【 注記 】
Google の検索システムのせいで、「ドーキンス」を検索して本項に来る人が多いようです。しかし本項は、小さな話題だけを記しています。むしろ、次の項目をお読み下さい。
(1) ドーキンス説(の問題点)については、次の項目をお読み下さい。
→ 利己的遺伝子説の「遺伝子」とは?
→ 自分の遺伝子 1
→ ドーキンス説の問題 (別サイト)
(2) 利己的遺伝子説については、次の項目をお読み下さい。
→ [補説] 利己的遺伝子の意味
→ 個体は遺伝子の乗り物か?
→ 利己的遺伝子とは (別サイト)
本サイトを読んで誤読・誤解した人がいるので、どこをどう誤読・誤解しているかを、簡単に解説しよう。
( ※ 無駄話のようなものです。たいしたことは書いてありません。読まなくても構いません。)
──
問題の根源は、次のことだ。
ドーキンス説は、次の二つの概念からなる。
・ 遺伝子淘汰説
・ 自分の遺伝子
この両者は、別のことである。きちんと区別しなくてはいけない。
遺伝子淘汰説がどういう説であるかは、広く知られているので、ここではいちいち解説しない。
自分の遺伝子という概念は、ハミルトンの血縁淘汰説に源泉を持ち、ドーキンスが広めた概念だ。英語では its own genes という。
個体が子孫を産むとき、その個体と子孫とには、共通する遺伝子がある。その共通する比率を「血縁度」と言う。この「血縁度」という概念を使うと、いろいろと便利な認識ができる。
たとえば、自分と自分の血縁度は 100%である。自分と兄弟との血縁度は 50%である。自分と親との血縁度は 50%である。自分と子との血縁度は 50%である。自分と妻との血縁度は 0%である。(近親婚の場合を除く。)
──
さて。ある人 X の iPS 細胞から、精子と卵子を作ったとしよう。その精子と卵子から受精卵 Y を作ることができる。この受精卵 Y は、どの遺伝子も X から受け継いでいる。したがって X と Y の血縁度は 100%だ、と判定できる。
ここでは、血縁度は 100%だが、X と Y で、すべての遺伝子が同じだというわけではない。なぜなら、X の染色体はペアになっており、そのペアのうちのどちらが精子や卵子に受け継がれるかは、わからないからだ。
X 精子・卵子
AaBb AB Ab aB ab
この組み合わせから、Y は4通り×4通り(=16通り)のすべてが可能だ。そのうち、初めの方だけ四つを示せば、次のようになる。
AABB AABb AAbB AAbb
この例では、A と B だけで簡略化して示したが、実際にはもっとずっと多くの遺伝子が関与する。
というわけで、ある人 X の iPS 細胞から、精子と卵子を作ったとしても、その Y の遺伝子は、X の遺伝子と同じとは限らない。つまり、 Y は X のクローンではない。(クローンならば全遺伝子が一致する。)
──
さて。以上は、簡単なことだ。初心者だと、「クローン」と「血縁度 100%」とを混同するかもしれないが、「血縁度 100%」という概念を導入することで、次のように結論することができるる。
「クローン」と「血縁度 100%」とは、別のことだ。
以上は、初歩的なことだ。説明を読めば、たいていの人はわかるだろう。
──
ところが世の中にはそそっかしい人がいる。上のような話を読むと、次のように勘違いしてしまうらしい。
“ 「クローン」と「血縁度 100%」とは、同じことだ。”
わざわざ「別のことだ」と説明しているのに、どこをどうトチ狂ったか、「同じことだ」と誤読する。そのあげく、「両者が同じことだというのはトンデモだ!」と批判する。呆れる。
もう少し典型的に言おう。
「A ではなくて、B である」
という文章を読めば、
「 A ではない。Bである」
と読むべきなのだが、
「 A である。B である」
と勝手に誤読する。そのあげく、
「『A である』というのはトンデモだ!」
と批判する。何を勘違いしていることやら。
具体的な文章に戻ると、こうだ。
『「自分で卵子と精子」はクローンでなくて何か? 血縁度100%の究極の近親婚だ』という部分は二通りの解釈が可能である。「二通りの解釈が可能である」というが、可能であるわけがないでしょうが。
一つは『「自分で卵子と精子」はクローンではない。クローンではなく「血縁度100%の究極の近親婚」である』という解釈。
もう一つは『「自分で卵子と精子」がクローンでないとしたら何だというのか。「自分で卵子と精子」はクローン、つまり、血縁度100%の究極の近親婚のことである』
( → NATROMの日記 )
冒頭でも述べたとおり、「クローンでなくて、血縁度100%だ」という解釈しか成立しない。どこをどう読めば「クローンである」というふうに読めるのか? 勝手に誤読して批判しないでほしい。そういうのを「藁人形論法」と言う。
だいたい、ここでは「クローンでなくて、血縁度 100%である」というふうに、二つの概念を対比しているのだ。そのことを理解できないのだとしたら、日本語力に大いに疑問符が付く。いったい、何を読んでいるんだか。
( ※ たぶん文章の一部分だけを勝手に切り取って、その一部分だけを別の意義に誤読しているのだろう。読解力の低い人には、ときどきある。コンテクストを無視して、勝手読みするわけ。)
────────────
さらに話を進めよう。
私が上の話に関して説明したかったことは、次のことだ。
血縁度が高いと、劣性遺伝の遺伝病が発現しやすい。これは NATROM 氏の指摘したことだ。なかなか慧眼である。
さて。ここでドーキンスの説と比べてみる。ドーキンスの説では、次のようになるはずだ。
「個体は自分の遺伝子を残そうとする。つまり、血縁度の高い子孫を増やそうとする」
これはドーキンスやハミルトンが、ミツバチの利他的行動を説明するときに使った論理だ。次のように。
「妹(血縁度 75%)を育てる方が、自分の子(血縁度 50%)を育てるよりも、自分の遺伝子を多く残せる。だから、自分の子を育てるかわりに、自分の妹を育てるのだ」
この理屈が正しいとすれば、次の説が成立するはずだ。
「近親婚をした方が、赤の他人と結婚するよりも、子の血縁度が高まる。ゆえに、自分の遺伝子を増やすために、赤の他人と結婚して子(血縁度50%)を育てるよりは、近親婚による子(血縁度は 50%超)を育てるはずだ。つまり、個体は近親婚をするはずだ」
こういう問題が生じる。この問題を扱ったのが、下記の項目だ。
→ 近親婚のタブー(自分の遺伝子)
では、これにどう答えるか? 簡単だ。
「自分の遺伝子」という概念を捨てればいい。かわりに、「遺伝子淘汰」という概念を取ればいい。そうすれば、すべてはうまく解決できる。
詳しくは、上記項目で解説しているので、そちらを読んで欲しい。
──
ところが、どこをどうトチ狂ったのか、これを誤読する人がいる。
「自分の遺伝子という概念では説明できないが、遺伝子淘汰という概念で説明できる」
というのが私の見解だが、これを誤読して、次のように批判する。
「遺伝子淘汰という概念で説明できるぞ! ゆえに南堂はトンデモだ!」
呆れる。私の言っていることをそのままなぞりながら、それによって私を批判しているのだから。
繰り返す。
近親婚は劣性遺伝病ゆえに不利だ。ゆえに、遺伝子淘汰の発想において、近親婚という形質は受け継がれにくいはずだ。これですべては説明できる。
一方、「血縁度が高い方が有利だ」という説は、近親婚は不利だという事実に矛盾する。ゆえに、この説は否定される。つまり、「自分の遺伝子を増やすため」というような説は否定される。
そういうことだ。ここでは、「遺伝子淘汰」という概念と、「自分の遺伝子」という概念とは、異なる。きちんと区別してほしい。
( ※ 「どっちもドーキンスの利己的遺伝子説だから、どっちも同じ理屈だ」なんて思うのは、ひどい勘違いだ。)
[ 付記 ]
血縁淘汰説が間違っていることの理由は、実は、上記の点だけではない。上記の点は、批判する根拠としては、少し弱い。「うまく説明できないことがある」というだけであり、「間違っている」と正面から否定するには足りない。
血縁淘汰説が間違っていることの肝心の理由は、次のことだ。(話の対象はミツバチである。)
妹の血縁度を、子の血縁度と比べても、意味はない。なぜなら、妹は自分と同じ世代であり、子は次の世代であるからだ。妹をいくら育てても、同じ世代だから、遺伝子を残すということにはならない。
遺伝子を残すことを考えるのであれば、世代ごとに考える必要がある。すると、次のようになる。
同世代: 自分(血縁度 100%) 妹(血縁度 75%)
次世代: 子 (血縁度 50%) 姪(血縁度 37.5%)
比較するならば、同世代同士で比較しなくてはならない。そして、自分の子と比較されるのは、妹ではなく、姪である。ミツバチが妹を育てることで次世代の姪を増やそうとすれば、次世代の血縁度は 37.5% となる。これは子の血縁度の 50% よりも低い。つまり、子を育てずに妹を育てれば、自分の遺伝子を少なく残すことになる。
→ [補説] ミツバチの利他的行動 2
→ [補説] ミツバチの利他的行動 3
→ 血縁度 37.5% (サイト内検索)
これが、血縁淘汰説が間違っていることの核心だ。
このくらいの話は、きちんと理解してもらいたいものだ。
( ※ 人の話を読みもしないで、藁人形論法で、妄想対象を批判する人もいるが。)
[ 余談 ]
彼の多大な悪口にいちいち反論しようかとも思ったが、やめておく。
「他人の悪口を書く」というのは、彼のブログの方針であり、たいていの記事がその方針の下で書かれている。だが、私のブログは、誰かの悪口を書くためではなく、真実を探るためにある。
彼のブログの読者ならば、他人の悪口が書いてあるのを読んで、大喜びするだろうが、私のブログの読者ならば、他人の悪口が書いてあるのを読んで、うんざりするだけだろう。
だから、いちいち彼の悪口に付きあうつもりはない。その旨、お断りしておきます。
( ※ 喧嘩を期待していた人には残念かもしれませんが。 (^^); 私は誰かさんと違って、他人を攻撃して喜ぶ趣味はない。せいぜい、ふりかかった火の粉を払うぐらいだ。)
( ※ 私が攻撃する対象は、原則として、政府とか、巨大組織とか、そんなところです。弱い者いじめはしません。いじめ事件の場合もそうだが、私は、いじめの被害者の側に味方します。加害者の側に賛同して、いじめて喜ぶことはありません。)
( ※ なお、元はと言うと、NATROM 氏が劣性遺伝について指摘したことが皮切りだ。これに私は感心したので、敬意を表して引用してから、自分なりのコメントを付け加えた。ところがそれを読んだ NATROM 氏が、いきなり攻撃を仕掛けてきた。敬意を表した相手に攻撃を仕掛けてくるというのは、私としてはまったく理解できませんね。どういう性格をしているんだか。……なお、私の場合は、私に対して敬意を表してくださった方に、攻撃を仕掛けるようなことはありません。いじめ体質じゃないので。ご安心ください。 → 「嘘付け!」という陰の声が出る危険もあり。びくびく。 (^^); )
【 関連項目 】
→ 専門家と素人
※ NATROM 氏の悪口が見当違いであるということを示す。
