( ※ 話の後半は、事実ではなく、推理です。真実性は保証されません。) ──
本項では言語の歴史を考える。
実は、言語の歴史は、言語学ですでにいろいろと考察されている。しかしそこで判明するのは、事実としての言語だけだ。そこには話者である人間のことは考えられていない。特に、人種や遺伝子のことは考えられていない。
そこで、生物学的な人種や遺伝子の知見を得たあとで、言語学の情報と照合して、言語の歴史を探る。
( ※ なお、言語を比較するときには、語彙レベルの比較と、文法レベルの比較がある。「語族」のような大きなグループを考えるときには、文法に着目する。)
──
まずは言語学で知られている情報を列挙しよう。だいたい古い順に並べる。
- パプア・ニューギニア
- ニューギニアの言語は、あまりにも多様性がある、と知られている。引用すると、次の通り。
ニューギニアは、世界でも飛び抜けて言語の数が多い地域である。面積はテキサスよりわずかに大きいだけなのに、世界に 6000ある言語のうち、何と 1000がニューギニアに集中し、数十を超える言語グループに分かれて存在しているのである。そして、それぞれの言語は、英語と中国語の違いに匹敵するほど異なっている。ニューギニアの言語の半数は、言語人口が五百人にも満たない。
ここで、「英語と中国語の違いに匹敵するほど異なっている」ということは、文法構造がまったく異なっている、ということだ。このことは、次のことを推定させる。
( → 「銃・病原菌・鉄」下巻 178頁 )
「出アフリカをした当時には、まだ文法が形成されていなかった。その後、出アフリカをした小集団が、それぞれ独自に文法を形成していった。そのせいで、各集団がまったく別々の文法体系を獲得することになった。」
- 中国
- 中国語は、ギネスブックによれば「現存する世界最古の言語」であるそうだ。Wikipedia によると、「語形変化(活用)が生じず、語順が意味を解釈する際の重要な決め手となる孤立語である」という。
高校で漢文をきちんと学んだ人ならば知っているだろうが、中国語には「てにをは」にあたる助詞がない。また、ドイツ語の格変化のようなものもない。これらのことは語順によって推定するか、前置詞概念を明示的に示す文字によるしかない。
これらのことは、言語として非常に古いせいで、文法規則が未発達であることを意味する。その意味でも、「世界最古の言語」と呼ぶにふさわしい。(ただしニューギニアの言語を除いて最古。)
- オーストラリア・アボリジニ
- Wikipedia によると、「一つの語族を形成するのではなく、数十の互いに関係性が見出しがたい語族からなる」、「多くの言語が膠着語的で、能格言語である」そうだ。
膠着語の系統だということは、ニューギニアの言語よりも、いくらか新しいことを意味する。また、能格言語であることから、同系の言葉の仲間であるとも言える。同系の言葉の仲間としては、次のものが挙げられる。バスク語、グルジア語、チベット語、エスキモー・アレウト語族の諸語(グリーンランド語など)、アイヌ語。
- ドラビダ語
- ドラビダ語も同様に古い言語だ。そこで比較したくなるが、Wikipedia にはこうある。「ドラヴィダ語族は、既知の他の語族との間で関係が認められない。この語族を、日本諸語(Japonic languages,日本語族)、バスク語、朝鮮語、シュメール語、オーストラリア・アボリジニ諸語、そしてインダス文明で使用されていた未知の言語と関連付けようとする試みが行われてきたが、結論が出ていない」
- バスク語
- バスク語も、同様に古い言語だ。Wikipedia にはこうある。「バスク語は現存するどの言語とも系統関係が立証されていない孤立した言語であり、西ヨーロッパで唯一生き残ったインド=ヨーロッパ語族以前の言語である」
- アフロ・アジア語族
- アフロ・アジア語族(アフロ・アジアごぞく)は、アラビア半島を中心とする西アジアで話されるセム語派と、それに近縁な、北アフリカを中心に分布するハム諸語(かつてのハム語派)の総称。( Wikipedia による。)
- セム語派
- エチオピアで使われるアムハラ語やソマリ語は、セム語派に属する。これらは一応、膠着語に分類される。
- アルタイ語族
- アルタイ語族は、新モンゴロイド系の国々で話される。その意味で、人種的には新しい。ただし、文法は膠着語なので、古い部類だ。
- インド・ヨーロッパ語族(印欧語族)
- 印欧語は、系統をたどるのが比較的たやすい。西欧の言葉はローマ語やギリシャ語に語源があることが多い。そのまた語源や起源を探ると、ハム語(エジプト語など)との関連が見出される。( → 参考記事 )
- 南アフリカの言語
- 南アフリカの言語はまったく系統が別だ。ニジェール語(ネグロイド・コンゴイド)、コイサン語(コイサン族)など。これらは、人種の分岐と言語の分岐がいっしょに起こったと考えれば、系統の遠さが理解できる。( → 前出項目 )
以上に、言語学的な成果を得た。
このあとは、以上と矛盾なく、言語の歴史のストーリーを考えることだ。探偵小説で言えば、
「ここまでの部分で、推理に必要な手がかりは全て示された。さあ、真相を推理してみよ」
というふうに「読者への挑戦状」が出たようなものだ。
そこで、私なりに、言語の歴史を推理してみる。
──
(1) ニューギニア語の文法がバラバラであることから、人類が一度目の出アフリカをしたときには、文法はまだ形成されていなかったはずだ。その時期は 10〜13万年前。
この集団は、その後、4万年前には東南アジアを経て、サフル大陸にまで達したが、その時点でもまだ、文法を形成していなかった。その後、サフル大陸が水没して、メラネシアの島々になったが、その途中のどこかで、しだいに言語が形成されていった。それぞれはたがいに独立した言語となった。
(2) 中国語の文法が未発達であることから、中国語はかなり古く形成されたとわかる。おそらく最古の古モンゴロイド(オーストラロイドを除く)が到達してから、東アジアで独自に言語を形成したのだろう。その時期は、オーストラロイドがサフル大陸に到達した時期よりも遅いので、3万年前ごろか。(もっと新しいかもしれない。)
(3) 最古のオーストラロイドは、メラネシア人だろう。彼らははサフル大陸(メラネシア)にやって来たが、サフル大陸よりも東には海しかない。そこで行き止まりだ。だから、ここにやって来た最古のオーストラロイドは、それ以上は東進せず、サフル大陸で定住した。この地は熱帯で、住むには都合がいいので、特に支障もなかった。
さて。その後も(出アフリカした後続の)オーストラロイドはこの地方にやって来たが、サフル大陸はメラネシア人に占められている。というわけで、サフル大陸には向かわず、南進して、オーストラリアに向かった。本当は暖かな熱帯であるメラネシアに住みたいのだが、冬には寒くなるオーストラリアに向かった。そしてそこで定住したのが、アボリジニだ。
アボリジニの住む土地は、寒暖があるので、夏は南進して、冬は北進した。そういうふうに移住を繰り返した。そのせいで、ずっと北の方にも行くようになった。すると、東南アジアにおいて、あとからやって来た古モンゴロイドと出会った。古モンゴロイドは、膠着語系統の言語を話していた。文法のある言語を持たなかったアボリジニは、古モンゴロイドと出会うことで、言語を獲得したが、それは、古モンゴロイドの影響を受けて、膠着語としての性質を帯びるようになった。ただし、語彙レベルでは、古来のアボリジニ語をそのまま使った。
(4) 古モンゴロイドがアフリカの角を出て、アラビア半島沿いに東進した。これはオーストラロイドのあとを追ったことになる。同じ経路をたどったので、どちらも「一度目の出アフリカ」に分類されるが、古モンゴロイドの方は、時期的にはかなり遅い。オーストラロイドが 10〜13万年前であったのに対して、6〜8万年前ごろだろうか。
古モンゴロイドは、いずれも膠着語系の言語なので、この時期(6〜8万年前)にはすでに「アフリカの角」の領域では文法概念のある言語ができていたことになる。
(5) コーカソイドとモンゴロイドは、人種的にはかなり近い。しかし言語的には別系統だ。これは何を意味するか? 次のことだ。
「コーカソイドとモンゴロイドが二度目の出アフリカをする以前に、これらは言語的に分離していた。したがって、それぞれ、すでに別々の集団をなしていた。そして別々に出アフリカをした」
具体的に言えば、アフリカの北部では、ハム語系の言語ができていた。時期は古モンゴロイドの言語が形成されたよりも少し語のころ。6万年前ごろ。(この数字は、欧州大陸西端に到達した時期から、逆算される。 → 人類の移動 (まとめ) )
コーカソイドとなる集団は、出アフリカをしてから、西アジアに広がった。さらにその一部は、ヨーロッパ全域に進出した。
新モンゴロイドとなる集団の方は、たぶん一度目の出アフリカ(古モンゴロイドとオーストラロイド)と同じように、アフリカの角を経て出アフリカをした。しかるに、彼らの一部は、そのまま東進して南アジアに行くことはなく、紅海沿いに北上して、スエズ地峡に達した。(エジプトあたりのコーカソイドとは交わらなかった。たぶんそこで行き止まりだった。)また、一部は、アラビア半島を通り過ぎてから北進して、イラク(メソポタミア)に達した。さらに、北進または東進して、カスピ海周辺を経由して、中央アジアに向かった。これが北方系モンゴロイドである。
(6) 膠着語を話す人々は、古モンゴロイドの系統であり、それはアフリカの角ではマイナーな民族であった。彼らは主たる民族に圧迫されて、海を渡った。一度目(後期)の出アフリカをした人々は、東進して、古モンゴロイドとなった。二度目の出アフリカをした古モンゴロイドの一部は、北進して、北方系のモンゴロイドとなった。さらにそこから新モンゴロイドが派生した。この件は、あとの (10) で示す。
(7) バスク語は、印欧語よりも古い言語だ。(前述)。しかしながら、人種的には、完全に欧州的なコーカソイドである。このことから、次のように推定できる。
「二度目の出アフリカをした人々の一部は、かなり早期に、欧州の西部にまで達した。それがバスク人である。彼らは、印欧語が形成される前にその地に達した先駆者である。その後、印欧語が形成され、その言語を話す人々が、続々と欧州に押し寄せた。そのせいで、先駆者であるバスク人は、言語的に孤立した」
バスク人が欧州西端に到達したのは、4.5万年前ごろだろう。(そして一部はイギリスに渡って、4.3万年前ごろの遺跡を作った。)その後、2〜4万年前ごろに、印欧語を話す人々が続々と押し寄せたのだろう。これは時期としてはかなり新しい。だから、印欧語の系統はかなりはっきりとしているわけだ。
(8) 古モンゴロイドは一度目の出アフリカのあと、アジアに向かったが、最初の人々は、東アジアで中国語を形成した。(3万年ぐらい前?)
一方、古モンゴロイドの第二陣は、彼らが出アフリカをしたのは、6〜8万年前ごろらしい。(ここまでは (4) で述べた通り。) そして、出アフリカをした後に、膠着語を獲得した。そのうちの一部は、5万年前ごろに、インドの北部にいて、彼らはドラビダ語を話した。その後、ドラビダ語を話す人々は、西からは印欧語を話すコーカソイドに追いやられ、北方からは新モンゴロイドに追いやられ、孤立する結果となった。
ただし一部は、オーストロネシア人となって、海洋を渡って、日本語に同系統の語彙を残した。これが「日本語とドラビダ語との親近性」の根拠となった。
(9) 新モンゴロイドの大部分は、アルタイ語族の言語を話す。これは、前に述べた「騎馬民族」ということの結果だろう。新モンゴロイドの形成時期については、後述する。
(10) 古モンゴロイドの一部は、中央アジアを通ったあと、北方に向かった。これが北方系古モンゴロイドである。彼らは、シベリアを経由して、アメリカ先住民となった。(これらは古モンゴロイドの人々であることが、遺伝子でわかっている。)
一方、のちの時代にベーリング海峡を渡って、エスキモーとなった人々がある。こちらは新モンゴロイドだ、という説もあるが、古モンゴロイドだ、という説もある。どうも後者が有力のようだ。
→ 図 (出典) (人種間の遺伝子差)
というわけで、エスキモーは古モンゴロイド系だと考えよう。
言語的には、アメリカ先住民の言語も、エスキモー語も、どちらも「抱合語」という大分類に含まれるので、同一の系統だということになる。これも説明が付く。
また、アイヌ語も「抱合語」に分類されるが、これもアイヌが古モンゴロイドだと考えると説明が付く。
なお、この件は、(13) で再論する。
(11) 削除
(12) 削除
(13) 「人類の進化(総集編) 2」の (8) の直前で修正文を書いた。そこで記したように、アメリカ先住民は古モンゴロイド系であり、新モンゴロイドはかなり新しい時代にアジアで突発的に誕生したらしい。( → 出典 )
この説に従って考え直すと……
(i)古モンゴロイド
極東の古モンゴロイドについては、下記のページで記した。
(このページの該当箇所を書き改めた。)
→ 人類の進化(総集編) 2 の (8) の後半。
簡単に言えば、古モンゴロイドの一部は、(北方の)中央アジアとシベリアを経由して、間宮海峡から樺太伝いに宗谷海峡を渡って、北海道に達した。これがアイヌだ。そのあと、この系統の人々は、カムチャッカ半島からアリューシャン列島を経由して、アラスカに達し、さらに南北アメリカに移った。これがアメリカ先住民だ。
その他、日本に来た人々には、南方から来た人々もいる。彼らが日本語に関与したという話は、上記ページの (8) の前半に書いてある。
(ii)新モンゴロイド
新モンゴロイドに関する限り、言語と人種とはあまり一致しない。普通の説は、「古モンゴロイドが南方から北上して価値適応することで新モンゴロイドになった」というものだが、上記の出典サイトによると、そういうことは遺伝子的にありえず、もともと北方にいた人の中から新モンゴロイドが誕生した、ということになる。
すぐ上の(i)で述べたことからすると、中央アジアからシベリアを経由した古モンゴロイドがいるので、その古モンゴロイドの一部が、突然変異で新モンゴロイドになった、と考えれば、筋が通る。
( ※ なお、私は前に「コーカソイドから新モンゴロイドが分岐した」と述べたが、これは間違いだったようだ。コーカソイドから古モンゴロイドが分岐して、さらにそこから新モンゴロイドが分岐した、と考えると合理的だ。)
( ※ その場合、二度目の出アフリカをした集団の一部はもともと古モンゴロイドだったことになる。彼らはアラビア半島から北上して、中央アジアに出たことになる。)
※ 話はこれで終わりではありません。
本項は、本文よりも、[ 付記 ] の方が重要です。
特に [ 付記3 ] の箇所。
[ 付記1 ]
全体としては、話の信用度はあまり高くない。あくまで「推理」にすぎないし、「仮説中の仮説」みたいな扱いだ。「これが真実だ」というよりは、「真実を探るためのたたき台」みたいなものだ。
私の予想では、半分ぐらいが正しくて、半分ぐらいが修正を受ける。ただし、どこが正しくて、どこが間違っているかは、現段階ではさっぱりわからない。
[ 付記2 ]
本項の興味深いところは、現在の言語そのものの由来ではなくて、それよりはるかずっと前、5〜10万年前に、言語が形成されていたか、いなかったか、という問題の考察だ。それについては、比較的信憑性の高い結論が得られる。
ただ、5万年前から1万年前までの時期は、現在の言語に直結する部分であり、不明な点が多すぎる。
[ 付記3 ]
5〜10万年前のことを考察すると、次のことがわかる。
「 10万年前〜13万年前には、オーストラロイドが出アフリカをして、4万年ほど前には、オーストラリアやニューギニアに到達した。それでも、その間に、文法構造を持つ言語は形成されなかったようだ。
一方、6〜8万年前には、古モンゴロイドが出アフリカをしたが、それらがいずれも同一の系統の文法構造(膠着語)をもつことから、この時点では文法構造のある言語ができていたはずだ」
以上のことを、次のこととからめる。
人類は、アフリカを出たあと、ユーラシア大陸(アジア・欧州)に進出した。さらにベーリング海を経て、北米・南米にひろがった。ここでは謎が示されている。10万年前から5万年前までの間に、大躍進があったが、それが、「なぜ」「どこで」起こったか、という謎だ。
アフリカにいた10万年前には、石器もろくに使えないありさまだったのに、4万年前の欧州ではクロマニョン人が石器や狩猟道具など、文化的な道具を使いこなすようになった。つまり、その間(10万年前から5万年前までの間)に、「大躍進」があったことになる。それが「なぜ」「どこで」起こったかは謎であるが。
( → 知的な書評ブログ: 文明の歴史(銃・病原菌・鉄) )
その問いに、本項は答えることができる。次のように。
「人類に大躍進があったのは、およそ8万年前ごろに、文法構造を持つ言語を獲得したからだ。それまでは単語レベルの言語であり、ごく簡単な会話しかできなかったが、それ以後は文法構造のある言語によって、複雑な会話や複雑な思考をすることができるようになった。特に、物事を順序的に考えることができるようになったので、道具作成などの手順を体系化することができるようになった。こうして人類は「文法構造を持つ言語」の獲得にともなって、「体系的な思考」を獲得し、「人間的な文化」を構築するに至った。
これが本項から得られる結論だ。
[ 付記4 ]
ただし、まだ問題が残る。次のことだ。
「人類はなぜその時点で、文法的な言語を獲得するようになったか?」
科学的に言うなら、文法構造を持つ言語は、脳の前頭部(補足運動野のそば)が担当する。これは人間に特有の部分だ。この部分を破壊されると、人間は文法構造を理解できなくなる。だから、この部分の発達が重要であったことは確実だ。
ただし、進化論的に考えるなら、「この部分が発達したから言語を獲得した」のではなく、「言語を使うようになったらこの部分が使われるようになった」というだけのことだろう。因果関係を逆にとらえるべきではあるまい。
真相は判明しがたい。ただし、大胆に推論するなら、次のように言えるだろう。
「人類が文法構造のある言語を使えるようになるためには多様な言葉を(単語レベルで)使えるようになっていることが必要だ。そして、そのためには、多様な発音ができるようになっていることが必要だ。そして、そのためには、多様な発音ができる発音器官が必要だ。そのうちの一つは、咽喉の発達だ。さらにもう一つは、人中(鼻の下の溝)の発達だ。これについては下記を参照。
→ 鼻の下の溝(人中)は何のため?
人類は鼻の下の溝ができたおかげで言葉をうまく発音できるようになった……という説明がある。
このことからして、「およそ 10万年前ごろに、人類は人中を獲得した。それは遺伝子の些細な変異によって生じたものだが、そのことが人類に多大な影響をもたらした」と言えそうだ。
人中というものは、出現した当初は、有利ではない、ただの奇形的な構造にすぎなかった。しかしその奇形的な構造をもつ個体群は、滅亡することなく、存続した。すると、存続するうちに、多様な発音を獲得し、多様な言葉を使うようになった。さらには文法構造をもつ言語をも使うようになった。こうしてその個体群は、文化的に大幅に発達する道を選ぶようになって、やがては個体数を大幅に増加させて、今日の人類に至るようになった。……こう推定できる。
( ※ 「不利な形質を持つ集団が生き延びることで、将来的には有利になる」ということは、クラス進化論の発想を要する。通常の進化論の発想からは得られない結論だ。)
【 追記 】
言語というものは、一挙に成立したのではない。まずは単語レベルの初期言語ができて、そのあとで文法が少しずつ形成されていく。その過程では多様な方言ができる。それでも一定の語族は生じるだろう。
中東ではアフロ・アジア語族ができた、という説がある。それは、中東にいた人々のなかで新たに語族が誕生したという意味ではなくて、もともとはアフリカにいた白人が中東に進出する過程で、同一の語族を保持していたと考えるといいだろう。
つまり、アフリカで初期言語がもともと誕生していて(10万年前ごろ)、その後、アフリカから中東に進出したコーカソイド(3〜4万年前)が同一の語族に属していた。
したがって、アフロ・アジア語族の誕生の地は、「北東アフリカから中東まで」の全経路であり、また、誕生時期は、10万年前〜4万年前。その過程で少しずつ分化していった。中東に達したころには、すでに言語としての骨格ができていただろう。
一方、8万年前ごろに出アフリカをした古モンゴロイドも、同一の系統の語族に属した。(ドラビダ語など)
以上の双方をまとめると、次のように言えそうだ。
「8万年前ごろにはすでに文法構造が少しはできていた。そこから古モンゴロイドの系統が生じた。しかしそれはまだ未熟なものだった。単に主語と述語ぐらいしかなかったあろう。一方、コーカソイドの系統もあり、これも同時代に主語と述語ぐらいしかなかっただろうが、北方に進出するにつれて、だんだんと言語構造が形成されていった。こうして6万年前から少しずつコーカソイドの言語が形成されていった。3〜4万年前ごろには、中東において、かなり発達した同一語族の言語が広範に存在するようになった」
こうして、3〜4万年前ごろには、人類はかなり知性を駆使した言語表現が可能だったと思える。
一方、彼らがアフリカ東部にいたころ(8万年前)には、まだ言語が未発達で、名詞を中心とした簡単な文章しかできなかっただろう。
彼らが北上してアフリカ東北部を移動していったころに、言語は少しずつ発展していったのだろう。
タイムスタンプは 下記 ↓
タイムスタンプは 下記 ↓
言語の歴史もかなり解明されている部分があるんですね。
とても勉強になりました。
とくに、ニューギニアが興味深いですね。
この島に、言語進化のカギが封じ込められているという感想を持ちました。
太古の言語は文字がないので、研究には困難があるでしょうが、壮大なロマンを感じます。
そこで、新しいアイデアに従って、統一的に説明します。