( ※ 本項は笑い話です。) ──
上の奇妙な見解は、私の見解ではなく、トンデモマニアの見解である。
ともあれ、以下で説明しよう。
( ※ インターネットの話もあるので、IT技術者にとっても興味深い話がある。)
* * *
トンデモマニアというのは、やたらと「トンデモだ!」と騒ぐことで、自分自身がトンデモであることを証明してしまう。つまり、ブーメラン。その例を、先にいくつか示した。
→ 専門家と素人
彼らの主張はこうだ。
「素人よりは専門家の方が正しいに決まっている。専門家の大多数の意見に反対する素人がいるとしたら、その素人はトンデモだ!」
では、そうだとしよう。だとすれば、次のことが成立してしまう。
「インターネットはトンデモだ。こんなトンデモ規格よりも、日本独自(※)の通信規格を採用するべきだ」
※ 「日本独自」については → 文末脚注
なぜか? インターネットの黎明期には、次のことが成立していたからだ。
・ 日本の専門家の主流派は、インターネットに反対した。
・ かわりに、日本独自の通信規格の採用を主張した。
今となっては、ほとんどお笑いぐさだ。しかしながら、当時はそうだったのだ。
このことは、朝日新聞の記事(有料版)にある。長文記事なので、一部抜粋しよう。
《 日本にネット創った男:1 》──
■IIJ社長 鈴木幸一さん
既存の秩序を壊し、新しい世界を創る先頭に立つ者には、すさまじいエネルギーがいる。日本でインターネットの宣教師役を果たし、人々のネット利用に道をひらいた鈴木幸一氏もそうだった。その強烈な個性と信念がなければ、日本でのネット普及は何年も遅れただろう。栄光と挫折の物語を、証言でたどる。
■国の認可出ず、直談判
国内初のインターネットプロバイダー(接続事業者)であるIIJが発足した1992年12月3日。おんぼろビルの1階に設けたオフィスに、10人ほどのメンバーが集まった。この20年前の夜の光景は、今も忘れることができない。その後もずっと、思いの大きさと現実との隔たりに揺さぶられ続けた、IIJを象徴するような光景だった。私たちの実力は「おんぼろビルで缶ビール」という姿が象徴していた。なにせIIJは、メンバーの自己資金を中心に1800万円ほどの資本で始める小さな企業だ。「通信事業はNTTに代表される大資本でなければできない」という常識との戦いのはじまりだった。
( → 朝日新聞 2012年10月29日 )
──
■郵政省を往復の日々
(事業許可の申請をいくら出しても郵政省に)受理されない。原因が別のところにあるのは明らかだった。そもそも郵政省はネットの商用化に反対だったのである。
反対の理由はいくつかあったと思う。
まず第一に、日本には情報・通信学界の大御所だった猪瀬博・東京大学名誉教授(故人)がつくったOSIという日本独自のプロトコル(通信手順)があった。これは国会の承認までうけていた。その状況を知りながら、IIJが米国方式(インターネット)で商用化することへの拒絶感があった。
第二に、……(略)
第三に、学界主流派には「インターネットは学術の世界でやるもので、それを商用化して事業とするのはいかがわしい」といった意識もあったようだ。
そもそも、インターネット研究を進めてきた村井純・現慶応大教授をはじめとする研究者は、ほとんどが学界では非主流派だった。はずれ者が集まったインターネットは、役所にとっていかがわしいというか、迷惑な世界だったのである。
■条件は3億円融資
いずれにしても郵政省のいう「内規」をクリアする資金を得る以外、選択肢はなかった。今から思えば、数億円の資金すらなくて、通信事業に乗り出そうなどとは、常軌を逸していると思われても仕方なかった。
ただ、銀行にもおもしろい人はいた。小野寺満芳さん(故人)だ。彼から「インターネットというのは今どの程度の人が利用していて、将来どのくらいの規模になりますか」と質問された。私は「現在は千人足らずですが、2000年には数千万人が使うようになります」とおおまじめに答えた。
すると、小野寺さんは大笑いした。「後にも先にもそんな大ボラは聞いたことがない」でも、ささやかながら融資に応じてくれた。
( → 日本にネット創った男:2 )
上記を簡単にまとめると、こうだ。
- 当時、米国ではすでにインターネットが始まっていた。
- そこで日本でも若者がインターネットを始めようとした。
- しかし政府はそれに反対した。
- その理由は、日本では学界や政府の主流派が反対したからだ。
- 主流派はインターネットよりも、日本独自の規格にこだわった。
- 学界主流派はインターネットの商用化そのものをいかがわしく思った。
- インターネットを進めようとする若者たちは非主流派だった。
- 非主流派のはずれ者がやるものは、役所にとっていかがわしかった。
- 「数年後には世界で数千万人が使う」というのは大ボラに思えた。
現実には、当時は、「インターネットをやろう」とする少数の非主流派の考え方は、「主流派に逆らう、はずれ者」の行動と見えて、いかがわしく思えたのである。政府は日本におけるインターネットの開始を とことん阻害した。それでも遅ればせに日本でもインターネットが始まったのは、「主流派に逆らう、はずれ者」たちがものすごい情熱を持って、インターネットを日本でもやろうとしたからだ。仮に、この人たち(わずか 10人程度)がいなかったなら、日本でインターネットが始まるのはずっと遅れていただろう。
以上を「トンデモ」という言葉で説明すれば、こうだ。
「学界の主流派の見解は、日本独自の規格だった。これに反する非主流派のはずれ者のやろうとするインターネットなんて、今でいうトンデモだった」
これはただの事実だ。そして、トンデモふうの人々のおかげで、日本でもインターネットが始まった。
ま、こういうふうに時代の先端を走る開拓者を、人々が理解できないのは、仕方ないかもしれない。当時は、そういう発想が普通だった。そのことを私としては批判するつもりはない。凡人というものは常に開拓者を理解できないものだからだ。
しかしながら、開拓者が切り開いた歴史を見たあとでも、いまだにその歴史を正しく理解できない人々がいる。
「歴史的にはフロンティア分野を開拓したのは、常にその分野の異端者であった」
という歴史をどれほど多く見聞きしても、いまだに次のように考える人々がいる。
「学界の主流派の見解に反対するごく少数の異端者は、トンデモだ! 馬鹿者だ!」
こういうふうに語るのがトンデモマニアだ。
ではなぜ、トンデモマニアはこういうふうに喚くのか? それも、先の項目で示したとおりだ。
→ 専門家と素人
つまり、彼らは、自分自身が素人であるということを理解できないのだ。
専門家が素人を批判するのならば、まだわかる。なのに、自分が素人であることを忘れて、右も左もわからない分野について、「こっちが正しく、こっちが間違いだ」と偉そうに判断する。そして、その論拠は、何一つない。論理的な根拠は皆無である。単に、
「こっちの見解は専門家の大多数が支持しているのだが、あっちの見解は専門家たちとは反対の見解だ」
というだけの理由で、自分の知らない分野で、偉そうに真偽を判定する。「素人の見解は間違いだ」と主張しながら、素人である自分が専門分野について、偉そうに真偽を判定する。
自縄自縛。ブーメラン。自分が何をやっているかわからないほど愚かだから、トンデモマニアは間違うのだ。あげく、
「インターネットはトンデモだ!」
というようなトンデモ意見に落ち込んでしまうのである。
教訓。
世の中には、他人を攻撃しようとして、落とし穴を掘ったあげく、自分で落ちてしまう人がいる。意地悪な性格ゆえの、自業自得。
[ オマケ ]
次の三つは、きわめてよく似ている。
・ 中国人 (の反日主義者)
・ 韓国人 (の反日主義者)
・ トンデモマニア
いずれも「あいつは間違っている!」と懸命に攻撃することが人生の生きがいだ。「自分は正しい、あいつは悪だ」と攻撃することだけが生きがい。……こういう連中には近づかない方がいい。
[ 付記1 ]
「インターネットはトンデモだ」
という冒頭の見解について、
「おれはそんなことは言っていないぞ!」
とトンデモマニアは反発するかもしれない。しかし、言っていなくても、言っているのも同然なのだ。なぜか?
専門家が「トンデモだ」と批判するのなら、話は別だ。しかしトンデモマニアというものは、自分の知らない分野について正誤を勝手に判断する。今回も同様だ。彼らは(たとえば内科医だから)IT技術についてはろくに知らない。とすれば、「ろくに知らない」という条件を満たすのだから、彼らは「インターネットの歴史」という無知な分野についても、「非主流派はトンデモだ」と判定するに決まっているのだ。単に「主流派とは反対の意見だ」というだけで。
あの当時、主流派は独自規格推進だった。学界も政府もそうだった。そのなかで、主流派に反する「はずれ者」に対しては、トンデモマニアは必ず「トンデモだ」と言うはずなのだ。その分野について彼らが無知であるがゆえに。
[ 付記2 ]
トンデモマニアが文字コードについて語った例もある。
私は文字コードや現代数学や量子力学についてはまったくの専門外である。しかしながら、これらについての南堂氏の主張は間違っており、南堂氏を批判する側が正しいであろうと推測している。こう語りながら、彼の使っているパソコンには、私の提唱した発想(字形の変更)に基づく規格(2004 JIS)の文字フォントが入っているはずだ。
( → NATROMの日記 )
ま、彼が 10年以上前のパソコンをいまだに使っているのならば、話は別だが、そうでなければ、2004 JIS の文字フォントを使っているはずだ。
それでいて、「南堂氏の主張は間違っており、南堂氏を批判する側が正しいであろうと推測している」だって。
これはまるで、自分でインターネットを使っていながら、「インターネットはトンデモだ!」と主張するのと同様である。
つまり、本項で述べたことは、まったくの架空の話というわけでもない。2004 JIS の文字フォントを使っていながら、「この規格は間違いだ」と述べているトンデモマニアが実在するのである。つまり、
「自分が素人であるにもかかわらず、まったく無知の専門分野について真偽を判定する」
というトンデモ行為をしているわけだ。かくて自分自身がトンデモであることを実証している。
[ 付記3 ]
トンデモマニアは、自分が無知な「文字コード」分野で、「これは間違いだ」と判断する。そして、正式に決まった 2004 JIS の方針を否定する。(上記)
さらには、彼の専門である医学の分野ですら、同様だ。豚インフルエンザのときに、「タミフルの乱用をする」というガラパゴス的な方針を、日本の主流派は取った。それに対して、私は「タミフルの乱用をするな」という批判を加えた。これは WHO や CDC の方針という国際的な方針と同様だった。(インターネットみたいなものだ。) ところがトンデモマニアは、このような国際的な方針を取る私を「トンデモだ」と批判した。
医学については現役の内科医として、南堂氏の主張が誤っていると自信を持って言える。こうして彼は、WHO や CDC の方針という国際的な方針を否定した。「日本独自の方針を取らずに、WHO や CDC と同じ方針を取れ」としきりに主張した私の見解を、「誤っていると自信を持って言える」というふうに否定した。
( → 上記ページ )
つまり、「インターネットを否定する」というのに、そっくりなことを、医学の分野でもなしたのである。
かくて、トンデモ行為をすることで、自分自身がトンデモであることを実証しているわけだ。
※ 以下は駄弁なので、読む必要はまったくありません。暇をもてあましている人向け。
【 余談 】
トンデモマニアはどうしてあれほどにも攻撃的なのだろうか? まことに不思議なことだ。
一般に、他人が何か間違ったことを言ったとしても、いちいち文句を言ったりせず、放置しておけばいいだけのことだ。学術的に間違ったことを言う人がいたとしても、それはその分野の専門家に任せておけばいいだけのことだ。
たとえば、医学ならば、医学の専門家に任せておけばいい。ホメオパシーというトンデモを推奨する人がいれば、それを批判する医学の専門家がいるだろうから、そういう専門家に任せておけばいい。
ところが、トンデモマニアというのは、それでは済まない。自分はろくに知らないと公言している文字コードや数学や将棋の分野にまでしゃしゃり出て、「こいつはトンデモだ!」と専門家気取りで怒鳴り散らす。呆れるほかはない。
では、その理由は?
それを考えるのは、精神医学の分野だ。
そこで、私なりに勝手に推測すると、こうだ。
「彼はひどくトラウマを負っている。自分の専門分野ではない分野で、ひどく傷ついた経験がある。そのトラウマから抜け出せない。そこで、専門分野以外でも活躍する他人を見ると、猛烈に嫉妬心に駆られる」
あるいは、こうだ。
「彼は自分の専門分野に、ものすごくプライドが高い。たとえば、医者であれば、医者という専門職についてものすごくプライドが高い。ここでは、彼自身の能力(たとえば iPS 細胞を開発するというような能力)については何も自信を持てない。だからこそ、医者というライセンスについてのみ、ものすごくプライドを持っている。それゆえ、専門家というものは尊敬されるものだと信じているし、逆に、専門家に反発する人を見ると、自分が傷つけられたように感じる」
以上からすると、トンデモマニアの人生は、次のようなものであったのだろう。
「若いころには、頭がいいと言われて、神童のように扱われていた。さまざまな分野で活躍できる多彩な能力があると思われていた。ところが、挫折した。大学に入るときには、第1志望の国立大学には入れなかった。なぜなら生物学は得意でも、国語力が著しく低くて、国立大学の医学部には入れなかったからである。私立大学の医学部に入ったせいで、莫大な資金を必要とすることになり、親に負担をかけて、ひどいコンプレックスを負った。自分は苦学で悩んでいるのに、私大の医学部では遊びほうけているボンボンの同級生がいるので、それにもコンプレックスに駆られた。大学を出てからも、しがない勤務医として勤めるだけで、開業医のように大儲けはできない。子供のころには神童のように扱われたのに、今ではろくに稼げないありさまだ。おれさまみたいな優秀な人間が、世間のボンクラ医師と同様の所得しか得られないのは、間違っている! これというのも、利口な人間を正当に評価しない、社会システムが間違っているからだ。ゆえに、社会システムを歪めるような反体制派の人間は許せない! こういう反体制派の奴らを、何としても血祭りに上げなくては!」
こうして不満とコンプレックスの塊となり、マルチ分野で見解を示す反体制派の人間を見ると、まるで極悪の犯罪者を見たかのように興奮して(錯覚して)、猛烈に攻撃を吹っかけずにはいられないのである。ちょうど、赤い布に突っかかる闘牛のように。

画像出典:Wikipedia
教訓。
他人を攻撃すれば攻撃するほど、おのれのみじめさをさらすだけだ。
[ 補記 ]
※ ついでだが、数学分野でも、区体論が無矛盾な体系であることは、すでに多くの専門家から認定済みである。なのに、これを「間違っている」と主張する NATROM氏は、専門家が「無矛盾な体系である」と認定した理論を「間違っている」と主張しているわけだ。ここでも、自分自身がトンデモであることを実証している。
※ 区体論をめぐる議論は、「正しいか間違っているか」ではなくて、「有益か否か」という点だけである。NATROM氏は、数学の専門分野については何も理解できないまま、勝手に勘違いして、間違った理論だ」というような素人判断を下しているわけだ。素人の傲慢不遜。知ったかぶり。
※ 以下は進化論の話。興味のある人のみ、お読みくださだい。
【 補説 】
トンデモマニアは、以上のように勘違いをする。では、なぜか? それは、彼らが「進化とは何か?」を根本的に勘違いしているからだろう。
すでに先の例からもわかるように、次のことが成立する。
「革新的な現象は、非主流派から現れる」
これを進化論ふうに言えば、こうなる。
「進化は、非主流派から現れる」
このことは一般的に成立する。次のように。
(1) 両生類は、魚類の主流派から進化したのではなく、非主流派から進化した。(海洋を泳ぐ大多数の魚から進化したのではなく、辺境である浅瀬に棲む魚から進化した。)
(2) 哺乳類は、爬虫類の主流派から進化したのではなく、非主流派から進化した。(陸上の支配者である恐竜のような爬虫類から進化したのではなく、哺乳類型爬虫類とも言われる系統(最終的には恐竜との競争に敗れて滅びてしまう系統)から進化した。)
このように、進化というものは、非主流派から現れる。つまり、ある環境において最も適合した主流派から進化が起こるのではなく、その環境にはあまり適さない非主流派から進化が起こって、別の環境に進出する。
つまり、(広義の)優者のなかから進化が起こるのではなく、(広義の)劣者のなかから進化が起こる。
この意味で、次の説は誤りだ。
「最も環境の変化に適応するものが、最も良く増える」
これは、一見妥当に思えるが、間違いだ。なぜか?
環境がAからBに変化するとき、その両方にまたがって主流派となる生物などはない。変化しながら環境を超えていく生物などはない。
環境がAからBに変化するときには、環境Aにはそれに適した主流派があり、環境Bにはそれに適した主流派がある。そして、それぞれは、別のものだ。ということは、環境Bにおける主流派は、環境Aでは非主流派だったのである。
逆に言えば、環境がAからBに変化するときには、新たな環境における主流派は、それまでの環境における非主流派から現れる。つまり、新たな環境における優者は、それまでの環境の劣者であったのである。
新たな優者は、古い環境の優者のなかから現れるのではない。新たな優者は、古い環境の劣者のなかから現れるのだ。いわば、トンデモのなかから現れるのだ。……それが進化論的な事実だ。
トンデモマニアというものは、一般に、こういう進化論的な事実を理解できないのである。
※
進化というものは、一般に、「種の変化」ではない。たとえば、人類が古い種から新しい種に漸進的に変化していくのではない。
進化というものは、一般に、「種の交替」である。たとえば、人類の古い種があるところへ、古い種の劣者(辺境にいるもの)のなかから、新たな種が誕生する。その新たな種がだんだん増えていき、両者が共存したあとで、しばらくしてから、古い種が滅びる。(滅びないこともある。)
詳しくは下記。
→ 進化は 変化か交替か
【 脚注 】
「日本独自(※)の通信規格」
と文中では記したが、これは表現がやや不適切であったようだ。読者コメントを受けたが、
「OSIは日本独自の規格ではなく国際標準規格です。むしろインターネット標準のTCP/IPの方がアメリカの独自規格に近い。ただ、TCP/IP使った通信機器はたくさんありましたが、OSIを使った通信機器はどこにもなかった。その状況で猪瀬博氏はOSIを使った日本独自のネットワークを提唱したみたいです」
つまり、OSIは日本だけという意味の独自規格ではなく、国際標準規格だ、というわけだ。
Wikipedia には次の記述もある。
OSIの導入を国家ベースで推進していた日本やヨーロッパというわけで、OSI は、日本独自の規格というわけではなかった。
( → Wikipedia )
ただ、そうであればこそ、それに逆らった IIJ の側は、「非主流派として頑張った」という印象が強くなる。「非主流派は IIJ だけ」というわけではないのだが、孤軍奮闘して戦ったのは IIJ だけだったようだ。
なお、主流派がいかに国家政策を牛耳っていたかについては、下記に説明がある。
→ http://electronic-journal.seesaa.net/article/36546160.html
本文中の表現は、いささか不適切な面もあったのだが、いちいち書き直すのも面倒なので、ここに注記して解説しておくことにする。

トンデモマニアもそうですが、池田信夫氏もブログやテレビなどではやたら攻撃的で怒り狂っていますよね。
私は思うのですが、なぜ先生はNATROM氏を初めとするトンデモマニア、池田信夫氏やその一派の井上晃宏氏などに寛容になれるのですか?
ああいう人達に攻撃されると、私は心が狭いので、無視するか、徹底的に攻撃してしまいそうです。
というか、怒るのはカッコ悪い。あれと同じレベルにまで下がったら、みっともない。
NATROM 氏は自分では得意になって悪口を言っているんだろうけど、普通の人から見ると、ものすごくカッコ悪いですよね。女性だったらみんな逃げ出します。女性の軽蔑の目。
私は女性にモテたいので、あんなにカッコ悪いことはできません。わざわざ非モテの道を取る必要はない。
あと、井上さんは特におかしくないですよ。オタクっぽいだけで。
ちょっと変に突っかかる性格が前はあったけど、最近は健全化しています。まわりに美人看護婦さんが増えたんじゃないの?
私は NATROMさんなんかを相手にするより、大木聖子さんを相手にしたいな。NATROMさんは、片瀬久美子さんを相手にするといいでしょうね。きっと。顔もお似合い。
僕も先生を見習って、美人さんとお付き合いするとします(^^);
回答ありがとうございました!
どちらかといえば容赦がない印象。
それはともかく、インターネットの黎明期に関するの朝日の記事にはかなりの技術誤認があります。
トンデモマニアに関する管理人さんの意見にはほぼ同意できますが、例題としてはちょっと適切でなかったかもです。
まず、IIJは当時決して「非主流」ではないです。当時はインターネットで儲けよう、何か大きなことができそうだって考える人がごろごろいて、民間では大きなうねりができていたんです。現実に疎い学者先生とか役人には理解できなかっただけで、世界はもう動いていたんですよ。
もう1つ、OSIは日本独自の規格ではなく国際標準規格です。むしろインターネット標準のTCP/IPの方がアメリカの独自規格に近い。
ただ、TCP/IP使った通信機器はたくさんありましたが、OSIを使った通信機器はどこにもなかった。
その状況で猪瀬博氏はOSIを使った日本独自のネットワークを提唱したみたいです(以下参照)
http://electronic-journal.seesaa.net/article/36876794.html
世の中の主流はIIJや村井純さん側だったんです。
IIJの社長が間違うわけがないので、朝日の記者がいろいろ変に丸めて書いてしまったんでしょう。
というわけで、主流の専門家vs反対する素人、という構図ではなく、頭の固い学者vs現実的な技術者、という構図が本当のところなので、ちょっとずれたネタかな、という気がします。
ついでに、トンデモマニアの攻撃性に関してですが、それほど深刻なトラウマを想定する必要は無い気がします。
要するに「価値観を否定された」から攻撃的になってるんでしょう。
考えのベースにしていた「専門家の意見」を否定されたら何を基準に考えたらいいか分からなくなるし、これまでの考えがすべて否定されるわけですから、必死になって反論するのは当然です。
新興宗教にはまってる人の反応に似てますね。
教義を否定されたから反射的に反論してるってわけです。そして理解できないかわいそうな相手を慈悲をもって説得しようとするわけです。
いい迷惑ですが。
> 民間では大きなうねりができていたんです。現実に疎い学者先生とか役人には理解できなかっただけで、世界はもう動いていたんですよ。
世界的に見ればそうでも、日本という井戸のなかでは、「現実に疎い学者先生とか役人」が社会を牛耳って、「主流派」を形成していたわけです。
この点では豚インフルエンザのときも同様で、世界の流れからは孤立して、「現実に疎い学者先生とか役人」が社会を牛耳って、「主流派」を形成していたわけです。そして、それに反する「非主流派」を「トンデモ」扱いするのが、トンデモマニア。
> ちょっとずれたネタかな、という気がします。
それはそうですね。典型的な例にはならないと思います。典型的な例は、別項の「専門家と素人」の方に良い例があります。
本項は、インターネット黎明期の話題が興味深かったので、それを引用するのが狙いの一つ。トンデモマニアと合わせて、「三題噺」ふうの「二題噺」にしています。一粒で二度おいしい話みたいなのを狙ったが、どっちについても中途半端になった感は否めません。ま、仕方ないです。「二題噺」なんだから。
トラウマの件は、ただの邪推ですから、当たっているかどうかは全然確信がありません。これは余談ふうの話。
N氏とは鏡の裏表みたいですよね。言わば反体制と反反体制という。
個人的には多様性には寛容でありたいし、自分の頭で絞り出した「新しい」(が正しいとは限らない)考えをどんどん出してくる管理人さんは楽しいです。
が、もし自分が攻撃されている「主流派」だったとしたら...分かんないですが多分楽しくないとは思いますが、だからといって細かな矛盾点をあら探しして相手の「足りなさ」をあざ笑うようなことはしたくないですね。
科学は完全に「正しい」ものではないのだから、常に非主流の考えも尊重しなければならず、これは仮に現在の科学的見地から明らかに間違っていると思えてもそうである、というのが管理人さんのスタンスだと思うのですが、これ(=非主流の考えを尊重すべし)こそが「正しい」と考えているところがあちこちで反発を産んでいるんじゃないかと密かに思っています。
進化論とかタカハトとかこの辺りすべて繋がっているのがナンドウワールドというか面白いところです。
読みが深いですね。本当を言うと、他の方面でもみんなつながっているんですけど。
それにしても、本サイトは読者の質が高いですね。冷静で、自分の頭で考えることができて。
その点、悪口を言うのが好きな人ばかり集まっている某サイトとは全然違う。
本サイトじゃ、一番悪口を言っている口の悪いのは管理人かな。 (^^);
悪口を言うと下品になるので、注意しなくちゃ。