血縁淘汰説の問題を考えよう。この問題の本質は、「働きバチが自分の子供を育てないこと」ではなく、「働きバチが不妊であること」である。
実際、働きバチは、「自分の子と妹がともにあるときに、妹を選んで育てている」のではない。「自分の子がないから、自分の子のかわりに妹を育てている」だけだ。
また、「自分の子よりも妹の方が血縁度が高いから、妹を育てている」のではない。「自分の子よりも姪の方が血縁度が低いのだが、自分の子がいないから(仕方なく)妹経由の姪を増やそうとしている」のだ。
だから、その根源は、「働きバチが自分の子を産めないこと」つまり「働きバチが不妊であること」にある。
ではなぜ、働きバチは不妊なのか? それは、この問題の核心である。その件は、すでに別項で説明した。
→ ミツバチの利他的行動 4
→ ミツバチの利他的行動 5
→ (その他・関連項目)
簡単に言えば、その形質のある方が、生存において有利だからである。(個々の働きバチにとっては有利ではないが、コロニー全体の遺伝子集団にとっては有利である。)……つまり、自然淘汰。
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ここまでの話を理解すると、次の点に着目できる。
「コロニーにおいて子を産める(遺伝子を残せる)のは、女王バチだけである。働きバチは、子を産めない(遺伝子を残せない)。その意味で、働きバチは生命とは言いがたい」
そもそも生命の定義は、「自己複製」とか「繁殖」とか、いろいろな呼び方があるが、とにかく、「子を生むこと」である。(有性生殖ならば交雑をすること。単細胞生物ならば娘細胞を産み出すこと。)
ところが、働きバチは、自ら子を残すことができない。女王バチが産んだ子を育てることができるだけだ。その意味で、「生命」の定義を満たしていない。
このことから、次のように結論できるだろう。
「ミツバチの本質は、女王バチにある。女王バチだけが生命として子を残す。一方、働きバチは、女王バチの分身のようなものであり、女王バチの手足となって仕事をするだけだ」
これはいわば、孫悟空の分身の術のようなものだ。孫悟空が自分の毛をむしって、ぷうと吹くと、毛のそれぞれが孫悟空の分身になる。
孫悟空&毛 孫悟空&分身







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このような認識をすると、次のように理解することもできる。
「ミツバチは、女王バチが本質であり、働きバチは女王バチの分身にすぎない。ということは、女王バチと働きバチの全体が、一つの生命のようなもの(いわば超生命)となって、普通の生命のように、自己増殖(繁殖)などの過程を取る」
ここまで理解すれば、利他的行動や血縁淘汰説やについては、次のように評価できる。
「ミツバチの行動(妹育てなど)を、『利他的行動』と見なすのは不適当である。なぜなら、そこでは、働きバチは他の働きバチや女王バチと競合しているわけではないからだ。競合しているのは、あるコロニーと、他のコロニーである」
ここでは、「コロニー」のかわりに「コロニーの遺伝子集団」と呼び換えてもいい。とにかく、コロニー単位で競合がある。そして、一つのコロニー内の個体同士では、競合はない。なぜなら、いずれの働きバチも、自分では子を残さないからだ。どれもが子を残さない以上、「子をたくさん残す競争」は初めから存在しない。コロニー内の働きバチ同士の間では、自然淘汰はもともと働いていないのだ。とすれば、そこでは、「利己的行動が利他的行動よりも有利だ」ということは成立していないのである。
要するに、血縁淘汰説や利己的遺伝子説が前提としている、「利己的な行動ほど、自分の遺伝子を多く残す」ということは、初めから成立していないのだ。いずれも自分では子を残さないのだから。
だから、血縁淘汰説や利己的遺伝子説が解明しようとした、「なぜ利他的行動をするのか?」という問題は、初めから問題が間違っていたことになる。なぜなら、「利己的行動が利他的行動よりも有利だ」という自然淘汰の原理(競争原理)が、コロニー内では成立していないからだ。
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では、真実は?
働きバチによる「妹育て」は、利他的行動ではない。また、利己的行動でもない。それは、働きバチが自分のためにやっていることでもなく、他者のためにやっていることでもない。なぜならそれは、働きバチが自分で決めてやっていることではないからだ。
ここでは働きバチは、あくまで女王バチの分身であるにすぎない。働きバチは自分の損得を考えて行動をしているのではなく、女王バチの損得のために盲目的に行動しているだけなのだ。ここでは完全な主従関係がある。そして、それを成立させる原理が「不妊」である。働きバチは「不妊」という形質を帯びたとき、自らが独立した生命としての価値を失い、女王バチの手足にすぎない価値になってしまったのだ。
( ※ これは「真社会性」という概念とも類似する。)
ミツバチの真実を理解するには、「利他的行動」とか「利己的行動」とかの概念は不要である。そのような概念は、たがいに競合する個体間にのみ成立する。同一コロニー内の働きバチ同士は、たがいに競合しないので、「利他的行動」とか「利己的行動」とかの概念は無意味となる。(従ってそこから何かを結論しようとする血縁淘汰説や利己的遺伝子説もまた無意味となる。)
では、ミツバチの真実は、どう理解すればいいのか? それには、「ミツバチの女王バチと働きバチの階層関係(主従関係)」を理解すればいい。また、「ミツバチはなぜ不妊なのか」を理解すればいい。
そして、その正解は、すでに別項で示したとおりだ。(上記のリンク)
( ※ 簡単に言えば、集団としての生存率を上げる。そのために、下層に当たる働きバチは、自らを犠牲にすることもある。このように集団としての生存率を上げることが目的となっている。それがミツバチの特異性だ。 ←→ 普通の生物種では、集団ではなく個体の生存率を上げることが目的となっている。)
《 注記 》
上記に述べたことには、舌足らずで不正確な点がある。後述の 【 追記 】 の箇所を読んでほしい。そちらの方が、いっそう正確に記述してある。
[ 付記1 ]
ついでに言えば、ミツバチの血縁度が高いことは、有利なことではなく、不利なことである。なぜか? それには、ミツバチの血縁度がなぜ高いのかを、理解するといい。
ミツバチで、妹との血縁度は 75%であり、かなり高い。その理由は、「 50%の血縁度である有性生殖と、100%の血縁度である無性生殖とを、混合した」ことだ。
→ ミツバチの利他的行動 3
そして、 50%の血縁度である有性生殖と、100%の血縁度である無性生殖とでは、前者の方が高度である(進化している)が、後者の方が数を増やせる。前者は質の向上に適しており、後者は数の増加に適している。
一般に、進化した生物は、進化の程度を下げようとはしない。しかるにミツバチは、強い淘汰圧(スズメバチの強襲)にさらされており、数が激減する危険に瀕した。そこで、有性生殖という生物の有利さを捨ててまで、数を増やすシステムを取った。質の低下を受容してまで、数の増加を得ようとした。……これが、75% という血縁度(有性生殖の血縁度と無性生殖の血縁度との中間)を取ることになった理由である。
[ 付記2 ]
強い淘汰圧にさらされて生物としての質を低下させたミツバチは、哀れな存在である。
一方、ミツバチのオスは、もっと哀れな状況にある。オスは単為生殖の形で生じる。つまり、染色体が半分しかない。それは、分身というより、「半分だけの分身」にすぎない。クローンみたいだが、それ以下であって、半クローンとも言うべきものだ。(クローン性が半分あるというより、クローン体の半分の価値しかない、という意味。)
この哀れなオスは、単に交尾するためだけに存在する。メスとの交尾を求めて、空高く舞い上がったあと、交尾すしたあと、落下して死んでしまう。
→ オス蜂は……セックス以外は何の仕事もしません
ミツバチのオスは、いわば、「精子を載せるだけの乗り物」にすぎない。ドーキンスの言う「個体は遺伝子の乗り物にすぎない」という言葉は、ミツバチのオスに限っては、ぴたりと当てはまる。
( ※ あと、やたらとエッチをやりまくっている 男 も、そんな感じかもね。……私のことじゃないよ。 (^^); )
【 追記 】
実は本項に述べたことから、重要な結論が得られる。次のことだ。
「働きバチにとって、子の数や姪の数を、いくら考えても意味がない。大事なのは、子の数や姪の数ではない。次の女王バチの数だけである。ミツバチが次を増やすかどうかは、次の女王バチの数が増えるかどうかに依存する」
働きバチはせっせと妹育てをしているが、実は、そこで意味があるのは、次の女王バチを育てることだけである。
ここで、次というのは、「現在の女王バチの次世代」のことであり、「働きバチの同世代」のことであるから、それは「働きバチの妹」のことである。
だから、働きバチは、「(次世代である)姪を増やすこと」を目的として、実際には「(同世代である)次の女王バチ(= 妹の一種)」を育てている。そして、そのために、「次の女王バチと同世代である、他の働きバチ(= 妹の一種)」をも育てていることになる。
「働きバチは妹を育てる」と言われるが、そこでは、「次の女王を育てる」ということに意味があるのであり、「働きバチを育てる」ということにはあまり意味がない。そのことが、本項からわかる。だから、単に「妹の数を増やそうとしている」と述べても、意味がないわけだ。なぜなら、不妊の妹をいくら増やしても、それは繁殖(子孫の数を増やすこと)とは関係ないからだ。それは、繁殖のためになすのではなく、巣作りや集団防衛のためになす。
(妹である)働きバチの遺伝子をいくら増やしても、それは生物の遺伝子の数を増やすこととは関係ない。働きバチは生物ではないからだ。……そのことが、本項からわかる。
なお、上のことからすると、働きバチは、「女王バチの分身」というよりは、「次の女王バチの分身」と言うべきだろう。実際、遺伝子的には、そう言える。(いずれも女王バチの娘としての遺伝子をもつ。)
その意味で、働きバチは、次世代に当たる子や姪を育てようとしているよりは、同世代に当たる妹を育てようとしている。つまり、繁殖行動はしていない。それが不妊の理由だとも言える。
要するに、働きバチは、個体数(そのほとんどは働きバチの数)を増やそうとはしていない。単に次の女王(たった1匹)を存続させようとしているだけだ。
ここでは大切なのは、次の女王のもつ遺伝子だけだ。働きバチに備わる遺伝子は、何の意味もない。働きバチの遺伝子数をいくら増やしても、まったく意味がない。……そのことが本項からわかる。そしてまた、血縁淘汰説やり利己的遺伝子説の説明がトンチンカンであることもわかる。
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※ この 【 追記 】 で述べたことは、すでに下記項目でも述べた。そちらも参照。
→ [補説] ミツバチの利他的行動 3
特に、 (7) および 補足 の箇所で説明している。
タイムスタンプは 下記 ↓
個体としてみるか種(系統)として見るかによって捉え方が変わるのは当然のことかも知れません。
以前、人間に関してこういう表現をしてひんしゅくを買った知事を思い出しましたが、これはまた別の話。
(医療とか福祉とかそういうのと関連させようとする輩がいると話がややこしくなります)
女王バチはハチの幼虫が働きバチによって「ローヤルゼリーを与えられるか、否か」
によって選択的に生み出されますから(病気等で女王バチが死ぬと、働きバチが幼
虫にローヤルゼリーを与えることで新しい女王バチを発生させる)、女王バチの卵
を産む作業そのものが巣の中のハチ全体からみた分業と言えるのではないでしょう
か?
それに従事する個体数が大きく異なるだけで(巣の建設と維持・防衛、食料の収集
→多数の働きバチ、生殖の為の産卵→女王バチ(、遺伝子の輸送→雄ハチ))、
分業の役割自体は同等(個々のハチの個体が所持している遺伝子自体は全く同等の
ものでもありますし)で、極論すれば巣を作るタイプのミツハチやスズメバチはあ
くまで巣を構成する全体で捉えるべきで、個体で捉えて「生命とは言いがたい」と
は断言できないと思います。
「〜だ」「〜ではない」と断言できないから、「〜とは言いがたい」という、奥歯に物がはさまったような(明瞭さを欠いた)言い方をしているわけです。
生命としての性質が全然欠けている、と言っているわけではない。普通の生物と同様の一人前の完全な生物とは見なすことができない、という意味。
もっと正確には、自然淘汰説における「生物」としての基本条件(前提)を満たしていない、という意味。
なるほど、わかりました。管理人様が主題にされている「利己的遺伝子」に
関する学説に対する評論のベースにする事を前提にした表現だったわけです
ね。丁寧な説明ありがとうございます。