2012年08月10日

◆ 人類の祖先は黒人か?(進化)

 現生人類の祖先は黒人だろうか? この問題を考える。 ──

 前出項目までに詳しく説明したが、すでに次の結論を得た。
 「われわれの先祖は、黒人ではなくて、初期のコーカソイドであるエチオピア人だ」


 だが、この結論には、一つ問題がある。次のことだ。
 「われわれの先祖は黒人である、というのが定説だ。その定説に反する」

 この問題を考えよう。

 ──

 まず、定説は、どうしてそう結論したか? 次のように考えたのだ。
 「黒人(アフリカ人)の遺伝子の変異の範囲はとても広い。一方、コーカソイドやモンゴロイドの遺伝子の変異の範囲はとても狭い。このことは、コーカソイドやモンゴロイドの分岐がずっと後であることを意味する。したがって、人類の祖先はアフリカ人であったはずだ」

 しかしながら、この定説には、難点がある。次のことだ。
 「遺伝子の変異の範囲で分岐年代を推定するとしたら、コーカソイドやモンゴロイドの遺伝子の変異の範囲はとても小さいので、コーカソイドやモンゴロイドの分岐はごく近年に生じたことになる。現生人類が固定されたのが約 20万年前だとして、モンゴロイドの分岐は2万年前ぐらいでないとおかしい。しかるに、オーストラリアには5〜6万年前に達していることから、古モンゴロイドの分岐は、遅くとも5万年前で、出アフリカの時期も考えるとたぶん8万年前ぐらいだ。これは矛盾。」
 つまり、変異の範囲を見れば、コーカソイドやモンゴロイドの分岐は2万年前ぐらいであるはずなのに、実際には古モンゴロイドが8万年前ぐらいで、コーカソイドや新モンゴロイドが3〜4万年前ぐらいになる。数値が一致しない。ゆえに、矛盾。

 逆に言えば、古モンゴロイドの分岐が8万年前ぐらいであったことから、アジア人の遺伝子の変異の範囲は、アフリカ全体の遺伝子の変異の範囲の半分程度でないとおかしい。ところが、現実にはそうではない。(半分程度よりずっと小さい値になっている。)
 
 結局、「遺伝子の変異の範囲で祖先の出現時期を推定する」という方法は、そう単純には適用できないのだ。

 ──

 このことを解決する案として、トバ・カタストロフ理論という説がある。
 いまから7万-7万5000年前に、トバ火山が火山爆発指数でカテゴリー8の大規模な噴火を起こした。この噴火で放出されたエネルギーは……1980年のセントヘレンズ火山の噴火のおよそ3000倍の規模に相当する。
 地球の気温は平均5℃も低下したという。劇的な寒冷化はおよそ6000年間続いたとされる。現世人類も、トバ事変の気候変動によって総人口が1万人までに激減したという。
 かろうじて生き残った現世人類も人口減少によってボトルネック効果が生じ、その遺伝的多様性は失われた。現在、人類の総人口は70億人にも達するが、遺伝学的に見て、現世人類の個体数のわりに遺伝的特徴が均質であるのはトバ事変のボトルネック効果による影響であるという。
( → Wikipedia
 これもまた、(コーカソイドとモンゴロイドの)遺伝子の変異の範囲の狭さから推定された理論だ。
 しかし、である。すでに火を自由に使っていて、筏(いかだ)を作る知恵もある現生人類(基本的には今のわれわれとまったく同じ人類)が、5℃程度の気温低下で総人口が1万人にまで激減するというのは、不自然すぎる。(頭の悪いネアンデルタール人でさえ、ずっと寒い欧州を生き延びてきたのだ。)

 しかも、出アフリカの前の現生人類が、アフリカ北東部という熱帯地方(しかも海のあたり)にいたことを考えると、5℃程度の気温低下で人口が激減するというのは、とうていありえない。(むしろ暑すぎずに気持ちいい、と思いそうだ。)
 さらに言えば、7万-7万5000年前という時点ならば、10万年前に(一度目の)出アフリカをした現生人類は、すでに「アラビア半島南岸 〜 インド南岸」のあたりにいたはずで、ここでも熱帯地方を通っていたことになる。とすると、やはり、5℃程度の気温低下で人口が激減するというのは、とうていありえない。
 というわけで、トバ・カタストロフ理論は受け入れがたい。

 にもかかわらず、コーカソイドやモンゴロイドの遺伝子の多様性の狭さを見る限り、コーカソイドやモンゴロイドの先祖は7万-7万5000年前には1万人にまで激減していたはずなのだ。
 矛盾。

 ──

 では、真実は? 「遺伝子の変異の範囲で古代の人類の量を推定する」という方法が、もともと成立しないのだ。
 逆に言えば、次のことが成立するはずなのだ。
 「年代とは関係なく、遺伝子の変異の範囲が変動することがある」

 では、それは、どういう場合か? 
 
 ここまで考えると、前々項までのシリーズで述べた発想(分岐説)にたどりつく。その発想で説明するとしたら、どうなるか?
 まずは、図を示そう。


            ┏━━━━ ピグミー
            ┣━━━━ コイサン
           ┏┻━━━━ ネグロイド
  初期サピエンス ━┻━┳┳┳━ 北アフリカ
  (エチオピア人?)   ┃┃┗━ 欧州コーカソイド
             ┃┗┳━ 古モンゴロイド
             ┃ ┗━ 新モンゴロイド
             ┗━━━ オーストラロイド


 この図に従うなら、「アフリカの集団では遺伝子の変異の範囲が大きい」ということは、矛盾なく説明される。次のことがあるからだ。
 「ピグミー・コイサン・ネグロイドなどの分岐が、ごく初期(17万年前)にあったのだとすれば、他の集団(エチオピア人の系列の集団)に比べて、遺伝子の変異の範囲が大きいのは当然である」
( ※ 「分岐なし」に比べれば、「元の系列」プラス「複数の分岐系列」の合計は、遺伝子の変異の範囲は大きくなる。)

 つまり、「大多数のアフリカ人は、ごく初期に根本的に分岐したのだ」と考えれば、大多数のアフリカ人の遺伝子の範囲が大きいことは、矛盾なく説明される。

 ただし、これだけでは十分ではない。なぜなら、アフリカ人の遺伝子の変異の範囲は、とても大きいからだ。このことを説明するには、歴史的な時間ではなく、文化的な違いを想定するといい。次のことだ。
 「ピグミー・コイサンは、狩猟民族である。また、ネグロイド(主にバンツー語系の農耕民族)もまた、初期には狩猟民族であったはずだ。これらは、初期にエチオピアから離れて分岐したときには、いずれも狩猟民族であった。そして狩猟民族は、村落を形成せずに、(数人から数十人の規模の)小規模な血縁集団で移動する。( → 「銃・病原菌・鉄」の第14章。) そのせいで、孤立した遺伝子集団が独自に小進化していくので、全体としては遺伝子の変異の範囲が大きくなる」
 要するに、アフリカでは遺伝子の変異の範囲が大きくなったことの理由は、次のことだ。
 「孤立した小規模な血縁集団をなす狩猟時代が、十数万年という長年にわたって続いたこと」

 これはアフリカの黒人においてのみ、起こったことだ。

 一方、エチオピア人の系列では、そうではなかった。初期には、農耕はなかったとしても、狩猟だけでなく(エチオピア付近の森林や水辺で)採集生活が可能だったはずだ。その場合は、村落が形成されたから、多数の人々の遺伝子の交流があったはずだ。
 また、エチオピアを出たあとも、紅海沿岸からエジプトを経てアフリカ北岸まで、筏(いかだ)などで行き来をしたはずだから、やはり遺伝子の交流はあったはずだ。

 西アジアや欧州ではどうか? そこでは狩猟生活が続いたらしいので、遺伝子の変異の範囲が大きくなる条件はあっただろう。だが、西アジアや欧州に進出したのは比較的近年になってからだから、遺伝子の変異の範囲が大きくなるための時間は限られていた。そして、まもなく採集生活や農耕生活に入ったから、遺伝子の変異の範囲が大きくなる量は限られていた。
 さらに、アジアに入ると、高温多湿で雨量も多いことから、採集生活が容易であっただろう。いちいち狩猟をするかわりに、採集生活が基本となったはずだ。ここでも村落が形成されたはずだから、遺伝子の変異の範囲は小さかっただろう。

 ──

 結局、「アフリカの集団では遺伝子の変異の範囲が大きい」ということは、次の二点で説明される。
 (i) ピグミー・コイサン・ネグロイド(狭義)などの黒人が、エチオピア人の系列から分岐したのが、ごく初期であったこと。
 (ii) これらの黒人は、その後とても長い間、狩猟生活を続けてきたこと。そのせいで、孤立した小規模な血縁集団が、それぞれ独自の小進化を続けて、多様な遺伝子を形成したこと。


 後者は、簡単に言えば、「ガラパゴス化」だ。例としては、ガラパゴスよりも、マダガスカルがいい。マダガスカルは孤立した島なので、他の場所からはまったく孤立した形で、独自の進化をなしていた。そして、それと同様のことが、アフリカの各地の黒人にも成立した。小規模な血縁集団という狩猟民族の形態が、17万年前からずっと続いていた。そのせいで各地では、非常に多様な遺伝子が孤立したまま存続しつづけた。(その間、遺伝子の変異も蓄積した。)

 というわけで、黒人の遺伝子の多様性は、分岐時期の古さに由来するのではなく、「狩猟生活」という文化的な生活様式に由来するのだ。それが私の結論だ。
( ※ このことは、「銃・病原菌・鉄」の第14章の記述をヒントにしている。)

 したがって、「アフリカの黒人には遺伝子の多様性があるから、人類の始祖はアフリカの黒人だ」という定説は、成立しないわけだ。
 むしろ、「人類の始祖はエチオピア人だ」という説(前項までの説)が、十分に矛盾なく成立するわけだ。

( ※ なお、「人類の始祖はエチオピア人だ」というのが私の説だが、その根拠は、本項で述べたことではなく、前項までに述べたことだ。本項は矛盾がないことを示すのみであり、根拠は示していない。)




 [ 付記1 ]
 定説では「アフリカの黒人には遺伝子の多様性がある」と見なす。その発想のどこが間違っているかというと、「黒人」という言葉で、アフリカ人をひとくくりにしていることだ。
 なるほど、アフリカの人々は肌が黒い。そのことですべて同一の人種に属するように見える。しかし、肌の色の黒さ(メラニン色素の大小)などは、人間の本質とは何の関係もない。欧州人同士でさえ、北方の欧州人と南方の欧州人とはメラニン色素の量が異なる。
 肌の色の黒さに惑わされてはならない。アフリカの黒人は大きく二種類に大別されるのだ。アフロ・アフリカ語族の言語を話しているコーカソイド系と、それ以外のネグロイド系。この両者をはっきりと区別する必要がある。
 そうすれば、次の事実に気づくはずだ。
 「遺伝子に多様性があるのは、コーカソイド系のアフリカ人ではなく、ネグロイド系のアフリカ人だけだ」

 このことは、現在では未確認だが、そのうち証明されるはずだ。(私の説が正しければ、そうなる。当然、それは証明されるはずだ。理論的に、そうなるはずだからだ。……というか、[ 付記2 ]で示したように、すでに証明されつつある。)
 そして、ネグロイド系のアフリカ人だけに遺伝子の多様性が見られると判明すれば、「遺伝子の多様性があることと、現生人類の始祖であることとは、同じではない」とわかる。
 人間のような文化的な生物においては、遺伝子の多様性を決めるのは、時間の長短ではなくて、文化の差なのである。つまり、孤立しているか否かだ。……そのことは、マダガスカルの孤立した環境における独自進化を見ればわかるし、また、下記の [ 付記3 ] を見てもわかる。

 [ 付記2 ]
 「人類の始祖はアフリカの黒人だ」という定説が間違いであることは、前々項の《 補足 》で示されている。
( ※ 定説では、アフリカ全体を例外扱いにしているが、実際には例外はアフリカ南半分だけである。そのせいで、アフリカ北半分はアジアや欧州と同等になるので、アフリカ全体を例外扱いにする話が破綻してしまう。……そういうこと。)

 [ 付記3 ]
 遺伝子の多様性とよく似ているのは、言語の多様性だ。これはニューギニアに見られる。そのことは、「銃・病原菌・鉄」に記されている。
 ニューギニアは地形的に厳しく、近隣との交流がきわめて制限されていた。各地には孤立した村落社会があるだけだった。ほとんど陸の孤島とも言えるほどの孤立状態だった。言語も村落ごとにまったく異なり、類縁性さえも感じさせないほどだ。このことから、はるか昔の時期から孤立した状態が続いていたとわかる。
( → 「銃・病原菌・鉄」の要旨 第15章
 さらに、元の著作から引用すれば、次の文章がある。
 ニューギニアは、世界でも飛び抜けて言語の数が多い地域である。面積はテキサスよりわずかに大きいだけなのに、世界に 6000ある言語のうち、何と 1000がニューギニアに集中し、数十を超える言語グループに分かれて存在しているのである。そして、それぞれの言語は、英語と中国語の違いに匹敵するほど異なっている。ニューギニアの言語の半数は、言語人口が五百人にも満たない。
( → 「銃・病原菌・鉄」下巻 178頁 )

 このように、小さな集団がたがいに孤立していると、言語の多様性は非常に大きくなる。
 それと同じことが、アフリカのネグロイド系列の遺伝子でも起こったのだ。小さな血縁集団をなす狩猟生活を送っていたがゆえに。(*
 
( ※ すぐ上の説明(*)は、アフリカ以外の土地で検証可能であるはずだ。ニューギニア人の遺伝子を調べてみるといい。言語の多様性と同様に、遺伝子の多様性が見られるはずだ。
 なお、それをもって、「ニューギニア人の祖先は十数万年前にニューギニアに定住した人々だ」と主張することはできない。なぜなら、遺伝子の多様性と、遺伝子集団の時間的古さとは、一致しないからだ。)



 ※ 以下は読まなくてもよい。


 [ 蛇足 ]
 ここまで書いて気づいたが、ニューギニアというのは、メラネシアである。(デニソワ人との共通遺伝子を多く残している地域。)
 ということは、「メラネシアではデニソワ人との共通遺伝子が多く見られる」というのは、「メラネシアでは古い遺伝子が滅びずに残っていた」というだけのことかもしれない。
 つまり、「メラネシアにあるデニソワ人との共通遺伝子」は、オーストロネシア人(古モンゴロイド)経由ではなくて、ニューギニア経由なのかもしれない。

 ……と思ったのだが、これは成立しないだろう。なぜなら、そのことが成立するとしたら、「デニソワ人との共通遺伝子」は、「ニューギニアの高地地方のみに散在する」というふうになるはずだからだ。
 現実には、「ニューギニアの高地」という形では報告されておらず、「メラネシア」という形で報告されているから、やはり、オーストロネシア人(古モンゴロイド)経由であったようだ。
 ただ、将来、「実はメラネシア各地ではなくて、ニューギニア高地およびその出身者に限られていました」なんていう修正研究が出るかもしれない。その場合に備えて、ここで一応注記しておこう。

 


 【 追記 】
 遺伝子による年代推定はかなり不正確らしい、という事例がある。アラビア半島で現生人類の遺跡が見つかった、という事例だ。
  → 時事通信
  → しんぶん赤旗
 10万年余り前(または 12万5000年前)の遺跡が見つかったそうだ。これは信頼できる数値らしい。
 一方、ミトコンドリア DNA による方法だと、「現生人類がアフリカ北東部からアラビア半島南部に渡ったのは7万〜4万年前の間だった」と推定されるそうだ。(上記記事)
 これはつまり、遺伝子による年代推定はかなり不正確らしい、ということだ。実際よりも大幅に若い数字になってしまうようだ。
 では、なぜ? ……その理由を示したのが、本項だ。



 【 関連項目 】
 本項は、前項までのシリーズのオマケとなる話です。
 ( ※ その話題は、「孤立した小規模な血縁集団による、遺伝子の多様性」でした。)
 
 ──

 本項の続編として、次項があります。
  → 人類の祖先は白人だ (次項)
posted by 管理人 at 19:01| Comment(2) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最後のあたりに 【 追記 】 を加筆しました。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2012年08月09日 22:00
追記について、
10万年前の遺跡は誰が作ったのか。
今の人類にはミトコンドリア遺伝子が残らなかった先祖集団と考えれば、何の不思議もないのではなかろうか。
ミトコンドリア・イヴは、ただ幸運にも現在まで続いたのであって、イウの姉妹や、普通に他のヒトもいたのだから、今に続いていない先祖集団もあった。
Posted by 次元 at 2015年08月29日 16:14
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