この問題にはもちろん賛否両論があるだろう。なかなか結論を出しがたい。しかし、いろいろ考えたすえに、私なりに結論を出した。それを示す。
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第1に、前項で述べたような「国家的な支援制度」(ダウン症の児童のための扶養制度)ができている場合には、どちらがいいかは人生観・倫理観の問題だ。親が自分の責任で決めていいだろう。他人が口出しするべきことではあるまい。「どっちでもいい」というのが、私の立場だ。
第2に、そういう「国家的な支援制度」ができていない場合だ。つまり、現状の場合だ。これについては、いろいろ考えたすえに、私なりの結論を出した。ただしこれは、私の結論であるから、他人に強要するつもりはない。あくまで私の個人的な方針だということで、参考にするだけにしてほしい。
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私の方針は、こうだ。
- 中絶するかしないか、どちらが一方的に正しい、ということはない。ただし、どちらかと言えば、中絶の方が好ましい。
- しかしながら、その中絶という方針を、妻と責任を分かち合ってはいけない。その全責任を、夫の側が負うべきだ。あらゆる責任を、夫一人で負うべきだ。たったの1%であっても妻に責任を委ねてはいけない。
- そこで、あらかじめ、次のように言う。
「もしきみがどうしても妊娠中絶をしたくないというのであれば、その意思を尊重する。子供を産んでもいい。また、産んだ子供については、僕が一生、全力で面倒を見る。……ただし、僕が死んだあとのことまでは、僕の力ではできない。子供をお風呂で洗ってあげたくても、死んでしまったあとでは、そうすることはできない。だから、僕が死んだあとの子供が、とても不憫だ」 - そう語ったあとで、妻に頼む。
「きみが妊娠中絶をしたくないのはわかっている。しかし、僕としては、妊娠中絶をした方がいいと思う。僕のためではなく、子供のために。子供が将来、辛い思いをしなくて済むようにするために。……もちろん、中絶すれば、きみは苦しむことになる。だから、そうさせた全責任は僕が負う。きみには何も責任はない。すべては僕の責任だ。だから、きみに辛い思いをさせるのは心苦しいのだが、僕の頼みを聞いてほしい。ぺこり。 m(_ _)m 」 - そして最後に言う。「これが僕の頼みだ。しかし、その頼みを必ずしも聞く必要はない。どうしても産みたいというのであれば、産んでもいいし、僕は子供を全力で支える。ただし、生きている限りのことだ。僕が死んだあとでは、したくても何もできない。子供は見捨てられる。今の日本は、そういう国なんだ。」
- そこで妻が尋ねる。「あなたは、中絶した方がいいと思うの?」。それには、こう答える。「そうするべきだ、と僕は思う。ただしそれは僕の決断だ。すべての責任は、僕一人が負う。きみは何も責任を負う必要はない。責任はすべて僕に押しつけてくれ」
ただし、これは私の個人的な方針だから、他人に強要するつもりはない。気に食わないと思ったら、真似る必要はない。
ただ、迷っている人は、ひとつの参考としてほしい。それだけだ。
《 上記の話はフィクションであり、実在の人物または団体とは関係ありません。 》
【 追記 】
Wikipedia に次の記述を見出した。
21トリソミーの胎児の80%は流産や死産に終わる。とすれば、妊娠中絶をしなかった場合にも、その 80%は流産や死産になるわけだ。しかもその場合、母胎にとっての負担は大きくなりそうだ。
( ※ 妊娠 12週ぐらいでの妊娠中絶と、妊娠 20週以上での自然流産や死産では、後者の方が妊婦の負担は大きくなりそうだ。……私は医者ではないので、断言はできず、推測するだけだが。ただ、下手をすると、妊娠能力をなくしたり、母親が死んだり、というふうになりかねない。)
というわけで、「妊娠中絶しなければ、ダウン症の子供が産まれる」と思うのは、早計なわけだ。実際には、妊娠中絶しなくても、80%は流産や死産になるのだから。
( ※ とにかく、問題はそう簡単に片付くものではないということ。楽観は戒めるべきだ。「ダウン症の子供は天使だ」なんて思っていると、目をふさがれるばかりだ。……すでに子供が産まれた場合ならば、それもいいだろうが、まだ子供が産まれていない時点では、しっかりと目を開くべきだ。最悪の場合、ダウン症の胎児が流産し、母親も一緒に死ぬ。)
【 参考情報 】
個人のDNAを解析していろいろ教えてくれるサービスがある。特に有名なのが、23andMe というものだ。Google の関連会社。299ドルで DNAを(部分的に)解析してくれる。
→ 該当サイト (英文)
→ 体験記
ここでダウン症も解析できるのかな……と思って検索してみたが、よくわからなかった。
→ Google 検索
このサイトでやる解析は、「一塩基変異」というものだから、(ダウン症の)トリソミーというタイプの染色体異常は、対象にならないのかもしれない。
わたし自身は、親には「授かった命を奪う権利」など無いのでは、という意見です。
国家的支援制度の貧弱な中大変なのは事実です。一方で「ダウン症」に限らず少なからぬ数のいわゆる「障害児」がこの世に生を受けています。
このくらいの障害なら生きても良くて、この程度以上なら中絶を選択……という線引も、とても難しそうです。
生まれた後に障害を負ったり、能力的に劣って(頭が悪い、とか)いる者は死んだほうがマシ、とか、そういう方向の思考に進む方も居るのかも知れませんが。
わが子も、ダウン症ではありませんが障害を持って生まれてきました。
でも、生きていることを感謝しています。
問題は知的障害の場合です。この場合は(日本では)救済制度はほとんどありません。そういう状況でも、親が対処可能ならば、対処するでしょう。親が若くて、子供が幼ければ、何とかなります。問題は、親が老年になって、子供が成人した場合です。もはや親では対処不能になることがあります。その場合、一家心中ということもあります。子供を産まなければ、夫婦で幸福な人生を送れたのに、子供を産んだせいで、夫婦ともども死ぬハメにこともあります。これは「親が子供を邪険にして殺す」という意味ではありません。「子供を幸福にしたいのだが、自分にはどうしようもないから、仕方なくそろって死ぬ」という形です。親は殺人をしているわけじゃありません。どちらかといえば自殺です。
具体的な例でいうと、娘が思春期になって、白痴状態のまま、あちこちの男性にもてあそばれて、何度も何度も妊娠する、……という例があったようです。それでもいいのでしょうか? 「娘が何度レイプされても、娘が生きているだけで幸福です。娘は天使です」と言えるのでしょうか? そして、娘が何度も妊娠したあと、どうするべきか? そのとき、何度も堕胎するべきか? それとも、白痴の娘の子供を何人も産むべきか? ……こうなると、不幸が拡大再生産されてしまいます。
「産めばいい、それで大丈夫」と思うほど、事態は甘くないんです。
ただし、右を取っても左を取っても苦痛だ、という状況では、「少しでも苦痛の少ない方を選ぶ」という判断は、なかなかやりにくい。
・ 今は苦痛が小さいが、将来は苦痛が大きい
・ 今は苦痛が大きいが、将来は苦痛が小さい
そのどちらを選ぶか? 通常、前者を選びます。そのせいで、将来的に、とてもひどい苦痛を味わいます。下手をすれば、一家心中です。
こういうふうに問題が困難なときには、「痛くて辛い道」を選ぶのは男の務めだ、と私は考えます。それが本項の趣旨です。
「授かった命を奪う権利など無い」と思うのは当然です。ですから女性は、辛い道を取ることは、とてもできないでしょう。だからこそ、今はどんなに辛くても、男としては自分の手で痛い苦しい道を取るべきだ、と考えます。そのせいで将来、妻にどれほど非難されるとしても仕方ない、というだけの覚悟も必要です。まだ産まれていない胎児の命を守ることよりも、今の妻の命や人生を守ることこそ何よりも大切だ、と私は考えます。そして、その代償として受け取るものは、妻の感謝ではなく、妻の非難だとしても、それでも男としては取るべき道を取るべきだ、と私は考えます。少なくとも、その辛い道を、妻の手に取らせてはならない、と考えます。
……ただし、以上は私の考えですから、他人に強制するつもりはありません。
80%は流産や死産になる、という話。
いずれにしても、検査そのものは米国の検査会社行ない、すべての検体は米国に送られて判定されるそうだ。……この件は、英文情報を探せば、すぐに見つかる。
しかし、国家が扶養するべきだとして、国家はそれが可能か? 前項の数値によると、45歳の場合にはダウン症の率が5%にもなる。仮に全女性が45歳で妊娠するとしたら、その場合には、国家が扶養する能力をなくして、国家が破綻する。
どう考えても、ダウン症の率が5%という状況を維持することは不可能だ。とすれば、次の二者択一しかない。
・ 高齢女性の妊娠を禁止する。
・ 高齢女性のダウン症検査を義務づける。
このいずれかを取らない限り、「ダウン症の子供を国が扶養する」ということは不可能となる。
だから、現状では、そうなっている。ダウン症の子供をいくらでも産むことができるが、その代わり、国による資金援助はない。
どうするべきか、よく考えるといいだろう。
結果は一人は学習院の理学部物理を専攻して現在は高校教師をしています。右脳数学魔法陣をご覧下さい、
もうひとりはソニーで光ハイバーの開発に携わっています、
高額な給料をいただいているようです、
ソニー佐藤政司で検索してみてください。
私の妹は近所に住むダウン症の成人男性に、日常的に路上で痴漢行為をされ、引越しをしました。
赤ちゃん連れの昼間ですのに。
「到底育てきれない、無理だ」という親がいて当然、だし、それで中絶するのはむしろ責任ある行為だと思いますよ。
自分の死後、放ったらかしにしないのですから。
心底幸せ、これで良かった、あえて障害児であることを選択する、そんな親はひとんちが何をしてようがどうでもいいのです。
「健常者なら良かったのに」という思いでいるから、中絶しようとする親に対して仲間に引き入れようとするのです。
(事実、治る画期的な薬が開発されたなら投与するでしょう)
私のいとこもダウン症の子を一生懸命育てています。佐藤惠以子さんのコメントのように、知的障碍者の中にはサヴァン症候群のような天才的な能力を獲得する人もいます。
しかし、これを一般化してどんな家族でも障碍者を育てあげ、平均以上の能力を持つ子供を育てられるということにはなりません。これをもって他人の中絶を非難するのはとても無責任な考え方です。
大変難しい問題ですが、中絶の自由は認められるべきでしょうね。その時の心構え(夫が100%責任を持つ)も私に深い感銘を与えました。まだ子供を授かることが出来る身であるので、肝に銘じておきます。
→ http://anond.hatelabo.jp/20150625191711