最新の修正点も加えて、最新版の「まとめ」とする。 【 重要 】 ──
人類の移動の経路は、すでに下記項目で詳しく説明した。
→ 人類の進化(総集編) 2
しかしこの項目は、新たな考察を加えた結果、いくらか修正を受けた。そこで、修正したあとの話を整理して、本項で簡単にまとめてみる。
まず、初めに図式を書くと、新たな図式はこうだ。(出アフリカ以後の分のみ。)
↓ 共通遺伝子が消失
北東部人 ━┳┳┳┳━ 北東部人
┃┃┃┗━ 欧州コーカソイド
┃┃┗┳━ 古モンゴロイド(北方系)
┃┃ ┗━ 新モンゴロイド
┃┗━━━ 古モンゴロイド(南方系)
┗━━━━ オーストラロイド
共通遺伝子とは、デニソワ人との共通遺伝子。
この図では、南方系の古モンゴロイドと、北方系の古モンゴロイドとが区別されている。そして、北方系の古モンゴロイドから、新モンゴロイドが分岐している。
以上の点に注意した上で、以下の解説を読んでほしい。
( ※ 古い順に示す。)
(1) エチオピア人
最古の人類は、エチオピア人だ。(上の図にはない。)
彼らは約 20万年前に、エチオピアの川や湖のそばで、魚介類の採集生活を送っていた。
(2) ネグロイド系
最初にネグロイド系が分岐した。さらにネグロイド系から、コイサン人やピグミーが分岐した。いずれも約 17万年前のことだ。
次の図のようになる。
┏━━━━━━━ ピグミー
┣━━━━━━━ コイサン
┏┻━━━━━━━ ネグロイド
初期サピエンス ━┻━━━━━━━━ 北アフリカ
(エチオピア人?)
(3) モンゴロイド系の分岐
エチオピア人はそのままエチオピアにとどまったが、そのうち一部は(紅海の)海際でモンゴロイド系に分岐していった。時期は13万年前ごろ。
(4) オーストラロイド
海際にいるモンゴロイド系の人々が、1度目の出アフリカをした。つまり、紅海の海峡を渡った。時期は 10〜13万年前。

( Google 地図 )
彼らは、サフル大陸(のちのニューギニアやメラネシア)に到達した。その後、一部は南方に折れて、オーストラリアに到達した。これらの人々はいずれもオーストラロイドである。
彼らはいずれも言語が未発達だった。特に、文法を持たなかった。
(5) 共通遺伝子の喪失
アフリカ北東部にいる人々は、長年の時間を経たあとで、デニソワ人との共通遺伝子を失った。不要な遺伝子だったので、消えてしまったのだ。これは、陸側のコーカソイド系も、海際のモンゴロイド系も、どちらでも起こったことだ。時期はおよそ 10万年前。
(6) 古モンゴロイド(南方系)
海際のモンゴロイド系の人々が、またしても出アフリカをした。経路はオーストラロイドと同じだ。だからこれも「1度目の出アフリカ」に含まれる。ただし時期は、オーストラロイドの場合よりもかなり遅く、6〜8万年前だ。
彼らは二つに分類できる。
(a)初期に出発した人々は、中国に到達して、中国語を形成した。中国語は文法があまり発達していない言語だった。
(b)中後期に出発した人々は、東南アジアや南アジアに到達した。彼らは出アフリカ後の途中で、膠着語系の言語を獲得して使うようになった。そうした言語の一部は、南西アジアでドラビダ語となった。
(7) 古モンゴロイド(北方系)
古モンゴロイドの一部は、二度目の出アフリカをなした。その経路は、次のいずれかである。
・ アフリカの角 → アラビア半島を北上 → 西アジア → カスピ海
・ 北東アフリカを北上 → スエズ地峡 → 西アジア → カスピ海
このいずれかを通った。(どちらでも大差ない。)
※ なお、アラビア半島は、たぶん東側経由だろう。西側は、紅海と同様なので、特に考えなくていいだろう。
【 後日記 】
あとで見つけたが、Wikipedia に次の記述がある。
約20万年前に東アフリカの大地溝帯で誕生した現生人類は、約7万年前の最終氷期の始まりにより気候が乾燥化し、草原および狩りの獲物が減少したために移住を余儀なくされ、海水準が降下したためにバブ・エル・マンデブ海峡の幅が11kmほどに縮まった時に、海峡を通じてアラビア半島南部へ渡ったとする仮説がある。
当時もアラビア半島内陸部には砂漠が広がり、人類の生存に適していなかった一方で、海水準の低下によりアラビア半島南部沿岸は今よりも陸地が広く、インド洋のモンスーンを水源とする、淡水の湧くオアシスが点在し、それを頼りに海岸沿いに移動したとされる。現在のイエメンからオマーンにかけての陸地に、約7万年前から約1万2000年前までの間、人類が住んでいた痕跡がある。
( → バブ・エル・マンデブ海峡 - Wikipedia )

Google 地図
カスピ海に達したあとは、は、カスピ海のそばを北上した。
この地図を見た限りでは、カスピ海の西側は地形的に通りにくそうだから、たぶんカスピ海の東側を北上したのだろう。かくて中央アジアに到達した。
その後は、遊牧民として草原を伝って、中央アジアからシベリアを経由して、アジアの東北部に到達した。
最初に到達した人々は、地続きのベーリング海峡を渡って、アラスカに到達した。(約2万年前)
次に到達した人々は、氷結した海峡を渡って、島伝いにアラスカに到達した。次の経路で。
間宮海峡 → 樺太 → 宗谷海峡 → 北海道 → 千島列島 → カムチャッカ半島 → アリューシャン列島 → アラスカ

樺太と千島列島とカムチャッカ半島
(出典: Google )
以上をまとめよう。エチオピアの海際にいた古モンゴロイドが、アフリカの角かスエズ地峡か、どちらかを通って、カスピ海のそばを北上し、中央アジアとシベリアを経由して、アラスカに渡ったのである。
そして、その後は、アメリカ先住民となった。
このすべては、古モンゴロイドである。ただし、北方系なので、言語は膠着語系とは異なり、抱合語系となる。
参考のために、経路の地図を示す。
( ※ この図のままではないが、おおざっぱに参照するといい。)

出典:サイバー大学
(8) コーカソイド
アフリカ北西部では、海際にいたモンゴロイド系の人々のほかに、陸地の主要部を占めるコーカソイド系の人々がいた。彼らはモンゴロイド系の人々に遅れて、紅海沿岸に達した。その後、紅海沿岸伝いに北上して、エジプトまで達した。そしてエジプト周辺(アフリカ北部)で、人口と領域を増やした。
エジプト周辺のコーカソイドは、北方系の古モンゴロイドが出アフリカをしたのにいくらか遅れて、スエズ地峡経由で西アジアに進出した。時期はおよそ6万年前。(二度目の出アフリカ)
コーカソイドは、さらに北西に進んで、ネアンデルタール人を押し出すような形で、欧州全域に広がっていった。4.3万年前にはイギリスまで到達した。
コーカソイドには、第一陣と第二陣があった。第一陣は、先駆者としての少数派で、これは印欧語以前の言語を用いる人々だ。今日ではバスク語に痕跡を残す( → 参考記事 )。第二陣は、主要部として大量に到来したもので、これは印欧語を用いる人々だ。今日の欧州人のほとんどを占める。

ミトコンドリアDNAから推定された現生人類の範囲拡張。
1600世代前から。 薄い灰色はネアンデルタール人領域。
( → Wikipedia (英語版) )
(9) 新モンゴロイド
東アジアの一部で、新モンゴロイドが突発的に出現した。時期は1万数千年前。彼らは中央アジアの遊牧民として、大多数のコーカソイドと共存していた。しかし、紀元前数世紀になって、彼らは戦争を始めた。すると、騎馬戦法で圧倒的な強みを発して、東アジアから中央アジアを制覇した。
これがモンゴル人または新モンゴロイドだ。彼らは中国では「匈奴」と呼ばれたが、彼ら自身は文字を持たなかったので、自分たちの歴史を残していない。
※ この箇所は取り消します。説明は次項の「5.新モンゴロイド」。
(10) 日本人
新モンゴロイドの一部は、朝鮮半島を経由して、日本に渡った。彼らは弥生人である。彼らはモンゴル人ではないので、モンゴル文化を継承せず、騎馬戦法を持たない。しかしモンゴル人の遺伝子を受け継いでいる新モンゴロイドだ。
弥生人は、すでに現地にいる縄文人と交雑した。縄文人とは、次の三種類だ。
・ 北方系の古モンゴロイドであるアイヌ人
・ 対馬海峡経由の古モンゴロイド(南方系)
・ 黒潮に乗って到来したオーストロネシア人(南方系)
このうち、アイヌはもともと人口が少ないので、無視してもいい。
大陸から来た古モンゴロイド(南方系)は、縄文人の主力をなす。ただし、彼らは十分な言語を持たなかったため、言語的には痕跡をあまり残さない。
オーストロネシア人(南方系)は、発達した言語を持っていたので、今日にもその痕跡を残す。それがドラビダ語との共通性を持つ言語だ。
ただし、以上のような縄文人の言葉は、単語レベルで残るだけだ。文法レベルでは、弥生人の言語の文法に支配された。それは朝鮮半島で使われる言語とほぼ同一の文法を持つ。かくて、今日の日本語は、おおむね次のような構成を持つ。
「文法と基本語彙はモンゴル語発祥の朝鮮語に由来するが、一部にはドラビダ語に類する縄文語の語彙を残す」
こうして、人種的にも言語的にも、日本人の由来がわかる。
(11) 結語
遺伝子的な話は、下記項目で論じた。
→ 人類の進化(総集編) 2
言語的な話は、下記項目で論じた。
→ 言語の歴史:10万年
これを書いたあとで、改めて遺伝子的な考察を加えて修正すると、本項ができた。同時に、過去の項目をいくらか書き換えることとなった。
これまであちこちでいろいろと書いてきたが、その総仕上げのような形で、本項に整理したわけだ。
( ※ 上記の2項目を書いたときには、古モンゴロイドと新モンゴロイドの関係が、よくわからなかった。その後、古モンゴロイドを「北方系」と「南方系」に分離して考えることで、つじつまが合うことがわかった。そこで、そういう新たな発想のもとで、上記の2項目を修正したのだが、統一感がなかった。そこで、本項で、統一的に書き直したわけだ。ただし、細かな話は重複するとまずいので、細かな話は上記の2項目に記したままとして、本項では話の骨格のみを記した。)
[ 付記 ]
なお、数字や理由などの根拠がわからないときには、その用語をサイト内検索すればいい。(左側の検索欄から。)
ただ、たいていの根拠は、次の2項目のどちらかに説明が書いてある。
→ 人類の進化(総集編) 2
→ 言語の歴史:10万年
【 追記 】
Q 人類はなぜ移動したか?
A 移動したというよりは、領域を拡大したのだろう。旧来の領域が消えたわけではないのだから。
ただ、領域の拡大につれて、進出先の方が、人口の増加率が急激だった。たとえば、アフリカの角では人口増は頭打ちだったのに、進出先の西インドや東南アジアや東アジアでは人口は爆発的に増えていった。
それは、進出先では、食糧環境が好適だったからだろう。魚介類や果物がたっぷりとあるから、それらを食べて、人口増加を果たしたわけだ。
( ※ なお、果物がたっぷりあるのは、人間のために用意されたわけじゃない。もともと、オランウータンみたいな猿とか、鳥類とか、そういう動物がいて、果物を食べたからだろう。……そのおかげで、人口の増加が可能となった。そのせいで、「人類は移動する」というふうに、見かけ上は見えるわけだ。)
【 関連項目 】
本項の続編ふうの話。
→ 古モンゴロイド(北方系)の経路
ここでは、本項の図式を少しだけ変えて、次の図式を示している。
↓ デニソワ人との共通遺伝子が消失
北東部人 ━┳┳━┳━ 北東部人
┃┃ ┗━ 欧州コーカソイド
┃┣━┳━ 古モンゴロイド(北方系)
┃┃ ┗━ 新モンゴロイド
┃┗━━━ 古モンゴロイド(南方系)
┗━━━━ オーストラロイド
この図では、古モンゴロイド(北方系)の毛色が少しだけ変わっている。解説は、上記項目を参照。
【 関連サイト 】
本項と似た話題を扱ったサイトがある。
→ 遺伝子解析で見る「人類の移動と民族の分化」: WIRED
そこには次の図もある。(転載)

この図は、本サイトの記述と、矛盾しない。
ただ、本サイトの内容はとても詳しいが、上記のサイトを見ても、図以外にはほとんど情報を得られないようだ。
──
他に、説明のあるサイトとして、次のサイトもある。
→ 人類の移動と拡散: アースリウム
ただし、特殊な HTML 処理をしているので、MS-IE でしか見られない。( Firefox や Chrome では駄目。)
このサイトの内容は、本サイトの主張とはかなり食い違う。だいたいの流れとしては、ほぼ一致しているのだが、細かな経路や数字は大幅に食い違う。年代も大きく食い違うことが多い。
このような数字の違いがどうして生じたかは、本サイトの各項目で説明されている。
要するに、本サイトの内容は、世界でも最先端であるのに比べて、他のサイトの内容は、時代遅れで、あちこちに数字の矛盾が生じるのだ。……どういう矛盾が生じるかは、このシリーズのあちこちの項目で示した。(トバ爆発の人口問題など。)
【 関連項目 】
その後、新たな情報を得て、書き直すような形で、新項目を書きました。
→ 人類の移動 2
ぜひお読みください。