先の項目では、「出アフリカは二回だ」と述べた。それが私の立場だ。(そう考えた場合にのみ、すべてが矛盾なく説明されるから。)
一方、学界などの専門家は、どう考えているか? やはり「二回だ」という説が有力だが、定説となっているわけではない。これを調べよう。
まずは、Wikipedia から引用する。

出アフリカの回数が一度であったか、複数回であったかには議論がある。複数回出アフリカ説には南方出アフリカ説も含まれる。それは近年、遺伝学的、言語学的、考古学的な証拠の支持を得ている。これは、私の説とも合致するので、私としてはこれを支持したい。
この理論によれば、ホモ・サピエンスは沿岸を伝っておよそ7万年前にアフリカ東部の突端であるいわゆるアフリカの角からアラビア半島に渡った。このグループは東南アジアとオセアニアから発見されている初期の人類の遺跡(それは中東のレバント遺跡よりも非常に古い)をうまく説明する。
第二波はシナイ半島を経てアジアにたどり着き、結果的にユーラシア大陸の人口の大半の祖先となった。この第二のグループはより高度な道具技術を持っており、最初のグループよりも沿岸の食物源に依存していなかった。最初のグループが残した考古学的な証拠は完新世の海面上昇によってほとんど失われたと考えられている。
ところが、である。Wikipedia では、上の記述に続いて、それへの反論も記されている。こうだ。
しかしながら、ユーラシアと東南アジアとオセアニアの住民はみな共通したミトコンドリアDNAの系統に属している。これは複数回出アフリカ説に対する重要な反証である。これはどういうことか? 普通の意見( Wikipedia を含む)では、次のように考えるのだ。
「アフリカ人全体の遺伝子プールがあった。そこから二回の出アフリカがあった。それぞれの回では、アフリカ人全体から枝分れしたのであるから、アフリカ人全体のなかで異なるミトコンドリア系列を持つはずだ」
たとえば、1回目はネグロイドAのミトコンドリアで、2回目はネグロイドBのミトコンドリア。こうして、異なるミトコンドリア系列を持つはずだ。とすると、「ユーラシアと東南アジアとオセアニアの住民はみな共通したミトコンドリアDNAの系統に属している」(*)という事実に、矛盾する。
というわけで、(*)の事実が、「複数回の出アフリカ」という説に対する反証となるわけだ。
──
では、その反証は、本サイトの説にも有効か? いや、有効ではない。本サイトの説は、こうだ。
1度目は、古モンゴロイド(まず南方系、次に北方系)がアフリカの角から出た。
2度目は、コーカソイドがスエズ地峡から出た。
次の図のように。
↓ 共通遺伝子が消失
北東部人 ━┳━━┳┳━ 北東部人
┃ ┃┗━ コーカソイド
┃ ┗┳━ 古モンゴロイド
┃ ┗━ 新モンゴロイド
┗━━━━━ オーストラロイド
あるいは、のちに言及する「南方系」と「北方系」を区別すると、次のようになる。
↓ 共通遺伝子が消失
北東部人 ━┳┳┳┳━ 北東部人
┃┃┃┗━ コーカソイド
┃┃┗┳━ 古モンゴロイド(北方系)
┃┃ ┗━ 新モンゴロイド
┃┗━━━ 古モンゴロイド(南方系)
┗━━━━ オーストラロイド
この図では、1度目の出アフリカも、2度目の出アフリカも、いずれも(アフリカの)北東部人の系列を引き継ぐ。つまり、単一系列だ。だから、共通したミトコンドリア系列を持つはずだ。とすると、「ユーラシアと東南アジアとオセアニアの住民はみな共通したミトコンドリアDNAの系統に属している」(*)という事実は、本サイトの図には矛盾しない。
──
これはどういうことか? 実は、話は先に述べたことと同様である。前々項の [ 付記1 ]では、こう述べた。
定説では「アフリカの黒人には遺伝子の多様性がある」と見なす。その発想のどこが間違っているかというと、「黒人」という言葉で、アフリカ人をひとくくりにしていることだ。それと同じことが、出アフリカの問題についても言える。
なるほど、アフリカの人々は肌が黒い。そのことですべて同一の人種に属するように見える。しかし、肌の色の黒さ(メラニン色素の大小)などは、人間の本質とは何の関係もない。欧州人同士でさえ、北方の欧州人と南方の欧州人とはメラニン色素の量が異なる。
肌の色の黒さに惑わされてはならない。アフリカの黒人は大きく二種類に大別されるのだ。アフロ・アフリカ語族の言語を話しているコーカソイド系と、それ以外のネグロイド系。この両者をはっきりと区別する必要がある。
普通の考え方では、「黒人」という言葉で、アフリカ人をひとくくりにしていることだ。しかし、アフリカの黒人は大きく二種類に大別されるのだ。アフロ・アフリカ語族の言語を話しているコーカソイド系と、それ以外のネグロイド系。この両者をはっきりと区別する必要がある。
そうすれば、「複数回の出アフリカをしたのは、エチオピア人を先祖にも北東部の人々だ」と気づくだろう。そして、そうである限りは、複数回の出アフリカをした人々の遺伝子が、いずれも同一の集団に属するとしても、おかしくないのである。
[ 付記1 ]
その年代は、いつごろか?
遺跡からわかっている範囲では、1度目の出アフリカは、10〜12.5万年前であったようだ。前々項最後の 【 追記 】 でも記したように、次の記事による。
→ 時事通信
→ しんぶん赤旗
cf. 原論文(英語)
一方、遺伝子の分子時計によって出アフリカの年代を推定すると、5〜7万年前と推定されている。(出典はあちこちにあるが、たとえば Wikipedia 。)
このように、考古学的な年代と、遺伝子学的な年代とは、食い違っている。では、なぜ? その理由は、前々項で詳しく述べたとおり。遺伝子学的な年代には、歪みが出ているのだ。
というわけで、次のように推定される。
・ 1度目の出アフリカは、10〜12.5万年前。
・ 2度目の出アフリカは、5〜6万年前。
後者の根拠はあやふやなので、ここでは特に留意しなくていい。ここでは単に、「二回の出アフリカがあったということは矛盾なく説明できる」ということを理解しておけばいい。
( ※ ただしそれは、本サイトの発想を取った場合に限る。通常の発想を取ると、あちこちで矛盾が発生する。)
[ 付記2 ]
2度目の出アフリカの年代は、次の二点から得ることもできる。
「遺伝子の分子時計によると、2度目の出アフリカの年代は、1度目の出アフリカの半分ぐらいの年代だ」
「遺伝子の分子時計は、エチオピア人の系列については実際の半分ぐらいの数値を出す。(歪みがある。) ⇒ ゆえに、そこで得られた推定値の2倍ぐらいの値が、真実の値だ」
こうして、「2度目の出アフリカは、5〜6万年前」という数値が、おおざっぱに得られる。
その他、遺跡によって年代を推定することもできそうだし、人骨の化石はかなり決定的な証拠となるが、なかなか情報を得にくい。次の情報はある。
→ 4万4000年前頃にヨーロッパ最西端にホモ・サピエンス
この数値からしても、「2度目の出アフリカは、5〜6万年前」と考えていいだろう。
※ 以下の話は面倒なので、読まなくてもよい。
[ 補足 ]
出アフリカは二回あったはずだが、それぞれの回は単発的に起こったのではなく、継続的に続いたはずだ。ただし、その後の継続の分は、最初の分に含まれる。たぶん、次のようになる。
(1) 一度目の出アフリカのあと、何回も続いて出アフリカはあっただろう。ただし、最初の分と同じ経路をたどったので、いちいちカウントしないでいい。実際には、途中で定住した人々も多いはずだ。それらの人々は、インドから東南アジアに残っているはずだ。(ただし後になってやって来た人と混血したので、遺伝子は大幅に稀釈されただろうが。)
(2) 二度目の出アフリカのあと、何回も続いて出アフリカはあっただろう。ただし、最初の分と同じ経路をたどったので、いちいちカウントしないでいい。実際には、途中で定住した人々も多いはずだ。
なお、北欧のあたりでは、最初に到達した人だけがいて、あとで続いた人はほとんどいなかっただろう。途中に定住者の村落があるのだから、あとになって出アフリカをした人々が、北欧まで達したとは思えない。北欧まで達したのは、あくまで、最初に未踏の地を切り開いた第一陣だけだろう。あとになって出アフリカをした人々は、先に到達した定住者と交われば、定住者と混血しただろう。逆に言えば、スエズ地峡に近い地域ほど、出アフリカの第二陣や第三陣などの混血を受けて、その形質の濃度を高めることになっただろう。
( ※ これらの人々は、人種的には少しだけ異なるが、しょせんはコーカソイドの系列だ。)
( ※ 新モンゴロイドとの関係は、かなり話が難しいので、ここでは述べない。)
「、、異なる異なるミトコンドリア」という意味不明な箇所。
ということは人類発生の中心地(聖地みたいですが)は人口爆発か環境変化で住めなくなったと想像します。
その兆候が見つかれば面白そうです。
大干魃、サハラの形成と関わるかもしれません。
騎馬民族?→フン属→ゲルマン民族移動
南北米大陸や豪州への新天地獲得競争
根本が同じ様な気がします。
鉄と…に記載ずみかもしれませんが、出アフリカの理由がわかると、新天地獲得を目指すのはヒトのサガのような気がします。
ついでですけど、漱石の時代、渋谷は緑だらけでした。あちこちに林があった。世界でも最も人口密度が高そうな東京の周辺部でさえ、そんなありさま。
というのは、興味深い話ですけど、これは新モンゴロイドの登場以降なので、初期には関係ない。
初期(4万年ぐらい前)の移動は、遺伝子によって追跡できます。これは「イブの七人の娘たち」という有名な本で取り上げられています。そちらを参照。
で、そのころは、人口密度がすごく低いので、圧迫というのは関係ないでしょう。
古モンゴロイドと新モンゴロイドは別系統ということですか?
他の記事にそういう話はなかったと思うのですが。
たしかに東南アジアと新大陸のモンゴロイドはかなりの隔たりがありますね。遺伝学的に証明されれば面白いと思います。
ご指摘を得て、図を修正しました。(他項と同じにしました。)
──
>旧モンゴロイド南北2系統が別に発生したということですね。
>遺伝学的に証明されれば面白いと思います。
これは遺伝子的にはY染色体のハプログループでほぼ証明されています。ですから私の説というわけでもありません。
私の説というのは、その経路と時期を推定したことです。下記も参照。
→ http://openblog.meblog.biz/article/11005737.html
→ http://meridia.tech/science-breakthrough-of-the-year-2016/
「人類の大きい移動はアフリカからの単一ウェーブ」
※ 「アフリカからの単一ウェーブ」と「出アフリカ」は同じではない。単一ウェーブとは、「アフリカ中央部からアフリカ北東部への分離」のこと。これが1回。その後、出アフリカは2回。12万年前と7万年前。