原発の安全体制を、根源的に改訂するべきだ。具体的には、原発の保守を、電力会社から独立させるべきだ。 ──
原発の再稼働を話題にする前に、もっと大切なことがある。
現在、原発の保守は、電力会社に任せられている。すると、次の問題が発生する。
「保守を手抜きすればするほど、電力会社が儲かる」
これはたいていの詐欺と同様である。
「必要なコストを徹底的に手抜きして、コスト削減によって得た利益を、現在の経営者が頂戴する。その後、事故が発生したら、その時点での会社に押しつける。会社が負担できないときには、国民に押しつける」
実際、福島の原発では、そうだった。原発の保守のためのコストを徹底的に手抜きして、それによって浮かせた金を、その時点での経営者や社員が頂戴した。彼らが退職したあとで、事故が起こったが、その負担は、事故発生時の社員が負担する。また、そのときの社員が負担できないときには、国民全体が負担する。……こうして、過去の経営者や社員は「手抜きによる利益」を得た。
同様のことは、「建設の手抜き工事」でも行なわれる。
→ 震災で崩落の店舗駐車場、設計と異なる施工の疑い
また、例の年金 2000億円詐欺も、基本的には同じ原理である。当時の経営者が、資金を蓄積せずに、資金を食いつぶしてしまった。そして、後に残った巨額の赤字を、そのときの社員に押しつけて、社員に負担できなくなったら、年金加入者に押しつけた。
──
こういう原理が、原発の保守にも成立する。(一般的な詐欺の原理)
そこで、このような詐欺の原理を是正せよ、というのが、私の提案だ。
では、どうすればいいか?
まず、分析すると、現状はこうだ。
「保守を手抜きすればするほど、原発会社が儲かる」(その時点では)
これを改めるには、次のようになる体制が必要だ。
「保守を手抜きすればするほど、手抜きした人が損する」
そのためには、次のようにするといい。
「原発の保守をする会社と、原発会社を、独立させる。原発の保守をする会社は、事故が起こったときには、事故の補償(数兆円)を全面的に負う」
──
上のことを実現するには、次のシステムにすればいい。
「原発の保守をする会社を設立する。その会社は、原発会社からは独立しており、あらゆる原発(すべての電力会社の原発)の保守を請け負う。また、事故の際には、補償金(数兆円)を払う。その金は、保険でまかなう。その保険を払う会社が、原発の保守会社に出資して、経営責任を負う」
図で示すと、こうだ。
保守料 保険料
→ →
原発会社 保守会社 保険会社
← ←
保守サービス 出資
事故の補償金 事故の保険金
いくつもの原発会社があり、ただ一つの保守会社がその保守サービスを請け負う。保守会社はいくつもの保険会社の出資を受ける。
原発会社は保守会社に保守料を払い、保守会社は保険会社に(少額の)保険料を払う。
もし事故が起こったら、原発会社は保守会社に(巨額の)損害賠償を請求し、保守会社は保険会社に(巨額の)保険金を請求する。
この場合、どうなるか?
原発会社は、もはや手抜きが行なわれようが行なわれまいが、関与しない。すべては保守会社に任せてあるので、原発会社は事故が起こっても起こらなくても関係ない。
保守会社はどうか? 保守会社がもし手抜きをすれば、保険会社が大損する。だから保険会社は、保守会社に「絶対に手抜きをするな」と命じる(株主として)。保守会社が手抜きをしているかどうかを、保険会社は外部の委託でチェックする。もし手抜きが発覚したら、そのときの経営者をクビにして、まともな経営者に換える。そしてただちに保守サービスをきちんとしたものにする。何しろ、「 10億円の手抜きで利益を得たせいで、10兆円の損害」なんてことになったら、保険会社は困るからだ。
──
結論。
原発の保守会社を独立させて、その出資を保険会社に引き受けさせれば、原発の安全体制は構築できる。
一方、現状では、「手抜きをすればするほど電力会社は儲かる」というふうになる。これでは事故対策の安全体制を確立できない。現状の体制は、「事故を起こしやすくする」という体制である。福島で事故が起こったのに、そこから何も教訓を得ていないに等しい。このままでは、「一度落ちた穴に、ふたたび落ちる」というふうになりそうだ。
[ 付記1 ]
たとえば、中電は、安全の手抜きをしたまま、浜岡を稼働させたがる。こう思っているからだ。
「事故が起こったって、その損害は、おれたちが負う必要はない。その損害は、国民全体に負わせればいいのさ。それよりは、今のおれたちが、目先の利益を得ることが大切だ。あとは野となれ山となれ廃墟となれ。日本が滅びようが知ったこっちゃない。おれたちが儲ければいいのさ。いざとなったら外国に逃げればいいのさ」
こういう体制のもとで、原発の再稼働が推進されている。つまり、詐欺師による手抜き状態のまま。
[ 付記2 ]
その意味で、「現状のままの再稼働は納得できない」という批判は正しい。
つまり、「原発の再稼働」自体は推進するべきことなのだが、「現状のようにいい加減な体制のままでの再稼働」は、とても容認できないわけだ。
私としては、再稼働に対して、賛成派でもなく反対派でもない。「条件つきの賛成派」である。そして、その条件は、現状では満たされていない。
( ※ なお、「万一の場合の水棺」という設備も必要だ。ただ、これは、「保守サービス」の内の一部に含まれる。保守会社としては、「水棺」の措置を自発的に取るはずだ。さもなくば、保険料が超巨額になってしまうからだ。)
【 関連項目 】
本項の基本概念は、「保険を活用して安全体制を構築する」というものだが、それについては、1年ほど前にも概略を示した。
→ 東京電力をどう処理するか
ここでは体系的に述べているが、そのうちの一部で、本項で述べたことを簡単に記してある。
本項は、それを具体的に説明したものだ。
2012年04月22日
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