次の記事がある。
→ ものの値段が安すぎる!
コンビニの商品の価格がどんどん下がる一方で、ちっとも利益が出ないので、おまんまの食い上げだ、という話。
一部抜粋しよう。
たとえば俺くらいの金を動かす商売やってて、所帯持った人間の2人くらいも養っていけないって状況はなんかとても変だと思う。つまり、物価が下がり、所得も下がり、暮らしが苦しくなる。これはデフレの典型的な状況だ。
俺にいえるのはただひとつ。もう、効率化、無理。限界。
で、これを見て、「高齢者ばかりが得をする」というコメントがあった。では、本当にそうか?
──
ここで、昔の物価を知るといい。次の本に書いてある。
→ 江分利満氏の優雅な生活
( ※ Wikipedia によると、1961年 - 1962年の執筆。)
本棚をいじっていたら、この本が出てきたので、ちょっと読んでみた。
・ 一流大卒の初任給 2万円ちょっと
・ 若者夫婦の給与 4万円
以上からして、現在の1割か、もうちょっとだ、とわかる。(初任給は低めで、そのあとの上昇が高いようだ。)
物価は?
・ ズボンが 3300円
・ 英国製のネクタイが 1500円
・ 安物の「穴なし」パンツが 3枚 100円。
・ 公団住宅(2DK)の家賃が月1万円程度。
・ 子供のお稽古事などに月謝 5000円程度。
つまり、衣料品の価格は現在と大差ない。卵や牛肉の価格も現在と大差ない。ジュースは現在よりもずっと高い。冷蔵庫やテレビも現在よりもずっと高い。雑貨は、100円ショップの雑貨と比べると、はるかに高い。(しかも低品質。)
──
比べてみると、現代人が当時に戻って暮らすと、次のような感じになる。
・ 給与が 2割以下に減ってしまった!
・ 衣料品や食品の価格はあまり変わらないが、
所得が少ない分、高価に感じられる。
・ 肉類が極端に高いので、肉はとても食えない。魚のみ。
・ テレビや冷蔵庫のような電器製品は夢物語。
・ そもそも冷凍庫という製品がまだ存在していない。
テレビは白黒だし、パソコンは存在していない。
・ 電話も高額だし、特に市外通話は極端に高額だ。
・ 自動車(特に新車)に乗れるのは金持ちだけ。
・ 中古車には乗れても、ガソリン代がすごく高い。
──
こういう生活と比べれば、冒頭のブログの人の生活は、まるで夢のような極楽生活だとわかるだろう。カラーテレビも、パソコンも、電話も、冷凍冷蔵庫もあるからだ。食べ物だって、牛肉もジュースも安価に食べ放題だ。
( ※ 当時の牛肉は、脂身がやたらと多くて肉質が固いものでさえも、今の価格の10倍ぐらいの実質価格という感じだ。)
だから冒頭の
所帯持った人間の2人くらいも養っていけないって状況というのは、実は存在しないのである。養っていけないと感じるとしたら、現在の標準的な生活を送っているからだ。
ひるがえって、今の高齢者が若者だったころの生活をすれば、楽々と生活できるはずだ。
・ 肉は食べずにメザシだけ。
・ テレビも電話も冷蔵庫もなし。
・ 衣料品は粗悪品を少量だけ。
こういうひどい生活を甘受すれば、お金が足りないどころか、月2〜3万円(家賃を除く)で二人が暮らせるはずだ。
「そんなのはいやだ」
だって? 何を言っているんですか。「今の高齢者はすごく恵まれていて、羨ましい」と言っているんでしょ? だったら、今の高齢者が以前は送っていた生活を、そっくり真似すればいいのだ。そうすれば、今の若者たちが「羨ましい」と感じている人々の人生を送れる。
自宅に風呂さえもない時代だった。そういう生活を基準にすれば、「所帯持った人間の2人くらいも養っていけないって状況」なんててものは、現在には存在しない、とわかるだろう。
二人で行った 横丁の風呂屋
一緒に出ようねって 言ったのに
いつも私が待たされた
洗い髪がしんまで冷えて
…………
三畳一間の小さな下宿
( → かぐや姫 - 神田川 )
要するに、現代の人々は、あまりにも贅沢に慣れすぎてしまったのだ。だから、ちょっとでも生活水準を落とすことが、できにくくなってしまったのだ。そういうときには、
・ 肉は食べずにメザシだけ。
・ テレビも電話も冷蔵庫もなし。
・ 衣料品は粗悪品を少量だけ。
という生活をしてみるといいだろう。昔はそれが標準だったのだ。今の高齢者は、誰もがそういう生活を送ってきたのである。
[ 付記1 ]
「バブル時代はそうではなかったぞ」
という反論も出るだろう。
しかし、バブル時代というのは、「(富があると錯覚して)生産量以上に消費していた時代」である。つまり、「サラ金人生」を送っていた時代だ。
それを羨ましいと思うのであれば、あなたもまたサラ金から金を借りればいい。そうすれば、バブル期のように、贅沢三昧の生活が送れる。……ただしその後に、借金取りに追い立てられるが。
( ※ 要するに、借金で贅沢をしたバブル時代は、比較対象にはならない、ということ。)
[ 付記2 ]
誤読されるとまずいので、注釈しておくが、
「だからデフレでもかまわない」
と述べているわけではない。デフレは解消するべきだ。そのための方法は、下記(など)で述べている。
→ 2%のインフレ目標は?
本項で述べていることは、「確かに生活は苦しいだろうが、だからといって高齢者を羨ましがるのは、お門違いだ」ということだ。
一般的には、高齢者の生活は、若者の生活と、大差ないか、むしろ、いくらか貧しい。贅沢をしているわけじゃない。
ただ、高齢者は、何も働かずに年金をもらえる、という点だけが異なる。とはいえ、高齢者が働けないのは、当然のことだから、文句を言っても仕方ない。
本項のポイントは、「生活が苦しいといっても、今の高齢者の若いころに比べれば、天国のようにお気楽な状況だ」ということだ。それがわからなければ、日本を出て、アフリカで生活すればいい。そうすれば、日本という立派な産業基盤がある国に産まれた幸福を感じるはずだ。そしてその立派な産業基盤を整えてくれたのは、今の高齢者なのである。彼らが、戦後のガレキの上に、今の立派な産業基盤を構築してくれたのだ。そしてそれを、現役世代に無料で進呈してくれたのだ。
→ 老若格差という虚構 1
→ 老若格差という虚構 2 (社会遺産)
安倍インフレが成功(失敗?)して、金融資産がパーになったら、全員が貧しくなるので、ジニ係数が低下して、生活実感はましになるんじゃないか。
「日中戦争下の日本」という本には、まさに、「全員が貧しくなっていく」状況が描写されています。
→ http://nando.seesaa.net/article/229619420.html
最近はすごい円高になっていることを考えると、ドル表示では、20年前の2倍ぐらいになっている。それだけ所得増加がある。
つまり、この 20年前に日本人はすごく貧しくなっている(実感で)のだが、その間に所得は 2倍ぐらいになっている(実質で)わけだ。
> 全員が貧しくなるので、ジニ係数が低下して、生活実感はましになるんじゃないか。
そうはならないでしょう。むしろ次のようになる。
「全員がどんどん貧しくなったと感じる(円表示の所得は下がる)が、実際の所得はドル表示では上がる。生活実感はすごく悪化していくが、物はどんどん安くなるので、スマホでも液晶テレビでも昔は手に入らなかったものがどんどん手に入る。食物も自由化でどんどん安くなる。生活はすごく悪化した、と感じながら、あれもこれも手に入れるようになる。一方で、『自分たちは高齢者よりは恵まれない、白黒テレビも黒電話も手に入らない、彼女もいない』と叫んで、高齢者の年金を引き下げようとする。それで手に入れたお金で、萌えのフィギュアを買う」
これは完全な誤り。金融資産の価値の増減は、借り手と貸し手の損得の和が一定(ゼロ)なので、国全体では損得はありません。
金の貸し手が損して、金の借り手が得するだけです。
一般的には、資産家や高齢者が損をして、庶民や現役世代は得をします。高齢者の損失(物価上昇分)は年金で補填されるので、主に資産家が損をします。
ジニ係数は下がるでしょう。その理由は、全員が貧しくなるからじゃなくて、単に貧富の差(資産の大小)が縮小するからです。
対外的には、ひどい円安になるので、購買力平価表示でのGDPも減少するでしょう。
つまり、貸し借り関係の消滅と、GDPの減少が同時に発生します。
> ひどい円安になるので、購買力平価表示でのGDPも減少するでしょう。
それは本項で述べたことの逆です。
円安により物価は急上昇するし、買えるもの(輸入品)も減りますが、物失業は解消し、所得も急上昇して、人々は名目上は豊かになります。名目上は豊かになっても、それで買えるものはかえって減ってしまうのだが、それでも、「所得が増えた!」と大喜び。
現状とは逆になります。それで人々が幸福になるのなら、それでも良いかもね。愚者には愚者なりの幸福がある。預金通帳の数字が増えればそれで満足なんでしょう。それで買えるものがかえって減ってしまうとしても。
その逆が現状だ、と認識しておいてください。
1960年代は、今より生活水準低くても、
未来への夢や希望があった、
だから皆自然に頑張った、
現代は夢や希望がなさすぎる。
ところで,アゴラで以下のエントリーが出ています.
http://agora-web.jp/archives/1508500.html
実態に即した何の証拠もなく,単にこの抽象的なグラフだけで,恐ろしさを感じるのですが,管理人さんはどう思われますか.