2012年12月10日

◆ 大学教育の費用対効果

 大学教育に大金をかけても、ちっとも教育効果が上がっていないから、大学教育など廃止してしまえ……という暴論がある。 ──

 こんなことを言いたがるのは池田信夫ぐらいだろう……と思ったら、あなたの勘はわりとセンスがいい。  (^^);
 過日、池田信夫のブログをちょっと見たら、この暴論が掲載されていた。別の人の意見に賛同する形。
 ま、あまりにもひどい暴論なのだが、簡単に指摘しておこう。

 ──

 出典は、ここ。
  → 大学というバブル (アゴラ)
 世界銀行の調査では、教育にはマイナスの外部効果があるという結果が出ています。図のように各国を比較すると、教育投資(縦軸)と成長率(横軸)にはまったく相関がありません。教育(特に大学教育)は生産人口を浪費して、成長率を下げている可能性があるのです。
 統計を読めない見本。
 AとBに相関関係がなければ、AとBには因果関係がないか? AとBが独立事象であれば、そうだ。しかし、ここでは、次の関係がある。
  ・ 先進国では、高等教育が普及している。
  ・ 先進国では、成長率が低い。

 ここで、「高等教育」と「成長率」とだけを比較すれば、「高等教育の普及度と、成長率とは、負の相関関係がある」というふうに見える。そのことから、「高等教育を普及させるほど、成長率が低くなる」という結論が出そうだ。しかしそれはもちろん、理屈になっていない。
 仮に、先進国の特徴を上げるなら、次のような諸点がある。
  ・ ケータイの普及率が高い。
  ・ 高等教育が普及している。
  ・ 交通事故の死者が多い。
  ・ 平均寿命が長い。
  ・ 女性は化粧する率が高い。
  ・ 出生率は低い。

 以上のうちのいくつかをつまみ食いすると、次のような結論が出そうだ。
 「ケータイの普及率が上がると、平均的な学歴は高くなる」
 「交通事故の死者が増えるほど、平均寿命は長くなる」
 「女性が化粧するほど、出生率は低くなる」

 もちろん、このようなことは成立しない。そこには何の因果関係もない。単に「先進国の傾向」というだけのことだ。
 これを理解しないで結論しているのが、池田信夫だ。
 具体的に言うと、次の点は正しい。
 「世界銀行の調査では、教育にはマイナスの外部効果があるという結果が出ています。図のように各国を比較すると、教育投資(縦軸)と成長率(横軸)にはまったく相関がありません。」
 しかし、次のことは、まったくのデタラメだ。
 「教育(特に大学教育)は生産人口を浪費して、成長率を下げている可能性があるのです。」
 ここでは「可能性がある」と言うが、あるわけないでしょうが。たとえ三流大の学生であっても、大学時代にちゃんと授業を受けていれば、そこでは「頭を使う」という訓練がなされているのだから、毎日自動車工場でネジを回しているのよりは、よほど頭の成長に役立つ。
 大学時代においてなすべきことは、何らかの専門知識を蓄積することではなくて、頭の訓練をすることだ。いろいろと考える訓練をすることだ。このことで、頭がどんどんよくなっていく。それは日本の経済水準を高めるのに役立つ。

 ただし、である。教育のおかげで実際に成長率が上がっているか、と言われれば、否である。とはいえ、その理由は、大学教育がまずいからではない。政府の経済政策がまずいからだ。若者のせいではない。
 経済学者たちの経済政策の失敗のせいで経済成長率が上がらないのを、「大学教育が無駄だからだ」と唱えるのは、自分の失敗を他人のせいにしているだけであり、責任転嫁にすぎない。
 はっきり言えるのは、池田信夫みたいなデタラメを世間に語り、それを信じる阿呆が多いから、日本はダメになっていく。自分の頭で考える能力が欠落した人々が多すぎるのだ。




 池田信夫の議論の元になったのは、この見解だ。
  → 就職待合室はいらない (アゴラ)
 大学の機能とは、入学試験におけるラベリングと、就職待合室以上のものではない。
 大学助成金は、学問の助成にのみ使うべきだ。就職待合室に補助金を出してはならない。
 皮肉として読むなら面白いが、まともにこう考えているとしたら、漫才を科学論文と見なすようなもので、馬鹿げている。
 「大学の機能とは、入学試験におけるラベリングと、就職待合室以上のものではない。」
 というのは、極論ではあるが、そういう傾向はかなりある。(現実には、教育もかなりなされているから、あくまで極論だが。)
 しかし、そのような傾向があるからといって、だからといって「それならつぶしてしまえ」というのは、暴論にすぎない。なぜか? 正論ならば、こうなる。
 「大学教育がダメならば、大学教育をまともにせよ。米国の大学教育のように、徹底して、レポートの添削などで絞れ」
 ただし、そのためには、条件がある。
 「レポートの添削などができるように、少人数教育にして、教育予算を大幅に増やす」
 つまり、現状では、大教室での放送みたいな極端な低コスト教育がなされているから、それを高コストな高品質な教育にすればいい。小学校から高校までは、1クラス 40人とか 35人とかの規模でなされていたのだから、そうすればいい。なのに大学になったとたん、大教室による低コスト教育だ。これではまともな教育にならないのは当然だ。
 とすれば、「今の大学教育はダメだから、これからの大学教育には金をかけよ」というのが正論となる。
 ところがそれを逆転させて、「今の大学教育はダメだから、大学教育なんかつぶしてしまえ」というのは、暴論となる。(池田信夫好みの暴論だ。)

 そんなに暴論が好きなら、私としては、次の方をお勧めする。
 「医者はどんな病気も完璧に治すべきだ。あらゆる病気を完璧に治せないのであれば、医者なんか必要ない。すべての医者を解雇せよ。日本には病院も医者も必要ない」
 「大学教授はどんな大学生をも完璧に教育するべきだ。あらゆる大学生を完璧に教育できないのであれば、大学教員なんか必要ない。すべての大学教員を解雇せよ。日本には大学が必要ないだけでなく、大学教員も必要ない。まずは池田信夫を解雇せよ」
 
 とにかく、何らかの不足があって状況が正常でないときには、「不足を埋めよ」というのが正論であり、「不足があるなら全部やめてしまえ」というのは暴論である。
 正論と暴論の区別ができないような粗雑な頭の持主は、日本からさっさと排除してしまった方がいい。……これは別に、暴論ではないだろう。
( ※ いや、暴論かな。  (^^);  意見の多様性は認めなくちゃね。馬鹿が暴論を吐くとしても、それは馬鹿の自由。それにだまされる人が多いのが問題だが。)
 


 [ 付記 ]
 大学教育の問題点を少しでも改善しようという試みがある。「フリッカー」という無線端末を用いて、多数の学生の意見を集計して表示する、というもの。米国の大学で普及しているが、日本でも一部で利用されているという。朝日新聞・朝刊 2011-02-21 に詳しい紹介記事がある。
 ネットで探してみたら、簡単な情報だけが見つかった。
 北米のファカルティ・ディベロッパーたちの間で、流行っているツールがあります。クリッカーと呼ばれる手のひらに収まる機器です。この機器が、学生と教員のやり取りが難しい大人数講義の改善に有効だということで、今回の調査地のマギル大学でも今年から全学的なプロジェクトがスタートしています。 
クリッカーの仕組みはシンプルです。学生に携帯電話サイズの情報送信器を持たせます。授業中に、教員はいくつか質問をします。それに学生がボタンを押して答えます。その結果は、瞬時に教員のPCにUSBで差し込まれた受信機を通して、集計され表示されます。
 学生は瞬時に結果がわかるという点で、授業への参加度が高まります。教員は学生の理解度を確認しながら授業を進めることができます。
( → 紹介ブログ
 他に、次の情報もある。
  → クリッカー端末の見本(写真)
  → クリッカー研修会
  → 北海道大学における実践例の報告( PDF )

 物事には問題点が見つかることがある。そういうとき、「問題点を改善しよう」という方向で努力する人もいるし、「問題点があるなら全部やめてしまえ」という方向で破壊したがる人もいる。破壊したがる人は、テロリストも同然だが、本人はそう思っていない。なぜか? 「全部ぶちこわせば、そのあとで自然に状況は改善するだろう」と信じているからだ。だから池田信夫やその追従者は、「日本経済が破滅すればそのあとは再生する」と素朴に信じている。破滅のあとの復活を信じている。いわば(ユダヤ的な?)宗教的信念ですね。
 だったらさっさと世界中に原爆を落とせ、と主張してもいいのだが。(これはオウム的な発想かも。原爆とサリンが違うだけで。)……ま、そう思って考えると、オウムの麻原と池田信夫には、似た雰囲気がある。信徒もいるしね。  (^^);



 [ 参考 ]
 参考記事。
 「即戦力」といい「コミュニケーション能力」といい、どうして日本の企業人は「自分の都合」しか言わないのか。
 荒削りの、未加工の素材を受け容れて、それをゆっくり時間をかけて磨き上げるというのがほんらい「大人の組織」が通過儀礼を終えて参入してきた新メンバーを迎えるときの構えではないのか。それをやる気がない。もう「できあがった既製品」を買いたいという理由として企業側は「国際競争力が落ちているので、若い人を育てているだけの余裕がないのだ」という言い訳を口にする。こっちだって切羽詰まってるんです、と。
 でも、私はそれは副次的な理由にすぎないと思う。最大の理由は「育てる力」が雇用者側にない、ということである。
( → 内田樹の研究室
 すぐ上で紹介された意見は、こうだ。
 「企業には教育機能がない」
 本文に掲載された意見は、こうだ。
 「大学には教育機能がない」
 あっちもこっちも、教育機能がない。だったらどうする? 
 「教育機能がないのなら、そんな者はやめてしまえ」
 という破壊主義に従って、大学も企業も全部ぶっつぶせばいいだろうか? 日本経済破壊のテロ。テロリストの発想ですね。池田信夫とその亜流ならば、そういう発想をするのも、もっともだが。  (^^);
 それよりは、日本人を全部ぶっ殺した方が、手っ取り早い。アメリカに頼んで、原爆を十発ぐらい落としてもらって、日本人を絶滅させれば良さそうだ。で、そのあとは、アメリカ人が来て、日本に住むのかな? それとも、中国人と北朝鮮人かな?  (^^);
 ジョークで言うならともかく、本気でこれに類する議論をする人々がいるのだから、日本は末期症状だ。自滅しつつあるな。菅直人の民主党は、その兆候か。  (^^);
 日本は相当、狂いかけている。経済的な力(体力)ガム須浜レるだけでなく、頭まで蝕まれているようだ。貧すれば鈍す。
 ローマ帝国の盛衰に似ているかも。日本は滅亡も間近か。理由は集団自殺。
 


 [ 余談 ]
 実を言うと、本項を書いたのは、1年ぐらい前のことです。そのせいで、情報の一部が古くなっています。(たとえば、池田信夫はすでに大学をやめている。)
 以前書いた原稿をほじくり出して、本日掲載しました。 (^^);
 
posted by 管理人 at 22:31 | Comment(45) | 一般(雑学)1 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自分も含めて、池田氏が言っているのは、
「大学のアカデミズムは生産性向上には無意味だ」
ってことです。教育経済学の研究結果を見ても、初等中等教育は生産性向上に役立つが、それ以上はほとんど効果がない。だったら、初等中等教育に金をかけた方がいい。

大学で大学レベルのことが教えられないなら、もっと基礎的な補充教育をやるべきだ。それを「大学」と呼ぶのかどうかはわからないが。

内田樹さんは、
「三流大学だと、高卒どころか中卒程度の学力もない人ばかりが入学している」
と認めておきながら、大学で中学程度の補充教育をせよとは言わないところが卑怯でしょう。大学生相手に、中学英語を、一つ一つ教えるなんてまっぴらごめんなわけだ。

某歯科大学1年生のシラバスの内容が、中学程度の内容なので、嘲笑されてますが、何もせずに放置して、スカした学問を教えるよりはましだ。

しかし、一番ましなのは、初等中等教育を改善して、15歳時点の学力を向上させることだと思う。後から向上させるのは手間と費用がかかる。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月11日 06:21
> 「大学のアカデミズムは生産性向上には無意味だ」

 それは「実学」優先の発想です。大学のすべてが実学のためにあるんじゃない。たとえば量子の研究をいくらやったって、今すぐ生産性が向上するわけじゃない。しかしそういう基礎研究があったから、何十年も後では大きな成果が出る。量子力学がなければ今日のコンピュータさえなかった。
 実用性が大事な人は、実学の部門に入るか、専門学校に行けばいい。大学の目的は実学一本槍じゃない。

 それより根源的なのは「生産性の向上が大事」という池田信夫の発想だ。
 (1) 「生産性の向上」は、個別企業の経営力でほとんどが決まる。国が関与できることはほとんど皆無。無理にやれば社会主義と同様で、かえって生産性は低下する。基本的には「自由放任がベスト」であり、小泉純一郎や池田信夫みたいな「国家主導の構造改革」なんて、とっくに否定された社会主義の名残にすぎない。
 (2) 「生産性の向上」は、好況期にはマクロ的には操作できないが、不況期には操作できる。それは「総需要の拡大」だ。これにより設備や人員の稼働率が上がるので、生産性は大幅に上がる。たとえば稼働率が2倍になれば、生産性は2倍になる。一方、技術革新は、ほとんど効果がない。なぜならもともと大量の遊休があるからだ。生産性の高い新規設備を導入する必要などはない。原材料以外の加工コストゼロで、生産性を大幅に向上できる。これが不況期(遊休が多いとき)の特徴。

> 大学で大学レベルのことが教えられないなら

 それはボンクラ大学のことです。そういうのだけは廃止した方がいい。だからといってまともな大学を廃止するというのは、論理が狂っている。「世の中には馬鹿がいるから、利口に対する教育をやめよ」なんて、論理が滅茶苦茶。大学に入って論理を学ぶべし。

 私が思うに、内田・池田は、論理というものをまったく理解できていない。大学に入り直して、論理力を鍛え直した方がいいですね。基本的な思考力ができていない。思いつきを偉そうに言っているだけ。
 次の本がお勧め。
  http://books.meblog.biz/article/1982204.html

> 一番ましなのは、初等中等教育を改善して、15歳時点の学力を向上させることだと思う

 それは大学教育不要論とは別の話で、個別にやるべきことです。
Posted by 管理人 at 2012年12月11日 07:03
鶴見歯科大学のシラバスは以下。
http://ccs.tsurumi-u.ac.jp/syllabusdental/grade1/1_8.pdf
http://ccs.tsurumi-u.ac.jp/syllabusdental/grade1/1_7.pdf
嘲笑するむきはあるが、学生のためを思うなら、こうした方がいい。


一方、現実を直視しない大学教員は、こう。
http://www.amazon.co.jp/%E5%B4%96%E3%81%A3%E3%81%B7%E3%81%A1%E5%BC%B1%E5%B0%8F%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AC-%E6%9D%89%E5%B1%B1-%E5%B9%B8%E4%B8%B8/dp/4121501527/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1355175815&sr=8-1

私はこの本を読んで、何が呆れたかって、
「自分の専門である人類学が、この大学の学生には不要なのだ」
という現実を認めないことでした。猿の生態なんてことを教える以前に、基本的な生物学知識が必要だろうし、文献を読むための語学教育だって必要だ。それなのに、人類学から一歩も外に出ない。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月11日 07:10
> 基本的な生物学知識が必要だろうし、文献を読むための語学教育だって必要だ。

 それはその通り。全面的に賛同します。
 つまり、必要なことは、大学教育の充実です。廃止とは正反対。今の大学教育はスカスカすぎる。大幅に拡充するべきでしょう。池田信夫の意見とはまったく正反対。
Posted by 管理人 at 2012年12月11日 07:21
最後に [ 余談 ] を加筆しました。
Posted by 管理人 at 2012年12月11日 07:25
ある国の成長率が急上昇するのは、多産多死の後進国から少産少死の先進国に移行する過程で、一度だけ生産人口比率がピークを迎える(人口ボーナス)ためと考えるのが普通でしょう。それまで死んでいた子どもたちが一斉に成長して働き出すのですから成長するのは当たり前。もちろん初中等教育は必須ですが、基本は歴史的なプロセスで、高等教育の量とは本来関係ないと思います。

しかし、それはまさに一過性の現象で持続的でもなんでもない。先進国となってから(低成長でも)生活水準を向上させ続けたかったら、まともに物を考えられる人間を増やして技術と文化を磨くしかないわけで、そこで大学教育が非常に重要になる。高校を出た人たちに適切な教育環境と(管理人さんとは意見が違うかも知れませんが)相当な無為の時間的余裕を与えてやらないと、これはできない相談です。

若い人たちの成長を待つゆとりと寛容を欠き、初中等教育偏重で単純労働力としてこき使うような態度では、いずれこの国は工場の廃墟だらけになってしまうでしょうね。
Posted by 深海 誠 at 2012年12月11日 09:03
>荒削りの、未加工の素材を受け容れて、それをゆっくり時間をかけて磨き上げる

企業ではやってますよ。
全部とはいいませんが、やってるところはたくさんある。
ただ、集合研修で学習できることが限界があるので、本当に仕事に必要なことはOn the Job Training(OJT)で学習してもらうしかない。
でも最低限のコミュニケーション能力と思考力が無いと、OJTで学習することができない。
企業が求める即戦力って、すぐに働けるってことじゃなくて、ある程度環境を整えれば自分で学習して成長してくれる人材なんですよ。
せっかく課題を与えて成長する機会を与えても、そこから何も学べないような新卒があまりにも多い。

私は、酷い初等中等教育の結果が今の大学の惨状を招いていると考えているので、大学の改善のためにも、まずは初等中等教育に手を入れるべきだと思います。
思考力はスキルです。また長期間かけて鍛えないと磨かれない。大学から教えたのでは遅すぎます。
一定レベル以上の思考力が無い人が(知識層にすら)多すぎるのが、いろいろな改革を阻んで、あたりまえのことができないでいる気がします。
Posted by T.M. at 2012年12月11日 12:41
生産性向上というと、池田信夫はやたらと「規制緩和」を唱えるが、日本の企業の生産性が低いことの理由は、規制じゃない。情報系企業について前に述べたことを引用する。IIJの元社長の見解。

  ̄ ̄
 初会合のときに、同じ民間委員である著名な経営者や、なかでもメガバンク会長らから「日本のITが遅れているのは、政府の規制と通信料金の高さが原因」という趣旨の発言があった。
 そこで私は「ITの遅れの原因は、あなたがたの会社が海外の似た企業と比べ、IT投資が少ないからです。つまり民間企業の経営者が現在進行形で技術革新が進むITに無知で、投資が少ないことが最大の原因」と反論した。
 → http://openblog.meblog.biz/article/12658948.html

  ̄ ̄
 経営者の愚かさが、シャープやソニーやパナソニックの衰退の理由だ。その根源を理解しないまま、「規制緩和で万事OK」なんて考えていると、IIJ の元社長みたいな専門家にずばりと指摘されてしまう。言われて気づけばまだ良かったのだが、言われても気づかなかったから、十年ぐらいたって、今のていたらくだ。
 問題の根源を理解しないと駄目ですね。トンネル工事でもそうだけど。「政府が悪い」「俺様の好きなようにやらせてもらえば万事OK」なんて責任転嫁ばかりしているような連中は、ただの無能でしかない。シャープの前社長と同様。
Posted by 管理人 at 2012年12月11日 12:52
皆基本的なことを忘れている、
大学なんてもんは、学問や芸術を究めるところであり、
それ以外のなにものでもない、
就職のため?金の為?産業の為?
そんなスケールの小さいもんではないのだ、
量子力学の基礎を作った人たちも、
これで、半導体の振る舞いがわかり、
やがて小型のアイフォンみたいなものができて、
産業に貢献して金儲けができる、
なんて夢にも思わないし、
そんなチンケなスケールで研究したわけではない、

純粋に自然を深く知りたいという、
スケールの大きな大志とでもいうべきものがあったんだ、
そのおかけで我々は量子力学の数々の恩恵をうけているのだ、
今の親、学生、社会はそういう大事な大志とでもいうべきものを忘れている、
将来の就職の為とか産業に役立つとか、
チンケなスケールで学問は究められないし、
そんなことしか考えられないような余裕のない世の中もどうかしている。
Posted by かん at 2012年12月11日 17:23
>それは「総需要の拡大」だ。

それはつまり、ショックを与えれば、鞍点を超えて、現時点の悪い均衡から、別の均衡に移動できるって意味ですか?それなら持続可能でしょうが、単に補助金を突っ込んで生産額を引き上げるだけだったら、持続しません。

>それは大学教育不要論とは別の話で、個別にやるべきことです

いや、違う。
予算制限があるからです。教育に無限に予算は使えないから、どれかを縮小して、別の分野を拡大するしかない。

私は高等教育を縮小して浮いた予算で、小中教育を充実させるべきだと思う。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月12日 00:16
>ITの遅れの原因は、あなたがたの会社が海外の似た企業と比べ、IT投資が少ないからです

まったくその通りで、日本の企業のITはただのコスト部門で社内的な地位が低いことも多いのに対して、海外、特にアメリカのIT部門は、どうやって効率化を図るかを常に考えていて社内的な地位も高いです。
ただ、そうやってIT化を推し進めたアメリカの製造業が必ずしもうまくいってなかったので、IT投資を増やす機運は生まれなかったんですよね。
結果、ホワイトカラーの生産性は日本は非常に低いまま。まぁこれはIT化の問題だけじゃないんですが、根本的な問題として、経営者に従業員の生産性を上げるという発想が欠けているのが問題で、IT化の遅れはその典型的な現れです。
経営者が悪いから日本の生産性が上がらない、という意見にはまったくもって同意なのです。
Posted by T.M. at 2012年12月12日 01:17
>私は高等教育を縮小して浮いた予算で、小中教育を充実させるべきだと思う。

お金を掛ければ小中教育は良くなりますか?
教室の人数を減らすとかすれば生活指導の面ではそれなりの効果はあると思いますが、そもそもの「教育方針」と「システム」が間違っている状況では、教育に対する効果はさして見込めない気がします。

、、、でも、IT化を進めるってのは効果あるかもしれませんね。IT化をうまく使えば、教育システムを変えることになります。教員の無駄な手間を徹底的になくすことは必須だと思えますし、それ以外でも例えば、TV会議システムを使ってどこでも Native Speakerによる英語の事業を実現させるとか、効果の高かった授業スタイルを学校間でうまくシェアするとか、ITを学校のオープン化につなげていけば、教育システムが一気に改善される可能性があります。
Posted by T.M. at 2012年12月12日 01:44
> 鞍点を超えて、現時点の悪い均衡から、別の均衡に移動できるって意味ですか?

 それは「複数均衡点」という発想です。しかしマクロ経済学を理解すれば、「マクロ的な均衡点の移動」という発想を取れます。この語で検索してください。1番目にヒットする。

> 予算制限があるからです。

予算はいりません。制度変更のみ。たとえば学校の週休二日制をやめる。
強いて予算を入れるなら、学校事務員の増加かな。それだったら、高校無償化をやめればいい。一方、大学の授業料は下げた方がいい。現状は高すぎる。高等教育の予算は増やすべき。
Posted by 管理人 at 2012年12月12日 07:28
本論でない蛇足ですが、

>破滅のあとの復活を信じている。いわば(ユダヤ的な?)宗教的信念ですね。

たしかに、宗教的信念ですね。ただ、ユダヤ的とは違う気がします。なぜなら、ユダヤ、キリスト教でいう復活は復活させる主体となる存在が前提としてあるからです。自然に向上するとか、再生するとか言う思想は、どちらかというと、ある種?の一般人が漠然と理解している進化論的な社会感に近い気がします。
Posted by MacWin王国 at 2012年12月12日 21:33
鶴見歯科大学のやっているレメリディアル演習ってのは、どう見たって、高等教育じゃないです。単なる初等中等教育の補習に過ぎない。

補習はしないよりはした方がいいが、それは大学でなくてもできる。例えば、高校卒業程度認定試験のための予備校や塾があります。あれで十分。学費は年間で30万円もしない。

大学では費用対効果が低すぎます。鶴見大学の学費は、年間で、435万円です。ここまで極端ではないにせよ、大半の大学の学費は、国庫補助金を含めて計算すると、100万円をはるかに超えます。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月13日 01:31
その件は「ボンクラ大学」について述べておきました。該当箇所を参照。
Posted by 管理人 at 2012年12月13日 07:15
現状は、ボンクラ大学がほとんど全てなんですよ。よって、大半の大学を廃止するのが正しい。

大学廃止で浮いた予算は、小中学校の予算に振り向ければいい。低学力生徒の補習すら、今の小中学校では、正規の勤務時間内にはできないのです。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月13日 09:17
学校5日制は、もともと、学校教職員にも週休2日を導入するために作られたものですから、もとに戻すとなると、人件費が余計に必要になるでしょう。

夏休みを短縮して授業日数を増やすにしても、小中学校には教室にエアコンすらついてないところがまだ一杯ある。これも、金が必要。自民党の反動議員は、「こどもにエアコンなんて贅沢だ」とか言っていますが、エアコンなしで7月8月に授業なんて無理です。

このように、初等中等教育には、予算を増やしさえすれば解決する問題が多数残っているんだけれど、大衆は、そんなのは歓迎しない。教育の充実というと、条件反射的に高等教育の充実ばかりが主張される。

なぜなら、大衆が欲しているのは、実質的な学力の涵養という、しんどい作業ではなくて、高卒、大卒、院卒、博士みたいなラベルを、楽して安く手に入れることだけだからです。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月13日 12:35
> 現状は、ボンクラ大学がほとんど全てなんですよ。よって、大半の大学を廃止するのが正しい。

昔ならば人間が工場で働けば良かったけれど、今では工場はロボット化が進んでいるし、今後もそうなるでしょう。単純作業をする職場はなくなり、多少は知的な職場(サービス業)しかなくなるんだから、二流クラスの大学はあった方が良さそうです。
そもそも、大学を廃止して、何をやらせるんです? レジの担当員ばかりというわけには行かないでしょう。そもそもコンビニの担当員ですら、けっこう知的な作業が必要とされてきています。
 → http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2012/11/10/013625
 このページを読んで、「学ぶこと」の大切さを理解してください。人類が原始人から進歩したのは、人間として進化したからじゃない。教育の成果です。その教育の効果は、20歳ぐらいまでははっきりと成立します。鶴見歯科大のレベルでさえ、教えることの効果ははっきりとあります。教育の放棄が最善だということにはならない。

> 大学廃止で浮いた予算は、小中学校の予算に振り向ければいい。

予算はあまり関係ない。金の不足が理由じゃない。
そもそも、別レベルの話です。小中も大学も、どちらも教育をきちんとやればいいだけの話。両者はトレードオフの関係にはない。(井上さん自身が、かなり非論理的な発想をしています。)

> 低学力生徒の補習すら、今の小中学校では、正規の勤務時間内にはできないのです。

予算とは関係なく、実現できます。週休二日制の廃止。あるいは、習熟度別学級。そちらが正解です。
教育は予算に比例するものではない。金をかければいいといものではない。無駄なことに金をかけてもただの無駄。

> 学校5日制は、もともと、学校教職員にも週休2日を導入するため

 まさか。それだったら、授業のない夏の間に、教師を無意味に出勤させる必要がない。自民党政府は、教師を虐待することには熱中しても、待遇改善をすることなんか目的とはしません。教師のためではなくて、あくまで生徒のため。というか、子供と遊びたい親のため。「子供の徳育教育は家庭で」という自民党の方針のため。

> エアコンなしで7月8月に授業なんて無理

 早朝ならば可能ですよ。8月の早朝よりは、7月上旬や9月上旬の午後の方がずっと暑い。夏休みなんか廃止して、早朝教育をする方が、ずっといい。6時登校、10時下校。
 金は使わなくても、知恵を使えば、十分可能。もっと頭を使いましょう。

 ──

 とにかく、削るべきは、大学教育の予算ではなくて、除染と、仮設住宅とか、太陽光発電とか、そういう純然たる無駄。 or マイナスの効果のある無駄。教育予算を削るなんて、見当違い。

 社会の上位層だけが高等教育を受ければいい、とは言えない。20歳ぐらいまでなら、人は勉強する価値は十分にあります。短大や専門学校は十分に価値がある。
 ま、「三流大学を専門学校へ移行させよ」という提案ならば、十分に考慮の価値はある。だけど、「高等教育の大半を廃棄せよ。中卒や高卒で十分」という提案は、暴論過ぎる。たとえ底辺層であっても、20歳ぐらいまでは、知的に向上できるのです。

 ちなみに、日本では、列車のダイヤも正確だし、配管工みたいな職業でさえ納期や精度がしっかりしています。文明社会。一方、欧州ではダイヤも納期も精度も滅茶苦茶です。
Posted by 管理人 at 2012年12月13日 20:00
南堂さんは、論理以前に知識が足らない。

高等教育が肥大化して、社会需要と見合ってないという話は、40年も前から、教育学者の世界では行われています。ドーア「学歴社会」という本を参照のこと。英国、日本、スリランカ、タンザニアという、発展段階の違う社会の教育政策を比較した記録。

なぜ、高等教育が肥大化するか、それは悪いことなのかという議論もなされています。結論だけ言えば、予算制約がある以上は、高等教育セクターを無制限には増やせないという話。

また、生産年齢人口の数が、資源制約になっている日本では、高等教育に労働者を取られること自体が、経済規模の制約になる。外国人労働者を入れよという主張もありますが、まずは、自国内の生産年齢人口を動員する工夫をした方がましかと思います。

>予算とは関係なく、実現できます。週休二日制の廃止。あるいは、習熟度別学級。そちらが正解です。

その問題は、藤田英典「教育改革」という本に、根拠も含めて、答えが書いてあります。

学校5日制が、ILOが推進する週40時間労働との絡みで始まったということは、Wikipediaにすら載っている。

授業時間を増やすために、より多くの労働時間を教師に期待することはできず(それは労働者性を否定することになる)、人件費を増やし、教師数を増やすことでしか、解決ができない。

習熟度別学級編制の無残な結果は、佐藤学「習熟度別指導の何が問題か」というそのまんまの題名の本に、報告が行われています。格差拡大だけならともかく、全体の水準が低下した点が強調されています。

>6時登校、10時下校。

そういう話は、時間差通勤が実現してから言ってください。猪瀬直樹が都知事になるようだから、地下鉄の24時間運行は実現するかもしれない。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月14日 18:51
大学教育は、いわゆる専門職であっても、必ずしも必要ではないです。高卒程度の知識があれば、医師国家試験だと、2年ぐらいで合格水準に到達します。司法試験は暗記量が多いから、3年くらいかかるかもしれない。

大学教育を受けなければならない人は、大学教師になる人だけです。つまり、必要な大学定員は、今の十分の一でも多すぎるくらいです。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月14日 19:23
> 高等教育が肥大化して、社会需要と見合ってないという話は、40年も前から、教育学者の世界では行われています。

昔は単純労働が必要でしたからね。今ではロボットが大幅に進出しており、単純労働の必要性は大幅に下がりました。時代は変わりました。

> 予算制約がある以上は、高等教育セクターを無制限には増やせないという話。

 だったら、「予算節約のために高等教育を減らせ」という主張にすればいい。それならそれで、議論になる。私は反対だけど。
 どうせなら、無駄な公共事業とか、除染とか、仮設住宅とか、無駄はいっぱいあるのに、よりによって高等教育を減らすというのが、どれだけ支持を得るかですね。ま、土建主義者ならば、井上さんに賛成でしょうけど。

 私としては、三流大学を縮小する(専門学校度に進める)のは構わないが、二流大学まで縮小するのには否定的です。理由は後述。

> 生産年齢人口の数が、資源制約になっている日本

 冗談でしょ。これほど大量の失業があふれているデフレ状況を、「供給不足である = インフレ状態である (だから供給制約によって成長しない)」と主張するなんて、池田信夫の亜流ですね。
 そもそも、機械でも代替できるような単純労働者は、これからはどんどん余るばかりです。資源制約どころじゃない。単純労働者の失業をいかに減らすかが問題となる。
 足りないのは、技能労働者です。そのために職業訓練をするのは十分に有効。その職業訓練が大学か専門学校であるかは、私は別にどちらとも主張しないが。いずれにせよ、高技能化は必要です。
 だいたい、井上さんの大好きな池田信夫が信奉しているフリードマンは、「失業解決のためには職業訓練を」と言っていますよ。
( ※ 私はそれを否定しているけどね。職業訓練は失業解決には役立たず、高所得化に役立つ。)

> 高等教育に労働者を取られること

 そのことで、単純労働者の数は減りますが、高度技能労働者が増えますから、最終的には生産量(金額)は増えるでしょう。生涯所得を見ても、実働年数の少ない大学卒の方が生涯所得は多い。
 これが国全体にも当てはまるので、労働時間の総数を減らしても生産量はかえって増えます。ロボットなどを使えば、単純労働のかわりはできる。

> 授業時間を増やすために、より多くの労働時間を教師に期待する

 夏休みの無意味な拘束時間を減らせば、年間労働時間の総数は減ります。
 また、週の労働時間も、ほとんど変わりません。学校の週休二日制は、週の勉強時間が大幅に減ることを意味しません。3時終業が4時終業みたいになって、1日の授業時間が増えています。

> 習熟度別学級編制の無残な結果

 それは学校側から強制的にクラス分けをするからです。生徒の側が自発的に、学科ごとに好きなクラスを選べるようにすればいい。それなら問題ないはず。(全員が中級レベルを望むのであれば、それでもOK。この方式ならば、プラスはあっても、マイナスはない。)
 現実にはそういう制度を取っていないから、弊害ばかりがあってプラスがない。
 何事も、やり方がまずければ、まずい結果になります。
 比喩で言うと、素人が注射すると、まずい結果になります。だからといって、「医者がきちん注射をするのも駄目だ」と結論して、「あらゆる注射は禁止にする」なんて、馬鹿げている。
 やり方がまずいのであれば、やり方をまともにすればいい。それだけの話。注射そのものを否定する必要はない。習熟度別教育もまたしかり。

>> 6時登校、10時下校。
> そういう話は、時間差通勤が実現してから言ってください。

 時間差通勤じゃなくて、サマータイムふうの早朝就業ですね。一番暑いときには午後なしの半ドンと組み合わせるといい。省エネになる。

> 大学教育を受けなければならない人は、大学教師になる人だけです。つまり、必要な大学定員は、今の十分の一でも多すぎるくらいです。

 さすがにそれは誰の支持も得られないと思いますよ。工学部が崩壊したら、日本経済はあっというまに中国や韓国の下請けになります。
 ま、そうなったら、日本の企業は日本人はみんな下級労働者になって、中国や韓国の大学卒を幹部社員に登用するしかないですね。日本奴隷化政策。

 p.s.
 この議論は結構おもしろいな。なかなか白熱している。
Posted by 管理人 at 2012年12月14日 19:42
> 医師国家試験だと、2年ぐらいで合格水準に到達します。

 井上さんの説は、大学不要論者なくて、「大学過程を自習せよ」論ですね。
 それはまあ、前にもやった論議だから、蒸し返しても仕方ない。
Posted by 管理人 at 2012年12月14日 20:59
私は大学教育は必要と考えます。実学との解離は知識や技能を役立てる術を持とうとしないからでしょう。
初等教育の歴史も数学も物理も要らんかった。という漫才ネタを彷彿します。
知的好奇心を満たす事を是としない金儲けだけの世知辛い世の中は嫌ですね。
各論はためになります?♪
Posted by 京都の人 at 2012年12月14日 21:11
> 知的好奇心を満たす事

 それで思い出したが、大学教育で受けた専門知識は、たいていの人は直接的には役立てていないはずだ。医学部生ならば役立っていそうだが、実は専門の診療科のためには、大半の知識は不要となっている。理学部だって法学部だって、専門知識はたいてい不要となっている。では何が役立ったかというと、「考える訓練」だ。そういう訓練を経てきたからこそ、あとで会社に入ったとき、どの部門であっても、適応可能になる。また、社会の変化に応じて会社が変われば、社員もまた変わる。
 大学教育の重要性は、知識の詰め込みではなくて、「考える訓練」だとも言える。次項の「論理力を付ける」という話も同様かな。
 知識を詰め込むだけだと、自分では何も生み出せなくなる。ま、医者ならば、何も生み出せなくてもいい(マイナスをゼロにするだけでいい)が、たいていの仕事は何かプラスを生み出す必要がある。そのためには「考える力」が必要だ。たとえ店舗の販売業ですら、何らかの工夫をする力が必要だ。
 「考える力」が必要とされないのは、医師だけかもね。単に分類するだけで済むみたい。
 だけど私の知人の医者は、基礎医学をやっているので、自分で何かを生み出しています。考える力を使っています。そういうのは、大学教育がないと駄目ですね。自習だけじゃ無理。

  ──

 井上さんの発想だと、「医師になるには大学教育は不要」とのことだ。だが、それは、「大学が不要」ということを意味するより、「医師そのものが不要」ということを意味するのだろう。
 単に分類するだけの医師なんか、機械診断や人工知能に任せることができるから、将来的にはすべて機械に置き換えていい。必要なのは、検査技師と、看護婦と、手術する外科医だ。
 一方、診断するだけの内科医とか、皮膚科医とか、耳鼻科医とかは、(一部の例外を除いて)機械に置き換えていい。これらの医師は、「考える力」を必要としないから、大学で学ぶ必要がないが、それだけでなく、医師そのものが将来的には不要となる。
 結局、真に必要なのは、実技や人間関係をきちんと学んだ人だけだ。ただの知識のかたまりにすぎないような医師は、機械に置き換えていい。医師というのは、今は社会的地位も年収も高いが、将来的にはロボットに置き換えて、今の医師はみんな路頭に迷わせてしまうのがいいのかもね。どうせ大学で訓練していないから、「自分で考える力」もないし。単に医学書の丸暗記をしてきただけだから、コンピュータに置き換えられてしまっても仕方ない。
 「医師不要論」が結論となる。(外科医を除く。)
Posted by 管理人 at 2012年12月14日 21:24
>昔は単純労働が必要でしたからね。今ではロボットが大幅に進出しており、単純労働の必要性は大幅に下がりました。時代は変わりました。

しかし、大学定員も激増しました。人口比で40年前の3倍です。また、大卒過剰問題は、すでに昭和初期には発生していました。「大学は出たけれど」って言葉くらいはご存知でしょう。マックス・ウェーバーですら、「職業としての学問」という本で、職にあぶれた高学歴者がどう生きていくべきかを説いている。つまり、近代化以降のどの国、どの時代でも、大卒は過剰なんです。

>どうせなら、無駄な公共事業とか

確かに無駄は他にもあるでしょうが、ここでは、問題を簡単にするために、国全体の教育費用の最適配分を考えています。総費用を増やせるなら、話は別です。教育費総額は、政府支出だけで22兆円もありますので、総額を制約条件とするのは、そんなにおかしくはない。

>これほど大量の失業があふれているデフレ状況

今の失業率は、ほぼ自然失業率です。OECD推定では、4±0.3%です。つまり、労働者は余っていない。円表示の賃金は下がっているが、ドル表示では上がっている。

>「失業解決のためには職業訓練を」と言っていますよ。

それはそのとおりですが、職業訓練になる大学教育は、(アゴラでもコメントしたように)理工系の一部だけです。医学部ですら、職業教育になっていない。

「社会が発展すれば知識集約型産業が増える」というテーゼは、疑う必要があります。

知識集約労働と考えられていた、半導体、ソフトウェア、その上にのっかっていた家電、電算機などが、壊滅しつつあるのです。

次はバイオだという話もあったが、ほとんどが、容易にマネタイズできず、萎れてしまいました。ドクター・ポスドクの惨状は、バイオ産業が立ち上がらなかったから発生したのです。iPS細胞が実用化されるには、まだまだ、何十年もかかるでしょう。もしかしたらできないかもしれない。

今、一番、少ない投資で高賃金が得られる仕事といったら、看護なんですよ。労働集約産業の典型です。看護に大卒が必要ですかね?

>それは学校側から強制的にクラス分けをするからです。生徒の側が自発的に、学科ごとに好きなクラスを選べるようにすればいい。

佐藤学が取材した習熟度別指導クラスは、まさに「志願者のみ」でクラス分けしてました。素人が考えつきそうなことは、プロは大抵試しています。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月14日 21:25
> 大卒は過剰なんです。

 それは認められます。四流大学はなくした方がいいでしょう。しかし井上さんのは「3割削減で、その分、専門学校へ」というようなものではなくて、「高等教育の大部分を廃止して、高卒に」ですからね。それは過激すぎる、というのが私の判断。
 
> 教育費用の最適配分

 教育というのは、費用対効果がかなり優れています。それよりもっと効率の悪いものがたくさんありますよ。そっちを削る方が先決。
 あと、教育について国費投入を避けると、必然的に、大学に入れるのは金持ちの子弟だけになります。イギリスふうに階級格差が固定されます。「下級労働者の息子は下級労働者」「貴族の息子は貴族」というふうに、社会が固定化されます。それは社会の活力をそぐので、社会そのものを停滞させます。
 私はそういう社会は嫌いです。「貧乏人の子供でも頭が良ければ国のトップにまで上りつめることができる」というシステムが、どれほど日本の社会の活力を生み出して、日本を発達させてきたことか。
 その意味で、教育に費用をかけることは、社会の発展には必要不可欠です。教育費をケチるような国には、まともな未来はありません。

 ちなみに、フォスタープランというのがあって、小中学レベルにばかり教育援助をします。私はこの基金に腹が立って、文句を言ったことがあります。
 「せっかく小中と水を撒いて草を育てたのに、いざ花を咲かせる大学段階になると奨学金を打ち切るなんて、無駄の極みだ」
 アフリカでは高等教育を受けた人がろくにいないから、国家の政治レベルがものすごくひどいことになっています。教育の費用をケチると言うことは、そういうことです。日本をアフリカのようにしたいのですか? 
 
> 労働者は余っていない。

 それは池田信夫流に「最低賃金でも雇用されれば失業ではない」という形だから。アメリカではシリコンバレーで高学歴の技術者がタクシー運転手をやる、という例もあるし。高度技能者がきちんと働けるように、景気状況を最適化することが先決です。今の状況は相当の無駄。最適配分ができていないという意味で、均衡条件が達成されておらず、不均衡状況です。そもそも金利ゼロというのが不均衡の証拠。
 要するに、設備も人員も余剰です。だからあちこちでリストラが話題になる。仮に失業がひどくないとしたら、シャープやルネサスでいくら失業が発生しても問題ではなく、他で吸収されます。それが実現できないという意味で、失業率は高い。有効求人倍率が低すぎる。自然失業率なんてものは国ごとに違うので、当てにならない。有効求人倍率の方が正確。

> 半導体、ソフトウェア、その上にのっかっていた家電、電算機などが、壊滅しつつあるのです。

 何か勘違いしているようですが、IT産業は世界最高レベルですよ。その証拠に、この分野では大幅に黒字です。ただ、家電などの製品の輸出は減り、部品などの輸出が大幅に増えた。産業構成が変わっただけです。右が凹んで左が上がった、という形。全部が凹んだわけじゃない。日本の経常黒字体質は変わっていません。ギリシャとは違う。

> 看護に大卒が必要ですかね?

 看護大学で4年、看護学校で3年では? たぶん。
 それだったら私の言う「専門学校」と同様です。
 高卒で(専門知識なしで)そのまま看護師になった人なんて、いそうもないし、もしいたら、素人知識が怖くて、そんな病院には行けません。看護師さんには、私は敬意を抱いています。私よりずっと専門知識がありますからね。場合によっては医師のかわりにすらなる。そこいらの(専門知識なしの)高卒の人なんかとは違う。

> 「志願者のみ」でクラス分けしてました。

じゃ、何か別の理由があったんでしょう。
考えてもわかると思うが、高校をすべて中学同様の「全入・普通学級・地域割り」にしたら、とんでもないことになるはずです。東大に入る優秀な人と、煙草ばかり吸っている落第生が同じクラスになったら、まともな授業もできないはずだ。

習熟度別学級が駄目なら、「中学段階から高校みたいに学校レベルで分ける」というふうにすればいい。それならばいいはず。
それとも、井上さんの見解は、「高校もすべて均一化」ですか? もしそうだったら、私の高校時代は(天国から)地獄になっていたな。
Posted by 管理人 at 2012年12月14日 22:31
四流大学の問題は確かにあるのだけれど、たいして問題ではないとも思える。次の理由で。
 (1) そのような大学を卒業しても、大卒としてまともに雇用されることはない。むしろ専門学校で専門知識を得る方が有利。
 (2) したがって、四流大学に入る学生は激減しており、大学はどんどん倒産しつつある。自然に減少しつつある。
 (3) 最終的には、卒業後にまともに就職できるレベルの大学だけが生き残る。他はつぶれて、かわりに、専門学校が増える。
 (4) 自然放置で淘汰が進むから、いちいち国がつぶさなくても済む。

  ̄ ̄
 ま、国が選別して、四流私大をつぶした方がいいのだろうが、いちいちつぶさなくても、似たような効果が出る。無駄金は四流私大に対する私学助成金だけだ。それは、国立大学に対する助成金に比べれば、ずっと小さい。
 四流私大に対する無駄金を減らすという話題は、私が扱うにしては、あまりにも小さすぎる問題だ。


 どうせなら、こういう悪質で馬鹿げた無駄をなくす方がいい。国家に対する(合法的な)泥棒の推奨。
  → http://b.hatena.ne.jp/entry/diamond.jp/articles/-/29225
Posted by 管理人 at 2012年12月14日 22:53
間違いの箇所があったので訂正します。

> 将来的にはロボットに置き換えて、今の医師はみんな路頭に迷わせてしまうのがいいのかもね。

 と書いたけれど、井上さんの発想に従えば、こうなりそうです。
 「内科医はロボットに置き換えられるとしても、年収 200万円のタクシー運転手として雇用されるから、失業しない。つまり、路頭には迷わない」

 まあ、その通りですね。内科医は年収 200万円のタクシー運転手に転職するべきなのでしょう。池田信夫ふうの発想に従って。
(ただし私だったら、「手術などの実技教育を充実して、内科医を外科医に転職させる」としますが、それは井上さんが一番反対している方針ですね。)
Posted by 管理人 at 2012年12月15日 11:18
>(4) 自然放置で淘汰が進むから、いちいち国がつぶさなくても済む。

自然淘汰は学校法人については、ほとんど期待ができません。なぜなら、企業が採用に関して見ているのは、入試の難易度だけだからです。教育内容をいくら改善しても、まったく評価されない。


>高校をすべて中学同様の「全入・普通学級・地域割り」にしたら、とんでもないことになるはずです。

佐藤学の調査は、小学校の習熟度別指導です。中等教育や高等教育については、別の結論がありえます。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月15日 14:37
> 自然淘汰は学校法人については、ほとんど期待ができません。

 「大学 倒産」で検索してみてください。たとえば、下記ページ。

 → http://blog.university-staff.net/archives/cat9/cat72/

> 教育内容をいくら改善しても、まったく評価されない。

 それは大学閉鎖とは別の話。
Posted by 管理人 at 2012年12月15日 15:59
いつも楽しいブログありがとうございます。
コメントの応酬、興味深深で拝見させて頂きました。

大学へ入学される人の目的はなんでしょうか?
---
目的1.将来の出世や就職のため(大学に行かないと難しい)
目的2.文学、社会学、経済学、数学などの学問を探求する。(大学に行かなくても可能)
目的3.工学、医療などの職業訓練を受ける、また免許を受ける(大学に行かないと難しい)
目的4.とりあえず就職するまで遊ぶ。(大学に行かないと難しい)
目的5.スポーツ推薦で入り、スポーツに打ち込む。(大学に行かないと難しい)
目的6.みんな行くから行っておきたい(大学に行かないと難しい)
---
などあるのだと思うのです。入学される方の目的を明記して頂くとわかりやすいです。
案外、私は目的4,目的5,目的6も重視される方もいらっしゃるのではないかと思うのです。
Posted by 難平上等 at 2012年12月15日 23:33
目的は人それぞれですが、18歳ぐらいだと、まだ目的はわかっていないのが普通です。とりあえずは一定の範囲に絞る程度でしょう。進路が決まるのは就活をしはじめたころでしょう。
Posted by 管理人 at 2012年12月15日 23:46
井上さんはやたらと「大学教育は自習で済む」と言うけれど、それを言うなら、小中高だって、「自習で済む」と言える。なのに、なぜ「小中高を廃止して自習で済ませろ」と言わないのか? 小中高の教育効果を認めているからでしょう。
 とすれば、教育の効果ははっきりとあるわけです。ただ、大学に限って言えば、教育の効果はあまりない。そして、それは、大学教育そのものが駄目だからではなくて、「日本の」大学教育は「米国の」大学教育に比べて大きく劣っているからです。
 ならば結論は、「大学教育をやめて自習にせよ」ではなくて、「米国の大学教育や、日本の小中高の教育のように、まともな教育をやれ」ということになります。
 小中高の教育効果については、井上さん自身、はっきりと認めているはずです。私もすごく認めています。とうてい自習なんかでは得られないような圧倒的な効果があることを認めています。
 特に中学レベルでは、公立中学出身(自習中心)と、一流のエリート校出身(特別教育あり)では、教育の差が顕著に表れます。どんなに教科書や参考書で自習してもとうてい得られないようなものを、エリート校の教育からは得られます。
Posted by 管理人 at 2012年12月16日 06:13
「学校教育は必要だ」ということは、学歴社会批判のイデオローグたるドーア自身が認めているところであり、
「学校に弊害があるからといって、学校そのものを廃止せよという学校廃止論は、産湯と一緒に赤ん坊を流すようなものだ」
と言っています。

しかし、彼の議論はそこでは終わっていない。初等教育と、高等教育との接続問題が、全体のパフォーマンスを落としているのだから、そこを改善すべきだというのです。

一つの改善策としては、選抜段階で、実務経験を義務付けよというもの。軍隊內部での士官ないし下士官教育については、実際に行われ、成功例もあります。しかし、軍のような閉鎖集団では可能なことが、社会全体で可能になるとは思われない。また、職業教育ではない、アカデミックな教育については、実務そのものが存在しない。

私の考えでは、高等教育では、学校ルートと試験(自習)ルートを両方設けて、教育を複線化すると、制度比較ができて、学校教育の頽廃が防げるんじゃないかと思います。

南堂さんも言及しているように、今の日本の司法試験には、法科大学院ルートと予備試験ルートがあります。法科大学院は、常に、予備試験ルートとの比較を強いられます。

医師国家試験も、予備試験ルートがあるといい。現状では、外国の医学校卒業者限定となっている予備試験を、全国民に解放すると、多分、医学部卒業組と予備試験組との比較がなされ、学校の頽廃が防げると思います。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月16日 08:30
司法試験については私も書いていたことがありますね。
 → http://openblog.meblog.biz/article/11343977.html

 読み直したら、結構いいこと書いてある。うまくまとめてあるな。われながら感心した。  (^^);
( ※ 実を言うと、その内容はもう忘れてしまったので、今では同じことを書けない。ボケた。  (^^); )

 司法試験と医師国家試験とが違うのは、次の点かな。
 (1) 法律というものがもともと抽象的なもの(言葉によるもの)であるがゆえに、独学に向いている。実物である人間の肉体を相手にする医学とは違って、机上の学問で済む。
  (2) 法科大学院では、大学の法学部を前提としないで、いきなり大学院でゼロから始める。大学四年間が無駄 or 重複になる。壮大な無駄。だったら大学四年間を法学部で学んだ方が有利に決まっている。法科大学院という構想そのものがおかしい。
 
 ※ なお、(2) の点は、間違っているかも。「法科大学院とは何か」を、私はよく知っていないので。
 ※ Wikipedia を見たら、既修者と未修者のコースがあることはわかったが。……でもやっぱり、何か、無駄っぽい。

 ──

 医師国家試験にペーパーテストを導入するのは一案ですね。ただ、その場合、ペーパーテストの合格者向けに、実習教育を追加する必要がある。
 それだったら最初から医学部で教育を受けさせたとしても同じことかも、という気もするが。医学部入学の時点でペーパーテストがあるんだし。
 どちらかというと、引きこもり気質の医者が誕生する弊害の方が大きそうだ。「引きこもり気質でないこと」を医師の条件に付け加えることにするならば「ペーパー試験を用いないこと」には、十分な意義がある。
 法曹家は、引きこもり気質でも構わないが、医者はそれだと困る。
Posted by 管理人 at 2012年12月16日 09:22
抽象的な法律が、現実社会でどう機能しているかを教えるために、かつての司法修習はあったのです。法律とは直接関係のない社会見学もあった。修習生電車運転事件という不祥事もありましたが。

つまり、司法試験も、医師国家試験も、「記号を扱うことは試験で評価できる」「実務は、現実を見て憶えるしかない」ということで、大差ない。

>医学部入学の時点でペーパーテストがあるんだし。

そのペーパーテストを医師国家試験にすれば、座学はまるごと省略できて、すぐに実習ないし研修に入れるんです。旧司法試験と同様。

もちろん、病棟に出る前の準備教育はありますが(基本的臨床技能実習)、それは半年でできるものです。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月16日 10:03
> 座学はまるごと省略できて、すぐに実習ないし研修に入れるんです。

 なるほど。(もう何回も聞いたけど。  (^^); )
 まあ、そういう経路が複線であっても構いませんね。ただ、そういう経路を取ることの意味があまりない感じ。「医学部に入らずに独習で」という道をあえて選ぶ理由が見つからない。
 「高い医学部費用が問題だ」
 というのならばわかりますが、それは、「国立大学医学部を大幅に増やす」という形の方が本道でしょう。
 
 井上さんの提案は、別に悪くはないと思いますが、わざわざそういう道を選ぶだけの理由が見つからない。というか、司法試験の不合格者みたいな、医師国家試験の不合格者が大量に出現して、社会的な人材の無駄となる。莫大な数の「医者のなり損ね」をどう扱うんです? 
 この大量の無駄の発生を考えると、メリットよりはデメリットの方が大きいと考えざるを得ません。(メリットは認めますが、小さすぎる。)
Posted by 管理人 at 2012年12月16日 10:19
医学部の問題についての私の対案は次の通り。

 ──

 現有の私大医学部の大半を、買収の形で、国有化する。それらについては、国立大学医学部の形にして、低い費用で医学部に進学できるようにする。このことで医師国家試験に合格できるレベルの人材を十分に確保する。私大医学部は、「学費が巨額にかかる割には医師国家試験への合格率が低い」というふうにして、自然に淘汰されるようにする。(一部の有力な私大医学部は生き残るが、大半は倒産する。)
 国立大学の医学部では、十分な実習を勤めさせる。検死の前の解剖の手伝いを部分的にやることで、メスで切ったり縫合したりすることの訓練を十分に積む。特に縫合は重要で、多大な実習を経験する必要がある。
 患者との対話の訓練も重要で、病院で初診者の聞き取りとまとめの訓練をたくさん積む。
 とにかく、医学部教育の中心は、知識ではなくて、実習だ、ということを基本に据えて、大量の実習を訓練させる。
 ペーパーテストだけで合格できる制度も設けるが、それは、人間を対象としない部門に限る。例。病理医。放射線装置や麻酔装置の担当医。検査技師。……これらは「二流医師」というような名目を設けて、専門の資格を与えるといい。ペーパー試験だけで合格できるから、大量の人材を養成できるので、低い給与で十分な人数を確保できる。結果的に、麻酔医の不足などの問題がなくなる。
 同様に、「出産医師」という二流医師も設けて、一般医師の指導の下で出産介助をすることにしてもいい。現状の助産婦と同様だけど、ちょっと高度な資格となる。これもペーパーテストを基本として、合格後にちょっと実習を積むだけでいい。
 一般的には、ペーパー試験だけで合格できるような資格は、受験者が大量に押し寄せるから、合格者も大量に出して、結果的に低い給与で質と量を確保できる。今の医師は給料が高すぎるので、ペーパー試験だけで合格できるような資格を導入することで、医師全体の給与水準を引き下げることができる。このことで国の医療予算を引き下げることができるし、日医の権力も弱めることができる。

 というわけで、ペーパー試験だけで合格できるような二流医師の資格は、結構有益ですね。
 一方、まともな医師については、実習中心で、十分な教育を施すようにするべきでしょう。同時に、国立大学の医学部を増やすことで、質と量を確保するべきです。
 高等教育の予算は、大幅に増やすべきです。そのことで、かえって、国全体の医療の質を引き上げ、国家予算全体の無駄をなくせます。
 国の予算の低下は、高等教育を削減することによってではなく、二流医師の給与水準を引き下げることによって可能でしょう。
 特に、内科医・麻酔科医などは、機械を導入することで大幅に簡易化ができるので、普通の医師とは別の二流医師みたいな別資格に置き換えるべきです。もともとペーパー試験だけで合格できるような資格には、高い給与を払う必要はない。安い給与でも、いくらでもかわりが利きます。ペーパー試験導入の目的は、(該当部門の)医師給与の引き下げとするべきでしょう。
Posted by 管理人 at 2012年12月16日 10:19
>それは、「国立大学医学部を大幅に増やす」という形の方が本道でしょう。

それができないんです。設備と教員を増やせない。

具体的には、解剖実習の献体の数とか、プレパラートの数とか。信じられない話ですが、本当です。教員だって、薄給のわりに激務でなり手がない。

>莫大な数の「医者のなり損ね」をどう扱うんです?

司法試験改革の時に、そのことが言われましたが、当時の法曹たちの話を総合すると、
「多浪で人生棒に振った人は、ごく少数の例外でしかなかった。大半は、卒後1年か2年で無理だと、進路変更をしていた」
って話です。最終合格率2%というのは、択一式の記念受験者も含めた数字です。
Posted by 井上晃宏 at 2012年12月16日 11:09
> 設備と教員を増やせない。

 よく読んでください。私が言ったのは「私立大の買収」です。つまり、衣替え。国立大の新設ではありません。最低限、現状維持です。
 さらに、国費を投入することで、現状よりも大幅に拡充が可能です。私立では無理ですけどね。

> 解剖実習の献体の数とか、プレパラートの数とか。

 検体の件は、前にも述べたように、検死の一部手助けで。プレパラートの数は、国費投入で。

 予算に関しては、「医療関係予算の大幅拡充」を私はもともと提案しているから、その枠組みで実施すればいい。一方、終末医療については大幅に削減するべき。

> 「多浪で人生棒に振った人は、ごく少数の例外でしかなかった。大半は、卒後1年か2年で無理だと、進路変更をしていた」

 それは司法試験の場合です。1〜2年後で転換しても、法学部卒の資格は得ているはずです。問題は小さい。
 法科大学院の場合は、試験勉強に数年と、法科大学院が2〜3年で、合計4年ぐらいが無駄になります。しかも、放り出される時期は、かなり年を食った時期です。問題は大きい。新聞でも報道されているし、ネットでも叫ばれています。
 医師国家試験の場合だと、自習で4〜6年をかけたあとで、最終的に合格できないと、高卒の資格のままです。これはひどい。現状ならば、不合格でも医学部卒の資格は得られるので、製薬会社に大卒として就職することぐらいは可能だが、高卒の資格じゃどうしようもない。タクシーの運ちゃんをやらせますか? 
 しかも、現状だと、医師国家試験の不合格者の比率は1割程度では? ほとんど無視できる。この数が、ペーパー試験実施の導入によって、現状の 30倍ぐらいに増えると予想される。(合格者の3倍が受験すると見なして。もし競争倍率が 10倍ならば、不合格者は現状の 100倍ぐらいに増える。)
 これほど大量の人材を無駄にするとしたら、法科大学院を上回る無駄になりそうだ。

 一般に、「大学卒業時に試験で選抜」というのは、「大学入学時に試験で選抜」というのに比べて、中退同様の人間を大量に生み出すので、社会的な浪費がものすごく大きくなる。それと同様のことが起こります。
 司法試験ならば、不合格でも法学部卒の需要はあるが、医師国家試験ならば、不合格となった高校卒の需要はほとんどないでしょう。大量の無駄。
Posted by 管理人 at 2012年12月16日 11:43
数値の訂正
  30倍 → 20倍
  100倍 → 90倍

 ※ 合格者の分はカウントしないので。
Posted by 管理人 at 2012年12月16日 12:01
井上晃宏さんが今も見ているかどうかわからないけど、ちょっと思ったことがあるので。

 井上晃宏さんはずいぶん前からネットで活躍しているので、「大学を出てから医学部に入り直したのでは?」と思って、ネットで検索してみたら、次のページが見つかりました。
 → http://www7.plala.or.jp/machikun/ikenkun.htm

 大学を出てから医学部に入り直したのだとしたら、知識はすでにたっぷりあるし、クラスメートも同年輩ではない。だったら、無知な年下連中といっしょに学ぶよりは、独学の方が高能率でしょう。その気持ちはわかります。

 だから、「講義なしで、本だけ読めばいい」というのは、「学士入学した人にとっては」というふうに解釈すればいい。それならわかります。
 一般の医学生にとっては、当てはまらないでしょう。そんなことを思っている医学生はほとんどいないはずです。そもそもクラスメートや女子学生と話し合えなくなったら、全然面白くない。せっかく大学生活をエンジョイできるのに、あえて引きこもりになるなんて、もったいない。
Posted by 管理人 at 2013年01月31日 12:31
>知識はすでにたっぷりあるし

いや、違います。まず、教養科目については、単位認定が行われたので、免除されたから、重複はなかった。

専門科目は、初めて学ぶことばかりであり、年下の同級生とは何ら知識水準は変わらなかった。

講義が成立しないってのは、自分が講義に出なかったってことではなくて、自分は講義に出たけど、他の学生はほとんど出て来なかったってことなんです。

>そもそもクラスメートや女子学生と話し合えなくなったら、全然面白くない

学生同士の交流を望む人は、講義や実習をさぼって部活をやるんです。

個人的な話になりますが、自分は、もともと引きこもり系です。高校の同級生の名前すら、ほとんど憶えなかった。
Posted by 井上晃宏 at 2013年02月01日 00:46
「講義よりも自習の方がいい」ってのは、もはや、学生の要望ではなく、大学側が公式に認めてしまって、臨床科目講義はチュートリアル形式に移行してます。

基礎科目についても、そもそも、教員側が、自分の狭い専攻分野以外は、教える能力を喪失しています。

つまり、医科大学における医学教育は、もはや、形骸化していて、大学の意義は、医学知識を習得することではなく、就職事情を卒業前に知ることなのです。

受験指導で金を儲けている和田秀樹氏も、著書で「大学に行かなかったので、業界事情に疎く、医師にはなれたが、就職先を選択するのに失敗した」
と認めています。
Posted by 井上晃宏 at 2013年02月01日 06:49
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