2012年11月09日

◆ 科学は民主主義ではない?

 民主主義は多数決で決めるが、科学は真偽によって決める。その意味で、科学は民主主義ではない。……これを誤解する人もいるが。 ──

 次の見解は、ときどき言われる。
 「民主主義は多数決で決めるが、科学は真偽によって決める。その意味で、科学は民主主義ではない」


 これを聞いたあとで、反論を出す人もいる。
 「そうは言っても、科学的真実は科学者の多数決で決まる。多数決で決まる方式が科学とは違う、というのはおかしい」

 たとえば、次のページが、このような見解を取る。
  → 科学は民主主義ではない、という誤解について

 ──

 これはなかなか興味深い話なので、よく考えてみた。
 そのすえに、私なりに見解を出すと、次のように結論する。

 価額は本当に民主種主義で決まっているか? つまり、多数決で真実が決まっているか? 上記の人ならば「イエス」と答えるだろうが、私は「ノー」と答える。
 なぜか? 科学的真実というものは、多数決なんかでは決まらないからだ。多数決よりも、もっと厳しい条件を必要とするからだ。

 具体的に数字で示そう。次のようになる。
  ・ 民主主義 …… 55:45ぐらいで決まる
  ・ 科学主義 …… 99:1 以上の差で決まる


 民主主義ならば、たとえ1票でも多い方が支配権を握る。たとえば、先日の米大統領選では、得票率の差は2%程度だった。
  → 得票率は50%対48% (日経)
 このような微差であれ、勝者が支配権を握る。

 では、科学主義ならば? この程度の微差でも、多数派が真実を宣言することができるか? 否。この程度ではとても「真実」とは呼ばれない。では、9割ぐらいの支持を得れば? それでもまだ足りない。科学において「真実」と見なされるには、「ほぼ全員」の意見一致を必要とする。先のヒッグス粒子の場合には、こうだった。
 物理では確率99.9999%以上の再現率がないと「発見」と断定して言ってはいけないことになっている
( → 個人ブログ
 これは「意見の一致率」ではなく「再現率」だが、どちらも似たようなものだと考えていいだろう。どっちにしても「圧倒的な差」で「それが正しい」と認定されないと、科学的な真実とは見なされないのだ。
 
 ──
 
 結局、民主主義と科学主義とは、まったく異なる。
 民主主義ならば、ほんのわずかでも、多数派を占めればいい。
 科学主義ならば、わずかな優勢では足りないのだ。「真実」を名乗るには、圧倒的な差が必要なのだ。
 両者の違いをはっきりと理解する必要がある。

 ──

 実は、この両者を混同する人々がいる。それは、トンデモマニアだ。
( ※ 冒頭で紹介したサイトもそうだ。両者の違いを理解できていないが、トンデモマニアっぽいからだろう。)


 トンデモマニアは、真偽のはっきりしていない分野(定説のない分野)において、次のように考える。
 「主流派の説が正しく、主流派の説を否定する奴はトンデモだ!」

 ここでは、彼は次のように考える。
 「意見を持つ専門家の大多数は、主流派である。大多数が一致して同じ説を持つのだから、そちらが真実であるに決まっている。なのにそれを批判する奴がいるとしたら、そいつはトンデモだ!」

 しかしながら、数値で示すと、たとえば次のようになる。
  主流派:非主流派:わからない = 9:1:90


 なるほど、意見を持つ人だけを見れば、「9:1」で主流派が優勢だ。その意味で、「意見を持つ専門家の大多数は、主流派である」という認識は正しい。
 しかし、それとは別に、「意見を持たない人々」つまり「わからないと感じて判断を留保する人々」が 90もいるのだ。
 こういう状況では「9:1」の民主主義などは意味がない。どっちみち、「圧倒的多数の合意」はないのだから、「真実」はまだ見つかっていないのだ。
 そこを理解できないのが、トンデモマニアである。

 ──

 具体的な例を挙げよう。
 例。
 「地震予知は可能か?」
 「シュレーディンガーの猫とは何か?」
 「進化の原理は何か?」
 「利己的遺伝子説は正しいか?」
 「血縁淘汰説は正しいか?」

 これらの分野では、
 「その分野では科学的合意がない」

 というふうになっている。つまり、専門家の圧倒的な合意はない。なのに、そのことを理解できずに、「専門家の圧倒的な合意がある」と思い込む。あげく、「主流派の説が正しくて、非主流派の説はトンデモだ」と決めつけるわけだ。

 たとえば、ダーウィンの自然淘汰説や、ドーキンスの利己的遺伝子説や、ハミルトンの血縁淘汰説。これらは、多くの科学者の支持を集めているが、「科学的に証明された」というわけではない。あくまで提唱者個人の「説」としての扱いである。それらはいまだ科学的な真実だとは見なされてはいない。(実証されたとは扱われてはいない。)
 なのに、そのことに気づかずに、次のように思い込む。
 「ダーウィンの自然淘汰説は、真実だ」
 「ドーキンスの利己的遺伝子説は、真実だ」
 「ハミルトンの血縁淘汰説は、真実だ」

 こんなふうに思い込んで、その説への批判者を「トンデモだ!」と呼ぶような人々がいる。彼らは、科学主義とは何かを理解できていないのである。(多数派が正しいという民主主義を信じているだけだ。科学について。)

 あるいは彼らは、科学主義とは何かを理解できていても、その専門分野についてあまりにも無知なのだろう。そのせいで、「それはまだ証明された真実とは見なされていない」ということを理解できないのだ。そのあげく、
 「科学者の圧倒的合意のある事実に異論を立てる奴はトンデモだ!」と騒ぐ。
 勘違い。「9:1」だけを見て、90を見失っている。つまり、自分が無知であるだけだ、ということに気づかない。……こういう連中は、哀れむべき存在か。  (^^);
 


 [ 付記 ]
 世の中には、思いもかけない事例がけっこうある。先入観にとらわれると、真実を見失う。次の例を見るといい。
  → 妊娠検査薬で「陽性」(妊娠中)が判明した男性
  
 ハムレット:「おお、ホレーショ。天と地の間には、人の思いも及ばぬものがあるのだよ」
posted by 管理人 at 20:00| Comment(0) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
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