2012年08月21日

◆ 古モンゴロイド(北方系)の経路

 古モンゴロイド(北方系)は、出アフリカのあと、どういう経路をたどったか? ──

 古モンゴロイド(南方系)は、一度目の出アフリカのあと、インドから東南アジアへと、海岸伝いに移動していった。これは当然のことだ。海岸伝いに行く方が簡単だし、安全だからだ。特に、魚を獲りながら移動できるので、食物の問題がなかった。また、海岸沿いには必ず川があるので、飲み水の問題もなかった。

 一方、古モンゴロイド(北方系)は、どういう経路をたどったか? これまでの考えでは、「カスピ海の東側」というふうに述べて、それまでの経路は問題としなかったが、ここでもう少し考えてみよう。

 ──

 経路としては、次の三つが考えられる。
 (1) 現エジプト → スエズ地峡 → 現イラク領
 (2) 紅海 → スエズ地峡 → 現イラク領
 (3) アラビア半島南岸 → オマーン湾 → 現イラン領


 (1) は、すでにコーカソイドが住んでいる領域を通過するので、かなり困難だ。ありえないと思う。
 (2) は、スエズ地峡までは達することができるが、スエズ地峡の領域は、すでにコーカソイドが住んでいるので、ここを通過するのはかなり困難だ。また、ここを通過したとしても、現イラク領と現イラン領の国境には山岳地帯があるので、超えるのはあまり容易ではないと思える。
 (3) は、簡単だ。オマーン湾までは船で簡単に行けるし、そのあとは上陸して、現イラン領を進んで、トルクメニスタンやウズベキスタンを経由して、中央アジアに出ればいい。
 
 以上の点から、(3) の経路が最も妥当だと思える。

arabian.gif
Google 地図

 さらに言うと、次の重要な点がある。
 「オマーン湾よりもさらに東には、西インドがある。ここは南方系の古モンゴロイドであるドラビダ人が、すでに一大領域を形成していた。そこを海岸伝いに東進していくことは、困難だ。ゆえに、ドラビダ人の領域に入る前に、方向を転じる必要がある。その位置が、オマーン湾だ」
 つまり、ドラビダ人が一大領域を形成したあとでは、遅れて出アフリカをした人々は、オマーン湾から北上するしかないのである。
 
 あるいは、こうも言える。
 「アフリカの角から出アフリカをした人々ではなく、もともと南方にいた(南方系の)古モンゴロイドの一部が、オマーン湾から北上して、北方系の古モンゴロイドとなった」
 この可能性も、十分にある。この場合には、(前項にある)系統の図は、次のように書き直される。


          ↓ デニソワ人との共通遺伝子が消失
   北東部人 ━┳┳━┳━ 北東部人
         ┃┃ ┗━ 欧州コーカソイド
         ┃┣━┳━ 古モンゴロイド(北方系)
         ┃┃ ┗━ 新モンゴロイド
         ┃┗━━━ 古モンゴロイド(南方系)
         ┗━━━━ オーストラロイド

   ※ 北東部人は、アフリカ北東部人。アフリカ系コーカソイド。

 この可能性も、十分成立する。もしかしたら、こっちの方が正解かもしれない。この場合、二度目の出アフリカをなしたのは、コーカソイドだけのようだ。(彼らは後で、アラビア人や欧州人となる。)



 [ 付記 ]
 似てはいるが、これは、従来の説とは少し違う。従来の説は、
 「南方系の古モンゴロイドが北上して、寒地適応したら、新モンゴロイドになった」
 というもの。しかしこれは、遺伝子(ハプログループ)の研究から否定されている。
 北方系の古モンゴロイドは、南方系の古モンゴロイドから発展したのではなく、かなり早期に南方系の古モンゴロイド分岐しているのである。
 つまり、ドラビダ人の一部が北上したのではなく、ドラビダ人とぶつかる前に、西アジアの手前で北上したのだ。
 少なくとも経路については、これで判明したと言えるだろう。
 ただ、その出自が、オマーン湾のにいた南方系の古モンゴロイドなのか、オマーン湾の西にいた人々(アフリカの角から新たに出アフリカした人々)なのかは、はっきりとしない。両者の混血だということもあり得る。(どっちみち古モンゴロイド系の人々だ。)
   


 【 追記 】
 以上で述べたのは、出アフリカの直後のことだった。
 一方、シベリアを渡ったあとのことについては、次の新情報がある。
  → http://urx.nu/20to (英文)
  → http://urx.nu/20tn (機械翻訳)
 趣旨は:
 「アメリカ先住民には、三つの波があった。第一波は、1万5000年前のもので、その一部は南アメリカ南端にまで達した。第二波は、アラスカからグリーンランドに達した。第三波は、北アメリカ中部に達した」(図あり)

 以上の話だが、詳しくは、原典に当たってほしい。
 なお、私の説(前出項目)とは、特に矛盾しない。(私の説では第一波は2万年前というふうになっているが、このくらいの誤差は許容範囲だろう。)
 


 【 関連項目 】

  → 人類の移動 (まとめ)
posted by 管理人 at 19:20| Comment(3) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Y染色体ハプロタイプは、今から何年前、どの系統をたどって今に至るかを特定するマーカです。確かに動的な遺伝子ではありません。その比率から父系の混血が判ります。しかし、人種を特定するものではありません。それは、人種というものは人間がかってにつくりだしたものだからでしょう。つまり、見た目ということですね。たとえば白人は、まれに誕生する白子が固定したものでしょう。またよく出てくる「古モンゴロイド」は、その意味からすると古代ギリシャ人も「古モンゴロイド」となるでしょう。ギリシャ彫刻には色がついていませんが、古代ギリシャ人も有色人種です。つまりコーカソイド、モンゴロイドという名も人間がかってにつくりだしたものであり、すでに意味がないと考えます。
Posted by コメント at 2012年10月12日 23:26
> 見た目ということですね

 人種とは見た目の違いのことじゃありません。もっと遺伝子的な違いがあります。たいした違いではないし、境界もはっきりしないのですが、人類の移動経路を知るときには役立つ概念です。
 
 なお、人種と皮膚の色は、あまり関係ありません。いくらかは関係するという程度。
Posted by 管理人 at 2012年10月12日 23:44
皮膚の色などたいして意味はない。そのことを知るためには、次の図を見るといいでしょう。大人気の図。
 → http://livedoor.blogimg.jp/copipe_hozondojo/imgs/8/f/8f018e1e.jpg
Posted by 管理人 at 2012年10月14日 19:57
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ