世界の文明の地図を示すと、下記のようになる。

これらの文明はいかにして形成されたか? それを考えよう。
まず、前項で述べた話を顧みると、おおむね次の系統があることがわかる。
・ オーストラロイド
・ 古モンゴロイド(南方系)
・ コーカソイド
・ 古モンゴロイド(北方系)
・ 新モンゴロイド
これらの五つの系統ごとに、順々説明しよう。
1.オーストラロイド
オーストラロイドは、パプアニューギニアのニューギニア人と、オーストラリアのアボリジニがいる。これらは言語的には少し異なるが、文明の観点からはどちらも同じようなものと見なしていいだろう。簡単に言えば、文明は発達しなかった。
その理由は? 次のことだろう。
「オーストラロイドは、ごく初期に出アフリカをしたが、その時点では言語がまだ形成されていなかった。(文法が未発達だった。)その後、サフル大陸は水没した。ニューギニアとオーストラリアは東南アジアから孤立した。すると独自の文明を発達させるしかなかったが、言語も未発達なままなので、独自の文明を発達させるに至らなかった。ニューギニア人もアボリジニも未開社会のまま継続した。その後、18世紀になって欧州人との関係が生じたが、その時点では、文明に大きな格差があったため、交易が生じるのではなく、オーストラリアが欧州人の植民地になるという方的な関係が生じた」
ただしニューギニアは植民地化を免れた。それは、ニューギニアではマラリアなどの熱帯の病気に、欧州人が耐性を持たなかったからである。(この件、「銃・病原菌・鉄」による。)
整理すれば、次の二点だ。
・ 出アフリカの時点が古すぎて、言語が未発達だった。
・ 到達した地点は水没して、孤立した。
この「孤立」という点は、「銃・病原菌・鉄」にも書いてある。
2.古モンゴロイド(南方系)
古モンゴロイド(南方系)は、おおむね、次の三つに分けられる。
・ 中国
・ 東南アジア
・ インド
これらについて順に述べよう。
(1) 中国
古モンゴロイド(南方系)は、出アフリカをしたあと、アラビア半島南岸やインドや東南アジアを経由して、東アジアまで到達した。そして中国で定住して、文明を形成した。この文明は稲作を中心とする農耕文明であった。
世界最古の土器は中国で発見された。それは2万年前のものである。
→ 中国で発見の土器 世界最古か
この時点ではまだ農耕は始まっていなかったが、 BC 12000 ごろには稲作が始まっていたようだ。( → Wikipedia )
その後、長江文明というものが生じた。Wikipedia によると、次のような記述がある。
● 仙人洞・呂桶環遺跡 …… 江西省万年県。紀元前12000年頃?。栽培した稲が見つかっており最後の箇所については、次の記述もある。
● 大渓文化 …… 紀元前4500年? - 紀元前3300年? 灌漑農法が確立され、
● 石家河文化 …… 大規模な都城を作った紀元前2500年頃
● 良渚文化 …… 紀元前3500年? - 紀元前2200年? 分業や階層化も行われたと見られ
良渚文化(りょうしょぶんか)は、長江文明における一文化。紀元前3500年ころから紀元前2200年ころにみられた。夏や殷王朝は中国最古の国家だ。その遺跡が実在することで、これらの国家の実在性も推定される。
近年、長江文明研究の進展により、良渚文化は夏や殷王朝に比定されている。
( → Wikipedia 「良渚文化」 )
以上のようなことからして、紀元前3000年ころには、中国には国家形態の文明ができていたようだ。
( ※ 長江文明のほかに、黄河文明・四川文明などもあるが、大同小異なので、いちいち言及しなくてもいいだろう。)
「銃・病原菌・鉄」によれば、農耕の発達が食糧の余剰をもたらし、階層社会を生み出すそうだ。そういう形で都市国家が発生して、文明が生じたのだろう。中国ではそれが BC 3000 ころには生じていたらしい。
【 訂正 】
後述の「新モンゴロイド」の箇所で説明するが、農耕の開始の時点で、中国は新モンゴロイドに置き換わった可能性が高い。最初に定住したのは古モンゴロイドだが、農耕の開始の時点で、古モンゴロイドから新モンゴロイドに徐々に置き換わっていったようだ。となると、「中国文明の形成」≒「古モンゴロイドから新モンゴロイドへの置き換え」というふうになりそうだ。
(2) 東南アジア
東南アジアでは独自の文明は構築されなかったようだ。ネットを探ると、次の記述が見つかる。
東南アジアは、両隣りのふたつの大文化をうけていく。紀元1〜3世紀ごろからのインド文化と、紀元2〜4世紀ごろからの中国文化の影響は、東南アジアをつくるうえで大きな要因となった。両文化の影響は、インド・中国文化圏という混合文化地帯をつくりあげた。つまり、紀元後という比較的新しい時代になって、中国文明やインド文明の影響を受けたわけだ。というわけで、無視して良い。
( → 出典 )
(3) インド(インダス)
インドには、文明が生じた。それがインダス文明だ。それは古モンゴロイドのドラビダ人によって生み出された文明だった。
インダス文明は、……ドラヴィダ人によりつくられたと推定されている。「インダス文明 米|稲|小麦」で検索するとわかるが、インダス文明では、稲ではなく小麦が栽培された。稲に比べると栄養価は低い。その点では、稲作をした中国に劣る。
インダス文明が栄えたのは紀元前2600年から紀元前1800年の間である。
大小の都市が建設された。都市の規模は、メソポタミアのものよりも小さく、モヘンジョ=ダロとハラッパーがメソポタミアの小都市にようやく匹敵する規模であった。
( → Wikipedia )
インダス文明は、発生の時期は中国よりも遅い上に、紀元前1800年には滅びてしまった。その理由は諸説ある。いずれにせよ、四大文明のなかではマイナーな部類である。(時期や規模が劣っていたというよりは、すぐに滅びてしまったから。影響としては、ドラビダ人の文化ぐらいか。マイナーすぎる。)

出土したインダス式印章( Wikipedia )
3.コーカソイド
コーカソイドの文明は、おおむね、次の三つに分けられる。
・ メソポタミア
・ エジプト
・ ギリシヤ
これらについて順に述べよう。
(1) メソポタミア
二度目の出アフリカをしたコーカソイドは、スエズ地峡を出たあと、西アジアに展開した。その一部が東進して、メソポタミア地方に到達して、この地で農耕を営んだようだ。そして、農耕の発達のすえに、文明が誕生した。(これは麦による文明である。 → 「銃・病原菌・鉄」 )
メソポタミアの初期の文化は、ウバイド文化と呼ばれる。
小規模の農業をもつ組織化され紀元前5500年頃に始まったウバイド文化は、この地域において現在確認されている最古の文化層である。紀元前4800年 - 紀元前4500年には、すでに文明らしい文明が誕生したと言えるだろう。そして紀元前4500年 - 紀元前4000年には都市としての性質も見られるようになったわけだ。これらの時期は、中国文明よりも早い。
彼らはウバイド2期(ウバイド文化中期、紀元前4800年-紀元前4500年)には灌漑農法を考案し、これまでの天水農法とは比較にならないほどの農業能率と農業収益を実現した。これによって、ウバイド文化は他の文化を圧倒し、西アジア全域に影響を与えた。
( → Wikipedia )
図の出典この文化はメソポタミア南部の沖積平野での最古の文化で、紀元前6500年ごろからメソポタミアに広がり始め、紀元前4000年ごろから始まるウルク文化ヘと引き継がれた。灌漑農業の導入による農業の飛躍的発展、車輪の導入、銅器時代などがウバイド期に始まっている。
ウバイド2期、または標式遺跡にちなんでハッジ・ムハンマド期(紀元前4800年 - 紀元前4500年)では、大きな集落を中心に運河網が広く張り巡らされるようになった様が見て取れる。チョガ・マミ(Choga Mami, 紀元前4700年 - 紀元前4600年)では灌漑農業の跡が発見されており、この時期開発された灌漑手法は速やかに各地に広がった。
ウバイド3期および4期(紀元前4500年 - 紀元前4000年)では急速な都市化が見られ、
( → Wikipedia )
( ※ 土器の作成や農耕の開始は、中国の方がずっと早いが、都市文明の形成は、メソポタミアの方が早い。)

楔形文字があることで、メソポタミアの文字がわかるだけでなく、約5000年前のコーカソイドの言語もいくらか推定が付く。それはセム語派の言語の祖先となるようなものだろう。ただし、その類縁性はきわめて薄く、明白な系統関係は判明していない。
( ※ 楔形文字はすでに解読されている。右図は Wikipedia から。)
(2) エジプト
エジプト文明は、次のように説明される。
・ 紀元前9000年頃、農耕が始まる。これからすると、中国よりは少し早く文明が形成されたようだ。
・ 紀元前3500年頃、まず上エジプト、そして下エジプト、二つの統一国家ができる。灌漑農耕が始まる。
・ 紀元前3300年頃ヒエログリフの文字体系が確立。太陽暦(シリウス・ナイル暦)が普及する。
・ 紀元前3150年頃、ナルメル王が上下エジプトの統一
( → Wikipedia )
文字はヒエログリフが使われた。

出典:Wikipedia
これの解読はシャンポリオンのロゼッタ・ストーン解読で有名だ。
この解読がなされたことから、ヒエログリフが欧州の言葉と近縁性を持つことが判明した。同時に、その言語が同じ仲間であることも判明した。つまり、エジプトで農耕が始まった 紀元前 9000年ごろには、すでに印欧語が形成されていたわけだ。(実際にはもっとずっと古い時代に形成されていたのだろう。)
(3) ギリシャ
ギリシャ文明はかなり新しい。しかも、急激に発達して、のちの欧州に大きな影響を与えた。

( 図の出典:Wikimedia )
重要なのは、言語だ。西欧の言葉は ABC というラテン文字のアルファベットだが、その起源はギリシャ語の αβγ というアルファベットだ。そしてこれは、エジプトのヒエログリフや楔形文字など、中近東の文字時に由来する。
知られている最初のアルファベットは、紀元前1700年〜紀元前1500年頃に地中海東部の沿岸地域で発達したと一般に考えられている。このアルファベットは北セム文字と呼ばれ、楔形文字とヒエログリフを組み合わせてできたものであるが、クレタ文字やヒッタイト文字のような類縁関係にあるアルファベットから採られたものもあるようだ。これらのことから、コーカソイドの言語がかなり密接な関係を持つことがわかる。
( → Wikipedia 「アルファベット」 )
逆に言えば、西欧の文明は、メソポタミア文明やエジプト文明に由来し、ギリシャ文明の形で花開き、それが欧州各地に展開したことになる。
欧州人はしばしば、「ギリシャ文明が欧州文明の源泉だ」というふうに言うが、実は、欧州文明の源泉は、ギリシャ文明よりも古いエジプト文明やメソポタミア文明まで遡ることができるのだ。
さらに、これらの文明は、(アフリカの角から紅海沿岸を経てスエズ地峡に到達した)初期のコーカソイドにまで遡ることができるのだ。
4.古モンゴロイド(北方系)
古モンゴロイド(北方系)の文化は、次の二通りがある。
・ 中央アジアからシベリアにかけて
・ 南北アメリカの先住民
前者は残っていない。もともと遊牧民なので、都市を形成せず、都市文明を形成しなかった。(何らかの文化はあっただろうが。)
後者は、文明が形成された証拠が残っている。北米のインディアンの文化や、中米のマヤ文明や、南米のアンデス文明(インカなど)だ。ただ、これらが形成された時期は、かなり新しい。アンデスでは、神殿の建設は紀元前2500年頃になされたが、土器が使用されたのはかなり遅く、紀元前1800年頃である。また、インカでは文字は現代に至るまで作られていない。(マヤでは文字は作られたが。)
南北アメリカの文明については、私としては特に語るべきことはない。人々はインカやマヤを「古代文明」と言うが、あれは古代と呼ぶほどのものではない。たいていは紀元後の文明であり、数千年前の長江文明・メソポタミア文明・エジプト文明・ギリシャ文明とは違う。あまり重視する気にはなれない。
5.新モンゴロイド
新モンゴロイドというと、歴代のモンゴル国家がすこぶる強力だったが、これは軍事的には強力でも、文化的にはたいしたことはない。遊牧民だったので都市文明を構築しなかったし、紀元前の匈奴と言われる時代には文字を持たなかった。
【 修正 】新モンゴロイドの文明があるとしたら、古モンゴロイドの生んだ中国文明だろう。中国は当初は古モンゴロイドがいたのだろうが、文明初期の農耕開始の時期には、すでに新モンゴロイドが農耕をしはじめていたのだろう。(そう考えると、「銃・病原菌・鉄」の強調する農耕の重要性と合致する。)
コメント欄で指摘されたが、「新モンゴロイドはおそらくモンゴルか華北で発生し、それぞれ遊牧民と農耕民に別れた」という解釈がある。これは卓見だ。こういう形でなら、新モンゴロイドは、農耕の拡大とともに拡大し、狩猟採集民族の古モンゴロイドは縮小していったことになる。それはアフリカのコイサン族が衰退していった¶のと同様である。( ¶「銃・病原菌・鉄」を参照。)
§ 結語
さて。以上において、さまざまな文明の歴史を見てきた。それらをまとめると、どう言えるか?
「銃・病原菌・鉄」を思い出そう。そこでは著者は、まず、次の質問を立てた。
「なぜニューギニアは文明が発達せず、欧州では文明が発達したのか?」
その問いに、著者はこう答えた。
「それは人種の差ではなく、環境の差だ。特に、地形の差だ。ユーラシア大陸は横に長くて、東西への交流が容易だった。そのせいで食糧や文化の豊かな成果をたがいにもたらしあうことができた。一方、アフリカや南北アメリカでは、地形や気候の差で、各地は南北で分断された。たがいに交流することができなかった。ニューギニアも険峻な地形やまわりの海などで分断されたいた。これらの地域は、孤立しており、周囲との交流ができなかった。結局、地形や気象などの環境の差が、文明の発達の有無をもたらした」
これはいかにもダーウィニズムふうの「環境決定論」だ。
ただ、これによって説明がうまく行くのは、南北アメリカや、アフリカや、ニューギニアなどだけだ。中国と欧州との差は説明できない。そこで私は、次のように説明した。
「欧州の発達をもたらしたのは、印刷術である。それによって情報が圧倒的に広範に伝達されるようになった。それは今日のコンピュータを大幅に上回る画期的な出来事だった。では、何が印刷術をもたらしたか? 実は印刷術そのものは、中国でも古くから発明されていた。しかし中国では実用化されなかった。その理由は、漢字だ。莫大な漢字を活字にすることは不可能で、木彫りの木版印刷の方が容易だった。一方、欧州では表音文字が使われていたから、アルファベットと数字と記号で合計 100字未満の文字で足りた。結局、欧州が発達したのは、表音文字を使っていたという、一種の偶然のような出来事の結果なのだ」
→ 「銃・病原菌・鉄」への私見2
──
以上の説明は、すでに別項で示したことだ。
一方、本項では結論として、次のことを主張したい。
“ 文明の形成に影響するのは、地形や気象という環境だけではない。人種が大きく影響する。ただし人種とは、人種の優劣ではない。人種の系統のことだ。
オーストラロイドや、南方系の古モンゴロイドや、北方系の古モンゴロイドや、新モンゴロイドや、コーカソイド。これらの人種は、別々のものとして存在している(そして優劣を競っている)のではない。これらのすべては、同一の根っこから、枝分れする形で出現したのだ。そして、その枝分れのあとで、「人類の移動」という経路をたどって、彼らは各地に展開した。その展開の過程で、文明が形成された。その時期は、早かったり、遅かったり、いろいろだ。しかし、早いか遅いかは、どうでもいいことだ。大切なのは、そのすべてが同一の根っこから誕生しているということであり、彼らのすべてが生物種としては同一の種に属するということだ。
ニューギニアでは文明が誕生せず、欧州では文明が誕生した。それは人種の優劣から生じたのではない。どちらの人種でも、知能や体力などは、まったく同一だと考えていい。ただ、人種の優劣というものは意味がないが、人種の系統というものは意味がある。各地で文明が生じたり生じなかったりしたことには、人種が枝分れした歴史(系統の歴史)が影響している。
人種の系統は、人類の歴史でもある。そして、現在のわれわれは、長い歴史の上に存在しているのである。その歴史を知ることで、今まで見えなかった真実が見えるようになる。過去の歴史を知ることは、「われわれは何者であるのか?」という問いへの答えを得ることなのだ。われわれは自分自身がどこから来たかを知ることで、われわれ自身をより良く知ることができるようになるのだ。”
┏━━━━━━━ ピグミー
┣━━━━━━━ コイサン
┏┻━━━━━━━ ネグロイド
初期サピエンス ━┻━━━━━━━━ 北アフリカ
(エチオピア人?)
↓ デニソワ人との共通遺伝子が消失
北東部人 ━┳┳┳┳━ 北東部人
┃┃┃┗━ 欧州コーカソイド
┃┃┗┳━ 古モンゴロイド(北方系)
┃┃ ┗━ 新モンゴロイド
┃┗━━━ 古モンゴロイド(南方系)
┗━━━━ オーストラロイド
すぐ上の図を見よう。
図の右側を見ると、欧州コーカソイドやら、オーストラロイドやら、さまざまな人種が縦に並んでいる。それらは一見、並列的に分離しているように見える。
しかし、図の中央を見ると、それらはすべて根っこでつながっていることがわかる。また、言語の差や、文明の形成の差が、この枝分れする系統と密接に関連していることがわかる。
たとえば、欧州の文明は、それ単独で発生したのではない。その底部にはギリシア文明があり、その奥にはエジプト文明やメソポタミア文明がある。そのまた奥には、エチオピア人以来のアフリカ北東部人の歴史がある。その歴史は、今は消えてしまって見えないが、その痕跡は、出アフリカした(南方系)古モンゴロイドやオーストラロイドに窺うことができる。彼らは十万年ぐらい前には、すでに初歩的な言語を獲得していたのだ。それは文法をいまだ十分に獲得していない言語であるが、ともかく言語があるがゆえに集団としての意思伝達が可能であった。それゆえ文化を持ち、船で出アフリカをすることも可能となった。そのような文化はネアンデルタール人には不可能なことだった。
そしてまた、出アフリカをした南方系の古モンゴロイドは、南西インドではドラビダ語を使う文化集団を形成した。そのドラビダ語は、現代の日本語にも影響を残している。その意味で、このような枝分れした系統の歴史は、われわれ日本人にも深く関連しているのだ。
DNA の分析によると、日本人の DNA は、とても深いところでアフリカ人に近い点がある。それは南方系の古モンゴロイドの遺伝子が今も日本人に大きく残っているということを意味する。

出典
日本人は世界にも類を見ないほど、多くの系統の混血でできているのだ。そして、その理由も、枝分れした系統の図を見ながら、混血の経路を知ることで、いろいろと判明するのである。
【 関連書籍 】
[ 付記 ]
「銃・病原菌・鉄」の著者は、ダーウィニズムふうの発想(環境決定論)を文明に適用することで、人類の歴史を科学的に扱うことができる、と示そうとした。
しかし、ダーウィニズムふうの発想というものは、優生思想であれ、市場原理であれ、評判がすこぶる悪い。環境決定論というのも、一面の真実を突いてはいるが、何でもかんでもこれで説明しようとするのは、ご都合主義ふうだ。
人間というものは、環境の影響を受けるが、環境だけで物事が決まるのではない。それよりは、遺伝子や言語というものをもっと重視するべきだ。そうすれば、見えなかった真実が見えるようになるだろう。……それが本項で示したことだ。
【 関連項目 】
アルファベットの由来とか、環境の影響とか、そういった細かな話は、「銃・病原菌・鉄」に詳しく書いてある。とりあえずは、次の要約を読めば、著者の本の内容がだいたいわかる。
→ 文明の歴史(銃・病原菌・鉄)
その意味でも、本項は、上記書籍に多くを負っている。その意味で、著者のダイヤモンドには、謝辞を捧げたい。
最後のあたりでは、批判めいたことを書いているが、それは、「弟子は師匠を乗り越えなければ意味がない」というようなものだ。別に悪口を書きたいわけではない。ダイヤモンドの業績を称賛した上で、さらにその先に進みたいだけだ。
銃・病原菌・鉄 (上)
中国大陸で文明を興した漢民族がそもそも新モンゴロイドであると考える方が自然であると思います。五胡十六国時代でも中華文明は大きく北に偏っており、上海あたりがもう南の蛮地扱いになっています。
新モンゴロイドはおそらくモンゴルか華北で発生し、それぞれ遊牧民と農耕民に別れた。生活様式とセットになっているためにあまり南北に広がれなかった点が面白いですね。
ごもっとも。
内容を書き換えました。