない。いじめや体罰などの問題が起こったときに、その問題を解決するのではなく、その問題を隠蔽する側にまわっている」
では、どうしてそういうことが起こるのか? 理由はこうだ。
「教育委員会は、元校長などの、学校のOBが委員になることが多い。そのせいで、学校側の味方をする。生徒が学校側を批判する形で訴えたときには、学校側の味方をして、生徒の訴えを握りつぶす」
こういう欠陥体制がある。だからこそ、いじめや体罰は後を絶たないのだ。
ここまでわかれば、問題の解決策もわかる。こうだ。
「教育委員会から、教師・校長のOBを排除する。一般の市民から委員を選任する。また、警察OBや弁護士も選任する」
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結論。
いじめや体罰が後を絶たないのは、教育委員会がいじめや体罰を隠蔽しようとするからだ。その理由は、教育委員会の委員が学校OBであり、学校側に味方をするからだ。この問題を解決するには、教育委員会から学校OBを排除すればいい。
[ 付記1 ]
次のニュースがある。
教師に体罰を受けていた男子生徒が自殺した問題で15日、大阪市教育委員会は、今後、1か月以内に事実関係を確認したうえで、顧問など関係者への処分を行うことを決めました。これは変だろう。最大の責任者は教育いい会なのに、その教育委員会が処分をするなんて。
( → NHK )
処分をするならば、処分対象は自分たち自身であるはずだ。かつて報告を受けたときに、まともに調査しなかったからだ。
仮に処分をするとしたら、生徒側からの報告を教育委員会が受けたときだ。そのとき、生徒側からの報告に従って、学校側(教師)を処分すれば良かった。生徒が死んでから処分したのでは、手遅れだ。(馬が逃げてから厩の扉を閉めるようなものだ。)
現時点で処分をするとしたら、まずは教育委員自身であるべきだ。彼らがなすべきことは、まずは総辞職であろう。と言うか、その前に、市長が教育委員をすべて懲戒免職にして、その氏名を公表するべきだ。
[ 付記2 ]
興味深い話がある。サッカーでは体罰がないそうだ。
→ サッカーで体罰がほぼ淘汰された理由
指導者にライセンス制度がある。指導者が体罰をすれば、タレコミがあって、ライセンスが剥奪される。そのことが抑止力となるので、体罰が自動的にほぼ根絶された。
ここでは、(教育委員会のかわりに)サッカー協会があって、そこにはチェック能力があるわけだ。ここが決定的な違いとなる。それゆえ、サッカーでは体罰がなく、学校では体罰がまかり通る。
逆に言えば、学校においても、体罰をチェックする体制ができていれば、体罰をほぼ根源することは可能なのだ。
【 関連項目 】
→ いじめ解決の制度
※ いじめ事件の際、教育委員会の責任を指摘した。
【 関連サイト 】
→ 私は、一度だけ体罰を生徒に与えたことがあります
※ 体罰をめぐる熱血教師の話。ちょっと感動的。
これが青春だ! (昔のテレビドラマふう。)
→ 橋下市長が該当高校の部活を停止させる
※ 「この状況で部活をやったら、人間としてはダメだ」
と橋下市長。→ 「オマエモナー」と言ってやりたい。