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京都府亀岡市で集団登校中の児童ら10人がはねられ、うち2人が死亡した事故があった。これを見て、集団登校に疑問符を掲げる記事が出た。
集団登下校中の子どもの列に車が突っ込む事故が後を絶たない。集団登下校は事故や犯罪を防ぐ目的で実施されるが、ひとたび事故が起きれば大惨事になる危険性もある。個別に通学させるか、行列で歩かせるか――。現場の対応も割れている。 集団だと児童一人ひとりの注意が散漫になり、危険だという見方もある。たしかに、「集団主義」というのは日本の伝統だが、それが事故を減らすことにはつながらない。むしろ「注意が散漫になる」ということから、事故が起こりやすくなる、と言える。
市教委は「高学年の児童が低学年の児童を見守りながら登校する方が安全」としている。
酒井洋史校長は「総合的に考えれば集団登下校の方が安全。ガードレールや歩道の拡幅を重視している」。
( → 朝日新聞デジタル 2012-04-24 )
数学的に確率計算するなら、1箇所にまとまっていようが、バラバラになっていようが、事故の可能性(期待値)は、同じである。
ただし、「注意が散漫になる」という効果が付随するなら、その分、事故の確率は高くなる。(一人でいれば、自動車に注意しているのに、集団でいると、自動車に注意することがなくなる。「どうせ誰かが見ているから」と思うわけだ。「全員責任は無責任」の典型。)
市教委の見解は、
「高学年の児童が低学年の児童を見守りながら登校する方が安全」
だが、これは、暴漢に対する安全性か、児童がこけることへの安全性だろう。児童を見守っていれば、路上の自動車に対する注意は散漫になるから、事故の確率はかえって増すことになる。市教委の見解は、理屈が反対だ。
酒井洋史校長の見解は、
「ガードレールや歩道の拡幅を重視している」
だが、これは集団登校の有無とは何の関係もない。論理がまったく通っていない。
そもそも、「ガードレールや歩道の拡幅」は、まったくできていない。その状況を認識するべきだろう。
→ 現場の写真と記事
→ Google のストリートビュー
Google のストリートビューを見ればわかる(写真を動かすとわかる)が、この道路は府道であるのに、1車線しかなく、歩道が分離されていない。ガードレールもない。
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現地はこれほどにも、歩行に適さない、危険な道路だ。
だとしたら、こんな危ない道を通らずに、裏道を通ればいい。だが、どうやら裏道が存在しないようだ。(地図で確認するといい。)
実は、これと同様のことが、別の例でも当てはまる。
→ 登校の列にクレーン車、児童5人死亡
これは栃木県の例だが、やはり同様の状況にある。写真を見ればわかるように、2車線ではあるが、歩道は分離していないし、ガードレールもない。記事にはこうある。
歩道にガードレールはなかった。歩道上にあった車止めの鉄製ポールはなぎ倒されていた。ならば、危険な道を通らず、裏道を通ればよさそうなものだが、それはできない。
→ Google マップ
見ればわかるように、裏道は、あることはあるのだが、ゴチャゴチャと入り組んでいて、やたらと遠回りするしかない。しかも、たとえ遠回りをするにしても、部分的にはこの危険な道を通らざるを得ないようになっている。碁盤の目のような道とは違うのだ。
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以上のことから、次のように結論できる。
集団登校のときに事故が多発するのは、集団登校をするからではない。そもそも歩車道の分離していない、危険な道を子供が通る、ということが根本的に間違っている。ここでは、道路がまともに整備されていないことが、根本原因なのだ。
そこで、本来ならば、次の措置を取るべきだ。
「歩車道の分離していない道は、生活道路と見なして、自動車の通行を禁止する。あるいは、時速 10キロ程度に、速度制限する」
とはいえ、府道が自動車通行禁止になると、自動車の側が困ってしまうだろう。そこで、次の措置を代案とするといい。
「歩車道の分離していない道は、原則として、車道専用にする。そのかわりに、裏道を設置・整備して、そこを人間が通れるようにする。その費用は、自動車道路の建設費用からまかなう」
つまり、自動車の側は、生活道路を奪うかわりに、別の生活道路を建設することにして、その建設費用を、自動車の側が出せばいい。(自治体の側が出すのではない! 当り前だ。)
上記の二つの事故の事例で言えば、小学校のそばに、既存の道路に平行して、歩行者のための生活道路をたくさん設置・整備すればいい。そうすれば、問題は起こらなくなる。貴重な子供の人命は救われる。
これが私の案だ。
[ 付記1 ]
根源的に言うと、田舎の道というのは、あまり整備されていない。都会ならば、人口が密集しているので、道は碁盤の目のようになっていることが多い。しかし田舎の道は、串のような形になっていることが多い。次のように。
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これはどうしてかというと、もともと人の通る道路があって、道路脇に人家ができたからだ。で、人の通る道路があれば、他に道路はいらないから、裏道なんてものは存在しない。単に田畑があるだけだ。
ところが、あとで自動車が通るようになると、この道を自動車がのさばるようになった。そのせいで、歩車道の分離していない狭い道を、自動車が我が物顔で通るようになった。「借りたあとで乗っ取る」ような形で。
こういう背景があるのだから、自動車の出した金で、人間のための裏道を新たに作るべきなのだ。
[ 付記2 ]
現状では、莫大な金を、自動車の側が勝手に奪っている。
・ 高速道路無料化
・ 自動車のエコ減税
・ 軽自動車の優遇税
これらによって毎年、兆円規模の額が、自動車のために食いつぶされている。まったくの身勝手だ。
これらの金を適切に徴税した上で、地方の生活道路の整備のために、きちんと金を使うべきだろう。インフラを整備する形で。
ただ、そうするというと、自動車業界が「自動車の金を奪うな。自動車から徴税した金は自動車道路のために使え」と文句を言いそうだ。
そこで、そういうふうに言いだしたら、まずは、「歩車道の分離されていない道路はすべて自動車を通行禁止」にするといいだろう。
そもそも、自動車の側は、「道路という国有財産を利用するための利用料」をちっとも払っていない。ただ乗りしている。泥棒みたいなものだ。(国有の土地の上に、勝手に家を建ててしまうようなものだ。)
こういう泥棒みたいな自動車業界や運転手のせいで、歩道が奪われて、児童の命が失われていく。このような社会的不正義は見逃せない。それが私の立場だ。
「強きを挫き、弱きを助く」というのが、私のポリシーだ。
( ※ 「嘘付け! 美人を助けるだけだろ」という陰の声あり。 (^^); )
【 関連サイト 】
新たに、次の情報もある。 (2012年10月)
→ 通学路:歩道なし30%、簡易整備だけ12%
→ 緊急安全対策を閣議決定 48億円支出へ
→ エコカー補助金 3000億円
つまり、全国的に「歩道なし」という危険な通学道路が多い。もともとあった生活道路を自動車に乗っ取られてしまったからだ。(泥棒に盗まれたのと同じ。)
で、せめて盗まれた分と同量を返してもらえばいいのだが、そのための支出はたったの 48億円。
その一方で、エコカーという名目で自動車への補助金は 3000億円。
結局、盗まれたものを返してもらうどころか、いっそう盗まれるばかり、というありさま。
泥棒(自動車関係)が国を支配すると、泥棒が政府を支配するので、正義は蹂躙される。かくて、子供たちは今日も変わらず、危険にさらされる。いつか、またしても、子供たちが死ぬだろう。泥棒国家のせいで。……泥棒たちは、道路を盗むだけでなく、子供たちの命を奪う。
そうすれば道沿いの人々は使えるし、抜け道代わりに使えなくなります。
生活道路はSleeping policemanの設置、植樹や花壇ブロックによる強制ワインディングとか、物理的に速度を出せなくする事も良いと思っていますが、予算が・・・でしょう。
30分ぐらいなら大丈夫かというと、そうでもなくて、通勤途中のどこかで 30分も通行止めにあったら、頭に来るドライバーが多そうだ。
高速道路無料化には5000億円。整備新幹線には1兆数千億円。エコ減税にも数千億円。金ならここにたっぷりとあります。
ただ、弱者には、金が回らないだけ。金がないんじゃなくて、金の使い方が問題。
「強きを挫き、弱きを助く」というポリシーを採れば、たちまち解決。
> 「9号線が常に混んでいる状態。みんなあの裏道を使う」(近所の人)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20120423-00000049-jnn-soci
(転写) http://blog.livedoor.jp/shashuhantei/archives/7002430.html
ということなので、国道が別にあるなら、この道は生活道路と見なしていいのかも。一時的に通行止めにすることは可能みたいですね。
※ ただし京都の道のみ。栃木の道は違う。