ドーキンスの利己的遺伝子説を評価しよう。「遺伝子淘汰説」の部分は正しいが、「自分の遺伝子」の部分は正しくない。 ──
前項までで改めて示したように、血縁淘汰説は間違った学説である。
それと同等のことを結論するのが、利己的遺伝子説である。ゆえに、利己的遺伝子説もまた、間違った学説である。
とはいえ、利己的遺伝子説の基幹となる「遺伝子淘汰」は、間違いではない。とすれば、どう整合すればいいのか?
この件は、前に説明したことがある。簡単に言えば、次の通り。
・ 「遺伝子淘汰」という概念は、正しい。
・ 「自分の遺伝子」という概念は、間違い。
後者については、「自分の遺伝子」というテーマで、詳しく説明した。(シリーズ物)
→ サイト内検索 (さまざまな項目)
ドーキンスの「利己的遺伝子説」には、「遺伝子淘汰」という概念の部分と、「自分の遺伝子」という概念の部分との、双方がある。そして、「血縁淘汰説」について論じたのは、後者である。ここが間違っているのだ。
ただ、利己的遺伝子説の独自性は、「自分の遺伝子」という概念の部分にある。「遺伝子淘汰」の方は、ドーキンスもいくらか貢献したとはいえ、彼の独自の学説というほどでもない。
その意味で、彼の独自の業績である「利己的遺伝子説」の、その根幹をなす「自分の遺伝子」という概念は、まったくの間違いであるがゆえに、「利己的遺伝子説」という学説そのものが、蜃気楼のごときものだと言えるだろう。(「遺伝子淘汰」の部分を除く。)
結論。
「利己的遺伝子説」という学説は、「自分の遺伝子」という間違った概念に基づいて、「血縁淘汰説」という間違った学説を導き出すがゆえに、基本的には間違った学説である。
ただ、それを導入する途中で、「遺伝子淘汰」という概念を普及させた。そのことには、一定の貢献がある。それは、学説の構築というよりは、正しい学説・概念を普及させた貢献である。
( ※ 学説としては、集団遺伝学があるが、これについて貢献した人々は、他にいろいろといる。 → Wikipedia 「集団遺伝学」)
【 関連項目 】
学説全体でなく、「利己的な遺伝子」という概念については、次項で述べる。
→ 次項
2012年08月04日
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