「縄文人は古モンゴロイドだ」という見解が普通だ。次のような説。
「日本には大陸由来の古モンゴロイドが訪れた。それが縄文人となった。その後、朝鮮半島経由で、新モンゴロイドが訪れた。それが弥生人となった。縄文人と弥生人が混血して、現代の日本人になった」
この説は、おおむね化石的に裏付けられている。(下記はいずれも国立科学博物館のサイト)
→ 渡来系弥生人の姿
→ 渡来系弥生人の頭骨
→ 渡来系弥生人の顔
→ 渡来系弥生人の歯
骨の形の比較から、「縄文人は古モンゴロイドで、弥生人は新モンゴロイドだ」と見なしていいだろう。(若干の補正は必要だとしても、基本的にはそう見なしていいだろう。)
──
一方、これとは別に、「二重構造モデル」(二重構造説)というものがある。埴原和郎が提唱したもので、次のような説だ。
「南方から北上してきた古モンゴロイドが、縄文人になった。その後、北方から南下してきた新モンゴロイドが、朝鮮半島経由で海を渡り、日本に渡来した。その弥生人に圧迫されて、縄文人は北端と南端に追いやられた。北端に追いやられたものがアイヌであり、南端に追いやられたものが琉球人である。この両者はもともと縄文人だったから、共通性が高い。アイヌと琉球人に、遺伝子的にも言語的にも共通性があるのは、偶然ではない」
これはもっともらしい説なので、かなり支持を集めた。
──
さて。11月1日に、新たな調査報告が出た。日本人の DNA を大規模に調査した結果、二重構造モデルを裏付ける結果が得られたという。
これまでも同様の研究結果はあったが、今回は1人当たり最大約90万カ所のDNA変異を解析し、結果の信頼性は非常に高いとしている。もっと詳しい情報は、元の研究サイトにある。
解析した。その結果、アイヌ民族と遺伝的に最も近いのは沖縄出身者で、次が本土出身者と判明した。本土出身者は韓国人とも近かった。
この結果は、日本人全般が縄文人の遺伝子を受け継いでいる一方、本土出身者は弥生人との混血の度合いが大きく、混血しながら北海道や沖縄方面に広がっていったと解釈できるという。
( → 日経 2012/11/1 )
現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得た。この研究は、もっともらしい説明をしているが、問題点がいくつかある。
これまでの遺伝学的研究では、アイヌ人と沖縄人の近縁性を支持する結果はいくつか得られていたが、決定的なものではなかった。今回、研究グループは、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)(注1)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分を含む日本列島人のDNA分析を行った。
その結果、アイヌ人からみると琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。
さらに、他の30人類集団のデータとの比較より日本列島人の特異性が示された。このことは、現代日本列島には旧石器時代から日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する。
また、アイヌ人はさらに別の第三の系統(ニブヒなどのオホーツク沿岸居住民)との遺伝子交流があり、本土人との混血と第三の系統との混血が共存するために個体間の多様性がきわめて大きいこともわかった。
( → 総合研究大学院大学 プレスリリース )
(1) 二重構造説の意味を誤解している。二重構造説は「縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存する」ということではない。そんなことは、二重構造説以前に、ずっと前から提唱されていたことだ。二重構造説は「この両者が共存する」ということを示しているのではなくて、「この両者がどこから来てどこへ移ったか」という過程を示しているのだ。
(2) 「縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存する」ということを証明したというのであれば、そんなことは昔からずっとわかっていたことだ。化石を見ただけでもわかる。「それを遺伝子的に実証した」というのであれば、意味がなくもないが、そんなことは遺伝子的に調べなくても、とっくにわかっていたことだ。今回の成果は、「とっくにわかっていたことを遺伝子的に確定した」というぐらいの意味でしかない。ほとんど無意味。新情報は何もない。
(3) 調査の手法がおかしい。核 DNA の遺伝子 SNP を大量に調べたということだが、数を多くすればいいというものではない。たいていの DNA は、遺伝子の組み換えがあるから、系統関係をたどるには適さない。父系から来たか母系から来たのかもわからない。系統関係をたどるには、遺伝子の組み換えのない場合(オスかメスかの単一のものがあって、父系か母系かがはっきりしている場合)である方がいい。それに適しているのが、父系を示す Y染色体と、母系を示すミトコンドリアだ。これらならば、遺伝子の組み換えがないので、系統関係をはっきりとたどれる。……この発想で系統をたどったのが、ミトコンドリアイブや、Y染色体アダムだ。いずれもハプロタイプ(半数体の遺伝子型)を調べることで系統関係がはっきりする。一方、今回の例では、ハプロタイプではないから、系統関係ははっきりしない。調査する数が多ければいいというものではないのだ。
(4) 結論としても、得られた結論はあまりにも貧弱だ。それによる結論は、「現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であること」である。馬鹿馬鹿しい。そんなことは、とっくにわかっている。新たな結論を何も出していない。ということは、今回の研究は結果的に何も実りがない、ということだ。
(5) 一方、ハプロタイプの研究からは、すでに多大な結論が出ている。そのうちのいくつかを示そう。
- 縄文人の由来は、南方にいた人々ではなく、中国北部にいた人々であるようだ。( → 「新日本人の起源」解説。(以下 ¶ ))
- 弥生人の直接の由来は、中国南部であるようだ。( → ¶ ,渡来系弥生人の故郷)
- 中国南部にいた人々の由来は、北方から来た新モンゴロイドだったのだろう。
アイヌ人と琉球人は弥生人の大量流入によって南北に分断された縄文人の末裔であり、同一起源とされたが、近年の研究ではそうした見方は否定されている。琉球の先住民は南方系の漁撈民だったが、南九州から多くの移住者が農耕をもちこんだ結果、言語的にもDNA的にも南九州と非常に近くなった。他方、アイヌ人の方はオホーツク文化と近縁の集団もいれば、本土と近縁の集団もいるというように多様な人々の集まりで、言語的には非常に古いシベリアの言語を今日まで保存していると考えられるようになった。アイヌに関するこの見解は、私の先の見解とも合致する。
( → ¶ )
縄文人とは、次の三種類だ。ついでに言えば、Y染色体のハプロタイプからは、全人類的な移動経路も大規模に判明している。
・ 北方系の古モンゴロイドであるアイヌ人
・ 対馬海峡経由の古モンゴロイド(南方系)
・ 黒潮に乗って到来したオーストロネシア人(南方系) ( → 人類の移動 (まとめ) )
→ 遺伝子解析で見る「人類の移動と民族の分化」: WIRED
ここには次の図もある。(転載)

────────────
以上の記述を見た上で、新たに考えをまとめてみよう。
縄文人は、骨格の違いから、古モンゴロイドであると見なされる。それは渡来系の弥生人が新モンゴロイドであったのとは明らかに異なる。
この縄文人は、主として中国南部からやって来た人々だ。これらの人々が、のちに渡来系の弥生人と混血して、今日の日本人を形成した。(この点の後半のみが、今回の調査結果で判明したことだ。)
縄文人のうち、アイヌの人々は、シベリア経由でサハリンから南下してきた人々であろう。それと同系の人々が、アメリカ先住民となった古モンゴロイドだ。したがって,アイヌの人々は、縄文人(古モンゴロイド)であるとはいえ、本州の縄文人(中国北部から来た人々)とは、系統を異にする。
縄文人のうち、琉球の人々は、本州人との類似性がとても高いので、本州人から派生したものと見なせるだろう。( → 琉球語ができた歴史的背景 ) とはいえ、大部分は混血の形で本州人と共通化したとしても、もともと琉球にいた人々(先住民)もいるはずだ。その人々はどこから来たか? 「南方から」と思うかもしれないが、遺伝子的には、南方との共通性は少ない。とすれば、琉球の先住民は、中国北部から来た縄文人が主体をなすのであろう。
今回の調査からもわかるように、アイヌと琉球人の遺伝子的な共通性が高い。これは何を意味するか? アイヌの源流となった北方系の古モンゴロイドと、琉球人の源流となった中国北部の古モンゴロイドが、もともと共通性が高かった、ということだ。つまり、源流が近縁であった、ということだ。これは矛盾ではない。どちらも北方系の古モンゴロイドであった、と考えればいいからだ。( → 人類の進化(総集編) 2 )
仮に、琉球人が南方系の古モンゴロイドであったとすれば、琉球人とアイヌが遺伝子的に共通性が高いことが説明できない。このことからしても、琉球人とアイヌはともに北方系の古モンゴロイドに属すると考えていいだろう。
二重構造モデルについて言えば、このモデルは成立しない。琉球人とアイヌは、同一の集団が日本において北方と南方に分断されたわけではない。これらが分断されたのは、日本内部においてではなく、中国北部やシベリアのあたり(☆)においてだ。そこ(☆)において、南下した人々は中国北部に達してから、朝鮮半島を経て、当時は地続きであった日本にやって来た。一方、そこ(☆)において、北上した人々は、サハリンを経て、北海道に達した。この両者(琉球人とアイヌ)は、同一の源流から分断された北方系の古モンゴロイドだが、分断された地域は、日本ではなく、そこ(☆)なのだ。というわけで、二重構造モデルは成立しない。(「二重構造モデルを支持する」と主張した今回の研究は、間違えている。というか、そもそも二重構造モデルとは何かということも理解していない。)
なお、中国南部にいた新モンゴロイドの由来だが、当然ながら、次のように説明できる。北方系の古モンゴロイドの一部から、新モンゴロイドが発生した。それは初めは北方にいたが、そのうち南下して、中国南部まで達した。
以上のすべてを簡単に図示すると、下図のようになる。(ただし新モンゴロイドの青線については、別途後述する。)

※ 古モンゴロイドの二つの支流(赤い矢印)の始点は、
本文中では(☆)だが、地図ではバイカル湖付近だ。
この件については、下記ページが参考となる。
→ 原日本人は、バイカル湖畔から来た
つまり、本項は、上記ページと整合的である。
本項を、私の見解としたい。
( ※ 私なりのまとめだ。私の独自の見解というよりは、多くの見解をまとめて、統一的に整理したもの。その点では独自性があるが、細かな細部はすべて他人の説に依拠している。それゆえ、これを「南堂説」と呼ぶのは妥当でない。「南堂式まとめ」と呼ぶのなら構わない。)
( ※ ただし、このまとめは、今回報道された研究成果とは、まったく矛盾する関係にある。また、精密さでも、大きく異なる。今回報道された研究は、あまりにもおおざっぱな分類しかしていない。一方、私のまとめでは、多種多様なハプロタイプの国際的な比較を論拠としている。具体的な例は、上記の ¶ であるが、他にも多くのハプロタイプの研究を論拠としている。ここでは出典をいちいち示さない。ネットなどから、各人が調べるといいだろう。論拠はたくさんあったので、私はここではいちいちリンクを示さない。)
( ※ 何で論拠を示さないのか、と文句を言う人もいるかもしれないが、本項は学術論文じゃないからだ。脚注をいちいち数十個も並べて出典を記しても、いちいち読む人はごく少ないだろう。私は学術論文を書いているわけじゃない。本項を書いて金をもらうわけじゃない。では、何をやっているか? ただの読者サービスという無料奉仕だ。)
( ※ なお、「論拠不足だ」という非難は当たらない。本項を述べるに当たって、必要な分の論拠はすべてリンクで示している。文中のリンクを見てほしい。省略したのは、補足的な分だけだ。必要な分はすでに示してある。)
【 後日修正 】
コメント欄で、Y染色体ハプロタイプに関する情報が寄せられた。
→ 本項のコメント欄( by SASAKI.KAZU at 2013年02月02日 )
これは、前に書かれたコメント欄の続きらしい。
→ 前回のコメント欄( by termmasyu at 2013年01月27日 17:43)
そこに書いてあることの結論はこうだ。
「現段階では、弥生人が朝鮮半島から来た証拠は全くなく、琉球列島を通って中国大陸から直接渡来した可能性の方が高いとなります」
これはある意味、ごもっとも。
Y染色体ハプロタイプがそうだから、という理由はさておき、「朝鮮半島から日本へ」という定説(?)は、根拠が十分とは言えないからだ。
・ 日本語と韓国語とが、類似性はあっても、かなり遠い。
・ 日本人と韓国人が、遺伝子的には近くても、かなり差がある。
要するに、日本人と韓国人との近さについては疑いを容れないのだが、直接的に「韓国 → 日本」という流れができるほどには近縁ではないのだ。つまり、日本人には、韓国人にない要素があまりにも多く含まれている。
このことを、上記のコメントと照らし合わせると、次のシナリオが成立する。
「日本人は、源流が複数あった。朝鮮経由の分もあっただろうが、黒潮経由(台湾・琉球諸島経由)の分もかなりあっただろう」
ちょっと考えると、韓国と日本との距離は短いので、船で渡るのは簡単そうに思えるが、実は、日本海の荒波を渡ることは、容易ではない。

一方、台湾から琉球諸島経由で航行することは、黒潮に乗っていれば自動的に運ばれてしまうので、かなり容易である。
(右図参照。クリックして拡大。)
では、本当に台湾から琉球諸島経由で来た人々が弥生人なのだろうか? 仮にそうだとしたら、日本人と韓国人の近さが説明しがたい。
「日本人も韓国人も、どちらも中国南部が源泉で、それぞれ別個に発達したのだ」
という解釈も成立するだろうが、それにしては日本人と韓国人が言語的にも近すぎる。
日本人と韓国人は、直接的な親子関係と見なすには遠すぎるのだが、共通の祖先から派生した孫同士と見なすには近すぎるのだ。
以上からして、次のようなシナリオが考えられる。
「弥生人は、琉球諸島経由と、朝鮮半島経由との、双方を源流とする」
図で記せば、次のようになる。

このシナリオだと、日本人の遺伝子的な多様性が、かなり説明される。そこで、これを新たな結論としたい。
( ※ 新モンゴロイド[弥生人]が、朝鮮半島経由と、琉球諸島経由との、双方だとして、そのどちらが多かったか? ……それはよくわからない。もし「後者の方が圧倒的に多かった」となれば、コメントで指摘されたとおりになる。しかし私としては、朝鮮半島経由もかなりあったのではないか、という気がする。その点では、従来の定説から大きく逸脱はしない。半分ぐらい逸脱した、というところか。)

【 加筆 】
あとで考え直すと、沖縄本島は縄文人の系統だ。とすれば、「琉球諸島経由」という「琉球諸島」には、沖縄本島は含まれないはずだ。たぶん「琉球諸島の小島経由で」となりそうだ。
(右図参照。クリックして拡大。)
【 補足 】
さらに補強する情報がある。稲の経路を見ても、同様の結果が得られるのだ。つまり、こうだ。
「稲作は、半島経由で弥生人が持ち込んだ、と思われてきた。しかし稲の遺伝子を調べると、稲は長江領域から来たものであり、半島経由ではないとわかる。具体的に言うと、長江領域には多くの遺伝子が見つかるが、そのうちのごくわずかだけが日本に伝来した。しかも、その伝来した遺伝子は、半島では見つかっていない。これはつまり、半島を経由しないで、長江領域から稲の遺伝子が伝来したということだ」
→ 見えてきた稲の道1
→ 長江中・下流域からの直接の渡来
【 追記 】
「Y染色体とミトコンドリアだけを調べるよりは、全部の遺伝子を調べる方が有効度が高いはずだ」
という素人の発想がある。だが、これは正しくない。
「全部の遺伝子を調べる方が有効度が高いはずだ」
というのは、遺伝子が異なる場合には有効である。具体的には、種の違いがある場合だ。異なる種が、数十万年を経たあとで、相互にどういう近縁性を持つかを、調べることができる。たとえば、「ホモ・サピエンスとネアンデルタール人」という違い。また、「ラミダス原人とアウストラロピテクス」という違い。
一方、人類の歴史というような場合は、せいぜい数千年レベルだ。この場合、遺伝子の違いはなく、遺伝子の塩基の違い(SNP)を見るだけだ。この場合は、塩基の違い(SNP)を見るためにふさわしいのは、一般の遺伝子ではなくて、半数体の遺伝子だけなのである。だからこそ、ハプロタイプ(半数体の遺伝子型)の研究が重要であるわけだ。
「数が多ければいい」というのは、あまりにも粗っぽい発想だ。効果のないものをたくさん集めても、効果は上がらない。1円玉を百個集めようが、千個集めようが、1兆円の小切手には遠く及ばない。そういうことだ。
「たくさんの遺伝子の違いを見る」という方法は、鳥の種間の系統関係を知るには、とても有益だ。
→ 鳥類の系統樹
しかしながら、それを、たかだか数千年レベルの日本人のルーツを知るために援用するというのは、方向が狂っているのである。ルーツを知るためのツールの使い方がなっていない。
【 関連項目 】
同じテーマでかつて書いた記事がある。たいして内容はないが。
→ 縄文人と弥生人
北方系と南方系の古モンゴロイドについては、下記で詳しく述べた。
→ 人類の進化(総集編) 2
──
後日、本項の続編を書いた。
→ 弥生人は朝鮮半島を経由したか?
ちゃんぽんになっているせいだと思えば、説明が付くかも。
ここで私が思いついた仮説はこうだ。
「渡来人が来たころに、縄文語と、渡来人の言葉とが、ごちゃ混ぜになったあげく、大変化を起こして、独自の言語になってしまった」
これなら系統関係がはっきりとしないことの説明が付く。また、単語レベルでは系統関係がいくらか説明が付くこともわかる。
その旨、注記しておきたい。
( ※ 本来ならば、地図を書き直すべきだが、めんどくさいので、省略。)
──
なお、修正するといっても、このあたりは巨大な草原だから、特に場所を固定することなく、人々は長大な距離を移動できたはずだ。場所の正確さにはあまりこだわらなくてもいいかも。
× 琉球人の源流となった中国南部の古モンゴロイド
○ 琉球人の源流となった中国北部の古モンゴロイド
× これは無人ではない
○ これは矛盾ではない
●縄文人:DE系統D亜型D2A (今から3万年前より日本列島にいた先住民)
●弥生人:NO系統O亜型O2B1 (今から約3000年前に日本列島に渡来)
問題となるのは、「NO系統O亜型O2B1(弥生人)」となりますが、O2B1は「O−47z」と呼ばれ、「O2B」の中で「47z突然変異」があるものを「O2B1」としています。また、「47z突然変異」がないものを「O2B*」としています。「O2B*」は「O2B」から分岐した後、「O2B1」とは別の変異をしている可能性があり、また「O2B」も含む可能性も確かにあります。その為、「*」を付けた呼び方となっています。
・O2B*(O−M176*)→満州族と朝鮮民族(47z突然変異なし)
・O2B1(0−47z)→本土日本人、沖縄人(47z突然変異あり)
------------------------------------------------
これにより「朝鮮人、満州族」と「日本人」は「O2B」としては近いが、系統としては別となります。
IS0GG(遺伝的系譜国際学会 The International Society of Genetic Genealogy) 2012年公式データより
「ISOGG Possible time of origin O-47z→7,870 [95% CI 5,720〜12,630] years」
「47z突然変異」は約7870年前(最小5720年〜最大12630年前 確率95%)に発生したとされています。また、カーボンテストにより、弥生時代は今から3000年前(BC1000年)に始まった事が確認されています。よって、弥生人は渡来人となりますが、朝鮮半島、中国東北部には「O2B1」の痕跡が全くない。また、弥生人が持ち込んだとされる「稲」の遺伝子パターンが朝鮮半島と合わないが中国大陸とは合う。稲作開始時期が朝鮮よりも日本の方が古い。南琉球(日本)が「DE系統D亜型D2A:4%」「NO系統O亜型O2B1:67%」「29%不明」→南琉球人の遺伝子構成が、日本本土からやって来たと考えると計算が全く合わず、弥生人の渡来ルートの一つとしか考えられない。現段階では、弥生人が朝鮮半島から来た証拠は全くなく、琉球列島を通って中国大陸から直接渡来した可能性の方が高いとなります。
>日本海の荒波を渡ることは、容易ではない。
旧石器人ですら、神津島と交易が合った。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/umiwata.html
晴れた日に見える範囲は、航海可能な範囲であった。
縄文時代既に、朝鮮・中国には交易ルートがあり、弥生時代は中国の戦国時代、戦火を逃れて台湾ルートや朝鮮ルートで、一家一族で日本に亡命して来た民族があっても、何ら不思議では無い。
稲作は、縄文時代に既に定着しており、弥生人は単に最新農法を持ってきたに過ぎない。
妄想は楽しい!! お粗末さまでした。
ついでですが、神津島には、私も前に行ったことがある。船でかなり時間のかかるところです。太平洋の大波に大きく揺らされた。
稲の遺伝子解析からも、同様の結論が得られる、ということ。つまり、稲は長江領域から、半島を経由しないで、日本に伝来した、ということ。
タイムスタンプは 下記 ↓
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html
以下、引用。
──
「日本人の出自から見たDNAの平均値 」
約38% D2型、日本にしか残されていないシベリア経由で入ってきた縄文人の血
約34% O2b型、ジャポニカ米と共に揚子江から海路渡ってきた弥生人(長江文明人、百越人)の血
約18% O3型、山東半島〜朝鮮半島〜日本と渡って来た漢族の血
約 5% C1型、インド経由、南方系海人族の血
約 1% N型、フィリピンに顕著に残り、ツングースも保有する血筋
約 1% C3型、樺太から北海道に、アイヌに残るバイカル湖経由のツングース系の血
朝鮮半島から九州に、扶余の血? ルート違いのバイカル湖経由のツングース系の血
その他 1%以下、D1、D3型、チベットに残るテュルク系?の血
O1型、台湾経由の大陸系の血
→ https://www.youtube.com/watch?v=1-_QKyipj_Y
このことからして、日本人の大部分は朝鮮半島の人々と遺伝子的にかなり共通しているとわかる。
ただし、「弥生人は朝鮮半島経由で来た」とまでは断言できない。もともと新モンゴロイドがいて、それが朝鮮半島に行ったのが朝鮮人で、琉球諸島経由で来たのが日本人だ、とも言えるからだ。
遺伝子の共通性だけでは、「弥生人は朝鮮半島経由だ」と断言するには至らない。
とはいえ、常識的には、「朝鮮半島経由で来た人もいっぱいいただろう」と推定するのが妥当だろう。仮に琉球諸島経由だけならば、新モンゴロイドばかりがたくさん来たことを説明できないからだ。(琉球諸島経由だけならば、むしろ、新モンゴロイドでない人の方が多く来そうだ。)