まずは、記事を引用しよう。
「なぜうその自白をしたんだ。やってないなら、やってないと言えばいい」こういうふうに「自白偏重」の体質があることに、根本原因がありそうだ。「自白偏重」だから、証拠に頼るより、容疑者に強引に自白させようとする。
68年に始まった水戸地裁土浦支部の公判で、裁判官に言われた一言が桜井さんには忘れられない。
警察でも検察でも「やっていない」と訴えたが、延々と続く取り調べに屈し、「自白」した。裁判所できちんと説明すれば、正しく判断してくれると思っていたが、裏切られた。
「警察が一度犯人だと決めつけると、検察も裁判所も加担して有罪に仕立て上げてしまう。マイナリさんと同じだった」
( → 朝日新聞 2012-10-30 有料版 )
その理由は、日本の裁判所の体質だ。自白なんてものは本来重視するべきではなく、裁判所における証言だけが重視される。なのに、裁判所で「あの自白は嘘です」と言っても、それは認められず、かつての自白を撤回できない。
これは裁判官が悪い。裁判官は被告の証言よりも、かつての自白の調書を優先するという意味で、裁判所をないがしろにしている。裁判官は「法廷侮辱罪」で逮捕されてもいいくらいだ。
本来ならば、裁判官は、被告に次のように尋ねるべきだ。
「調書にある自白と、今のあなたの無実だという証言の、どちらが本当ですか? 本当のことを言いなさい。さもないと偽証罪で逮捕されますよ」
こう言い聞かせたあとで、被告が「無実です」と証言したならば、自白調書を証拠採用するのをやめるべきだ。そして、検察側は、自白調書はもはや証拠にはならないと理解した上で、別の証拠を提出するべきだ。それが「証拠主義」である。(自白主義でなく。)
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ただし、裁判官がそうするべきだとしても、裁判官がそうするとは限らない。では、どうすればいいか?
一つの方策は、こうだ。
「被告が望めば、裁判官による裁判でなく、(一般市民の)裁判員による裁判を受けることができる」
もう一つの方策は、もっとドラスティックな案だ。こうだ。
「被告が裁判官を忌避できるようにする。そのために、あらかじめ、裁判官の過去の判例を集めて、データベースを構築する。そして、非常に多くの被告から忌避されるような裁判官は、何らかの問題があると見なして、裁判員としては罷免されるようにする」
これによって変な裁判官は排除される。特に「自白偏重」と見なされた裁判官は排除される。そういう人は、裁判官を退職して、弁護士にでもなればいい。
ともかく、このような制度改革をすることで、「自白偏重」という前世紀の遺物みたいな旧体質を、排除できる。
[ 付記 ]
「自白偏重」というのは、昔の日本の旧弊だった。やたらと拷問によって自白を得ようとしたこともあった。
今では拷問のかわりに精神的な圧迫を加えるようになっている。その一つが、「保釈もしないで、長期にわたって、精神的な圧迫を加えること」である。ここから冤罪が起こりがちだ。
→ 「ウイルスで誤認逮捕」の本質
[ 余談 ]
オマケとして、警察のひどい体質を赤裸々に示すページ。
→ 兵庫県警の『被害届を無視する不思議な能力』の話
※ 大津のいじめ事件でも、警察は被害届を無視した。
尼崎の連続殺人事件では、それをはるかに上回る。
