2012年12月10日

◆ 敦賀原発を廃炉すべきか?

 敦賀原発が活断層の上にあると判明した。これを受けて「廃炉にせよ」という声が強まっている。そうするべきか? ──
    ( ※ 本項の実際の掲載日は 2012-12-11 です。)


 敦賀原発が活断層の上にあると判明した。これを受けて「廃炉にせよ」という声が強まっている。
 → 活気づく「脱原発」政党、自民は沈黙 敦賀廃炉の公算大

 では、そうするべきか? 
 実は、これには、法律の壁がある。
 現行法では事業者に運転停止や廃炉などを命じる法的権限はない。
 原子炉等規制法では、「急迫した危険がある場合」に限って、「原子炉による災害を防止するために必要な措置を講じることができる」と規定。
 しかし、「急迫した危険」の法解釈について、規制庁は「ミサイル攻撃や人工衛星の落下、火山の噴火など、明確に危険が予見できる場合」との見解だ。活断層の活動は1000年単位で起こるとされ、活断層を「急迫」と認定するのは困難とみている。さらに、国の手引も、建設時の許認可を念頭にしており、すでに建設されているものについては強制力はない。
( → 毎日新聞 12月10日
 ごもっとも、と言うしかない。ここで本質を考えれば、次のようになる。
 「再稼働を認めないということと、廃炉することとは、別のことである」

 運転を止めておけば、とりあえずは危険を回避できるのだから、図に乗って「廃炉」までやる必要はないのだ。

 ── 

 以上をかんがみて、私としては、次のことを提案したい。
 「当面は、再稼働の停止のみとして、廃炉には踏み込まない」


 もう少し詳しく言うと、こうだ。
 「1号機は、40年以上たって危険なので、すぐに廃炉にする。2号機は、87年に稼働したものなので、それほど古くはないので、稼働の可能性を認める。とはいえ、当面は稼働する必要はないので、運転停止状態としておく。つまり、予備機の扱い」


 予備機とは、何か? こうだ。
 「普段は稼働させないで、維持だけをしておく。錆びると困るのであれば、たまに短期間だけ稼働してもいい。そのまま数十年間、保持する。ただし、他の発電所が突発的な事故などで稼働停止した場合には、地域における広域停電を選ぶかわりに、敦賀原発の再稼働を認める」

 つまり、「万一の場合には、広域停電よりも原発の再稼働を認める」ということだ。その理由は、次のことだ。
 「活断層が危険だといっても、地震が起こる可能性は、 1000年にいっぺんぐらいにすぎない。確率的には、地震が起こる可能性はあまりない。だからといって無視して言い訳ではないので、恒常的な再稼働は認めない。ただし、広域停電が起こるような、とんでもない非常事態の場合には、再稼働を認めてもいい」

 その理由は、こうだ。
 「広域停電は、非常に危険である。信号のストップで交通事故の死者が出たり、エアコンのストップで熱中症の死者が出たりする。大量の死者が出ることが見込まれる。それに比べれば、原発の再稼働を認めるぐらいは、どうってことはない。ちょうどそのときに限って大地震が起こる危険は小さい」

 どうも人々は、あつものに懲りてなますを吹く傾向にある。福島で大事故が起こったとなると、あらゆる原発に対して恐怖を抱くようになる。
 しかし、馬が逃げたあとで厩の扉を閉めても、手遅れだ。安全対策というものは、事故が起こったあとでやるものじゃない。事故が起こる前にやるものだ。
 原発事故が起こってから原発を止めようとする発想は、順序が狂っている。原発事故が起こる前に原発の安全性を高めるべきだった。敦賀も同様だ。このまま再稼働をすることは認められないが、万一の場合には再稼働を認めるべきだし、そのときに備えて、大幅に安全性を高めておくべきだ。(水棺など。)
 一方で、広域停電に備えて、電力のバックアップ体制を整えておくことが必要だ。いざというときに、「原発が動かなくなったので、広域停電になって、多数の死者が出ました」じゃ、シャレにならない。安全確保というものは、死者が出たあとで対策するものじゃない。死者が出る前にやるものだ。単なる「原発の廃炉」は、広域停電による大量の死者を出すという大失敗を招きがちだ。
 


 [ 付記 ]
 一般的に言えば、原発は急いで廃炉にする必要はない。というのは、今はまだ廃炉の技術は十分ではないからだ。
 あと 10年もすれば、ロボット技術が進むので、廃炉も容易にできるようになる。そのころになって廃炉にしても遅くはない。やたらと焦る必要はないのだ。
 パソコンだってそうだ。今のパソコンはすごく高性能だが、20年前のパソコンは低性能だった。その当時において、現代のパソコンと同程度のものを購入しようとすれば、当時のスパコンでも買うしかなかっただろう。実際、当時のパソコンは、今では馬鹿安で売られている。
 現時点では、廃炉の技術は十分ではないが、単なる保管の技術は十分にある。だから今のところは焦らず保管しておくだけでいいのだ。
 地震が来たら? 止まっている原発は、別に地震が来ても危なくない。どうしても心配なら燃料棒(ウラン)を外しておくこともできる。ウランがなければ、核の危険もない。



 [ 余談 ]
 ちょっと別の話だが、「福島では無駄に除染ばかりをしている」という記事が、朝日新聞・朝刊 2012-12-11 にある。
  → 除染の村から
  → 福島・大熊、ほぼ全町民「帰還困難」

 除染してもたいして効果はないのに、農地の表土を剥がして、大量の土壌を入れる。莫大な金額をかけて、効果はわずか。しかも住民が戻るわけでもない。壮大なる無駄遣い。
 その意義は? ゼネコンに金が入ること。国民の税金がただの無駄になる。
 「穴を掘って埋める」
 というのと同様のことをやっているわけだ。ケインズもびっくりか。「冗談を真に受ける奴がいるとは思わなかった」
 ひょっとして、安倍流ですかね? 安倍流の先食い?
posted by 管理人 at 22:15 | Comment(2) |  放射線・原発 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
表土除去、樹木の伐採で空間線量は10分の1以下になりました。それで安心というわけではありませんが、効果は間違いなくあります。
Posted by kaz at 2012年12月14日 06:24
線量を下げること自体が目的となっており、ちっとも村人のためになっていない、と地元の人が言っています。線量を大幅に下げたところで、農業を再開できるわけではない。単に無人の荒れ地ができるだけです。
 以下、引用。

 ──

 「これはもう、田んぼじゃないです。グラウンドみたいになってしまった。表面を削って赤土や砂を入れた結果です。線量を下げるためだけに行っているように見えます。農業として稲を作るとなると、何年もかかるでしょう。それに、風評被害は避けられないと思います」

 ――でも、除染をしないと村には戻れません。除染は村の人たちがここで生活をするためでは。

 「除染して線量が一時的に下がっても、しばらくして上がったところがあります。村の75%は山林です。そこの除染をせず、農地や宅地だけ行ってもどうなのか。村に戻りたいけれど放射能の不安を抱えながら生きていくなんて、という村民は少なくないと思います」

 「何のための除染なんだろうと思います。線量を下げるため? 本当に村民のため? どうかなあ……。ここまでやりました、何々シーベルトになったのでもう安心です、さあお帰り下さい、これで政府の仕事は終わりです、というためなのか」

→ http://digital.asahi.com/articles/TKY201212100346.html
朝日新聞・朝刊・12月11日。

 ──

 まわりの山林は放射線だらけなのに、住宅地と田畑だけを除染して、「はい、これで除染しました」なんていう土地に、あなたは住む気がありますか? また、そんな土地で産出された農産物を食べる気がありますか? 
 もちろん農産物は二束三文にしかならないから、農業もできません。
 結局、莫大な金をかけても、効果はゼロです。住民はゼロ同然。住むのは、臨終の近い超高齢者だけでしょう。
 だったら、莫大な金を都市部に逃げた住民に渡すべきです。地元の人はそう望んでいる。なのにゼネコンを潤わすための無駄工事ばかりやっている。
Posted by 管理人 at 2012年12月14日 12:51
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ