2012年08月07日

◆ デニソワ人・ネアンデルタール人との混血 3

 現生人類はアフリカ北東部で誕生したあとで、アフリカ南部に分岐した集団がいる。そう見なすのが分岐説だ。では、その説の根拠は?
( ※ シリーズの第3回:前項の根拠を示す。) ──
 
 分岐説の前提となるのは、次の二つのことだ。
  ・ 南アフリカへの分岐
  ・ 二回の出アフリカ

 この二つは、証明されたわけではなく、仮説という扱いだ。ただ、その仮説には、十分な根拠がある。
 その根拠を、順に示そう。
 

 南アフリカへの分岐


 「南アフリカへの分岐」とは、次のことだ。
 「現生人類の始祖はエチオピアに生じた。そこから南方に分岐した集団(亜種)がある。それがネグロイドだ」

 ただ、これはかなりおおざっぱな話である。精密に考えるには、さまざまな事実と照合する必要がある。

 § 人種と言語

 「銃・病原菌・鉄」という書籍の第19章には、アフリカの民族の由来が書いてある。その要旨を記したページから一部転載すると、こうある。
 アフリカには黒人という単一の民族があるのではない。北アフリカは白人(コーカソイド)であり、マダガスカルはモンゴロイドである。他地域はネグロイドだが、ピグミー族とコイサン族(ホッテントット)は、身体特徴が大きく異なり、別人種と言っていいくらいだ。
 より詳しい事情は、言語系統を見るとわかる。北アフリカは、アフロ・アジア語がいろいろあるが、中近東のセム語はアフロ・アジア語の一つだ。このことから、アフリカのアフロ・アジア語の一つが、中近東に出てセム語になったようだ。
 ナイル・サハラ語とコイサン語は、あちこちに島状に分散しているが、これは、もともとは広く分布していたあとで、他の語に領域を奪われたからだろう。他の語とはバンツー語だ。言語学的に見て、バンツー語はカメルーン付近で発生した。それがアフリカ中部に広く拡大していって、ナイル・サハラ語とコイサン語の領域を飲み尽くしていったようだ。
 このことを説明する図は、同書(下巻)にある。319頁には人種の図があり、327頁には言語の図がある。
 後者(言語の図)に似た図は Wikipedia にもあるので、転載しよう。
 まずは、参考として、エチオピアの位置を示す。

Africa.gif

 次に、Wikipedia の図を示す。

Khoi-San.png    

 さて。上の図は、言語の図だが、「銃・病原菌・鉄」の 319頁に記してあるのは、人種の図だ。ただし、言語の図も、人種の図も、分布はよく似ている。(人種と言語の分布域が一致する、ということ。当然だが。)

 同書の図(上の図とほぼ同じ)の意味を、文字にすると、こうなる。
  ・ 北半分は、コーカソイドで、アフロ・アジア語。 
  ・ 北半分の一部は、コーカソイドで、ナイル・サハラ語。 
  ・ 南半分は、大部分がネグロイドで、その言語は、
    ニジェール・コンゴ語と、バンツー諸語
  ・ 南半分の一部に、コイ・サン族がいて、コイ・サン語。 ● 
  ・ 南半分の一部に、ピグミー族がいて、独自言語なし。


 ここで着目すべきは、次の点だ。

 (1) 北半分は、人種はコーカソイドであり、言語もアフロ・アジア語だ。これらは西アジアの人種や言語ときわめて近い。すなわち、「アフリカのネグロイドが西アジアに進出してコーカソイドになった」のではなく、「もともとアフリカの北半分にいたコーカソイドが、その人種も言語も西アジアに引き継いだ」のである。
  → エチオピア人の写真リビア人の写真

 (2) 南半分は、大部分はネグロイドだ。一方、まったく異なる系列のコイ・サン族とピグミーがいる。この両者は、言語的に他から隔絶しているだけでなく、体格も他とはかなり異なっている。(コイサン族は肌が黒くなく、褐色だ。)
  → 小柄なピグミー
  → 現代のコイサン族昔のコイコイ人(ホッテントット)(誇張)

 以上の (1)(2) は、「銃・病原菌・鉄」による。ここから私としては、次のことを推定する。
  ・ ピグミーとコイサン族は非常に古い時期に分岐した。
  ・ ネグロイドもかなり古い時期に分岐した。
  ・ それらが分岐した地点は、北半分と南半分の境界付近。
   特に、アフリカ東部。……要するに、エチオピア付近。
  ・ エチオピアから大地溝帯を経て紅海沿いにエジプトへ。
   その途中で肉体はどんどんコーカソイドらしくなる。
   ただし言語的には大まかな共通性がほぼ保たれる。
  ・ エチオピア人からコーカソイドへの変化は、分岐した
   というよりは、小さな連続的変化である。
  ・ 西アジアにおいてコーカソイドに分岐したのではなく、
   スエズを渡る前に、少し変化しながら、北部全体へ。
   そのうちの一部が、西アジアへ。


 以上は推定だ。ただし、この推定は、すでに述べたように、言語学的な根拠を持つ。
 のみならず、この推定は、遺伝子的に裏付けられている。具体的には、下にある三つの図だ。
 ※ いずれもサムネイルである。クリックすると、それぞれの説明ページに飛ぶ。そこで、(サムネイルでない)図と説明が記されている。

image_excel01.jpg

dna07.gif

tishkoff-tree440.jpg

 いずれの図も、ほぼ似た趣旨が記してある。次のようなことだ。
  ・ アフリカには、かなり初期に分岐した複数の人種がある。
  ・ コーカソイドやモンゴロイドは、アフリカの複数の人種の
   一部から分岐した。

 このうち、前者に相当するものが、アフリカ南部の、ネグロイド・ピグミー・コイサンなどだ。
 また、後者の「一部」というのは、エチオピア人の系列である.その系列には、アフリカ北部の人々と、その子孫が含まれる。

 さらに、遺伝子の分岐図(最後の図)から、次のこと(年代)が推定される。
 「アフリカ南部のネグロイド・ピグミー・コイサンなどが分岐したのは、ほぼ 17万年前である」
 「出アフリカが起こったのは 10万年前である」
 「コーカソイドからモンゴロイドが分岐したのは、3〜5万年前である」
 「それに少し遅れて、モンゴロイドからオーストラロイドが分岐した」
 「北アメリカ先住民がモンゴロイドから分岐したのは、1.5〜3万年前である」

 これらは遺伝子的に推定される数値だ。おおむね妥当であろう。

( ※ 調べる遺伝子の種類によって、数値がいくらか変動する可能性はあるが、おおまかには上記の通りであろう。)
( ※ 分岐の時期について、Wikipedia に次の記述がある。「12万5000年─16万5000年前にコイ=サン語族とピグミーが他の人類集団から分岐した」。……これは先の数値と、一致はしないが、矛盾するわけでもない。)
    《 訂正 》
     これらの数字は妥当ではない。サフル大陸には、6万年前の遺跡(石器)があるので、この時点ですでに人類が達していた。とすれば、モンゴロイド(特にオーストラロイド)の分岐は、6万年前よりもずっと前でなくてはならない。10万年ぐらい前か? あるいは、欧州系コーカソイドとオーストラロイドが同系列で、そこからモンゴロイドが新たに分岐したことになるが、それもまたおかしい。ドラヴィダ人はかなり古くからいたはずだからだ。いずれにしても、上記の数字よりも、かなり古い時期に分岐は生じていたはずだ。なお、次のサイトも参照。
      → DNAからみた氏族の系譜
     ついでだが、ミトコンドリアから見た限りでは、オーストラロイドの系譜は不明であるそうだ。(「イブと七人の娘たち」にそう書いてある。)


 § 結論。

 現生人類はかなり早い時期(17万年前)に、アフリカ南半分の人種が分離した。それは、ネグロイド・ピグミー・コイサンという三種類の人種である。これらは言語的にも異なる系統にある。
 一方、エチオピアで誕生した人類は、少しずつ変化してコーカソイドとなったが、それらは同一の人種と見なせる。それがアフリカ北半分に拡散した。さらにその一部は、スエズ地峡を渡って、西アジアに達した。その後、一部は北方に向かって欧州人となり、一部は東方に向かってモンゴロイドとなった。


   原ネアンデルタール人 ━┳━  ネアンデルタール人
               ┗┳━ 現生人類
                ┗ ネグロイド

                 ↑ 共通遺伝子が消失



    ※ 図の「ネグロイド」には、ピグミー・コイサンを含む。

 
 《 補足 》

 このようにアフリカ南半分と北半分を区別すると、遺伝子の研究データに合致しなくなるのでは? ……という疑問が生じるかもしれない。しかし、心配しなくていい。遺伝子の研究データに合致しなくなるどころか、かえって合致するようになるのだ。
 というのは、研究で言う「アフリカ」というのは、全アフリカでなく、アフリカ南半分だけのことだからだ。引用しよう。
 The Neanderthal sequence was present in peoples across all continents, except for sub-Saharan Africa, and including Australia.
( → 出典

《 和訳 》 ネアンデルタール人と同じ塩基配列は、全世界の人々に現存している。例外は、サハラ以南とオーストラリアである。
 ここでは「サハラ以南」という表現で、アフリカ南半分が例外であること(アフリカ南半分ではネアンデルタール人との共通遺伝子がないこと)が示されている。……これは、私の説(アフリカ南半分で共通遺伝子が消失したこと)に、ぴったりと合致する。
 ついでだが、ネアンデルタール人だけでなく、デニソワ人でも同様のこと成立する。「 denisova sub-sahara 」で検索すれば、同種の文献をいくつも見出せる。

 ──
 
 なお、注記しておこう。
 上の話では、古モンゴロイドと新モンゴロイドの区別はなされない。オーストラロイドもまだはっきりと区別されていない。以上でわかるのは、アフリカのことだけだ。
 古モンゴロイドと新モンゴロイドの区別は、このあとで示す。

 二回の出アフリカ


 デニソワ人との共通遺伝子が見つかったことは、「二回の出アフリカ」という原理によって説明される。
 以下では、一度目の出アフリカ、二度目の出アフリカ、の順に説明しよう。

 (1) メラネシア人
 デニソワ人の遺伝子は、メラネシア人に見つかる。ここで、メラネシアとは、下図の青色の領域だ。ニューギニアおよび周辺の島々だ。


pacific.jpg


出典:Wikipedia  

 では、メラネシア人とは、何か? これについては、「銃・病原菌・鉄」という書籍の第17章に記してある。その要旨を記したページから引用しよう。より広範な「オーストロネシア人」という用語で説明してある。
 太平洋諸島に住み着いた人々(オーストロネシア人)は、どこに由来するか? その系統関係はかなりはっきりしている。遺伝子的にも、言語的にも、遺跡による考古学的にも、同一の結論が得られる。これらの人々は、台湾に由来して、島伝いに次々と遠くへ移っていったのだ。台湾を出たのが紀元前 3500年。以後、数百年ごとの間隔を置いて、フィリピン、インドネシア、フィジー、サモア、マルケサスなどに次々と到達し、ハワイやイースター島に到達したのは紀元前 500年だった。このように海洋を渡れたのは、ダブル・アウトリガー・カヌーという、自転車の補助輪みたいな腕木を横に備えることで安定性を増したカヌーを発明したおかげだった。今日、上記の諸島では(意外なことに)言語的にも系統的に同種の人々がいるわけは、以上のことによる。
 オーストロネシア人の起源は台湾であるが、そのまた起源は中国の南部と推定される。ただし、中国の南部の人々は、中国の北部から来た人々に駆逐されてしまった。だが、それらの人々は、中国の南部にはほとんど残っていないとしても、台湾を経て太平洋諸島に移った子孫が残ることで、系統を保った。
 まずは概念の取っかかりとなる「オーストロネシア」という用語だが、この用語は、言語学的に「オーストロネシア語族」というものに従う。これらの島々では言語的に一体性があるのだ。
  → Wikipedia :オーストロネシア語族 (あり)
 さらに、遺跡を調べてみると、これらの島々では「西から東へ」と移動していった証拠となる遺跡が見つかる。それは意外なことに、比較的近年になってからのことだ。(紀元前 3500年以降。)
 その図は、「銃・病原菌・鉄」の下巻 247頁にあるが、同様の図は、Wikipedia にもあるので、下記に示す。


autrone.png

出典:Wikipedia

 この民族的な移動の出発点は、台湾の原住民(高砂族など)だとわかる。出発した時点は紀元前 3500〜3000年のころだ。
 ではなぜ、オーストロネシア語族の痕跡は台湾の原住民の言語だけにあり、他のアジア領域の言語にはないのか? それは、のちに中国から到来した人々の言語に、駆逐されてしまったからだろう。
 ただ、言語とは別に遺跡を見ると、中国南部にも同等の遺跡が見られる。だから、最初は中国南部や台湾にいた人々が、のちに中国から進出していった人々に圧迫されて、太平洋に押し出されてしまったことになる。それがオーストロネシア人だ。
 そして、オーストロネシア人は古モンゴロイドであり、中国から進出してきた人々が新モンゴロイドである。(古モンゴロイドとの混血を含む。)
 
 ──

 さて。デニソワ人が混血したのは、メラネシア人やポリネシア事案だ、と当初報告された。たとえば、Wikipedia には次の記述がある。
 デニソワ人類は、ネアンデルタール人類の兄弟種にあたり、現生人類のポリネシア人やメラニシア人にはその遺伝子の一部が混入していることが2010年12月に発表された。
( → Wikipedia
 しかしながら、この記述は不正確であったようだ。新たに得た情報によると、メラネシアというのは、ニューギニアおよびオーストラリア北部だという。
  → 出典
 そして、これらの領域は、オーストラロイドの住む領域だ。つまり、メラネシア人とは、オーストラロイドのことだ。(オーストロネシア人ではない。)

 このことから、デニソワ人との共通遺伝子をもつのがどうしてメラネシア人だけであるかがわかる。
 ここでいうメラネシア人とは、オーストラロイドであるが、それはごく初期にアジア東端に到達した古モンゴロイドの仲間である。ただし、あまりにも初期に来たので、のちに来た古モンゴロイドよりも古い形質を残している。その一つが、デニソワ人との共通遺伝子だ。一方、あとから来た古モンゴロイドは、すでにデニソワ人との共通遺伝子を失っていた。
 では、共通遺伝子を失ったのは、いつか? それは、古モンゴロイドとコーカソイドと比較することでわかる。コーカソイドはデニソワ人との共通遺伝子をもつか? もたない。とすれば、古モンゴロイドも、コーカソイドも、新モンゴロイドも、ともにデニソワ人との共通遺伝子をもたないのだから、1度目の出アフリカの途中で、共通遺伝子が失われたはずだ。つまり、6〜9万年前のころに、デニソワ人との共通遺伝子が失われたはずだ。

 かくて、次の結論が得られる。(前項の再掲。)
 現生人類の出アフリカは、二度あった。
 一度目の出アフリカは、古モンゴロイド系の出アフリカである。これらの集団は、エチオピア付近から出発したあと、アフリカの角を経て、紅海を渡り、アラビア半島南岸経由で、東南アジアまで達した。そのうち、ごく初期に到達した人々は、古モンゴロイドから分岐するような形で、オーストラロイドとなった。(今回の研究で「メラネシア人」と呼ばれる人々も、ここに含まれる。) その後、さらに続々と古モンゴロイド系の人々がアジアに達した。彼らはまさしく古モンゴロイドだった。ただし、到達した時期が遅いので、デニソワ人との共通遺伝子を、すでに失っていた。(失った時点は、出アフリカの前であるか後であるかは不明。)
 二度目の出アフリカは、コーカソイド系の人々の出アフリカである。これ以前にすでにデニソワ人との共通遺伝子は集団内で消滅していた。(アフリカ北東部の現生人類で。) その集団の一部が、スエズ地峡を渡ってから、一部は北方に出てコーカソイドとなり、一部は東方に出て新モンゴロイドとなった。

 【 後日訂正 】

 「二度の出アフリカ」というのが本項の主張だが、これはあとで考え直したあとで、訂正されることとなった。詳しくは下記。
  → 人類の移動 2
 つまり、非ネグロイドの出アフリカのあとで、一部はそのままオーストラロイドとなって東進し、他の大部分は北進してメソポタミアに達してから、コーカソイドやモンゴロイドに分岐した。
 「二度の出アフリカ」という概念そのものは否定しなくていいが、それが起こった場所は、アフリカの角を渡る前(アフリカ側)ではなく、アフリカの角を渡った後(アラビア半島〜メソポタミア)であったことになる。基本原理は変わらないが、場所が少しズレるわけだ。

 (2) オーストラロイド
 すぐ上に述べた結論を得るには、オーストラロイドの説明も必要だ。それは、「銃・病原菌・鉄」という本から得られる。
 この本の要旨の第17章には、次の記述がある。
 オーストロネシア人は古モンゴロイドであり、東南アジアにいる人々と同じ系統に属し、ニューギニアやオーストラリアにいるオーストラロイドの人々とは系統が異なる。ただ、中間地域に当たるメラネシアやミクロネシアでは、両系統の混血が多い。
 また、要旨の第15章には、次の記述がある。
 ニューギニアとオーストラリアの事情を見る。この両地域は、海面が低かった更新世の時代にはつながっていた。また、東南アジアの大陸部とも、海峡を隔てているだけだった。そのせいで、東南アジアの大陸部から、海峡を渡って、ニューギニアとオーストラリアに筏で渡来したようだ。その時期は4万年前ごろだろう。その後、海水面が上がって、ニューギニアとオーストラリア大陸は分断された。それぞれは独自に発展していった。
 ニューギニア南部とオーストラリア北部とは、地理的には近いので、舟による人的な交流はあった。
 最後の一文から、オーストラリア北東部のオーストラロイドと、ニューギニアのオーストライドで、遺伝子的な交流があったとわかる。ただ、いずれにせよ、オーストラロイドであるから、あまり違いはない。
 
 さて。オーストラリア南部および西部にいるオーストラロイド(アボリジニ)では、デニソワ人の遺伝子が見つかるのだろうか? それは今回の調査では調査対象となっていないようだ。
 ただ、それは別として、アボリジニは研究対象としては適していない。というのは、今のアボリジニは、もともといるアボリジニとは、遺伝子集団として見ると異質だからだ。というのは、オーストラリアに白人が来たときに、先住民としてのアボリジニをほとんど絶滅状態にしてしまったからだ。その主な理由は天然痘だ。(「銃・病原菌・鉄」に詳しく書いてある。)
 ここで、天然痘への免疫力が少しでも高い集団だけが、今日まで少数ながら存続している。その少数の集団は、もともとのアボリジニの集団とは、遺伝子集団としてみると大きく異なる。だから、どのような結果が出ても、あまり参考にならないと言える。


 まとめ。

 デニソワ人との共通遺伝子は、ニューギニアやオーストラリア北東部でのみ見つかる。その理由は、そこで混血が起こったからではなく、そこにオーストラロイドがいたからだ。
 一方、他の人種では共通遺伝子が見つからないのは、共通遺伝子を歴史の途中で失ったからだ。失った時点と場所は、(とりあえずは)次の箇所だ。


           共通遺伝子が消失
   北東部人 ━┳━━┳┳━ 北東部人
         ┃  ┃┗━ コーカソイド
         ┃  ┗┳━ 古モンゴロイド
         ┃   ┗━ 新モンゴロイド
         ┗━━━━━ オーストラロイド

    ※ 北東部人は、アフリカ北東部人の略。

 上の図には、ネグロイドが含まれていない。ネグロイドの分は、ネアンデルタール人の場合と同様になる。つまり、ネグロイドにおいて、共通遺伝子が消失した。(ただしここでは、ネアンデルタール人との共通遺伝子ではなく、デニソワ人との共通遺伝子が消失した。)
 だから、この箇所も含めると、デニソワ人との共通遺伝子が消失した箇所は、全部で二つあることになる。
( ※ どうして両者で同じ遺伝子が喪失したか、という件については、次項の (7) で言及する。)
 
 なお、出アフリカ後の経路については、下記の図がある。

migrations.jpg
出典:Wikipedia

 なお、オーストラリアに到達した時期は、「銃・病原菌・鉄」では「4万年前」というふうに記してあるが、最新の情報では「5〜6万年前」であるようだ。
  → Wikipedia
  → スンダ大陸とサフル大陸の地図

 ──

 結論。

 デニソワ人の遺伝子は、メラネシアとその近辺のみに見つかる。それは「その地で現生人類とデニソワ人との混血があったからだ」と見なされがちだ。しかし、そうではない。真の意味は、「出アフリカは二度あった」ということだ。
 一度目の出アフリカの初期には、古モンゴロイド系の集団が、メラネシアとオーストラリア北東部に到達した。彼らはオーストラロイドとなった。彼らはデニソワ人との共通遺伝子を持つ集団だった。その後、一度目の出アフリカの中期以降では、デニソワ人との共通遺伝子を持たない集団が、東南アジアまで達した。彼らは古モンゴロイドである。彼らは共通遺伝子を、東南アジアに達する途中で失ったのか、出アフリカの時点ですでに失ったのか、いずれかである。
 二度目の出アフリカをしたときには、デニソワ人との共通遺伝子はすでに失われいた。だから、その集団は共通遺伝子をもともと持たない。その集団が、欧州とアジアに広がった。欧州に達した集団はコーカソイドのままだったが、アジアに達した集団からは新モンゴロイドが出現した。その新モンゴロイドが大幅に拡張して、アジアの全域に広がった。

 ──

 補足。

 ここで、少し補足しておこう。
 新モンゴロイドがアジアの全域に広がったとき、古モンゴロイドの言語や文化は(台湾の原住民を除いて)ほとんど駆逐された。ただし、言語や文化は消えても、人間が消えたわけではない。特に、混血が起こっただろう。
 たとえば、日本では、弥生人が縄文人を圧迫したときに、混血があった。ここで、弥生人は新モンゴロイドであり、縄文人は古モンゴロイドである。
( ※ 正確には、縄文人は、日本原住民とオーストロネシア人との混血である。日本原住民は約3万前から陸地経由で定住し、オーストロネシア人は約 3000年前からボートに乗って渡来した。そのいずれも古モンゴロイドだ。……ただし、このあたり、定説はないので、あやふやだが。)
 
 なお、先に示した、日本人の遺伝子の分岐図によれば、日本人の遺伝子の一部は、コーカソイドよりもはるかに古い時代に由来する。再掲しよう。

dna07.gif
 
 このことからしても、日本人の遺伝子の一部は、(一度目の出アフリカをした)古モンゴロイドに由来する、とわかる。それはつまり、古モンゴロイドとの混血があった、ということだ。
 同様に、日本以外の土地(中国や東南アジア)でも、新モンゴロイドと古モンゴロイドの混血があったはずだ。

 【 参考1 】
  参考として、Wikipedia に、次の記述がある。
 中国南部の住人の遺伝子構造の約1%が、デニソワ人由来という研究発表も、スウェーデンのウプサラ大学の研究チームより出されている。
( → Wikipedia

 


 【 参考2 】
 エチオピア人が遺伝子的にコーカソイドとどういう関係にあるかは、次の項目の最後に記した。
 → 人類の祖先は白人だ
 
 ※ 要するに、遺伝子的にも、エチオピア人はコーカソイドの先祖と考えられる。ネグロイドとは遠く隔たっている。そのことがすでに判明している。
 


 【 追記 】
 文中で示した書籍の頁数は、文庫本の頁。
 たとえば、「319頁」というのは、文庫本ではその頁。単行本では 261頁となる。



 【 関連項目 】
 話の主要部は、本項で終了です。
 ただし、次項にも続きの話があります。補足的な話。
posted by 管理人 at 21:05| Comment(7) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
真ん中へんに 《 補足 》 を加筆しました。
Posted by 管理人 at 2012年08月09日 16:11
>以上のこと(「銃・病原菌・鉄」の説明)から、デニソワ人との共通遺伝子をもつのがどうしてメラネシア人だけで
>あるかがわかる。

南堂さんの主張するように,
古モンゴロイドのうち特にオーストロネシア人がデニソワ人の共通遺伝子を持っていた
(オーストロネシア人以外のヒトがデニソワ人との共通遺伝子を失った)
とするなら,デニソワ人の遺伝子はオーストロネシア人の分散地域に
もっと均一に見つかるはずではないですか?
オーストロネシア人の拡散は,人類史的にはかなり最近のことなのですから
 
南堂さん自身が何度も引用している「銃・病原菌・鉄」の17章の図17-2によれば,
オーストロネシア人が台湾からフィリピンに達したのが紀元前3000年,
スマトラ島に達したのが紀元前2000年,
ビスマーク島やソロモン諸島に達したのが紀元前1600年,
サモア諸島に達したのが紀元前1200年,
マレー半島やベトナムに達したのが紀元前1000年,
ハワイ諸島やイースター島に達したのが西暦500年,
ニュージーランドに達したのが西暦1000年
 
要するに,拡散のスタートは今からせいぜい5500〜5000年ほど前で
メラネシアにもおよそ3500年前には到達しています
また,メラネシアのソロモン諸島に達したオーストロネシア人が
ポリネシアのサモア諸島に達するまで400年間ほどしかかかっていません
 
こんなに最近までオーストロネシア人にデニソワ人共通遺伝子が残っていたとすれは,
オーストロネシア人以外の古モンゴロイドにもデニソワ人共通遺伝子が残っていたと
考えた方が自然です
また,仮にオーストロネシア人以外の古モンゴロイドのデニソワ人遺伝子が偶然消滅して
オーストロネシア人の祖先にのみデニソワ人遺伝子が残っていたとすれば,
オーストロネシア人の分散地域にはかなり均一にデニソワ人遺伝子が分布するハズです
 
実際にはデニソワ人遺伝子はニューギニア島とオーストラリア北部と
その周辺に色濃く残っています
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/shinok30/20120814/20120814225806_original.jpg?1344952863
 
デニソワ人遺伝子の分布をオースロネシア人の拡散で説明しようとすると,
1.オーストロネシア人以外の古モンゴロイドはデニソワ人遺伝子を失い
2,オーストロネシア人の故郷である台湾でもデニソワ人遺伝子を失われ,
3,スマトラ島やマレー半島等に達したオーストロネシア人もデニソワ人遺伝子を失い,
4,フィリピン等のオーストロネシア人もデニソワ人遺伝子の多く失ったが,
5,メラネシアに達した時点ではデニソワ人遺伝子の多くを保持していて
  オーストラリア原住民にもその遺伝子を伝え,今も残っている
  (つまり,4が起こったのはおよそ3500年前よりも新しい時期)
6,メラネシアと通過してポリネシアに達した集団もデニソワ人遺伝子の多くを失った
  (これは,4よりももっと新しい時期に4とは独立して起こった消失)
 
つまり,5千年以下の短期間に多くの集団で独立にデニソワ人遺伝子の消失が起こった
というかなり無理な説明になってしまいますね
Posted by shinok30 at 2012年08月14日 23:34
> 実際にはデニソワ人遺伝子はニューギニア島とオーストラリア北部と
> その周辺に色濃く残っています

 情報ありがとうございました。メラネシアというのが、その言葉通りだと思っていたので、オーストロネシア人だと思っていました。

 お言葉の通りだとすると、その地域はオーストラロイドの地域です。とすると、「北部のオーストラロイド」という形で書き換えた方が良さそうですね。そういう形で書き換えます。

 ただ、そういう事実があるとすると、私の説が補強されます。「オーストロネシア人だけ」というのは「古モンゴロイドの一部だけ」というので不自然なので、ちょっとわだかまりがあった。「オーストラロイドの一部だけ」ならば、実にしっくりする。時期的に言って、最も古い人種でだけ、デニソワ人の遺伝子が残っていた、ということで決着します。ぴったり。
 これで、残されていた最後のピースがはまって、理論が完結します。
 情報をありがとうございました。
Posted by 管理人 at 2012年08月15日 07:08
> 最後の一文から、オーストラリア北東部のオーストラロイドに、デニソワ人の遺伝子が
>見つかるわけが判明する。(メラネシア人経由だ、とわかる。)
> 逆に言えば、それ以外のオーストラロイドではデニソワ人の遺伝子が見つからないこと
>から、次のことがわかる。
> 「オーストラロイドは、オーストラリアに到達する前に、デニソワ人との共通遺伝子を
>失った」
 
オーストラリア北部でしかデニソワ人遺伝子が確認されていない理由は
単にオーストラリア北部のサンプルしか調べていないからではないでしょうか?
 

>のちに、新モンゴロイドが現れ、古モンゴロイドを圧迫して、太平洋上に追いやった。
>そして、新モンゴロイドは、デニソワ人との共通遺伝子をもたない。なぜなら、
>新モンゴロイドはすでに共通遺伝子を失っていたからだ。
> では、共通遺伝子を失ったのは、いつか? それは、コーカソイドと比較することでわか
 
「新モンゴロイドが古モンゴロイドを圧迫して、太平洋上に追いやった」
という説明には無理があります
だって,今でも東南アジアには古モンゴロイドがたくさんいますから
 
上でも書いたように,オーストロネシア人の拡散の時期までデニソワ人遺伝子が
古モンゴロイド集団に保持されていたとするなら,
デニソワ人遺伝子は南アジア,東南アジア,オセアニアにもっと広範に見つかるはずです
 
しかし,実際にデニソワ人遺伝子が多く見つかっているのは,
アボリジニやニューギニア高地人等のオーストロネシア人の遺伝的な影響が少ない地域です
上のカキコで引用した図の論文(The American Journal of Human Genetics 89,
516–528)でもMaterial and Methodsにも"New Guinea highlanders"とありますね
 
>実際には.オーストロネシア人がニューギニア先住民に完全にとって変わることはな
>かった。それは、現代のニューギニア人の遺伝子の詳細な調査によっても確認されて
>いる。この章のはじめに登場したウィンワーのようなニューギニア高地人は、皮膚の色
>が黒く,きつい縮れ毛で、顔の形も明らかにインドネシア人やフィリピン人や中国南部
>の人々とは異なっている。ニューギニアの内陸部や南岸部に住んでいる低地人は、背が
>高いということを除けば、ニューギニア高地人に似ている。ニューギニア高地人の血液
>を調べた遺伝学者もいるが、これまでのところ、オーストロネシア人特有の遺伝子は見
>つかっていない。

>ビスマーク諸島やソロモン諸島、ニューギニア北部沿岸部の人びとは、遺伝子レベルで
>言えば、一五パーセントがオーストロネシア人の血であり、八五パーセントがニュー
>ギニア高地人の血である。明らかに、オーストロネシア人はニューギニアに到達していた。しかし、内陸部にまでは入り込めず、北部沿岸や島々にもともと住んでいた人々と入
>り交じってしまったのであろう。
(第17章 太平洋に広がった人々. in 「銃・病原菌・鉄」)
Posted by shinok30 at 2012年08月15日 07:41
つまり,デニソワ人と混血したのはニューギニア人やオーストラロイドの祖先にあたる人々
(サフル人)なのでしょう
 
南堂さん自身も書いているように彼らはオーストロネシア人よりもずっと前に
ニューギニア(到達した時点ではサフル大陸の一部ですが)に到達していました
 
> なお、オーストラリアに到達した時期は、「銃・病原菌・鉄」では「4万年前」という
>ふうに記してあるが、最新の情報では「5〜6万年前」であるようだ。
 
>移住者たちはスンダ大陸から、おそらく筏のようなものに乗って点在する島々を伝い
>ながら移動したと考えられている。この移住者が当時のサフル大陸に拡散し、
>オーストラリア人(アボリジニ)とニューギニア島の大半の地域に居住する人びと
>(パプア人)の祖先になった。さらに、一部の人びとはニューギニア島の東方に位置する
>ビスマルク諸島などのメラネシア島嶼部への進出も果たしている。この移住者は色が黒く
>て髪が縮れているなどの特徴をもち、オーストラロイドと呼ばれる。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2007/06/000184.html
 
彼らがアジア東部に拡散したのが75000〜62000年前で
そこでデニソワ人との交雑が起こったのでしょう
その後,いわゆる「モンゴロイド」の祖先がアジア東部に拡散した頃
(38000〜25000年前)には
デニソワ人は絶滅したか非常に減少していたかで交雑が起こらなかったと考えられます
 
現在,東南アジア〜オセアニアの西方地域集団でのみデニソワ人の遺伝子が見られるのは
交雑によってデニソワ人の遺伝子を持っていたアボリジニとニューギニア人と
後からやってきたオーストロネシア人等との交雑(主にニューギニア低地人を介して)
によるものでしょうね

> このゲノム解析の結果、オーストラリア先住民の先祖は、75000〜62000年前にアジア
>東部へと拡散したのではないか、と推定されています。一方、大陸部を中心とした多くの
>現代アジア人の祖先は、38000〜25000年前にアジア東部へと拡散したのではないか、
>と推定されています。さらに、多くの現代アジア人の祖先とアメリカ先住民の祖先とが
>分岐する前に、アジア東部に異なる時期に進出してきた二つの現生人類(ホモ=サピエン
>ス)集団間に、交雑があったのではないか、とも推定されています。こうしたことから、
>オーストラリア先住民は、アフリカ外の最古の継続的集団の一つではないだろうか、と
>この研究では指摘されています。
> 
> 一方、アジア東部の南部(一部は南アジアで、他の多くは東南アジア)とオセアニアに
>ついては、オーストラリア先住民も含む東方の地域集団でデニソワ人との交雑の証拠が
>検出されたのにたいして、西方の地域集団ではデニソワ人との交雑の証拠が検出されま
>せんでした。こうしたことなどから、ニューギニア人・オーストラリア先住民などの
>祖先と、東アジアを中心とする多くの現代アジア人の祖先とでは、アジア東部への進出
>時期が異なっており(前者が後者より早くなります)、アジア東部(そのさらに東方に
>オーストラリアや、寒冷期には陸続きだったオーストラリアとニューギニアを含むサフル
>ランドがあります)への現生人類の進出は、複数回の波があったのではないか、とこの
>研究では推測されています。

> さらに、こうした解析結果から、デニソワ人と現生人類との交雑は大陸部アジアでは
>なく東南アジアで起きたのであり、東アジアを中心とする多くの現代アジア人の祖先が
>アジア東部に進出してきた時には、その地にはデニソワ人はすでにいなかったのではない
>か、とも指摘されています。したがって、デニソワ人(というか、デニソワ人が分類され
>るべき人類種または亜種)はシベリアから東南アジアの熱帯地域まで、広範な地理的・
>生態学的範囲に存在していたことは間違いないだろう、とこの研究では指摘されています。
http://sicambre.at.webry.info/201109/article_24.html
Posted by shinok30 at 2012年08月15日 07:43
日経サイエンス2013年11月号に『混血で勝ち残った人類』という面白い記事が載っています。ホモサピエンスの起源に関する三つの仮説を紹介しています。この記事の著者は米アリゾナ大学のハマーですが、監修者は国立科学博物館の篠田謙三博士です。私は篠田博士の講演は科博で何度も聞いています。大いに勉強になります。

ところで、私の目下の関心は、モンゴロイドの起源です。スンダランドからメラネシア人に似た人々が北上してモンゴロイドになったという「北上説」と、アジア西部にいたコーカソイドがヒマラヤの北側を東にすすんで、寒地適応してモンゴロイドになったという「横断説」があります。

私は、つい最近まで「北上説」が正しいと思っていたのですが、このところ、「横断説」に共鳴するようになっています・・・
Posted by エスペロ at 2013年10月09日 20:37
> モンゴロイドの起源

 本サイトでは、下記で説明しています。
  → http://openblog.meblog.biz/article/10915066.html
  → http://openblog.meblog.biz/article/11005737.html

 古モンゴロイドの一部が、アジア西部から北上して、新モンゴロイドになった。

 ※ 一般に、何か疑問があれば、サイト内検索すると、見つかります。たとえば「古モンゴロイド 新モンゴロイド」を検索する。
Posted by 管理人 at 2013年10月09日 21:25
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